第31話 聖域!
前回のあらすじ:からくも楼蘭堂を脱出したガンダブロウ一行は七重婆さんの案内で紅鶴御殿へと向かう。
「ついたよ」
夕刻、アイズサンドリア郊外の丘陵地帯で馬車を降りる。
黄昏色の空と濃淡様々な紅葉を見せる幻想的な木々──そして、それら写実絵画のような美しさが添え物であるかのように視界を独占するのは荘厳壮美なる赤の巨殿だ。
「おおっ! ここが紅鶴御殿……か!」
朱色の柱と血のように深い真紅の瓦屋根。エドン城と並び、ジャポネシア三大建造物に数えられるだけあり、御殿の様相にら圧倒される。
むゥ……噂には聞いていたがこれほどの美しさとは。絢爛豪華でありながら、何かジャポネシアの民の原始的な心理に訴えかけるような奥ゆかしさをも感じる。美術や芸術と言ったものをほとんど理解しない俺のようなそこつ者ですら、感嘆を禁じ得ないほどにだ。
「ひょえー!きっれーい!」
アカネ殿も興奮気味に"すまほ"であちこちを撮影している様である。今までも町や野山の景色を事あるごとに撮影していたが、今回はいつにもまして熱心に"すまほ"を様々な箇所にかざしていた。
「こりゃ鎌倉……いや、京都! 京都も越えてるよ! まさかの京都越え! 行ったことないけど京都!」
なんだかよく分からないが、我らよりも遥かに高い文明を持つ異界人をして、その美しさに驚嘆せしめるのならばジャポネシアの民としてはいささか鼻が高い思いだ。
「こんな大きな建物があるなんて……黒石氏の屋敷の何十倍も大きい……」
サシコも心底度胆を抜かれたようである。村育ちだからか、同規模の建造物であるエドン城を知る俺以上に衝撃が大きい事が伺える。そういえば初めて山賊の城を攻めた時にも建物の大きさに驚いていたな……
「い、一体ここは何をする建物なんですか!? 牛舎……いや米蔵? あっ、もしかしてこれが噂に聞く宝物殿というやつ!?」
おいおい、サシコ。田舎者丸出しだぞ……
まあ、俺も初めてエドン城を見たときには同じような反応をしたものだが……
「紅鶴御殿は古来よりヨロズカミを祀り、選ばれし巫女が神事祭儀を取り仕切る聖なる社──と、最近の若いモンに言ってもピンとこないか。まあ今風に分かりやすく言えば研究所さね」
瑪瑙色の不思議な水が張った堀を渡りながら、七重バアはサシコに説明する。
「研究所? 神殿じゃないんですか?」
アカネ殿がすかさず興味を示す。
「ここでは宗教的な儀式の他に、呪いや占い、六行など、あらゆる超自然的な現象に関する研究をしているんだよ。今ではそっちの方が主な仕事になってると言って過言じゃないね」
七重婆さんはそうアカネ殿に話したが、それだけでは異界人に対しては説明不足だろう。俺が補足の説明をする。
「今でこそ戦闘技術として広く認知された六行の力も、昔は神の力と同一視されていたんだ。陰陽術も元は呪いの類いから発展した技術という説もあるぐらいだし」
「「 へ~! 」」
ジャポネシアの長い歴史の中で六行の技が体系化されたのは意外にもそこまで昔の話じゃない。ここ100年ほどの話だ。それまでは怪しい占い師やら祈祷師とホンモノの使い手はあまり区別されていなかったらしい。
「最近出来た六行や陰陽術の研究所なんかより、ここはずっと老舗でね。最先端の六行技術が日夜開発されているのさ……たとえば、こんな事も出来る」
七重婆さんが鉄製の門の前で立ち止まると、紅鶴御殿の近衛兵の証たる右腕の鶴の紋様を扉に対してかざした。すると呼応するかのように門に刻まれた模様も光りはじめ、数秒ののちひとりでに開門されていく。
「なんと……これは驚いた!」
七重婆さんは六行使いだが術士ではない。それなのに、物質が動いたという事は扉の方に仕掛けがあったのだろう。識行の特性"形象知覚"を応用した仕組みだろうが、物質そのものに術を作動させる力が宿っているというのは聞いた事がなかった。
「自動認証システムかぁ! すごいなあ!」
アカネ殿もなにやら聞き慣れない言葉で驚く。サシコは何が起こったのか分からないという様な顔である。
「ついといで」
七重婆さんの後に続き、いよいよ、紅鶴御殿の内部へと入る。巫女たちの秘密の園に男が足を踏み入れる……と思うと嫌がおうにも鼓動が速くなる。普通の健全な男子ならば誰もが唾を飲み、鼻息が漏れ、目が血走るだろうが、俺は仮にも太刀守。そのような下劣な品性を晒す訳にはいかない。たとえ、うら若き乙女たちが色とりどりの巫女装束でいたとしても……中には布の薄い大胆な衣装や、着替えの最中であられもない姿であったとしても……って、いかん、いかん。
スゥー、ハァー(深呼吸)
邪念は捨てさり申した……いざ参ろう。
「「「おお~!」」」
紅鶴御殿は内部もまた洗練されていた。広大な吹き抜けの玄関広場は黒曜石の石切場のような幾何学的構造をしており、通路や階段があちらこちらに伸びていた。
「敷地全体では10万畳以上の広さがあるからね。ボサッとしてると迷子になるよ……さあ、こっちだ」
促されるままに深部へと道を進む。しばらく階段を登り降りしているうちに両側に何個もの扉が連なる大回廊に出た。それぞれ扉の上には東鶴翼の間、西鶴翼の間と銘打たれていた。
「少しそこで待っといてくれ」
そう言うと七重バアは一番奥の扉からは西鶴翼の間へと入っていった。両の扉の向こうからは複数人の気配。しかも、何やら不気味な笑い声や怪しげな熱気を感じる。ま……まさかこの扉の向こうに秘密の園が広がっているのか……?いや、余計な事を考えるなガンダブロウ。なにやら、アカネ殿とサシコの視線も痛いし、ここは集中だ、集中…………と、その時。
「ぎゃーー! 死ぬーー!」
ふいに悲鳴が鳴り響く──
「な、何っ!?」
東側の扉の向こうだ! まさか楼蘭堂の奴らがもう攻めてきたのか!?
「ちっ!」
先手必勝!俺は草薙剣に手をかけ、居合い体勢を維持しながら東鶴翼の間に突入した…………が、すぐにその判断が誤りであったと気づかされた。




