第208話 潮目!(後編)
前回のあらすじ:ついに前線に燕木哲之慎とコジノが姿を現す!
今回から一人称視点に戻ります。
※一人称視点 サシコ
敵の総大将・燕木哲之慎と踏越死境軍が激突する最前線にあの人が……コジノさんが姿を現した。
「……コジノさん!」
全身が震え、総毛立つ。
得も言われぬ感情だ。
好敵手との戦いを前に高揚しているのだろうか。あるいは憧れの人と殺し合わねばならぬ事への緊迫感だろうか。
コジノさんも少し離れた場所にいるアタシに気づいたのか、チラリとだけこちらに視線を向けた。その時間は一瞬で、すぐに相対した踏越死境軍に向き直る。
鼓動が早まる。
コジノさんはアタシと戦いたいのだろうか。それともアタシは踏越死境軍の連中や他の反乱軍の兵士たちと同じく任務遂行の単なる障害でしかないのだろうか。
それでもアタシはあの人と戦いたい。それが凄惨な殺し合いである事は分かっているけど……アタシはあの人を超えることで剣士としての高みに立つ事が出来る……と、そんな気がして仕方がないのだ。
こんな事を戦場で思うなんてやはりアタシは血に飢えた戦闘狂なのだろうか?人を斬る事に悦楽を見出す踏越死境軍の奴らと変わらないんだろうか?
アタシは──
「宮元住殿!」
背後からの突然の呼び声にハッとして振りかえる。
そこにいたのはティーバ維新會の戦士・織江夢國であった。
そうか……織江さんもこの戦場に来ていたのか。
「先陣でのご活躍、お見事でした。燕木哲之慎が前線に出てきております。燕木哲之慎の姿を確認したら戦わずに速やかに退くようにとの命令が出ておりますので、ここは一旦全部隊を引かせましょう」
……あっ!
そ、そうだった!
太刀守殿すらも圧倒した燕木哲之慎の戦闘能力は御庭番十六人衆でも群を抜いており、一般兵はおろか六行使いでも並の実力では何人束になろうと歯が立たない。故に兵士の命を無駄に損なわぬ為、燕木哲之慎との戦闘は禁止されており、彼を止める役目はこちら側の最高戦力たる太刀守殿が担う事になっていた。
踏越死境軍の連中が撤退命令に従う訳はないにしても、アタシが命令系統を無視する訳にはいかない。それは分かっているのだけれど……
「ハクオカ無外流『天獅哮』!! "破崘炎舞"!!」
……!
踏越死境軍とコジノさんの戦いが始まった!
アタシはコジノさんと戦いたいという衝動と万が一コジノさんが踏越死境軍の連中に討ち取られてしまったらどうしようという焦燥とが入り混じり、撤退命令に従うことを躊躇させた。
そういったアタシの葛藤を察してか織江さんは再度アタシに退く事を進言する。
「ここで命令を無視して個人の武に頼れば、踏越死境軍と変わりませんぞ。ここはご自重ください」
……織江さんの言うとおりだ。
自分自身が戦いたいからという理由で作戦を無視して剣を振るうような真似をすれば、それは単なる戦闘狂で戦争をやる上での最低限の大義名分すら守れなくなる。
以前太刀守殿は言っていた。戦をやると、いくら大義の御旗を掲げても、そんなものは関係なく殺戮や略奪の為に戦う奴らが集まってくるのだと。そして、そいつらを統制し場合によっては排除する事も戦をやる者の責務なのだと。
……アタシ自身がそのような連中になってはいけない。
「承知しました」
アタシは後ろ髪をひかれるような思いを振り切り、織江さんと共に兵をまとめて撤退を開始する。すると織江さんは悔しそうな表情のアタシを慮ってか、退く道中で慰めの言葉をかけてくれた。
「せっかくここまで攻め入った所で後退するのは口惜しいとお思いでしょう。しかし戦に従軍すればこういう事もあります。私自身も若い頃は同じ様な思いを味わった事が何度もありましたよ」
「……はあ」
「宮元住殿はまだお若い。個人的な武勲を立てる機会はこの先何度もあるでしょう」
ちゃんと話した事はなかったけど、織江さんて結構いい人なんだな。
なんか微妙に勘違いしてる部分もあるみたいだけど……
「それに今回も我々はただ逃げるのではありません」
「え?」
「これは相手を誘い込む罠です。奴らは我々が燕木哲之慎の登場に怯んで逃げたと思っていますから、勢いに任せて我々を追ってくるでしょう。そこを伏兵が待ち構えて包囲殲滅するのです」
包囲殲滅……と言っても兵の数はこちらが圧倒的に少ないし、川を渡ったこちら岸の地の利は敵側にあるからそう簡単に包囲網が作れるとは思えないけど……て、あ!
「まさか……例の部隊もこちらの岸に!?」
織江さんはこくりと頷く。
なるほど、そうか……あの部隊なら布陣した地形次第では数の差も物ともせずに敵兵を一方的に倒せるかもしれないね。敵もまったく予想できない攻撃だろうし、上手くすればまた相手の士気を低下させて総崩れにさせられる可能性もある……
うーん、とすると……反乱軍の勝ち筋が少し見えてきたのかも?
双方に予期せぬ形で始まってしまった戦だけど、混迷の中で先に勝利への道筋を描けたのはアタシら反乱軍の方だろうか。相手にもまだ策があるかもしれないし、燕木哲之慎とコジノさんがいる以上油断は禁物だけど……
いずれにせよ、何度か潮目が変わった戦の流れも、どちらか一方に大きく傾く時がきているようだ。




