報告
熱は相変わらずほとんど下がっていなかった。再び点滴を受けてから退勤する。
迎えにきた車に乗って次に向かったのは警察庁だ。
約束の時間少し前に霞ヶ関の警察庁玄関を入ると、参事官が待ち構えている。
「ご足労頂きまして、すみません。」
「いえ。初回ですから直接ご報告した方が良いと思っていたんで構いませんよ。」
通されたのは警察庁長官の部屋だ。
右京が依頼を受けたのは特殊捜査課という外部には一切公開していない警察庁の中でも秘匿された組織ではあるが、まさかトップがいきなり出てくるとは想定外だった。
もう少しちゃんとした格好で来るべきだったか?
「失礼致します。」
参事官に開けてもらった部屋に入ると中にいた人達が一斉にこちらに向かって敬礼する。制服を着た保健医の姿もある。
「はじめまして、和泉櫻です。」
「はじめまして。警察庁長官の鴨井です。」
「こちらへどうぞ。」
「失礼します。」
応接セットに座ると周りのメンバーの自己紹介が始まる。どの人もそれなりの身分の人達だ。一人一人握手をして挨拶をする。
そのうち右京の前にオレンジジュースが出された。他のメンバーがコーヒーなのに一人だけ違うのは小学生だと聞かされていたからだろう。喉の調子的にこっちの方が有難いので良いが、わざわざ用意して貰ったなら申し訳ない。
「捜査の協力ありがとうございました。」
「私なんかに敬語は要らないですよ。報告書は昨日メールでお出ししましたが、他に足りない事があればご質問下さい。」
「では…11歳と聞いていたんだが、間違いないですかな?」
オレンジジュースをちらりと見て、長官が気まずそうに問いかける。
病院から直行してきたので薄く化粧して20代寄りの格好にしているのもあるだろうか。
「間違いありません。ちょっとここに来る直前まで別の仕事をしていたので化粧をしていますが、正真正銘の11歳ですよ。」
にこりと笑うと相手は微妙な笑みで返した。
「それでは事件の事についてだが、木村愛美が元凶と判断されたのはいつの事ですかな?」
「1月10日、転校初日ですね。資料は事前に頂いてましたので。」
「何を以て判断を?」
「木村隆弘はクラスが違いますから、あのクラスで霊力が感じられた二名、中島優恵と木村愛美の机や鞄に触れれば大体分かりますよ?念が残ってるので。」
「今年に入ってからポルターガイストがなかったのは何故だか分かりますか?」
「私が干渉してたからですね。愛美の力が暴走できない程度に力を発散させていましたので。」
「元凶が分かっていたのに昨日まで解決しなかった理由は何だね?」
「急いでいらしたならすみません。被害が出なければ卒業までに解決すれば良いと思っていたもので特に急ぎませんでした。解決するだけなら1日で済んだんですが、ちょっと色々様子見も兼ねてゆっくりやらせて貰ってしまいました。」
「1日で?むしろ我々としてはポルターガイストも止まってしまって卒業までに解決するのは難しいと考えていたところだ。」
「私が報告しなかったせいで余計なご心配をおかけしました。次回からはすぐに報告する様に致します。」
頭を下げると、すっと保健医が手を挙げる。
「質問宜しいでしょうか。」
「どうぞ。」
「放課後に音楽室でピアノが聴こえて幽霊の噂が出ていたけど、あれは櫻ちゃん、よね?」
「御認識のとおりです。音楽室で窓ガラスが割れた話を聞いたので、一応の確認の為に音楽室に行きました。ピアノを弾いたのは話をしてくれた音楽室の精霊へのお礼、みたいなものですね。お騒がせしてすみませんでした。」
「精霊へのお礼…。」
大人達が全員押し黙る。
特殊捜査課とのお付き合いは一族としてはずっとあるので、それなりに慣れてるはずなのだが、驚くところをみると精霊にピアノでお礼は流石に特殊だったようだ。反省反省。
「他の陰陽師がどのような仕事の仕方をしてきたのかはあまり聞いてなかったので、常識外の事をしていたならすみません。指摘して頂ければ次からは気をつけますので。」
取り繕ったが、また別の男性が手を挙げる。
「精霊と話が出来るという事で良いかな?」
「協力的な精霊がいれば、の話ではありますが、そうですね。」
「今まで陰陽師の方には霊障のみ対応して頂いていたんですが、例えば殺人現場で殺人者についての証言を精霊から取るというのは場合によっては可能、なのかな?」
「出来ますよ。ただし、私は、です。他の陰陽師に同じ事を求められても出来るかは分かりません。」
「さっき机に触って分かった、と言っていたけど、つまりは凶器に触ったりしても何か分かるのかな?」
「念が残っていれば分かりますね。あとは刺された側が生きていればその方に触って倒れる前の状況を確認するのも可能な場合もあります。どれも100%ではありませんけど。」
「100%じゃないというのは正確性が?」
「視えるかどうか、の話です。」
「サイコメトリーと言われる能力があると言うことでいいかな?」
「そう思って頂ければ良いと思います。精霊と話をするのとはまた別の能力ですけど。」
普通の陰陽師でも霊と話が出来る人はいるだろう。ただ残留思念が読めるかどうかはどうなんだろう?
自分でも答えていてどこまでが普通の陰陽師の範囲なのかが怪しくなってきた。
「櫻ちゃん、能力を封印した後、私に3つ可能な選択肢を示したわよね?選択しなかった2つはやり直しをする、と言っていたと思うんだけど、時間が戻る、という事かしら?」
「うーん、全部やり直す訳ではないです。窓ガラスは時間を戻しますけど、人間に対してはそう思い込ませるだけですね。精神干渉というか記憶の操作です。今回子供達は風が吹いて窓側れてビックリして頭をぶつけて倒れた、と思い込んでるのを、もう少し前から思い込み直してもらうだけです。」
「今朝、木村愛美と話をしたけど、少し明るくなっていた気がするんだけど愛美には何か他にもしたのかしら?」
「ちょっとポジティブに考えるように若干調整はしました。それは過去のポルターガイストを自分が起こしたかも?と関連付けしない為にですね。」
うーん、と腕を組んで成り行きを見守っていた長官が手を挙げる。
「今まで協力をお願いしてき陰陽師の方には霊障とほぼ確定した段階でお願いをしてきたんだが、櫻さんには曖昧な段階で協力をお願いしても良いだろうか?」
「費用が発生しても良いのであれば構いませんよ。さっき言ってた殺人事件で犯人の手掛かりが欲しい、みたいなのでもご協力は出来ます。ただ、法令上は証拠にはならないのでそこだけ了承頂く事にはなりますけど。」
幽霊が証言しているから犯人はお前だと言って捕まえるわけにはいかない。
事実を元に物証やら証拠を集めるのは警察の仕事だ。
「それはもちろん。なんというか、神憑きの方は初めてなので、今までの常識を一旦捨てるところから始めた方がお互い仕事がし易いのではないかと思いましてな。」
「そうですね。普通の陰陽師とは別枠で考えて頂いた方が良いかと思います。私がやると費用が嵩む場合があるので、私じゃなくて良い仕事の場合は他の陰陽師に振っていきますね。今回は個人的な事情も重なって潜入しましたけど、結構負担なので潜入捜査はなるべく今後は避けたいです。」
率直に話すと了承を得られたので助かった。
今回の仕事は一族のお膳立てで全てが決められた状態でのスタートだったので徐々に条件を変えていきたいと思っていたのだ。
和泉家は陰陽師一族として平安時代の頃から代々国に仕えてきた。これが特殊なお家事情というやつだ。
明治時代に表向き陰陽道は禁止され廃れたが、本当に力ある一族はその力を秘匿しながら受け継いでいる。その力を守る為、割と近しい一族内での婚姻が繰り返されており、結束力は強い分掟なんかの面倒ごとも多い。
私の様な神憑きは和泉一族にしか生まれないので陰陽師の中でも特殊だ。他の陰陽師一族は現在は警察庁の配下に置かれているが、神憑きについては内閣総理大臣の直轄となっている。
神憑きは常にいる訳ではないし、力が強すぎる分基本的に早死にするらしい。だから一族でも神様扱いでなかなかこうした一般の事件に首を突っ込む事はないらしいんだけど、国としても久しぶりの神憑きで、その力がどんなものかわからないのでとりあえず普通の陰陽師と同じ様に警察庁の仕事を任せてみようとなったらしい。
国の行く末みたいのを四半期に一回占ってレポート提出するくらいは今までもしてたんだけどね。
じゃあ試しに遺留品がある未解決事件を数件視てみましょうと資料を取り寄せている間に雑談にうつった。
「負担と言えば、櫻ちゃん。熱は下がったのかしら?」
保健医が頬に手を当てて心配そうに眉を顰める。他のおじさま達がその言葉に櫻の顔を凝視してきた。
櫻は肩をすくめて戯けてみせる。
「扁桃炎だから移らないので安心して下さい。初対面なのでマスクはしてこなかったんですけど。」
「え?下がってないの!?」
「さっき病院で点滴打ってきたんで大丈夫ですよ。これで学校当分行かなくて済むし他の事出来て助かります。」
「助かるって…。それにしてもあの眼鏡がないとだいぶ変わるわね。」
「軽く化粧してるんでそのせいもあると思いますよ。」
そのうち未解決事件のファイルと遺留品が10件分ほど届いたので、片っ端から見ていく。
時間が勿体ないから説明は要りません、と言ってファイルをパラパラ漫画方式で読み込むとその内3件はその時点でアリバイが解けて犯人が分かった。遺留品を確認したが問題ない様なので、犯人とアリバイ崩しの為に取った方が良い証拠を教える。
残り6件は遺留品で動機やら犯人の顔が分かって資料の中に関係者リストから対象者を見つけて答えはでた。残り一件。
「これは…視る必要あります?」
「それはどういう意味かしら?」
「私の能力は大体理解頂いたと思いますが、まだ何かお疑いですか?こういう試される様なのはあまり好きじゃないんですが。」
にこりと笑ったら大人達が顔を見合わせた。
「どういう事かね?」
長官はご存知ないらしい。
「良いですけど、これだけ倍の料金頂きますね。公安課の白石安澄さん?」
視線の先に居るのは保健医だ。
胸のプレートには刑事企画課田邉となっているし、事前に貰った資料にも田邉美幸となっていた。だが、櫻は最初から知っている。
一番最初の顔合わせの時に握手をしたからだ。
「このフェイク資料を作成した犯人は白石安澄さん。現場写真は捜査第一課におられた際にご自身が担当された事件の組み合わせ、ですね。ここに書かれている住所と建物の組み合わせもデタラメ。過去の神憑きの記録を見て試してみたいと作成したのが去年の12月24日。クリスマスイブの暇潰しが半分ってところでしょうか。あとは…白石さんの個人情報でも喋りしょうか?」
「もういいわ…ごめんなさい。3倍払います。」
「小学生女子が相棒じゃ腐りたくもなりますよね。」
保健医が渋い顔をして詫びた。
長官の隣の警備局長も知っていたのか隣で色を失くしている。
「警備局長も宜しいですか?」
「試す様な事をして申し訳なかった。謝罪します。」
頭を下げた二人に再びにこりと笑いかける。
これだけ牽制しておけばあとはやり易いだろう。そこまで視たわけじゃないのでこれ以上こちらとしても話せと言われなくて助かった。ビバ、ハッタリ!
「他にも案件あるなら日程決めて頂ければ後日纏めて視ますね。」
「助かります。」
「後日、総理との面談もご依頼すると思います。」
「承知しました。」
いくつか取り決めをして、警察庁長官の部屋を辞した。今度は保健医が入口まで送ってくれる。
「櫻ちゃん、さっきは本当にごめんなさい。」
「いいですよ、初回ですから。次また何かしたら呪いでもかけて差し上げます。」
「もうしません。櫻さんとお呼びするべきかしら。」
「出来れば、右京ちゃんでお願いしたいです。」
ふぅと軽く息を吐いてそう答えると保健医が不思議そうな顔をした。
「右京、ちゃん?」
「本名、崎谷右京なので。」
「え?」
「櫻は神様の御名前です。そこまでは知りませんでした?」
神様、と呼んでいるけど、どんな神様なのか不明だ。神様としての記憶は私には見えない。ただ、過去の記憶で櫻と呼ばれていたのは分かる。崎谷右京が生まれた時、印を持って生まれてきた。五芒星がアザの様に左上腕にくっきりと出ている。昔から五芒星を持つ神子は櫻が宿っている印らしい。
「私はどちらでお呼びしましょう?田邉さん?白石さん?」
「私も白石で構わないわ。」
「了解です。ではまた学校で、ですかね?」
「負担なら当分休んだら良いわ。扁桃炎なら一週間はかかるでしょう?」
「そうですね。別にこうして問題なく動けはするんですけど、熱もある事ですし、甘んじて一週間は学校お休みさせて貰う予定です。」
「学校だけじゃなくて今日も延期で良かったのよ?」
「トップが出てきたのは想定外でしたけど、お会いしておきたかったので有意義でした。こういう事に時間を使いたいもんです。」
外に出ると車がカーポートに滑り込んでくる。運転手が降りるより前に白石がドアを開けてくれた。
「帰ってゆっくり寝て休んでね。」
「残念ながらこれから商談なんです。では失礼します。」
車に乗り込んで手を振る。
白石も呆れた顔をして手を振り返してくれていた。