第179話 虚栄の帝王!(中編)
前回のあらすじ:座鞍が回顧するキリサキ・カイトの治世の実態とは……?
※今回も引き続き座鞍の過去編です
「俺にはコイツがある!!」
キリサキ・カイトがこれ見よがしに取り出したのは神器・八咫鏡こと、すまほであった。
この手のひらよりも少し大きいだけの手鏡に百万冊の書物に匹敵する異界の叡智が詰まっているといい、正しく「検索」を行えば鏡面に神託の如く答えが浮かび上がるという仕組みだ。彼は何か物事に行き詰まるとこのすまほを駆使し、状況打開の為の方法を編み出そうとするのである。
「早速、こいつで検索した知識でワクチン開発を行うぞ!」
そうキリサキ・カイトが言い放つと"妹"たちがこぞって歓声を上げる。私も何度かこの光景を目にして来たが、あのすまほは確かにとてつもない代物だ。あれで調べた情報は概ね正しく、今まで何度もこの国の政策決定に寄与してきた。
正直キリサキ・カイトの王としての能力はあのすまほの力であると言っても過言ではなく、此度の疫病の件を役人が不興を買う事を承知の上で報告したのもすまほから得られる知見に期待したからと言っていいだろう。
「えーと、ワクチン 開発 方法 で検索……と。なになに……」
だが……
「……」
キリサキ・カイトはすまほを眺めたまま黙り込む。数十秒、1分、2分……と沈黙は続き、その間キリサキ・カイトは頭を搔いたり「うん、うん」と頷いたり首を傾げたりしていた。
彼がすまほを使った時にこのような素振りを見せる時、当初は鏡面に浮かんだ知識を読解しているのだと思った。しかし、今ではそうでない事を知っている。
確かにすまほにはとてつもない量の知識が詰まっていて、問いに対しての神掛かり的な答えを写し出す事ができる。しかし、その内容を理解し実行する事が出来るかはその答えを見る者の知性によって左右される。早い話、すまほの示した回答にキリサキ・カイトの理解が追いつかない事が往々にしてあるのだ。
そうした場合、キリサキ・カイトは内容を読解する事を諦め、読解したような素振りだけを見せる。そして、そののち……
「……なるほど、理解した! 璃樂!」
「は、はい!」
「薬師としての君に依頼する。このスマホの内容を模写し、各地のウィルスに対抗するワクチンの調合を行ってくれ」
この様に部下に丸投げをするのである。
「……ふ〜、本来ならば僕が直々にやりたいのだが、なに分、帝は他にやる事も多いんだ。今後君たちには僕が不在の時に政治の一部を任せたいと思ってるし、これもいい機会だと思う」
キリサキ・カイトは一通り言い訳すると、玉座から立ち上がって璃樂に近付くと、彼女の肩をポンと優しく叩いた。
「やってくれるね?」
「……は、はい! おまかせ下さい!」
璃樂は二つ返事でキリサキ・カイトの依頼に答えて見せた。
「流石は聡明なるキリサキ・カイト陛下!! 此度も素晴らしいご判断、我ら涙が止まりませぬ!!」
この話をキリサキ・カイトに報告しにきた役人もそうおべっかした後、これで何とかなると胸を撫で下ろした。キリサキ・カイトが癇癪を起こす事なく、問題解決の為に動き出してくれた事は実にめでたい事だ。
……しかし、果たして本当に上手くいくだろうか?
キリサキ・カイトがすまほから引き出したワクチンとやらの情報が正しくとも、この世界にある技術や環境で調合できるとは限らない。まして彼が事の解決を依頼した璃樂は薬師としては経験が浅く、周りに頼れる薬師の先達もいない。
その他諸々の心配事を鑑みても、半ば問題が既に解決したかのような雰囲気の彼らと違い、とてもぬか喜びできる心境にはなれなかった。
そして、この懸念は間を置かずに現実のものとなる。
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「ええ!? ま、また通貨の発行ですか!?」
ワクチンの開発が決定して数日後。
キリサキ・カイトは国庫を預かる財政担当の役人たちを玉座の間に呼び集め、いきなり通貨の増産を命じた。
「当然だろ? ワクチンを製造する金がないんだから」
キリサキ・カイトはさも当たり前のような態度で役人たちにそう告げた。役人たちは狼狽して顔を見合わせ、恐る恐る進言する。
「恐れながら上様。これ以上通貨の流通量を増やすのはいかがなものかと……」
「……あ?」
キリサキ・カイトはギロリと役人たちを睨みつける。
「民の命がかかってるんだぞ? お前たちは民の命よりも金が大事なのか?」
役人たちはキリサキ・カイトの恫喝のような問いに弁明しつつも反論を試みる。
「そ、そうは申してはおりません。国庫から薬の開発に費用を出すのは当然の事と存じます……しかし、ついこの間も遷都の為に紙幣の流通を増やしたばかりですし、まずは既存の予算から財源確保を検討し不足があれば不足分だけ通貨を発行するという段階を踏んではいかがかと……」
役人たちの意見は至極真っ当だ。
キリサキ・カイトは先年、自由取引の活性化を掲げて共通通貨「鍍瑠」を発行。市場での取引に際してこの「鍍瑠」以外の貨幣を用いる事を固く禁じた。それ自体は統一国家としては妥当な政策なのだが、なにぶん通貨が流通しはじめてから日が浅く、偽貨幣の流布や貨幣の流通量が市場の規模を越えて発行され、物価が上がり続けるなど市井の混乱は今尚続いていると聞く。
発行された大量の通貨は国家事業として推進している遷都計画に従事する労働者への対価として利用されたり新しい商いの為の原資になるなど、必ずしも負の側面しかない訳ではないのだが、ものには限度というものがある。
「国内の経済は未だ安定を見ておりません。通貨が増え過ぎれば通貨の信用は失われ、ひいては国家そのものの破綻に……」
「分かった。お前らはクビだ」
「……へ?」
「聞こえなかったか? お前らはクビ……そう言ったんだ」
キリサキ・カイトは冷たく言い放つ。
役人たちは何を言われたのか分からないとばかりにポカンと口を開けたまま停止する。
「何が経済の安定だ! 何が国が破綻するだ! 中学校にすら行った事もない、お前のような馬鹿が知ったような口を叩くな!」
「ひっ……!」
キリサキ・カイトの怒号が鳴り響く。
「この世界の奴らはまともな学校行ってないのにすぐ賢ぶりやがる……だいたい、人の命より重いものなんてないんだ! 国の要は人! 俺は民を助ける為に国の金は惜しむつもりもない! そんな事も分からぬやつに国の財政を任せる訳にはいかないんだよ! とっとと失せろ!」
キリサキ・カイトはそう吐き捨てると、突然彼の目がギラリと発光。
すると役人たちは暗示でもかけられたかのように回れ右し、玉座の間から退出していく。
これはキリサキ・カイトの識行の技……発動すれば六行に耐性のない者はほとんど意のままに操る事が出来る術だ。
「きゃー! カイト兄様カッコ良すぎです〜!」
例によってキリサキ・カイトの背後に侍る"妹"たちは彼の裁断を絶賛。喝采を浴びせるとキリサキ・カイトもそれに答えるように振り返り満足げな笑みを浮かべる。そして、徐に彼女たちの一人を指名し、自分の傍らに呼びつける。
「瑠華。君が奴ら腐れ役人どもの代わりにこの国の財務を取りしきってくれ」
「え!?」
キリサキ・カイトは瑠華の肩を抱き寄せる。
「大丈夫。村一番の雑貨屋を切り盛りしていた君の商才なら必ずやり遂げられるはずだよ」
そう言ってキリサキ・カイトはまたも国家を統治する上で主要な役割を素人同然の身内から選定。そしてその後の通貨増産の対応を瑠華に一任すると、その場は散会となった。
私はその一連の横暴をただ見守るだけで何もする事は出来なかった。
今までもこの様な事は何度かあった。最初のうちはキリサキ・カイトを諌めようと進言した事もあったが、それが無駄だという事をその都度思い知らされるだけで私に出来た事など何もなかったのだ。
キリサキ・カイトは一度感情が爆発するともう周りの人間の言葉は耳に入らない。それが例えお気に入りの妾たちであっても……だから、私に出来る事など何もない。出来るのはキリサキ・カイトのご機嫌を取り出来る限り早く機嫌を治してくれる事を祈る事、それだけなのだ。
そういつものようにキリサキ・カイトの愚挙と、それを止められぬ自分自身に憤りを感じながら玉座の間を後にしようとしていると……
「座鞍姫」
扉の陰から私の名を呼ぶ声がした。
振り返るとそこには小柄で身なりのいい老紳士が何やら思い詰めたような表情でそこに立っているのが見えた。
「小栗……!」
その老人……小栗下総之介の事はよく知っていた。彼はかつてのエドン王家に仕えた股肱の臣で、サイタマのエドン併呑時にほとんど投獄・追放されてしまった旧エドン系家臣のうち、今なおサイタマ共和国内の統治機構に籍のある数少ない一人である。
本来、このように旧エドンの主要な家臣と王族が二人だけで話している所を誰かに見られれば謀反の噂を立てられる恐れもあり、極力避けるべき事なのだが、それを承知の上で話しかけてきた所を見ても何か極めて重大な案件を相談するつもりである事は明白であった。
「折り入ってご相談がございます。この後、少しばかりお時間頂けぬでしょうか」
《どうでもいい雑記》
自国の通貨を持つ国家の場合、緊急事態に際して通貨発行権を使って需要供給を無視して予算を捻出するということは普通にある事です。なのでそういう意味じゃキリサキ・カイトの命令もあながちデタラメじゃなかったりします。
ただ自国の経済が多少のインフレでは破綻しない程度には安定している事と、その後の物価変動に対して国が正しくコントロールできる事が条件で、その条件を満たせない場合は破滅的なインフレに突入する可能性もある訳ですが……




