初代
始め、何が起きたのか判らなかった。
一瞬、瞳が何もうつさなくなって、気がついたら榊の片腕の中にいた。
「大丈夫ですか」
「あ、うん」
目眩を振り払って自分で立とうしたが地面が揺れてどんどん近づいてくるような感覚にもはや天地も判らない。
榊は虚空を見つめて動かなくなった右京を支えたまましゃがむと右京が落した着替えを拾い上げた。
「もう着替えなんていいでしょう」
さっさと右京をベッドに運んでベッドの中に入れようとしたが、ぎゅっと榊の袖口を掴む。
横になりたいのは同意だが、きっちりピッタリのシャツに長めのプリーツスカートのままじゃシワになるから眠りたくない。それにどうせ寝るならゆるっとした恰好がいいにきまってる。
「だってこんな恰好じゃ眠れるものも眠れないよ」
「わかりました。お手伝いいたします」
「ごめん」
眩暈で半分頭を抱えてうなだれている右京にさっき落としたパイルドレスをかぶせてから服を脱がせてくれた。
有難いのはありがたいのだが、なんだかこんなことに慣れすぎてて申し訳なくなってくる。
「で?」
「で、とは?」
布団にやっと収まった右京はニコリと笑って言った。
「眠らせてくれるんでしょ?」
「・・・えぇまぁ」
「え?もしかして無策?」
「無策でもないんですが・・・」
そう言って榊は部屋の電気を落としてから傍に座って手を差し出した。
「ん?」
「お手を」
「うん?」
差し出された手に手を載せると榊がぎゅっと握る。
それから右京の頭を撫でてた。
「おやすみなさい」
右京の肩をふとんの上からアンダンテのリズムでポスポスと叩く。
こんなことで眠れるわけないじゃない、と思ったその次の瞬間には右京は眠りに落ちていた。
夢を見る。
いや、夢ではない。
過去の自分の記憶のだろう。
そう、今となっては自分の記憶だ。
月からの記憶より、現代の記憶より、どれよりも情報量が多く、長い記憶が交じればどちらの比重が重くなるかなんて考えるまでもない。
自分は自分であって、自分でない感覚。
今まで外付けハードディスクの様に観たい記憶を中心に見ていたけれど、それ以外の記憶だけじゃない、感情も全て自分のものになった。
それどころか、今まで観えていなかった過去を知る。
眠ると顕著に過去の記憶が襲ってきて疲れてしまった。
昼間も今までと違う自分に自分で気づいて戸惑う。
色々考えすぎて眠るのが嫌になってしまったのだ。
それから眠れなかったのに、こんなに簡単に落とされるとは・・・。
自分で自分が情けない。
しかも今日はなんか様子がおかしいんですけど・・・。
「貴方はどなたでしょう?」
右京は問いかけた。
自分と同じ顔をした、少し年上らしい人が向かい合って立っている。
まさか自分なわけがない。
自分はここにいる。
「私の名は和泉櫻」
「和泉櫻は私です」
「違う。間違えるな。おまえに私が似ているのではない。おまえが私に似ているのだ」
「―――――初代?!」
右京の顔がこわばる。
右京の愕然とする思いに自分――いや、初代がコクリとうなずいた。
そしてニッコリと微笑む。
それは突然霧が晴れたような笑顔であった。
「でもなぜ…何故私の夢の中にいるのです?」
「融合した私は、今まで神として何人かの人間に降りた。しかしもうこれも最後にしたい。手を貸してくれるか?」
櫻は語る。
平安に始まった和泉家と神の関わり。
鬼とも妖怪とも呼ばれ伝説に語られてきた人外の存在<地>が目立って活動するようになったのは櫻が生まれる数年前のことからだという。
その少し前、<地>は天界と呼ばれる神々が生きる世界で彼らの天敵たる<天>との大戦に破れたらしい。神は死んでも通常天界で輪廻転生を繰り返すが、その敗戦以来、<地>の最高神が下界と呼ばれる人間の国、日本に転生するようになった。
そしてそれを追う様に<地>の他の神々も日本に転生し始める。
<地>の最高神は天界での記憶を失っているらしく、ただの人間として暮らしていた。
だが他の神々は<地>を再興するため、人間を襲って悪さをしたり、彼に近づこうと必死だ。
櫻に憑いている神様は<地>の最高神の妻だが、元々は<天>の神の一人だそうだ。
<天>と<地>の懸け橋となるべく、<地>の最高神の求婚を受けたそうだが、結局は戦争となってしまった。そして<地>の最高神である夫を失った。
夫を失った後<天>に帰っていたが、夫が日本に転生したのを知る。
その時日本で一番霊力が強かった櫻の元に神様は降臨し、櫻を助ける代わりに神様の願いを叶える約束をしたのだそうだ。
それはただ、<地>の最高神の魂を見守ること。
決して記憶のない彼と恋仲になりたいとかいう事でもない。
ただ他の神々の余計な接触を避けて彼が幸せに暮らせるように助ける、それが神様の願いだった。
<地>が下界に転生したことよりも、櫻の神様が下界で櫻と契約してしまったことに周りの<天>の神々が焦ったらしい。人間の一生など神々にしてみれば瞬く間の出来事だが、相手が日本に輪廻転生を繰り返し、それをずっと日本で待つというのであれば話は別だ。
話し合った結果、忍が生まれた時には櫻の神様が、それ以外の時は適度なタイミングで他の神様が順番に下界に降りて<地>を排除し、櫻の神様の願いを叶えるべく日本と和泉一族を助けるという契約にしたのだそうだ。
しかし現在に至り、<地>の最高神“哪吒”復活の報が期待と確信をもって彼らの内に流布され、それを刺激として<地>は勢力を回復しつつある。
最近、不可思議な事件が頻発し始めた原因でもあった。
それに対抗できるのは陰陽師の存在だけだ。
特に選ばれし血統の選ばれた赤子の内に限り転生をなす『和泉』の一族。
その血には<地>の「妖力」に対抗する霊力の因子が多く内在し、一族の者は神憑きではなくとも何らかの能力を保持した者、すなわち「術者」が多く輩出される。
しかし長い年月を経て、陰陽師の存在が少なくなってきた現代では、一族の血は分かれ、純粋な血統はほぼ途絶えたと言ってよい。術者の数は激減した。
櫻の神様はこの状況を憂いているらしい。
それは右京自身も混じり合っているから感じている。否、そう思っている。
自分の願いの為に千年もの間、和泉家の人間を犠牲にしてきた。
陰陽師という職業が国に認められて家業だった頃はいい。それで国に大きな恩を売って他の陰陽師の家より優位に立てていたのだから。しかし現代に入って陰陽師という職業が廃止され、隠されていることもあり神様との関係を理解する国の人間も減ってきた。ある程度の便宜を図ってもらってはいるが、この自由な現代で個人の負担が大きく感じられているのは間違いがないだろう。
右京はゆっくりと頷いた。
最後にしよう。
皆が心を犠牲に生きて来た苦しみを。
自由に就職も恋もできないこの苦しみを――。
これから生まれてくる命のためにも。
今まで犠牲になってきた者達の為にも。
「これを」
「これは…?」
櫻から手渡された2つの指輪を握ったところで青空の鮮やかなコバルトブルーだったそれがだんだんと濃さを増した。
夜?
いやこれは違う。
私が目覚めるのだ。




