第1話 徒然草むしり!
こっから一人称視点
異界の使徒がやってくる
タタミの荒野の向こうから
蜃気楼を越えてやってくる
もたらす物は希望か厄災か
はたまた、別の何かであろうか……
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俺の働くオウマの見張り棟は閑職である。
閑職──つまりは左遷先。生産性の低い徒労、なんて事はない雑事。有り体に言えば無駄の一言、それに尽きる。
そもそも、このオウマは国の最北端に位置するいわば最前線の基地であるが、施設と呼べるものは二階建ての貧相な物見小屋が2棟あるきりで、有事の際に何か出来る備えなどは全く無い。加えてどちらの小屋の屋根瓦も所々が割れており、外壁の塗装も風に晒されるがままに剥げ放題だ。整備の行き届いた南のクレザや西のビシャノンとは大違いであるが、それも致し方なき事。何せ、オウマより北にはタタミ砂漠が果てしなく広がっているだけで他には何も無い。特筆すべきものが無いのではなく、本当に何も無い。人里はおろか野生生物も川も山も木も石も何一つ存在しないのだ。
その薄緑の地平の彼方には一体何があるのか…………無限の谷底か、あるいは妖の住まう魔境か。あれこれ想像する者はいてもその答えを知る者は誰もいない。ただ一つ確かなのは、吉であれ凶であれ、有史以来タタミ砂漠からジャポネシアの民に何かがもたらされたという記録が皆無である、という事だけであった。
無論、敵襲などあろうはずもない。見張るべきものも対処すべきものも無いこの見張り棟は、その存在価値すらあやふやなのだが、太古の昔からここにあるという理由だけで、今なお無益な兵務は続けられている。
代わりに見張り兵の仕事内容は楽で、一日二回の掃除と極北指令府に「異常なし」を告げる定期連絡以外は日がな1日景色を延々と眺めているだけでよかった。ただし、当然ながら給金は低く、その額は他の見張り棟所属兵の半分以下であるからして、配備されるのは怠け者・無能者ばかりであった。
「ガンダブロウ殿。交代の時間ですぞ」
…………と、いつも通り徒然に無意味な思考を繰り返していた所、階下から声がした。
「おう、ありがとう」
ようやく交代の時間だ。俺はそそくさと見張り小屋から出る。
通常の見張り兵であればこの時点で仕事は終了。その後は詰め所で寝るか食堂でシケた酒をあおるかチンケなサイコロ賭博に興ずるかする所だろう。
しかし、俺には他に特別な仕事があった。俺は物置に行き鎌と背負子を装備すると、見張り小屋から少し離れた原野の草刈りを始めた。毎日100貫(約375kg)の雑草を刈り、最寄りの農林奉行所に報告する。これがこの俺、村雨“草毟守”岩陀歩郎に課せられた使命だった。
「おやおや……毎日精が出るねえ」
「さすが元・王城仕えの近衛兵様は真面目でらっしゃる」
いつも通り嫌味が聞こえてきた。勤務時間外の見張り兵たちである。彼らは俺が草刈りをしていると、安酒を片手に遠巻きから煽ってくるのだ。
「雑草を刈る事だって立派な仕事だ。それに、この仕事は上様の勅命。蔑ろには出来んさ」
「……ケッ!」
「かつてのサムライも今じゃこんなもんかよ!」
兵たちはそう吐き捨てると食堂の方に消えていった。
…………ふう。これで任務に集中できる。
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「はあっ、はあっ…………よし!」
夕方までに草刈りを終わらせると、所定の位置に雑草を詰めた袋を置く。農林奉行所の係員は適当にしか検分を行わない(というか、毎日の約束のはずが、奉行所の検分は数日にいっぺんほどしか来ない)が、俺はこのほとんど無意味な作業でも手を抜いたことは一度も無かった。自慢が出来る事かどうかは分からないし、うずだかく積まれた雑草袋を眺めていると何とも言えない虚しさに襲われるのは否定できないが……まあ、それはいい。とにかく今日の務めは終わった。これでようやく俺も詰め所に戻ってゆっくり休めるというものだ。
もっとも、戻ったら戻ったで煩わしい事が無い訳でもないが……
「太刀守殿! お待ちしておりました!」
詰め所の前まで戻ると、いつも通りの甲高い声が聞こえた。
「太刀守殿! 今日こそ剣術を教えて下され!」
ちっ、サシコのやつ……また大声を出して悪目立ちを……
「……それは出来んと何度も言っているだろう」
「ええー! そんなー!」
サシコは不服そうに言った。
この陽気ではつらつとした娘さんは宮元住蔵子という。オウマの南西にあるムーツ村の出身で、何を思ったのか見習い兵として志願してこの見張り棟にやってきたのである。落伍者のたまり場のようなこのオウマの見張り棟において、彼女は唯一例外的に活力に富んでいた。
……もっとも、だからと言って精を出すに値する程の仕事もこれといって無いのであるが、俺は彼女の前向きさは嫌いでは無かった。しかし、困った事がひとつ。彼女がここに配属されてからというもの、毎日のように俺に剣術指南を頼んでくるのだ。
「俺は剣を振るう事も誰かに剣を教える事も上様に禁止されているのだ」
そう。俺はアイツ……じゃなかった。帝から剣術に関わる一切に携わるなと命じられていた。
「うーーーじゃあ、もう何でもいいから構って!」
「趣旨が変わってるぞ!」
一喝するもサシコは潤んだ目で俺を見つめてくる。くそっ……これをされると俺はどうしようもなくなるのだ。
「はあ…………メシでも食いに行くか?」
「行く!」
何だかんだ言っても、この見張り棟で嫌味一つ言わずに俺と話してくれるのサシコだけだし、慕ってくれるのは素直に嬉しいものだ。俺はサシコを連れて食堂に向かった。
「あたしは太刀守殿を尊敬しているのれす! 大戦中には剣腕を振るい、我らの村を救ってくだすった! だからあたしもたちのかみ殿に憧れ、剣術を志してぇ……ヒック!」
「おい、何で酒を飲んでないのに酔っているんだ……」
食堂ではサシコは黒糖水を飲むと何故か、泥酔したように話し始めた。
「まったく……それよりなサシコ。俺をその名で呼ぶのは禁じられているのだと何度も言っているだろう」
「むうー。あたしには上様の考えが分かりません。太刀守殿ほどの大剣豪をこんな閑職に回すなど……本来なら国の防衛の要とすべきだと思うのですが」
「気持ちは嬉しいが、その辺にしておけ。誰に聞かれているとも知れぬのだ。上様のご意向に背けばお前とてどうなるか……」
俺はハッとしてサシコの容貌を確かめた。年の頃は14~15と言ったところで、よく見ればかなりの美形。白く澄んだ肌に金色の大きな両眼。帝のお好みどストライクである。うむ、これはまずい。あのスキモノの目に入れば、召し上げられて何をされるか分かったものでは無い。
「どうされたんれすか~? そんなにジロジロ見ないれくらさい~」
「い、いや……」
「あっ、もっ、もしや…………オ、オ、オ、オッパイを見られていたのですか!?」
「な!? 違う!!」
「ああ、サシコ一生の不覚! 太刀守殿がそんなドスケベザムライだったなんて! しかし、太刀守殿に見られたのであれば我が乳房もきっと本望でしょう……」
「違うと言っとろうに! ああ、もう、とにかく俺をその名で呼ぶのは禁止だ! いいな!」
俺はそう言うと勘定の小銭を卓上に置き、席を立った。
「サシコ、お前は明朝からの見張り番だろう。そろそろ詰所に戻って寝なさい」
「ふぁーい」
俺はサシコを女人用詰所まで送ると、ようやく自分の寝床に向かった。
その時、ふとタタミ砂漠の地平線が目に入った。ちょうど日の入りの時刻で燃えるような夕日が目に染みた。
「今日も1日が終わるのか」
ふいに口をついて出た言葉。その響きの虚しさには自分でも呆れた。
何を感傷にふけっているのか。無明の陽が落ちれば、無為の1日が無情に終わる。ただそれだけの事である。
だが、それでいい。
何も無いという事は平和の証なのだから……
俺は数分ほど地平の果ての黄昏を眺め、辺りが暗くなるのを確認すると詰所に戻り床についた。
この時──俺はまだ、この無限地獄のような平穏がどこまでも続いていくものだと信じていた。
翌朝、その眠りが破られるその瞬間までは──