第178話 虚栄の帝王!(前編)
前回のあらすじ:座鞍は反乱軍に参加する迄の経緯をガンダブロウに話し始める。
※今回から座鞍視点の過去編
───────────
─────
──
「病気が蔓延している……だと?」
サイタマ共和国首都ウラヴァ──
「神王宮」の玉座の間にて、皇帝キリサキ・カイトは謁見した役人からの報告に顔をしかめた。
「は……はい。西部地域を中心に各地で複数の流行り病による死者が報告されておりまして……」
キリサキ・カイトは報告の続きを聞くとより一層不快感を表情に示した。
「……どう思う? 座鞍」
キリサキ・カイトの側近──という体の妾だが──"妹"の一人として玉座の後に侍ていた私に彼が問いかける。彼が私達側近に意見を求める時はもっぱら他人に言いづらい自分の意思を私達に後押しされたという形で決定したい時だ。今回の場合、疫病の蔓延などという彼にとって不愉快で面倒な事態の対応は現場の判断に任せ、今彼が目下夢中になっている遷都計画を推進すべきです……という意見を言ってほしいのだ。そうすれば彼は人に言われたから、という免罪符をもって非情・非道な判断を仕方なく行う事ができるのだ。民の事は気掛かりだが、大義ある事業をやむなく優先する苦渋の決断をせねばならない、と……
確かに王たる者は時にそういった決断を本当に迫られる事もあるだろう。しかし、今回の件は多くの民の命と引き換えにできるような大義など誰が見てもありはしなかった。
「はい。やはりここは遷都の為の人夫徴収は一時中止して、疫病の収束に尽力すべきかと」
私の意見を聞いたキリサキ・カイトは無表情のまま数秒沈黙する。私の発言は彼の求めていた助言とは違うものだったからだ。
今の意見によって私はこの男の不興を買ってしまったかもしれない。しかし、私とてエドン王家の血を引くもの。例え敵の王の妾に身をやつしたとしても、愚王の顔色を伺ってこれ以上民を苦しめる様な意見は言うわけにはいかなかった。
「…………は〜、だよな。そうだよな。そりゃよくない。よくないよ。民が苦しんでいるんだから。いくら遷都が皆の為になるからって……こんな時にまで労働を課すなんて最低の王がやる事だ。そんなのは歴史の授業でやる事だ」
私の声色の真剣味に押されたのかキリサキ・カイトは渋々ながら私の意見に賛同した。彼とて善悪の見境はあるし、このまま疫病の蔓延が続けば自分が困るという事も頭では分かっているはずなのだ。
「僕は古代ローマとかナチスの独裁者じゃないんだからな。この国の民を助けるのが帝としての僕の役目……帝として疫病を止めるのに力を尽くそうじゃないか」
先程までの面倒くさそうな態度はどこへやら。勇ましくそう言い放つと、玉座の背後に控えている私以外の"妹"へ視線を移す。すると待ってましたと言わんばかりに彼の判断に対する称賛の声を上げ始めた。
「凄い……やっぱりお兄様は凄いです!」
「以前の王たちとは違い、真に民の心を分かって下さっている!」
そのわざとらしいばかりの賛辞にキリサキ・カイトは気分をよくしたようで、腕をくんで恍惚の笑みを浮かべる。これはキリサキ・カイトが大きな決断をする時に毎回行われる儀式のようなもので、端から見れば馬鹿馬鹿しい事この上ないが、彼の機嫌を損ねるとその場の勢いでどんな無茶な命令を言い出すか分からないのであるから、やっておいて損はないのだ。
「ふん。当然だ。でもね……」
しかし、今回はまだ不愉快さが残っていたのだろう。
"妹"たちに向けた視線とは違い、ホッと胸を撫で下ろしていた役人を心底侮蔑を込めた眼でジロリと睨みつける。
「本当ならその程度の事、君等がやんなくちゃならないんだけど……そこんとこ分かってるのか?」
役人の顔から血の気が引く。
「ねぇ? だって君等お金貰って仕事してる訳じゃん。お国の大事な仕事、してる訳じゃん。だからさ、問題が起こって困りました、何とかして下さいって俺に言ってくる前にさ。自分達で頑張って問題解決しなくちゃならないんじゃないの? 違う?」
キリサキ・カイトはネチネチとした嫌味を役人に浴びせ続ける。
「は……おっしゃる通り……面目次第もございません……」
役人が言い返す事はない。彼らとてこの様な報告を行ってキリサキ・カイトの怒りを買えば、その後どうなるのかは重々承知している。だから当然、事態の収拾に最大限の努力をしているだろう事は容易に想像できた。
しかし、キリサキ・カイトの言葉を遮ってまでその事を主張しても彼が納得する事はありえはい。そればかりか下手をすると彼の機嫌を損ねて、自分が処断されてしまう可能性もある。だから彼が実害のある命令を口走るまでは反論せず、大人しく彼の罵倒を聞いているしかないのだ。
「大体さァ、病気が蔓延して何人も人が死んじゃってるんでしょ? それって凄く深刻な問題だよ。死んだ人は蘇らないんだから……そうなる前に何とかならなかったワケ?」
「は……以前にも何度かご報告しました通り、統一による国境の撤廃で人の移動が活発になり、今まで各地域内で留まっていた病がかつてない速度と範囲で伝播しておりまして……」
キリサキ・カイトが役人の言葉尻にぴくりと反応する。
実は以前にも疫病の件は何度か議題に上がっていたが、事態がここまで深刻になるとは思っていなかった彼は聞き流して忘れてしまっていたのだ。その事を役人の発言で今になって思い出したのだろうが……この流れはマズイかもしれない。瞬間的にそう思った。
「それに医師の免許制度化によって旧医療施設の多くは廃止され、対応にあたる人員不足も深刻で……」
役人の発言が以前キリサキ・カイトが思いつきで行った政策の事にも触れた時、ついに彼の怒りは爆発した。
「じゃあ何か!! お前……僕が悪いってのかよお前ぇっ!!」
キリサキ・カイトの怒声が宮殿内に響き渡る。
「い、いえ! そんな……滅相もございません!」
役人はようやく自分の発言がキリサキ・カイトの逆鱗に触れた事に気付き、顔面蒼白になりながらも必死に弁明する。しかし、キリサキ・カイトの怒りが収まることはなかった。
「これだから学校行ってない馬鹿どもは困る! よく考えろ! もともとはこの世界の奴らがちゃんとした医療制度を作ってなかったのが悪いんだろ!」
自分の過去の行いを責められたと感じたキリサキ・カイトの役人への罵倒はとどまるところを知らなかった。この様にキリサキ・カイトは誰かに指摘されたり注意される事を極端に嫌い、癇癪を起こすと誰も止める事ができないのだ。そして、これこそが私達は一番恐れた事態なのだ。
「だから良かれと思って僕の世界の最先端の制度を導入してやったのにっ……自分達のバカさは棚に上げて文句ばかりはいっちょ前に言いやがる!」
キリサキ・カイトはお世辞にも頭のいい男ではない。が、馬鹿という程知性がない訳でもなく、冷静な時にはこの世界の人間が思いもつかない様な画期的発想で判断を下す事もあり、理知的で公平な采配を振るう事も決して珍しくない。このジャポネシアの歴史には彼以上に冷酷非情な為政者の例は枚挙に暇がなく、好悪別れるところではあるが人格だけを見れば歴史上の愚王たちと比べて下の下と言うほどでもなかった。しかし、彼が一度感情的になるとそれまでの温厚さや理知的な態度がまるで嘘であったかのように、理不尽で破滅的な指示を出してしまう事がある。恐らく我に返れば彼自身が呆れてしまうような支離滅裂な事も、帝として公の場で発言してしまえばそれがそのまま政策として実行されてしまうのだ。
「それにお前らと来たら家に帰っても手を洗わない! うがいもしない! 衛生意識最悪! ばっちいんだよ! 病気になって当然なんだ! そんな事も分からない? こんな事まで学校で習わなきゃ分かんないの? あァ!?」
愚王と名君を分けるのは知性や倫理観ではない。どんなに残忍な性質の王で、民を虐げ倫理観にもとる行為に及んだとしても、それ以上の民の安寧と利益を得られるのであれば為政者としてはそれでいい。政治とはそういものだ、と王族たる私も父から教えられてきた。
キリサキ・カイトはこのジャポネシアに蔓延していた戦争を終結させた。彼によって戦争で殺された人は数万に登るが、その何百倍にもなる人間が未来の戦争で命を落とす事を防いだのも事実。故にその功績をもって彼を名君とする事も出来るかもしれないが、その後の失政が結果的にそれ以上の被害を出してしまえば何の意味もない。だからこそ、彼の側近の者はこの世界にとって致命的な破滅を迎えないよう細心の注意を払って彼の感情の爆発を留めないといけなかったのだが……
「ひぃ……どうか……どうかお許しを……」
役人は絶望し土下座するがそんな事でキリサキ・カイトの暴走は収まらない。今キリサキ・カイトがどんな無茶な命令を下すかは誰にも分からない。役人のクビが飛ぶだけならまだしも、疫病への対処自体を放棄してしまう事も十分あり得た。
しかし、今回はあまりのご乱心に普段はキリサキ・カイトのどんな些細な行動にも称賛する"妹"たちすら引いてしまっており、その反応を見た彼が運良く正気に戻ってくれた。
「ハァハァ……はっはっは。そんなヒビんないでよみんな〜笑」
キリサキ・カイトは凍りついた空気を和まそうと無理矢理に笑ってみせる。そして、先程までの乱行が嘘のように落ち着き払った態度で玉座に着座する。
「しかし、やれやれ……役人共の怠慢は置くにしてもやはり疫病は放っておく訳にもいかない。何か手を打たないとな…………そうだ、璃樂!」
彼は再び"妹"一人に声をかける。
「薬師としての君に聞きたい。今回の件、どう対処すべきだと思う?」
璃樂は大人しそうで可憐な見た目の薬師見習いの少女で、そのオドオドした小動物のような雰囲気と素直な性格がキリサキ・カイトに気に入られ"妹"に抜擢された。しかし、薬師としてはあくまで見習いである彼女に、大陸規模の病災を収める為の的確な意見など言えようはずもなかった。
「あうぅ。どうしましょう……」
「ごめん、ごめん。怖がらせてしまったかな。でも、恐れる事はないんだよ璃樂……伝染病にはワクチンがあれば対処できるんだから」
「ワクチン……ですか?」
「ああ。病を治す薬の事だ。流行り病のワクチンを作って民に配布する。それでこの問題は一気に解決する」
キリサキ・カイトは高らかにそう宣言した。
特効薬の生産……出来れば確かに疫病の蔓延を止めるのに大きな効果を発揮するだろう。
「た、確かにそのようなものがあれば民の命は救われます……しかし、その様な事が本当に可能なのですか!?」
役人がまたもキリサキ・カイトに疑問を差し挟む。
しかし、その疑問も当然の事。流行り病というのは即効的に効く薬を作る事が難しい、ないしあっても増産・流通が難しいからこそ流行するのである。その根本を覆すような事がそう簡単に出来るはずはない……しかし、この異界人キリサキ・カイトにはそれを成しうる可能があった。
「この世界の医学知識じゃ無理だろうな。でも俺には……コイツがある!」




