赤
3時間が過ぎたであろうか。
右京の目が微かに震え、瞳をうっすらと開ける。
「右京?!」
忍が身を乗り出して右京の顔をのぞきこんだ。
まさかこんなに早く意識が戻るとは思いもよらなかった。
右京の細く開かれた目が忍の顔をずっと見つめている。
「・・・・・・むらじ・・よん・・・で・・・」
右京が高熱に荒い息の中かすれた声で言った。
「連?・・・叔父上か?」
右京が微かに頷く。
忍は優しく右京の髪を撫でてやる。
「もう少し寝てからな」
しかし右京は首を横に振る。
今じゃなきゃ駄目なんだ、と。
何があるんだ?
稲置と何があったんだ、右京?
聞きたい事はたくさんある。
だが右京の瞳がいつものように言う。
『大丈夫、なんでもないから』
何度となく繰り返された言葉。
俺を安心させる為の嘘。
しかし嘘だと知りながらも忍はそれに背くことはできなかった。
忍はゆっくりと立ちあがり10cmほど障子を開けると外に控えていた水無月に声をかけた。
瞼が重い。
泥に沈んでいくような重たくけだるい感覚に右京は再び目を閉じた。
意識を保っていることすら今の右京には重労働だ。
本当は誘われるままに眠りへと落ちてしまいたい。
だが近づいてくる。
あの男がやって来た。
近くに気配を感じてはいるが、瞼はやはり重い。
「櫻」
気遣うように忍が呼ぶ。
その横で静かに男が腰を下ろした。
「私の手を・・・」
瞳も開けずに右京はそう言って布団の隙間から鉛のように重い手を差し出した。
どうせ男の顔など見たくないのだ、眼を開けるまでもない。
男が戸惑いながらその手を取る。
流れ込んでくる、どろどろとした男の感情。
それは悪意だ。
『私は貴方に忠告したはずです』
男の頭の中に直接声を響かせる。
「此く出でば、天つ宮事以ちて・・・天つ金木を本打ち切り・・・末打ち断ちて、千座の置座に、置き足らはらして・・・天つ菅麻を、本刈り断ち・・・末刈り切りて・・・八針に取り辟きて、天つ祝詞の太祝詞事を宣れ・・・」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
忍には何が起こったのか分からなかっただろう。
急に連が声を上げたかと思うと、そのまま右京の傍らに崩れ落ちた。
それと入れ替わるように右京がゆっくりと眼を開け、立ち上がる。
右京の右手からするりと連の手が落ちた。
「2日もすれば目が覚めますよ、連殿」
意識のないその男に向かって無感情に右京は言う。
「右京?」
忍が怪訝な顔で右京を見上げる。
「ちょっと力を分けていただいただけだよ」
「力を?でも叔父上の能力はもう、」
右京は笑ってみせる。
呆然とする忍の横を通りすぎて、右京は障子を開けた。
夕日の光が、まっすぐに部屋へと伸びた。
2月にしては暖かい風が彼女の髪をなびかせる。
彼女の目の前に咲き乱れるのは真っ赤な椿の花。
その赤さがつい3時間前の血に染まった視界とオーバーラップした。
赤。
赤。
赤。
目の前が真っ赤に染まった。
彼女は恐る恐る自分の両掌を見た。
赤。
白い手にぬぐいきれなかった血の跡がこびりついている。
赤。
赤。
赤。
誰の血だ。
彼女はがくりと膝をついた。
赤。赤。赤。




