番外編「単独任務」5
ヴィクトがウィーナの執務室にやってくると、机に座るウィーナを中心に、脇にはダオルとファウファーレが立ち、距離を置いてロシーボ隊のシュドーケンが控えていた。
「これを防具に取りつけるがいい」
ウィーナがヴィクトに渡したのは、掌に収まる程の大きさの、灰色の金属の四角い物体『補助魔法効果固定装置』であった。
「取りつけるといっても、どうやって?」
四角い箱を見ながらヴィクトが言う。
「ヴィクト殿の場合、コートのポケットにでも入れてもらえれば大丈夫です」
シュドーケンに言われた通り、ヴィクトは静かな手つきで補助魔法効果固定装置をポケットに入れた。
「では、やるぞ」
ウィーナはヴィクトに掌を向け、彼に向けて魔力を放出した。
ヴィクトの体が柔らかく心地よい光に包まれる。そして、ウィーナのかけた凄まじい補助魔法の威力をひしひしとその身に感じる。
「攻撃力、防御力、スピード、魔力。基本的な能力を何倍にも底上げした。数日これの状態が維持されるなら何とかなるだろう」
「ありがとうございます」
ヴィクトがウィーナに一礼した。
「装置を手放さないよう注意して下さい」
シュドーケンが忠告する。
「分かった」
ヴィクトがコートのポケットの外側から装置の感触を確かめていると、ウィーナの横に立つ副社長・ダオルが怪訝な顔をヴィクトに向けてきた。
「……ところで、事務所の方が騒がしいようだが?」
「はい。申し訳ありません。おそらく我が隊のレドゥーニャと、ユノ隊の間で小競り合いがあったようです」
「現在、ユノ隊は俺の指揮下にある。今回の采配が不服なのか?」
「すみません。隊に今回の件に納得してない者が若干いますが、急なことだったものでろくに話す暇もありませんでした」
「俺がユノ隊を預かっているときに問題を起こすんじゃない。そんな状態で向かって大丈夫なのか?」
ダオルが更に嫌そうな顔を向けてくる。ウィーナは椅子に座ったまま、無表情で黙ってヴィクトを見据えている。
「今、ウチのゲキシンガーに事の対処に当たらせています。追ってゲキシンガーから報告があるかと」
「つい先程、ジャベリガンから報告がありました。レドゥーニャがユノ殿を繭から目覚めさせようとしたのに対して、ユノ隊の者達がユノ殿を守ろうとした結果、諍いが発生したようで。事務所が結構壊れていて、重傷者も発生したようです」
ファウファーレが、ヴィクトの話をより具体的に補足した。
「そうか……」
ウィーナが腕を組んで、遠くを見るような仕草をした。
「怪我人は既に魔方陣マットで理想研究所に運び込んでいます。深刻な状態の者が三名いましたが、みんな問題なく治療できるとのことです。ただ、全員がレドゥーニャの仕業ではないようで」
ファウファーレが状況の説明を続ける。ウィーナとダオルは困ったような表情を作っていた。
「分かった。この件が片付いたら、また処分は考えねばなるまい」
「ユノ隊絡みのトラブルなので、私の方で対応しましょう」
ダオルがウィーナに申し出る。
「いや、私が対応しよう。娘もヴィクトが向かうことに反対していたようだしな。後で事務所に行く」
「ハッ」
「ウィーナ様、ヴィナスは確かに反対してましたが、レドゥーニャが引き起こしたトラブルとは関わってません」
ヴィクトがヴィナスを擁護した。あの二人は仲が悪いので、連係して示し合わすようなことはないはずだ。おそらく、ヴィナスがヴィクトを止めることができなかったことにレドゥーニャが憤慨し、独自にユノ隊に詰め寄ったのであろう。
「そうだとは思う。レドゥーニャは我が娘を嫌っているからな」
ウィーナがそう言い、一呼吸おいて更に言葉を続ける。
「話が逸れたが、まずはキャプテン・ダマシェだ。すでにユノ隊のダイアンの隊が現地入りして、冥王軍と合流してキャプテン・ダマシェの現場周辺の警備や滅ぼされた村の調査に当たっている」
「そうでしたか」
ダイアンは一年前のミルクティー富松の任務の後、しばらくしてロシーボ隊に異動となった。そして、ロシーボ隊に着任した直後、ミルクティー富松の分析調査の担当者であった中核従者・トモビッキーと口論になった末、トモビッキーを暴行し半殺しにしたのだ。
ダイアンはすぐに処分を受け、ユノ隊に左遷された。
「ここと通じる魔方陣マットも用意してあるのですぐハッチョウボリーに行くことができる」
「了解しました」
ヴィクトがうなずくと、今度はダオルが話し出す。
「補佐として我が側近のジャベリガンを貸してやろう。お前の助けになるだろう」
「いや、自分一人で十分です。単独任務なので」
ヴィクトが言う。別にジャベリガンに限らず、他の者を巻き込むつもりなど毛頭ない。
「丁度ジャベリガンも別件でハッチョウボリー地方に行く用事があるのだ。任務効率化のため、行く方向が同じなら同行して助け合うのが基本方針だろう? ですよね?」
そう言いながらダオルは、ウィーナにも同意を求めた。
「まあ、そうだな。方面が同じなら、一緒に行かぬ理由もなかろう」
ウィーナもダオルに同意した。
「二階のC多目的室に魔方陣マットを敷いてあります。ジャベリガンも今出発の準備をしていますので、C多目的室でジャベリガンが来るまでお待ち下さい。古い旧式のマットなので接続調整と転移発動は私がやります」
ファウファーレの説明に対しヴィクトは「分かった」と返事した。ヴィクトとファウファーレは、ウィーナに見送られて執務室を後にした。
その後、ダオルも執務室を去り、部屋にはウィーナとシュドーケンだけが残った。
「……ウィーナ様、よろしかったのでしょうか? ヴィクト殿にジャベリガンを同行させて」
「まあ、よかろう。ジャベリガンは別件で滞っている代金の取り立てに行くだけだから、よもやキャプテン・ダマシェと戦うようなことにはなるまい。ただ方向が同じというだけだ」
「しかし、最近の副社長殿はヴィクト隊に問題が発生するのを願っている感じがします」
シュドーケンが若干声を抑えながら言った。
「ああ、そっちの意味か。……分かっている。だが、あえて別々に行かすのも却って不自然だしな。まあ、お前のくれた装置の効果もあるし、ジャベリガンに妨害されるようなヴィクトでもあるまい。それに、火遊び程度なら黙認してやっているが、もし本気でヴィクトを潰しにかかるような真似をしたらどれだけ私の怒りを買うか、ダオルも理解しているはずだ」
「はい」
それだけ言うと、もうシュドーケンもこのことについては言及しなかった。
「ところで、今のところダオルがロシーボの技術に興味を持つようなことはないのか?」
「はい。聞きません。副社長殿はロシーボ殿をかなり軽んじているようで、そもそも眼中にないようです」
「それでいい。もしアイツがロシーボの技術に関心を示したら面倒だ」
「はい、それはもう。だから副社長殿の周りにはあまり我が隊独自の技術はアピールしないようにしています」
「もしダオルがロシーボの価値に気付いて、私を通さずロシーボに変な頼みごとをするようなことがあったら、必ず私に知らせろ」
「はい」
「歴戦の勇士であるお前をロシーボの副官にした意味を忘れんようにな。ロシーボの技術が利用されないよう、守ってやってくれ。頼んだぞ、副隊長」
「ハッ!」
シュドーケンはロシーボが取りつけてくれた義手で、力強く敬礼した。
◆
魔方陣マットが敷かれた多目的室。
ヴィクトとファウファーレは、ジャベリガンが来るのを待っていた。
「随分ボロいな。これで繋がるのか?」
魔方陣マットは、使い込まれて縁がすり切れ、小汚いものだった。
「私が発動を司るので、大丈夫です。ご安心を」
ファウファーレが自信に満ちた表情で言う。
「向こう側の連中が繋げられるの? もうほとんど魔力が抜けちゃってるようだけど」
「出口も私が調整しますので」
「お前が? こっちから? そんなことできるの?」
「はい」
「はぁぁ~……」
思わずヴィクトは感心してしまった。こんなポンコツの魔方陣マットで、転送側と受入側の両方を一人で制御するような芸当、ヴィクトにはできない。
魔法を専門にしている者でも、並の術者ではそこまで高次元な魔力のコントロールはできないのではないか。
ウィーナがファウファーレを秘書官として重用するのもうなずける。
「そろそろ新しいマットも買わないとね」
「私ならこれでも繋げられますので、新しいのを買わないでも大丈夫だとウィーナ様が仰ってました」
「そっか」
ウィーナはとことん属人的にする気か。魔方陣マットぐらいケチらずに新しいのを買い揃えればいいものを。いつまでこんな旧型のマットを使う気なのだろうか。
おそらく完全に壊れるまで使うつもりなのだろう。ヴィクトは内心うんざりしたが、幹部従者の自分はうんざりする側の立場ではないことも理解していた。
自分は愚痴を言う立場ではなく、こういった部分を改善しなければならない上司側の立場なのである。それを思うと、更にうんざりしてしまった。
「お疲れ様です」
多目的室に一人の人物がやってきた。ジャベリガンである。
法衣に鎧姿で、盾とメイスで武装している、馬のように顔が長い男だ。
「お疲れ様」
ヴィクトも返事をした。
「じゃ、早速だけど行こうか。時間もないし」
「ハッ!」
ジャベリガンは素直な様子で返事をする。しかし、この男もなかなかの曲者なので、ヴィクトも内心、あまりその態度を真に受けない。
ヴィクトとジャベリガンは魔方陣マットの上に立つと、ファウファーレが両手を突き出し、魔力を放出した。
「ハアアアッ!」
ファウファーレの掛け声と共に、光が魔方陣マットが描かれた魔方陣の輪郭を走り始め、マットから光の柱が立ち登る。
一瞬にして、二人はその場から姿を消した。難しい空間を繋ぐ制御を、ファウファーレはあっという間にやってのけたのだ。
ファウファーレが発動させた魔方陣マットの転移機能。
二つのマットを繋ぐ、魔法で作られた異次元空間を転送される二人。転送される時間はものの数十秒だが、ジャベリガンはヴィクトのコートのポケットから補助魔法効果固定装置を、鮮やかな手つきですり取った。
ヴィクト相手に気づかれずポケットから装置をかすめ取る。これはワルキュリア・カンパニーに入る前はスリで生計を立てていたジャベリガンの名人芸が成せる神業であった。
◇◇◇
ハッチョウボリーに辿り着いたヴィクトとジャベリガンを出迎えたのは、ユノ隊のダイアンであった。
ロシーボ隊の中核従者・トモビッキーがSランク相当の悪霊であるミルクティー富松をDランクなどと判定したために、数名の平従者だけを引き連れて現場に向かわされた男である。
本来Sランクは管轄従者でも対応しない。幹部従者か準幹部従者、またはウィーナかダオルが直々に対応するレベルの悪霊だ。
ダイアンと数名の平従者だけでは死にに行かされたようなものである。
ダイアンはヴィクトに話していなかったが、ミルクティー富松の一件の後にダイアンが転属を願い出たのは、レドゥーニャやヴィナスから執拗な嫌がらせを受けたためである。
危険な役目に回されたり、必要な情報が回ってこなかったり、他の者がやらかしても大して叱責されないような過ちでも、ダイアンの場合だけ殊更に厳しく罵倒されたり。
隊長のヴィクトに相談して余計な問題を起こしたくなかったため、ダイアンはさっさと他の隊に転属した。その転属先がロシーボ隊だったのだ。
そして転属してすぐにミルクティー富松をDランク判定したことを巡ってトモビッキーと口論になった。人によって解釈は分かれるが、要はトモビッキーのダイアンに対する言い草や態度が、極めて無責任で不誠実なものだったのである。
それもそのはず、トモビッキーはミルクティー富松のランク判定問題を受け、この組織で働く意欲を失い、退職を願い出ていたのだ。しかもこの日が実質的な仕事納めであり、翌日から有給消化期間に入り、職場に顔を出すことがなくなるから、最早人間関係のことに気を配る必要がなかったのだ。だからトモビッキーは自分の落ち度を棚に上げ、箍が外れたように完全に開き直り、ダイアンのことや組織のことを口汚く罵ってきた。解釈は人それぞれだろうが、少なくともダイアンの常識感覚では、まともな者なら社会の場で決して言ってはならないような、言ったが最後、取り返しのつかないレベルの暴言であった。ダイアンやこの件で死んだ者達を愚弄する内容で、ミスをした張本人であるトモビッキーが絶対に言ってはいけない、人の尊厳を踏みにじるものだった。彼の言葉は彼と対峙しているダイアンだけではなく、口論を周囲で聞いていた者達全員の怒りを掻き立てた。険悪極まりない雰囲気の中、その中心にいるトモビッキー一人だけがやけに楽しそうだった。ダイアンには一体何がそんなに面白いのか全然分からなかった。トモビッキーのことを多少なりとも慕っていた彼の部下や後輩達も、彼のこの振る舞いを見て一気に幻滅し、失望した。だが、別にトモビッキーにとって、そんなことはどうでもよかった。繰り返しになるが、彼はこの日が実質的な最終出勤日でもうここにいる連中と顔を合わせて仕事をすることも二度とないからである。今更人間関係が破綻したところで何ら痛くも痒くもない。
それゆえ、トモビッキーの口から、魔城タピオカの一件の当事者が聞いたら、その者の心が張り裂けるような、筆舌に尽くしがたい暴言、毒舌が飛び出したのである。
だからダイアンは激昂して暴力沙汰を起こした。トモビッキーが半殺しとなり、官憲が傷害事件として事情聴取に来てしまった程の暴力事件を。周囲の同僚達が止めてくれなかったら殺していたかもしれない。トモビッキーにとっても、まさかダイアンがここまで怒り、このような暴挙に出ようとは、完全に予想外であった。
トモビッキーをボコボコにしている最中、ダイアンは泣いていた。こんな不誠実でいい加減な人物の下した悪霊判定を信じて死んでいった小隊の部下達を思い出しながら。魔城タピオカでゾンビ達が山のようにわらわらと迫りくる中、自らの命と天秤にかけてはぐれたブツメツの捜索を取りやめ、生きて帰ってこの惨状を組織に報告することを選んだ自分の無力さに泣いていた。トモビッキーを殺さんとする勢いで殴り続けるダイアンを制止したロシーボ隊の戦闘員達も、泣きながら彼を止めていた。制止する彼らもトモビッキーの発言に対して、もう悔しくて悔しくて、やるせなくて、死んでいった彼らが惨めでならず、落涙を抑えられなかったのだ。なぜ、失われた取り返しのつかない命のことに関して、こうも悪しざまに侮辱し、あることないこと讒誣するのか。そこまで言う必要性がどこにあるのか。ミルクティー富松に殺された平従者達の名誉のため、彼らの死に何か意味を持たせたいがため、泣かずにはいられなかったのだ。
口論から暴行まで一部始終を見守っていた、回復魔法を得意とする隊員がすぐさまトモビッキーを治療してやったが、彼は見るからに嫌そうな顔をして、死ぬ心配がない程度に回復したところですぐ回復魔法をかけるのをやめ、トモビッキーの脇腹を一発蹴っ飛ばした。そして、トモビッキーの首根っこを乱暴につかんで、彼の首が絞まっているのにも構わず、ぞんざいに床を引きずりながら彼を運んだ。この回復魔法が得意な隊員は、トモビッキーが周囲のテーブルや椅子にガンガンとぶつかっているにも関わらず、移動方向を修正せず、平然と直線的な移動ルートでトモビッキーを雑に引きずり続けた。壁に引っかかったらまたトモビッキーを蹴って転がし、今度は頭髪を鷲掴みにして引きずっていった。そして、他の者達が用意してきた担架に、他の者達と協力して彼を持ち上げ、投げつけるように乗せていた。しかし、この隊員がトモビッキーに治療魔法をかけてくれたのは事実である。ここでトモビッキーに死体になられても迷惑だったし、そんなことになったらまた問題になって面倒なことになるし、ダイアンを殺人者にしたくもなかった。だから、不本意ではあったが、トモビッキーを回復したのだった。
トモビッキーが医務室に運ばれ、場がやや落ち着きを見せた頃合いに、誰かが言った。
「今夜の送別会、中止にしようぜ!」
その後、当然ダイアンは駆けつけた警察隊によってその場で逮捕されてしばらく牢獄に拘留されたが、クビにはならなかった。短期間で釈放の後、ウィーナから許されワルキュリア・カンパニーに復帰したのだ。
そしてこのユノ隊に移され、今に至る。
一方で、ダイアンから手酷い暴行を受けたトモビッキーは怒髪が天を衝くかの如く怒り狂った。
しかもその晩、ロシーボ隊の同僚達は送別会を盛大に開いてくれる予定であったが、彼らはその約束を反故にし、送別会をやらなかった。ロシーボ隊の連中は、トモビッキーを裏切ったのであった。
「ふ、ふ、ふ、ふざ、ふざけ、ふざけるなあああっ! 俺今日の送別会楽しみにしてたのにいいいっ! 何で中止なんだよおおおっ! どうしてだよ! おかしいじゃん! だってさあ! この前はお誕生日会やってくれたじゃん! なのに、何で送別会やってくれないんだよおおおおっ! 矛盾してるじゃんかああああっ! ちゃんとウィーナ様の承諾を得て中止してんのかよおおおっ!?!?!? おい幹事誰だよ!? ダイアンどこ行ったの!? あ、ああ、あいつ殺す、こ、殺してやるダイアンよおおぉぉぉ! あの野郎ォアアアゥゥゥ! ……ハァ!? 逮捕ォ!? け、けけ、警察ゥゥゥゥゥ!? ちっくしょーっ! 知らねえよ早くダイアンこの場に連れて来い理不尽過ぎる不条理過ぎるせめて二次会だけでもやってくれよおおおおっ! 送別会やりたいよ、送別会やりたいよぉぉぉぉっ……! 中止なんて、中止なんて嫌じゃああああウウウウゥゥゥっ……! 早くダイアン殺して送別会やろうよウウウウウッ! 餞別あるんでしょウウウウウゥゥゥッ!?!?!?!?!?!?!?!?」
トモビッキーの心中は烈火ような憤怒で満ち溢れ、まるっきり地獄の亡者に責め苦を与える獄吏が錯乱したかのような、狂乱の大激怒の様相を呈した。許さぬ。許さぬ。このままでは済まさぬ。このままでは済まさぬ。やられたらやり返す。倍返しだ。
腹の虫が治まらぬトモビッキーは、退職後、ワルキュリア・カンパニーを相手取って慰謝料を求める訴えを起こした。ボコボコになった自分の顔面や体の痣を周囲に見せ、ワルキュリア・カンパニーがいかに酷くて理不尽な組織であるかを、周囲の知人や業界関係者らに、具体的かつ臨場感溢れる丁寧な語り口で、精力的に広く説いて回った。あのとき、回復魔法の得意な隊員が私情を挟み、本来であれば他者を治療し救うことを使命とする回復魔法の専門家としての誇りと信念を曲げて、トモビッキーを中途半端にしか回復しなかったことが裏目に出たのだ。
社長のウィーナは法廷で争うことを組織の不利益と判断し、トモビッキーと示談して慰謝料を払うことにした。ウィーナが組織の経営を外部委託しているマネジメントライデンの法務担当執事はかなり優秀で、トモビッキーにも相当程度の落ち度があることを認めさせ、慰謝料を最大限減額させた。トモビッキーは期待していた程の慰謝料を手に入れることができなかった。
ダイアンは組織がトモビッキーに慰謝料を支払ったことを獄中で聞き、また自分が組織に迷惑をかけてしまったことを恥じ、自分のした愚かな行為を後悔し、頭を冷やして反省をし続けた。ウィーナが警察に色々と状況を説明し、刑期が短くなるよう働きかけ、自分を解雇しなかったことに対して感謝した。
◇◇◇
「これはヴィクト殿、ジャベリガン殿。どうされましたか?」
やってきた二人に対して、ダイアンは驚くような表情を見せた。
ダイアンは、大きく黄色いクチバシをもった、アヒルの鳥類系種族の小柄な男で、大きなヘルメットを目深に被り、腰に刀身の短い剣を提げている。
「久しぶりだなダイアン。キャプテン・ダマシェを鎮めに来た」
ヴィクトが笑顔を見せ、答える。
「えっ? そうなんですか? ユノ殿は?」
ヴィクトは少々面食らった。事の経緯が現場のダイアン達に伝わっていないのか。仕方なしに、ヴィクトはユノが繭になってしまい、代わりに自分が行くことになった旨を説明した。
「え~っ……、そうだったんですか……」
ダイアンや、彼の部下数名は驚いた表情をしていた。驚いたのはヴィクトも同じである。
数日前からユノは繭になっており、魔方陣マットでウィーナの屋敷とハッチョウボリーは繋がっていた。なのにどうして現場の彼らにそのことが伝わっていないのか。
もう一つ言うと、当然ダイアン達は現在のユノ隊がダオルの指揮で動いていることも知らされていなかった。
「貴様らはそんなことも知らなかったのか?」
ジャベリガンがダイアンやその部下達を見渡しながら言う。
「へっ!?」
ダイアンはクチバシをあんぐりと開け、他の部下達も青天の霹靂のような反応を見せた。それはそうだろう。本来ならダイアン達が何で知らせてくれなかったのかと訴えていい場面だ。
「現状も把握せずに任務をこなそうというのか? 呆れたな」
「い、いや、そう言われても……」
ダイアンが困惑して口ごもる。
「そんなことだからいたずらに部下を死なせるのだ。いいか、戦場では情報の有無一つとっても、かけがえのない部下の命に関わってくるのだ。まあ、お前のような平従者を捨て駒としか思っていないようなクズに何を言っても無駄かもしれんがな。魔城タピオカからブツメツを見捨てて一人逃げた腰抜けには」
ジャベリガンが威圧的な口調で言った。ダイアンは顔を斜めに傾け、上目遣いにジャベリガンを睨む。
「情報の有無が部下の命に関わる、ですか……。少なくともジャベリガン殿よりは身をもって知ってるつもりですが」
「何だと、貴様?」
ジャベリガンの額に青筋が浮き出る。
「情報の重要さを説かれるなら、どうして俺達に隊の状況を今の今まで知らせてくれなかったんです?」
「そんなの俺には関係ない。ユノ隊で何とかすればいいだけの話だ」
「さっき指揮権はダオル隊に移ったって言ったばかりじゃないですか」
ジャベリガンの矛盾した言い分を、ダイアンは臆せず的確に突いてきた。みるみる内に顔を茹でダコのように真っ赤にするジャベリガン。ヴィクトはジャベリガンのあまりの短気さに内心辟易する。
「貴様管轄の俺に対して何だその態度は!」
「よせ!」
ヴィクトはジャベリガンを制止した。
「ダオル隊が伝えなかったとかユノ隊が伝えなかったとかじゃない。本部が前線に情報を伝えなかったってことだ。現場に落ち度はない。申し訳ない」
ヴィクトがダイアンに頭を下げた。
「ヴィクト殿が謝ることではありません」
ダイアンが言う。
「すまない。……キャプテン・ダマシェの状況は?」
「やはり地縛霊の傾向で、あれ以上は被害を広げてはいません。こっちとしてはずっと観測を続けているだけです」
「了解した。案内してくれ」
「冗談じゃないですよヴィクト殿。何でそんな無謀な任務に行かなきゃならないんです。ダオル殿の命令だから仕方なく同行しましたが、ハッキリ言ってこんなのに巻き込まれるのは迷惑です」
ジャベリガンが不満を吐露してきた。
「じゃあいいよお前は。こっちもお前なんかに何も期待してねーから。安心しろよ。取り立ての仕事があんだろ? もうそっちに行けばいいだろう」
ヴィクトが言う。ヴィクトもこんな男と一緒にいたくはない。
「キャプテン・ダマシェの近くまでは我々が案内いたします」
「よろしく」
ダイアン達の先導に従ってヴィクトはハッチョウボリーの平原を歩いていく。
文句を言ったジャベリガンもヴィクトやダイアン達についてきた。
「どうもすいませんね。方向が同じなもんで」
「いや、構わないよ」
「でもキャプテン・ダマシェとは戦いませんからね。私関係な……」
「分かってる。お前もう黙ってろ」
ヴィクトはジャベリガンの言葉を途中で遮り、辛辣に言い捨てた。
決して良い雰囲気ではない中、一行は冥王軍達の駐留する野営地に向かっていった。