第53話 妖怪退治!(前編)
前回のあらすじ:アカネはキヌガーの町を脅かす妖の存在を知る。町のため、ガンダブロウのため、アカネはその妖の討伐を決意した!
翌日──朝もやと湯けむりを掻き分けるように山道を進む。
「……蒸し暑っ!」
マキ姉さんはパタパタと右手の手うちわで自身を扇ぎつつ、左手では着物の胸元を大きく開ける仕草をする。
「紅鶴の巫女ともあろう者がはしたないですよ!」て、ヒデヨちゃんが居たら言いそうだが、あいにく彼女は留守番だ。
「あの、こんな視界が悪い中で……本当に大丈夫なんですか?」
道案内役の与市くんは身を縮めながら、数歩後ろを着いてくる。
「あー、大丈夫大丈夫。私からしたら妖なんてギャンギャン泣き喚いてる赤ん坊みたいなもんだから。百間以内に近づいてくれば目を瞑ってたって分かるよ」
マキ姉さんはそう豪語する。妖の呪力は人間より遥かに強いけど、その分気配もだだ漏れで感知しやすい──との事。正直、わたしも気配とか全然分からないし、霧が晴れるまで出発は待った方がいいかと思ったのだけど……
与市くんから話を聞き妖退治をする事に決めたのは昨日のこと。まあ、わたしの地異徒の力を使えば多分倒すことも難しくないだろうし、妖を倒せばガンダブロウさんを本物の奇跡の湯に入れてあげる事も出来る。更にキヌガーの町も救えるとなれば、一石二鳥、万々歳だ。
問題があるとすれば戦いの準備を十分には出来ていない事だ。なにしろわたし達はその妖についても妖の出るこの山についても何も知らない。だから本当は何日か情報収集に専念して充分対策を練ってから戦いに来た方がいいのだろう。でも、待てば待つだけガンダブロウさんが苦しむ時間が増えるのと、マキ姉さんが「準備とかめんどいからさっさと行こう」と主張した事で、結局、今朝宿を出発する運びとなった。
ちなみにガンダブロウさんにはこの事は告げずに出てきている。
「これ以上心配はかけない方がいいからね」
と、これもマキ姉さんの提案だ。何だかんだ言ってマキ姉さんもガンダブロウさんが心配なのだ。それにガンダブロウさんに妖退治に行くと言えば「アカネ殿に危険な目は~」云々言われて止められそうだし。
「なーに、私なら半日もあれば妖を見つけられるし、パパパッと片付けてしれっと帰ってくればバレやしないよ」
「そうですね。わたしとマキ姉さんの二人なら妖一匹くらい大した事は……」
「ああ、でも私がやるのは妖を見つけるとこまでね。その後は頼んだよ、アカネちゃん!」
そこは丸投げなんすね…………マキ姉さん、旅行の計画は立てるけど自分では車の運転や宿の手配はしないタイプだ。
まあ、でも確かにマキ姉さんの"識行"は、気配を探ったり相手の精神に干渉する能力に秀でている反面、直接攻撃の威力は出にくいので、獣や妖を狩るのには不向きである。なので今回は与市くんが道案内し、マキ姉さんが妖を探し、わたしが戦って倒すという役割分担が実際一番効率的だろう。
「ほらほら与市くん。先導がそんな後ろにいちゃダメでしょ!」
道案内をしてもらっている与市くんをマキ姉さんが無理矢理先頭に押し立てる。
「ちょっ……勘弁して下さいよ、司教様!オイラは、貴方がたと違って六行の技とか使えないんすよ!」
「なーにビビってんのよ?貴方男でしょ?背中の弓は飾りか~?」
与市くんは今回の征旅に弓と矢を背負って来ている。そういえば、昨日絡んで来ていた不良少年たちも得意の弓がどうこう言っていたな。
「バ、バカにしないで下さい!オイラはこれでもキヌガーいちの弓取りと言われてるんだ!この辺の山で鍛えた狩猟の腕は……」
「あっ、妖!」
「ふへ!?」
与市くんのすぐ前方の小さな茂みがガサガサと鳴る──え、もう出てきたの!?と一瞬身構えたが、現れたのはただの野うさぎだった。
「…………あははははっ!引っ掛かった!その顔!ビビり過ぎだって~!」
マキ姉さんは子供のように手を叩いて笑う。まったく、25歳とは思えない稚拙なイタズラ……わたし達を騙していた罰としても、流石に与市くんがちょっと可哀想に見えてきた。
「び、ビビってないっすよ!」
「うそだー!今妖が出たと思ったんでしょー!」
「思ってねーし!つか、妖はあんな茂みに隠れられるほど小さくないですから!」
ははは、ちょっと場が和んだのは良かったかな……
与市くんの言う通り、本当に妖が出ればこんなに接近するまで気づかないという事はないだろう。何故なら今回戦う事になる妖の姿を一言で言い表すなら「大猿」──小さな茂みに隠れられる様なサイズではないはずだし、透明になる能力でもない限り数十メートル手前で視認出来るだろう。
無論、わたしはその姿を直接見た事がある訳ではない。昨日、限られた時間内ではあったが、妖の情報について町の目撃者たちに聞き込みを行っていたのだ。そして、彼らの証言で一致する特徴として人の体よりも大きい猿のような姿である事が分かった。
しかし、それ以外の証言では「体は人の背丈より少し大きい」とか「木々を腕で軽々なぎ倒すほどの巨体」とか「毛並みは赤一色」とか「黄色と緑が入り交じっている」とか「大きな黒い眼」とか「目が青く光る」とか、人によって食い違う点が多くなかなか要領を得なかった。実際、事件などの目撃者は精神的なショックから記憶違いや誇張表現をするという事は多々あるという。時間が経てばその傾向は更に顕著になる……というのは、わたしが兄貴について探偵まがいの聞き込み調査をしていた時にも経験済みだ。
今回の件でも、おそらくはそうなのだろう。まあ、半日程度で出来る分析じゃ、この辺りが限界。むしろ、よく調べた方だと我ながら思う……まさか兄貴の行方を調べた探偵ごっこの経験ががこんな所で役立つとはね。
「おっ、開けた場所に出たわね」
山道を登りはじめて1時間ほどが経過。標高が高くなるにつれ草木が減り、赤茶けた岩肌が目立つようになってきていたのだが、ここで一旦斜面が途切れた。辺りは平らで鳥居や小屋などの人工物が散見されるが、人の姿は見えない。
「ここは山道の分岐点兼登山者の休憩所です……ここもちょっと前までは人がたくさんいたんですけど……」
なるほど。小屋の回りには簡素な腰掛けと、飲料水を汲み取れる湧水スポットがある。更にその先には矢印状の看板があり、進路が何本かの山道に枝分かれしているようであった。
「そっちの道を進んだ先に奇跡の湯があるんです。ちょっと分かりにくい場所なんですけど、妖を倒した暁には改めて道案内をしますよ」
そう説明する与市くんは心なしかテンション高めだ。わたしの同級生にも有名な観光地出身の子がいたけど、地元の名所を説明する時の楽しげな雰囲気は何か独特のものがある。特段紹介するところもない普通の宅地で育ったわたしにすれば、ちょっと羨ましいのよね、そういうの。
「ちなみに、あっちの道はニコニ聖陵へと繋がっています」
「ニコニ聖陵?」
「あれ、ご存知ないんですか?ニコニ聖陵はあの聖帝様のお墓です。千年前の大エドン創世期の事が知れる遺跡は数が少ないから凄く貴重なんですよ」
「聖帝??大エドン??」
「ええっ、そこから!?マシタさん、学校で習わなかったんですか!?」
ああ、この世界だと常識的な事なのね……また異界人ゆえの無知をさらしてしまったわ。仕方ないとはいえ、郷に入っては郷に従え精神の強い日本人としては、やっぱり少し恥ずかしい。
「大エドンの正式名称はエドンカント帝国。旧エドン公国の前身で数百年間この一帯を支配していた大帝国です。後続のエドン公国と区別する為に大エドンと呼ばれています。その初代皇帝が聖帝と言われる徳川"国津守"佐宇座で、彼の軍の旗印でもあった十字を型どったニコニ聖陵は別名聖帝の十字陵とも呼ばれ…」
「二人ともっ!!」
ふいにマキ姉さんが与市少年の歴史講座を遮る。
「…………この気配……おいでなすったわよ」
マキ姉さんが妖の出現を示唆。さっきのイタズラと違って今度は彼女の表情も真剣だ。
「ちょっと……また嘘じゃないですよね?」
「別に信じてもらわなくてもいいわよ。大猿のバケモノに食い殺されちゃってもいいんならね」
マキ姉さんは触媒のガラケーを取りだし、集中。妖の位置を探るのに専念しているようだ。
「北東、三百間ほどの距離……まっすぐこっちに向かってくる。かなり素早いわね……」
空気が張り詰める──わたしは以前、林間学校のオリエンテーリングで野性の鹿に出くわした事を思い出していた。熊や猪のような明らかな危険生物ではないのだけれど、それでも人間より遥かに強靭でかつ人間を守るためのルールに縛られない存在と相対した恐怖は日常にはない格別のものがあった。わたしには呪力の気配とかは分からないけど、あの時と同じ、空気が全身に刺さるような緊張感を感じていた。
「どんどん近づいてくる……距離百……九十……八十……」
すー、はー!さあ、深呼吸して戦闘準備!まずは、結界を張らないとね!
「六十……五十…………来るよ!」
マキ姉さんがそう言うが早いか、妖がわたしたちの前に姿を現した。




