第146話 クリバスの門!(前編)
前回のあらすじ:金鹿を倒した一行はミヴロを出立。再びウラヴァを目指して旅を続ける。
夏というのは好きな季節だ。
俺は幼少期から故郷を離れて道場暮らしだったので人並みの娯楽に触れる機会というのは少なかったのだが、年に一度だけ道場の近所で行われる夏祭りに行く事を許されており、それが凄く楽しみだったのを今でも覚えている。渡された小銭で出店で買い食いする事も出来たし、今思うと他愛のない水風船釣りやくじ引きも当時の俺にはとても貴重な息抜きの時間だった。そして、祭りから道場に帰るとエドンの町では夏の風物詩である花火を観ながらスイカを食べるのが常であった。時には最強の剣士になるという夢を馳せながら、時には挫折の涙を晴らすため、俺は空に爆ぜる七色の閃光を見ていた。
まだ幾多の戦場を経験する前の無垢だった頃の記憶……その時の思い出が夏になると俺の感傷を刺激するのだろうか。
ふと、空を見上げる。真っ昼間の空に花火など打ち上がっているはずはなかったが、藍錆色の突き抜けるような高い空と遠くに浮かぶ分厚い入道雲は否が応でも夏を感じさせる。この風流さこそがジャポネシアの夏の良さなのだが、それ以上に夏を感じさせてくれるものがあった。それは……
「暑ぅ……」
この肌に纏わりつくような暑さである。
俺は朦朧とした意識で二度三度と汗をぬぐう。
ふう……今日のような真夏日に遮蔽物のない野道を歩き続けるのはもはや拷問の域だな。
「ガンダブロウさん……大丈夫ですか?」
並走する馬車の幌からうちわをパタパタと振りながらアカネ殿が顔を出す。
「そろそろ歩くの変わりましょうか?」
ひさしの影で御者をするサシコも俺の身を案じてくれる。
その心遣いはありがたいが、俺もジャポネシア男児のはしくれ。
女子をこの焦熱地獄に放り出して日陰の荷台に揺られるなどは男の恥……ならばこれも修行の一貫と考えて心頭滅却、耐えるのが武士の道というものだが……
「ああー、いーのいーの。この男はねー、この程度の暑さで倒れるようなヤワな鍛え方はしてないからさ」
続いて荷台の奥からは顔を出したのはマキである。
「風鈴の音でも聞かせときゃ少しは涼むでしょー、ほれっ」
マキはいつの間にやら用意していた風鈴をチリーンと鳴らす。
ぬう……そんな音など気休めにもならんが……
「マキさん! そもそも貴女がこんな荷物を馬車に載せるから一人外を歩かなきゃいけなくなったんでしょ!」
サシコがマキに指摘する。
そう。俺がこのクソ暑い夏の真昼間に馬車を降りて歩いているのも全てはコイツのせいなのである。
「そうだマキ! だいたいお前、どこまでついてくる気なんだ? 紅鶴御殿に帰って司教の仕事をしなくてもいいのかよ!」
ミヴロでの戦いの後──
俺たちは再び首都ウラヴァを目指して旅を再開したが、マキも俺たちの旅に同行すると言い始めた。マキの目的はマガタマの1つ、ヴィシュニタマの在処を知っている可能性があるという革命組織「六昴群星」に接触する為だ。それだけなら俺たちの旅の目的とも合致するからまあ良いのだが、研究に使うと称して能飽の方舟から接収した大量の資料や儀式用の道具などをドカドカと荷台に収容した結果、馬車の積載量が超過し、誰か一人が馬車の外を歩く羽目になったのだ。
「あら? もともと助っ人で私を呼んだのはアンタたちでしょ? 用が済んだらハイ、サヨナラってのは都合が良すぎるんじゃない?」
う……それはまあそうだが……
「それにこれからの旅には私が付いていた方が色々と得でしょ? 敵の本拠地は近いのだから一人でも戦力が増えるに越した事はないだろうし、私の司教の権限で各地のヨロズ神関連の施設が使えたりもするしね」
……言い方はシャクだが、確かにそれはマキの言うとおり。
これから向かう先はキリサキ・カイトのお膝元であるサイタマ共和国直轄領。ただでさえ今まで以上に憲兵隊の警戒も強くなるだろうところに、反統一派が集結し武装蜂起の可能性まであるという。何が起こるか分からないこの不安定な状況下で、彼女の力は実際有用だ。
「でも、マキさん。ヒデヨちゃんや七重お婆さんが怒ってるんじゃないですか?」
アカネ殿がマキに問う。
ヒデヨちゃんはまだしもあの鬼の七重婆さんの事だ。司教の仕事をサボって外をほっつき歩いているマキを許す訳もないだろう。下手すりゃマキを捕らえる為に紅鶴御殿の精鋭部隊を編成してこっちに派遣してくるかもしれない。ただでさえ敵の多いこの状況下でさらに紅鶴御殿まで敵に回したくはないものだが……
「まあ、そもそも脱走同然で抜けてきてるからなー。今戻れば七重バアにまる半日説教された上、最低1年は謹慎させられちゃうでしょーね。でも、マガタマの有力な手掛かりが目と鼻の先にあると分かった今、そんな悠長にしてるなんてできるワケないじゃん」
マキはマキでこの調子だしな。
はぁ、やれやれ。あちこちに気苦労が絶えんな、まったく。
「それはそうと、アカネちゃん。神様に例の件は聞いてくれた?」
「ええ……でも、返事はこの通りでして」
アカネ殿がマキにすまほの画面を見せる。
おそらくは神様と通信ができるとーくあぷりとやらを見せているのだろう。
「あー、やっぱねー! そりゃ教えてくれんか!」
またマキはアカネ殿に頼んで神様に連絡を取ってもらったらしい。
残りのマガタマの在処やら自分の立てた仮説の正しさやらをしつこく確認していた様だが、以前に聞いた時のように核心に触れる事は何も教えてくれなかった様である。
「まあ、しょうがないか……でもこの書き方だと、金鹿の言っていたマガタマの種類が3つあるというのはまず間違いなさそうね」
アカネ殿の話を聞く限り、神様はかなり偏見のある性格でキリサキ・カイトよりもアカネ殿をひいきしているらしいのだが、マガタマのようなこの世界そのものの根幹に関わり下手をすれば一個人が世界の均衡を崩壊させてしまいかねない事は流石に教えてくれないのだ。
まあ、そんなものをホイホイ人に教えて金鹿みたい奴が大量に現れるよりは遥かにマシだが…………と!
「あ、見えてきました」
灼熱の蜃気楼に霞む道の先に、東西に横たわる大きな河と、その河を渡る為の巨大な橋が見えた。そして橋の前には3階建て程の高さのやぐら…………ふぅ。ついにここまで来たか。
「あれがサイタマ共和国直轄領への入口……クリバスの門ですね」
旧トッチキム領とサイタマ共和国直轄領を繋ぐ唯一の出入口。
通称クリバスの門と呼ばれる国境の関所にして俺たちが越えるべき最後の関門だ。
「ああ。あの橋を渡れば3日ほどでウラヴァに着く」
あの関所を無事に通過出来ればいよいよ、旧サイタミニカ領。
キリサキ・カイトのお膝元だ。
「そうか。あともうちょっとで……兄貴に会える」
「いよいよですね」
アカネ殿とサシコも気合を改めて入れ直す。
「まあ、私はウラヴァの手前。クギの町まで行ければそれでいいけど。ま、せっかくだし、目的を達成したらもう少し足を伸ばしてオミアノの賭場にも行ってみようかしらね」
マキは相変わらずの調子だが……
「皆分かってると思うが関所を越えれば、そこはキリサキ・カイトの直接支配地だ。そこかしこに帝直下の兵隊がいる。御庭番と【統制者】の思惑も気になるところだし、反統一派の不穏な動きにも注意せねばならん。今まで以上に気を引き締めて……」
と、一同の気を引き締める為に気合を入れようとした矢先……
「貴様! 今何と言った!?」
クリバスの門の前から怒声が鳴り響いた。




