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後編

後編です。

最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 私が小岩井(こいわい) 節子(せつこ)さんの庭の手入れを始めて、2ヵ月が経った。



 その頃にはようやく慣れてきて、全ての作業をスムーズに終えることができていた。


 冬も明ける兆しが見えてきて、春咲きの苗の植え替えまで手伝いをすることになった。



 私も、作業を行ううちに園芸に興味がでてきたりして、柄にもなくインターネットや書籍などの園芸情報を読んでみたりもした。


 そんなおかげか、節子さんとの話にも植物の話題が混じり始め、恥ずかしながら小説の中のエッセンスにも加えることが出てきた。


 最初に小説に加えたとき、彼女は喜んでくれた。私のおかげね、と笑いながら。


 ……しかしその後、まだまだとばかりに知識の間違いを指摘されてしまったが。





 ちなみに、節子さんは1か月ほどで入院生活を終え、自宅へと戻ってきていた。


 流石に入院生活が長かったためか歩行も大変な場面があるようで、私も毎日ではないにしろ庭仕事の手伝いを継続していた。


 休日はほとんど毎日通い、平日でも時には早起きして出社前に、時には営業ルートの途中で。



「もう退院したんだから、一人で大丈夫よ」


 彼女はそう言ってくれたが、やはり満足に動けない様子を見てしまうと無視できなかった。


 それに、作業を続けるうちに様々な発見があり、本当に庭作業自体が楽しくなってきてもいたのだ。



 例えば、樹木はそれぞれの良さが引き立てあうように配置されていたり、隙間を程よく空ける為の剪定方法があったり。


 実は庭の場所によっても土の柔らかさが違ったり、それは植える植物を変えるためや植物の成長具合に合わせていたり。




 やればやるほど、節子さんがどれほど心を砕いて庭を造ってきたのかが分かった。





 そして、相変わらず小説も読んでもらっていた。


 ここのところ、今までにも増して新しい角度からのアドバイスも増えていた。


 もしかしたら、彼女が以前より心を開いてくれるようになっている証拠なのかもしれない。


 時には以前読んだ同じところを、全く違う角度からのアドバイスをくれたこともあった。



 しかしそれはそれで的確で、どれも間違いなく()になった。





 相変わらず、小岩井宅に行った日は筆が進んだ。





 ――そう、能天気に考えていた。





 もうこの時には、節子さんの"異変" は、すでに始まっていたのだった。





 気が付いた切っ掛けは、小説だった。

 3回連続で同じところを読み、感想を貰ったのだ。


 これまでは同じところを読んだとしても違う感想が出てきていた。





 しかし、その日は違った。





 前回と言い方は違えど、ほとんど同じようなアドバイスだったのだ。



 節子さんなりの冗談かとも思ったが、彼女の表情は相変わらず陽だまりの笑顔で、その上で真剣そのものだった。




「今日はほうじ茶の茶葉を変えてみたの。どうかしら?」


 この問いかけも、4度もあった。


「それにしてもあなた、文章の優しさが増したわよね。私のおかげかしら?」


 クスクスと笑いながらの嬉しいコメントも、3度貰った。


「あなたが植えてくれたアマリリスの球根。しっかりと育つといいわね、楽しみだわ」


 遠くに目をやりながらゆっくりと漏らした言葉も、5度ほど聞いた。





 つまり、節子さんは――認知症を発症してしまっていた。





 私は、焦った。



 そして、節子さんを助けるためにどうしたら良いか考えた。


 傷つけてしまうかもしれないと思いつつ、本人にそれとなく伝えてもみた。


 近所のあの人にも相談してみた。




 ……でも、そうやって足踏みをしている間に、彼女の症状はどんどん悪化していった。





 明快な打開策が無いまま、1カ月が過ぎた。



 節子さんはもうほとんど、その日のうちのことしか記憶できなくなっていた。



 倒れる前ぐらいのことは、まだ覚えているようだ。

 彼女の優しい人間性も、陽だまりの笑顔も、そのままだ。



 でも、それも()()()()()わからない。





 私は、決意し――そして数日後、仕事を辞めた。





 赤の他人の世話を焼くために仕事を辞めるなんて、他の人からしてみれば理解出来ないだろう。


 でも、それだけ、私にとって節子さんが大事な存在となってしまっていたのだ。



 もちろん、彼女を助けるためにも最低限のお金は必要だ。

 私は、夜勤の仕事や、時間調整の利きやすいアルバイトを掛け持ちする事にした。



 合間の時間を使って、小説の執筆も進めた。

 以前よりも限られた時間にも関わらず、筆はみるみる進んだ。



 節子さんが気に病まない程度に、さりげなく身の回りの世話もするようにした。



 最初はやはりどんな軽い事だったとしても、ひどく遠慮されてしまった。


 しかし、記憶が1日しか保たない彼女とのやり取りを進めるうちに”こうすれば受け入れてもらえる” というラインを見極める事が出来るようになっていたのだ。




 小説も同じだ。


 他の日に読んだ部分の記憶はないが、渡し方によって違和感なく続きを読んでくれるようになった。




 そんな、騙し騙しでの介助生活が、2ヶ月ほど続いた。


 私の行動が功を奏したのかはわからない。


 しかし、節子さんの症状の進行は、確実に抑えられている気がしていた。





 だから――だから、仮初めだとしても、この生活はずっと続いていくのだと、私は思ってしまっていた。





 ()()()が現れるまでは。









「あなたですか。赤の他人の癖に勝手に家に入り込んで母の周りをうろちょろと……正直目障りなんですよね」


 彼は、節子さんの息子だと名乗り、開口一番そんな事を言ってきた。


 心底(いや)そうな、軽蔑したような表情で。



 確かに、私は赤の他人だろう。

 だが私としては、彼女や彼女の家族に迷惑をかける気など更々無い。




 私は――私はただ守りたかったのだ。





 私は彼に訴えかけた。


 なるべく下手(したて)な口調で。もちろん、勝手をしていたことは謝りながら。


 今後は回数も減らすし、邪魔はしない。ただ、手伝いはさせて欲しい、世話になったから。


 そう、切実に伝えた。


 ……が、返答はにべもなかった。





「二度と来ないでください。迷惑です」





 私が入りこむ余地は、無くなってしまったのだ。


 肩を落とし、その日は小岩井宅を後にした。





 それから数回。





 私は、懲りずに小岩井宅を訪ねた。


 しかし、あれ以来、家には必ずあの男がいた。



 私を軽蔑したような目で見ながら、吐き捨てるように「母には会わせない」と言うのが常だった。




 そして、6回目の訪問の時。あの男は言った。





「母は施設に入れます。この家は売り払います」


「だからもう、来ても無駄ですよ。――さようなら、無遠慮な赤の他人さん」





 目の前が真っ暗に、なった。


 血が、駆け上った。体がすっと冷えていくのがわかった。


 ――全てが奪われるのだと、理解した。





 だから、だから。





 だから、私は――













「だから、お前は小岩井 祐一(ゆういち)を殺したのか」


 目の前の警察官が、静かに言った。


 机を挟んだ向かい側の彼もまた、()()()のように私を、軽蔑の眼差しで見ていた。



 別の机で筆記をしていた他の警察官も、ペンを止めて、深いため息をついていた。



「そして死体を庭に埋めた、と」




 そうだ。


 私は、彼を殺した。


 そして、あの庭に埋めた。



 私はもう、あの庭のどこが柔らかくて、どこが手入れし易くて、どこが違和感なく整えられるか、知っていた。



 造作もなかった。



 夜の間に済ませてしまえば、それを節子さんに悟られる事はないだろう。



 そうして私は、あの日々を取り戻したのだ。




「なんて身勝手な……」

「一人息子が死んだとわかったら、彼女だって悲しむだろうに」


 二人の警察官がこぼす。



 でもそれは違う。




 だって、彼女の記憶は、()()()()()()()()()()




 そう告げた途端、警察官は揃って渋面を作って黙り込んだ。




「はぁ……しかし、わからん。私には、お前の感情が」


 絞り出すように、机向かいの警察官が話し出す。


「お前は、3つ周りも歳の離れた小岩井 節子に恋慕でもしていたのか? それとも息子にでも成り替わったつもりだったのか? ……彼女が好きだった庭を守りたかった、というのは、まだわからないでもない」


 しかし、と彼は続ける。


「彼女の全てを奪われる――とまで思い込んで、彼女の唯一の息子を殺すというのが、さっぱり理解できん」




 失敬な。



 私が彼女に抱いていたのは、恋慕などという通俗的な感情では、断じてない。



 私が抱いていたのは尊敬や憧憬、それに恩義といったものだけだ。



 それに、それにあなた方は()()している。




「……なんだって?」

 二人が、訝しげに此方を見つめる。




「全てを奪われたのは、()。そして、私の全ては――()だ」



 目の前の二人が、息を飲むのがわかる。



「言ったでしょう? 彼女の記憶は一日保たない」


「でも、渡し方や直前の行動を変えただけで、同じところを()()()()()()()()違う視点の感想をくれるんだ」


「私は感謝した。私の作品達が、どんどんどんどん研ぎ澄まされていくのがわかるのだから」


「彼女は、私の小説にとって唯一無二の存在だ。本当に感謝してもしきれない」


「だから、許せなかった。私の小説の未来を――私の全てを奪う、あの男の存在が」





「だから、殺した」





「そして、取り戻したんだ」
















 私は、手錠で繋がれたまま冷たく閉塞的な廊下を歩いている。


 拘置所へと移されるのだそうだ。


 裁判を受けて、間違いなく長い年月を刑務所で過ごすことになる。





 歩きながら、ふと思い立った。



 そうだ、これからは小説も書き放題じゃないか。



 ちょっとした作業さえこなしていれば、私を縛るものは何もない。ただ、書きたいだけ書けばよい。



 小説はもう私の頭の中に全てある。



 彼女の記憶が保たなくなってから、私の小説は驚くほど深まったのだ。



 同じ物語を繰り返し読まされるなど、普通の人からしたら苦痛に違いない。でも彼女にはそれがない。



 その事に気が付いた時、私は狂喜した。それまで以上に、彼女という存在に感謝した。



 唯一無二の便利で笑顔な彼女。創造力を引き出してくれる美しい庭。



 そういえば、()()()を埋めた庭も、より一層植物が生き生きとして見えるようになった。

 きっと、あの美しい景色の養分となったのだろう。



 本当に、あの忌々しい強面の警察官が訪れるまで、私の創造性は(ほとばし)らんばかりだったのだ。






 ――そうだ、まとまったらまた節子さんに手紙として送ってみるのもいいかもしれない。



 もう邪魔をするあの男はいないのだから、彼女はあの家にずっといるはずに違いない。






 そう、思い至った私は、顔から陽だまりのような笑みが溢れるのを感じた。

以上で完結です。


今回は独白風にしてみましたが、如何でしょうか?


気に入っていただけましたら、感想・評価・ブックマークもお願い致します。



また、私の他の作品も是非お楽しみ頂ければと思います。


「と或る病室の君へ」

https://ncode.syosetu.com/n1674fv/

二人称小説の脱出系ホラー物となっております。

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― 新着の感想 ―
[一言] 頭おかしいキャラすき
[良い点] こんな温かな物語がどうなってホラーになるのだろうか、と思いながら読み進めていきました。 『私』の小説への思いが募っていく過程に、ぞわっとしました。 [一言] とても面白く読ませていただきま…
[一言] あー、なるほど。こういうことでしたか。 青年がいつから壊れてたのか、気になりますね。 読み終えてもう一度、ここかな?それともここ?と二度目を読むとまた感じ方が変わるように持っていってもよいか…
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