第57話 奇跡の湯!
前回のあらすじ:アカネ達が妖退治をしている内にガンダブロウの容態は急変して……
「これが本当の奇跡の湯……何というか……禍々しい色ですね」
ナムタイ山の中腹、どす黒く煮え立つそれを前にしてヒデヨちゃんがやや顔を曇らせて言う。
「まあ、ゲテモノほど美味ともいうし……」
マキ姉さんが微妙にフォローをするものの、奇跡の湯(本物)は見た目だけなら入るのはとても遠慮したい程に邪悪なオーラを醸し出していた。わたしもソワダ高原で見た「虹の泉」のような壮麗な見た目を想像していただけに、この奇跡の湯というよりは地獄の沼という方が相応しい水源を見た時には本当に驚いた。
「安心して下さい。見た目はちょっとアレですが、効能は本物ですよ。オイラが保証します」
今度はヨイチくんがおらが村の名泉に太鼓判を押す。
ははは、パチモノ商法していた張本人に保証されてもなあ……
「いやー、改めて見ると、ホントに真っ黒ね。わたしの元いた世界にも泥温泉ってのがあったけど、こんなに真っ黒な温泉はちょっと見た事がないなぁ」
温泉の縁まで寄ってまじまじ見つめていると、まるで奈落の底へと繋がる穴のようで、何だか吸い込まれてしまいそうになる程見事な漆黒だ。
「この湯が黒いのには諸説あるんですが、天羽々矢の金属の元になった鉱物が火山の熱で溶けだして温泉の成分に混じっているからだというのが有力ですね」
観光案内の鬼ヨイチくんは、わたしの疑問にもすかさず回答して見せる。
「ほーーーん。確かに天羽々矢の矢じりも天羽々斬の刀身も黒い特殊な金属で出来ているね。その元になった鉱物に六行の力を分解する力があるというなら、それが溶け出した温泉に同じような効果があったとしても不思議じゃないわ」
なるほど。奇跡の湯が陰陽術の悪い効果を治すというのはそういう理屈なのね。そういえば、マキ姉さんの感知能力もこの辺りの森に入った時に鈍っていたし、このへんの木々も黒い鉱物の溶けた水を吸って六行を阻む効果が付与されているのかしら?
「さあ、早く、ガンダブロウさんを入れてあげましょう……みんな、この辺りにガンダブロウさんを下ろしてくれる?」
「へい、姐さん!お安い御用で!」
そう言うと少年たちは担いでいた籠を地面に置き、その中から気を失っているガンダブロウさんの体を引き出した。
「悪いな。手伝ってもらって」
「なァに。これくらいは良いって事よ」
「ああ。妖と戦う事に比べりゃどうって事はねえだろ?」
気を失ったままのガンダブロウさんをここまで運ぶには町の元不良少年たち──妖を倒した事、その討伐にヨイチくんが大きく貢献した事などを説明し、心を入れ替えヨイチくんとも和解した──が手伝ってくれた。
「ありがとう!助かったわ!」
「いやいや。俺らの方こそ、姐さんたちには感謝してもしきれねえっス」
「そうそう。あのバケモノを倒してくれなきゃ、俺らまだくすぶったままでしたよ」
ちょっと前までの荒れた態度はどこへやら、少年たちは爽やかに答える。更正したヤンキーほど礼儀正しいとはよく言うけど……ヨイチくん共々キヌガーの人たちは皆調子のいい性格をしてるわね。
「それじゃあ、俺らはここで」
「何か役に立てる事があればいつでも言って下せえ!」
不良少年たちはそう言って町に戻っていった。彼らは元の仕事を再開させる様だが、妖がいなくなったとはいえ、一度遠のいた客足を復活させるのは大変な事だろう。ネットやテレビがある訳じゃないし、クチコミで宣伝するにも限度がある。これからのキヌガーは彼らやヨイチくんの頑張りに掛かっているだろうが、あの強かさなら心配はいらないかもね。
もっとも、わたし達も人の心配してる立場でもないか。
兄貴の手先に狙われている状況は変わってないし、マガタマの件など、やらねばならない事は未だ山積みだ。でも、まずはさしあたってガンダブロウさんに復活してもらわないとね!
「さて、それじゃあ……」
マキ姉さんはおもむろに横たわるガンダブロウさんに近づくと、上着をおもむろに脱がし、上半身をはだけさせた。
「はーい、脱ぎ脱ぎしましょうねー」
「わ、マキ姉様!何をなさっているのですか!?」
「何って……服を脱がしてるのよ。着物を来たまま温泉に入れる訳にもいかないでしょ?」
マキ姉さんは慣れた手つきでガンダブロウさんの服を脱がしていく。
「そ、そうですが、何もマキ姉様が脱がせる事はないでしょう」
「えー?なんでー?」
「何でって……男の人の服を脱がすなど紅鶴の巫女としてはしたな過ぎます!不潔です!ふしだらです!」
ヒデヨちゃんが、マキ姉さんを必死に止める。
「あらぁ…………もしかしてヒデヨちゃん、村雨くんを取られるのが嫌なのかしら?」
「な!? 何をおっしゃるか!?」
「しっかし、驚いたわぁ。まさかあのヒデヨちゃんが村雨くん狙いだったなんてねぇ……」
「ち、ち、違っ……」
「それなら村雨くんを脱がすのは貴女に任せるわ。だけどヒデヨちゃんも意外と大胆よねぇ、あんな人にいつ見られるとも分からない場所で殿方とあんな、あんな……嗚呼、何ていやらしい!紅鶴御殿の巫女としてはこれ以上は口の端に乗せることも憚れるわ!」
「マ、マ、マ、マキ姉様ぁああああ!!」
ヒデヨちゃんが顔を真っ赤にして憤慨する。
「マキ姉さん、弄り過ぎですよ……もうそれくらいにしときましょう」
「えー?こっからが面白いのに……ねっ、ヒザヨちゃん?」
「んがあっ!違っ!言っ!誤解っ!不快っ!」
怒りすぎてまともに喋れなくなっちゃってるし……もう、これじゃ話が進まないわ。わたしがちょっと強めにマキ姉さんに視線を向ける。
「マキ姉さん……」
「あー、はいはい。分かったわよ。それじゃ村雨くんをお湯に入れるのは与市くんにやってもらいましょうか」
マキ姉さんはそう言ってガンダブロウさんをヨイチくんに任せると、今度はわたしの方に近寄り肩にポンと手も当てた。
「それじゃ、私らも行きましょうか」
「え?行くって……」
「決まってるじゃない。私らも奇跡の湯に入るのよ」
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奇跡の湯は基本的には自然のまま人の手が加えられていなかったが、男用と女用で仕切り板だけは設置されていた。わたし達はガンダブロウさんとは反対側で、黒々としたお湯にどっぷりと浸かる。
「ふ~!見た目はアレだけど、いい湯ねー!」
奇跡の湯はそのダークな見た目に反してしっとりとした肌触りで、黒い砂粒のような鉱物が混じっている割にはジャリジャリした感触もなかった。湯加減も40℃くらいでちょうど良く、拍子抜けするほどごくまっとうな入り心地である。
「ヒデヨちゃんも入ればいいのに。もったいないねぇ」
「ははは、完全に拗ねちゃってましたね……」
奇跡の湯は今日は特別に無料という事だし、入らなきゃ損というマキ姉さんの言う事ももっともだったが、マキ姉さんに散々弄り倒されたヒデヨちゃんは「護衛の任務」と称して一緒に入ることを拒否してしまった。まったく、気にいってる子にちょっかい出し過ぎていじけられるなんて高校生でもやらないよ……8~9歳も上の人に言うのも何だが、マキ姉さんのそういう子供っぽさにも困ったものだね。
…………ま、それはそれとして、これでようやくキヌガーへ来た当初の目的が達せられた。これで今度こそガンダブロウさんが良くなってくれればいいんだけど……
「しかし、村雨くん。結局自分じゃ術を克服できなかったわねー」
「え?克服って……ガンダブロウさんに掛かった術って自分で克服出きるタイプの術だったんすか? てか、ガンダブロウさんにかかった術の正体が分かったんです?」
「うん、つい昨日ね」
マキ姉さんが両手を頭の後ろで組むポーズを取りつつ、ガンダブロウさんに掛かった術についての所見を述べた。
「熊野古道伊勢矢は花言葉の作用を使って陰陽術を発動させていた。薔薇のような姿の妖に変身してたし、変身後もその特性は変わらないんじゃないかと思ってね。とすると、村雨くんにも何か花言葉にちなんだ術がかけられていると仮説が立てられる……んで、その仮説に基づきここ何日か色々と文献を調べてたのよ」
そういえば、紅鶴御殿から出てくる時に暇潰し用と称して書物を何冊も馬車に積んでいた。態度には出さないけど、やっぱりマキ姉さんもガンダブロウさんを心配して色々と調べていたのね。
「でも、ガンダブロウさんが食らったのは花じゃなくてトゲの攻撃ですよ」
「そう。だから、私も悩んだのよ。最初は熊野古道伊勢矢が変身していた薔薇の花言葉に関する術なんじゃないかとも思ったんだけどね。これがどうも違うみたいで。で、昨日すまほで暇つ……じゃなく、調査していたら、なんと薔薇のトゲやイバラにも花言葉がある事が分かったのよ」
「えっ、そうなんすか!?」
「そうそう。蕀の花言葉は厳格・苦痛・不幸中の幸い……おそらく村雨くんのクソ真面目で責任感の強い性格を刺激して、断続的に苦痛を与えていたのだと思うの」
女に生まれて17年。恥ずかしながらおしとやかさとは無縁に育ち、花言葉についても知識を得る機会はなかったけど、まさか花の特定の部位にまで花言葉があるなんて……花言葉、意外と奥が深いのね。
「まあ、にしてもここまで強い効果が出たのは熊野古道伊勢矢も計算してなかったでしょうけどねぇ。精神干渉系の陰陽術は術ごとにかかりやすい人とそうじゃない人がいるけど、今回はドンピシャだったって訳」
責任感の強い人ほど精神的に参ってしまう事が多いという話を聞いたことがあるけど、ガンダブロウさんはサラリーマンだったら過労死するタイプね、きっと…………って、そうか!心労がダイレクトに苦痛になると分かっていたからマキ姉さんは少しでもガンダブロウさんに心配をかけないよう、妖退治に行くのも内密にしたのね。考えてないようで色々考えてるんだなあ、この人。
「それでも精神力が強い人なら術の効果を打ち破る事もあるんだけどね。村雨くん、強がってる様に見えて案外繊細なとこもあるからなあ……」
「……そっか」
「ま、それだけ村雨くんがこの旅に責任感を感じてるって事。それはつまり、村雨くんがアカネちゃんの事を…」
マキ姉さんが何か言いかけた時──
「お二人とも今すぐ湯から出て下さい!」
緊急事態を告げるヒデヨちゃんの声がした。




