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『雨の日に臨む晴れ間から』⑴
『雨の日に臨む晴れ間から』
㈠
一概には言えないが、大抵決まったように、雨の日には原付はお休みになる。
普段稼働するタイヤにも、前輪、後輪と、タイヤが減っていないか確認をしながら、毎日を過ごす。
レインコートを着れば済む話だが、原付が濡れるのも、それなりに嫌なのだ。
㈡
雨の日は憂鬱にもなるが、その雨音からは、何か神秘的なものを感じざるを得ない。
自分が自分として規定されるのは、所謂晴れの日なのであるから、それが神秘的とは不思議だ。
自由が利かない雨の日に、その雨音は、まるで自分の所在を指定するかの様に、音を鳴らしている。
㈢
雨の日の晴れ間とは、一瞬のことでもあるが、何か宗教画にでもなりそうな、神々しさがある。
斜めに傾斜した、光の角度は、もはや、人間には創造できない、神の領域の現象である。
それでも、曇ってしまうと、また、心の平穏はすぐに闇の中に放り出され、光を待つ状態に変容する。