第154話 白露夜噺!(前編)
前回のあらすじ:ガンダブロウは木下の反乱軍参加を止める為、サシコに彼を倒させる。一方、アカネは何やら思い悩む事がある様子で……
「岩陀歩郎……村雨岩陀歩郎……!」
怨嗟のこもった声が俺を呼ぶ。
「よくも……俺たちを殺してくれたな……!」
気づけば俺は深い紫の霧の中にいた。
そして、四方至るところから呪詛の言葉が反響する。
「許さぬ……許さぬぞ……!」
「この痛み、この屈辱……死しても拭い去れるものではない!」
「私は夫を殺された!」
「ワシは子供を……」
俺が戦場で斬り殺してきた者たち……そして、彼らの仲間や縁者。
おそらくは万単位に及ぶであろう彼らの強烈な憤怒と怨念はしだいに空気の流れとなり、霧の濃淡を巨大なしゃれこうべの形を形成した。
しゃれこうべは低い声でつぶやく。
「お前は今まで人を何人斬ったのだ? 大義の為とうそぶき、己が栄達の為どれほどの命を無慈悲に奪ってきた?」
……もはや正確な数は分からない。
それほどまでに俺は人の命を奪い、人の思いを踏みにじってきた。
「殺した敵の事など知らぬか? ならば仲間はどうだ?」
ふいに気配を感じ、後ろを振り向く。
するとそこにはかつての仲間──参加した幾度もの戦争で共に戦い、そして命を失った戦友たちの姿があった。
「お前は敵だけでは無く、彼ら仲間の屍の上に太刀守などという過ぎた栄誉を得たのだ。犠牲になった彼らは何も得られなかったというのに……お前は卑しくも自身だけが功を独占した……なんと酷薄で卑劣な男か」
一将の功成りて万骨は枯る……と人は言う。
そんな事は十分に分かっている。だから俺は身につけた剣技自体はともかく、太刀守の称号を無闇に人に誇る事はしなかったし、戦功による褒賞で豪奢な暮らしなどはしなかった。
しかし……いや、それも詭弁か。俺がどのように自分を戒めようとも斬り殺してきた敵兵や死んでいった仲間たち全てに報いる事など出来ようはずもない。もしも彼らの魂を少しでも慰める事が出来るとすれば俺自身が責苦と共に地獄に落ちること以外有り得ないだろうな……
と、その時──死んでいった仲間たちの死霊の中に明辻先輩の顔がある事に気がつく。
「せ……先輩っ……」
「ガンダブロウ。お前は大罪人だ」
明辻先輩は俺に冷たく告げる。
「お前の魂は血で穢れている。お前も私の様に死の報いを受けるべきなんだ。それが図々しくも生き永らえている。許されるべき事ではない。まして……」
死霊の列の背後、深い霧の中に一点の光が見えた。
光はしだいに大きくなり、その中に……アカネ殿の姿が見えた。
「まして穢れを知らぬ無垢な魂に恥知らずにも思慕の情を募らせるなど……」
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「…………ハッ!」
深夜──ふいに寝床から飛び起き、周囲を見渡す。
先程まで見えていた紫のおどろおどろしい霧や死者の姿などが見えない事を確認すると、額に流れる汗をぬぐって一つ深呼吸する。寝巻も寝具も汗でびっしょりであったが、この汗は熱帯夜の蒸し暑さのせいだけではない。
悪夢……久しぶりに見たな。
かつて戦場にいた頃はこの手の夢に毎夜のようにうなされたものだが、戦場を遠ざかり人の死が身近にあった時の感覚が段々と薄れるに従ってしだいに見なくなっていった。
……俺が背負った業。それは本来忘れるべからざるものであるが、キリサキ・カイトによる敗北と屈辱、そしてその後の無為と惰性が俺の精神を退廃させ恥ずべき事にそれらを心の奥に封印してしまっていたのだ。それが、アカネ殿と旅をする様になり、計らずも再び戦いに身を投じるようになっていく内にしだいに封印が緩んでいった。そして、明辻先輩の死による悔恨が忘れていたその因果を思い出させた。
なんて事はない。
俺はキリサキ・カイトや昼間のならず者どもと何ら変わらんのだ。それが太刀守という過分の地位を得、英雄だなんだと祭り上げられている内に血に塗れた己の本当の姿が見えなくなっていた。そして、自分が犯した罪からすれば到底生ぬるい流刑に甘んじ、罰を受けた気になっていたのだ。
右肩がズキンと痛む。この場所は熊野古道伊勢矢の識行の攻撃を受けた箇所……
……ふっ、いかんいかん。また思考が一人でに深みへと嵌っていっている。俺がなんらかの報いを受けねばならんにしても、それを下すのは俺自身ではない。その時が来たのならば、裁きを素直に受け入れよう。今はその心持ちだけあれば良いはずだ。
「ふう……」
少し夜風に当たったら、また眠りにつこう。
そう思い、神社の大座敷から出て中庭に面する外廊下に出る。
すると……
「む……あれは?」
軒先に誰かが座っているのが見えた。
「アカネ殿?」
真夏の星空が照らし出すその艷やかな黒髪と物憂げな表情は、侘び寂びを感じさせる中庭の風景と相まって壮麗な絵画を思わせた。
「あれ、ガンダブロウさん?」
アカネ殿はこちらに気が付き振り向いた。
その清らかな横顔は少し伸びた髪と相まって以前よりも少し大人びた雰囲気を感じさせた。
「どうしたのだ? こんな真夜中に」
「いやあ、はは……ガンダブロウさんこそ」
「あー……うむ。妙に目が冴えて……な」
先程見た悪夢の事など、正直には話せないだろう。
俺はアカネ殿の質問を適当にはぐらかした。
「そうですか……わたしは……考え事をしていたら眠れなくて」
アカネ殿の考え事。それが何であるかはすぐに察することが出来た。
「昼間の件……か?」
「ええ」
やはりな。
アカネ殿はまだキリサキ・カイトと反乱軍が戦争になりそうな事を気にしている。
いや、気にするなという方が無理があるだろうが、恐らく数万人〜数十万人が反共和国・反統一の意思で集うこの流れを全て止める事など出来はしない。よしんば今回の争乱を未然に防げたとしても、キリサキ・カイトへの不満はあちこちに燻っている。その火種は時間を置かず違う場所で爆発するだけだろう。俺たちに出来るのは目の前に起こる悲劇を少しでも減らす事だけだ……が、そんな簡単に割り切れる事でないのも事実。
上手く言葉を見つけてアカネ殿の苦悩を少しでも和らげて上げたいのだが……
「アカネ殿、俺たちは……」
と、言いかけた時。逆にアカネ殿が被せるように俺に意外な疑問をぶつけてきた。
「ガンダブロウさん。わたしは本当に兄貴を元の世界に連れ戻すべきなんでしょうか?」




