第145話 兵どもが夢の跡!
前回のあらすじ:金鹿の研究資料からマガタマに関するさらなる秘密を知ったガンダブロウ一行!
一方、敗北した百合沢は事件の直後、能飽の方舟から抜け出しており……
一人称視点 百合沢喪奈
時は遡り、能飽の方舟が落下した直後の夜──
空が白みはじめる前の薄暗い明け方。
私はわずかな灯りを頼りきミヴロ郊外の川沿いを金鹿先生を探して彷徨っていた。
「先生! どちらですか先生!」
能飽の方舟での戦闘ではあの女──吉備牧薪に敗北し、不覚にも気を失っていた。
その後、覚醒した時には戦いは既に佳境であり、【触媒】として使用していた地球儀も破壊されてしまっていた事もあって金鹿先生が村雨岩陀歩郎に敗れるのをただ眺めているしか出来なかった。
でも、先生はきっと死んでない。
何故なら金鹿先生が喰らったのは村雨岩陀歩郎が跳ね返した自身の術【神奈河】……先生は常に自分の開発した術には暴走した時の対処法を考えておられた。だから、いかに世界を破壊し尽くす究極の陰陽術だとしても、何らかの防御策を講じているはずだ。無傷では無いにしても生きてる公算は高い……そう思って吹き飛ばされた角度から落下地点を計算して捜索していたのだけれど……
「先生、生きているなら返事して下さい! 先生ーッ!」
その時、川沿いの茂みで何かが微かに動くのを感じた。
野生動物か?
いや、弱々しいけどこの呪力は……
「……先生?」
「…………お……おお、百合沢君か……吾輩はここじゃ……」
灯りを向けるとそこに倒れていたのは紛れもなく金鹿先生であった。
「先生! ご無事ですか!」
先生の身体はボロボロで、埋め込まれていた【玉視】の瞳もいくつか欠損していた。
なんとおいたわしい……
「ヒェッ……ヒェッヒェ……いや、参ったわぃ。太刀守、マシタ・アカネ、明辻泉綱……六行の術理を知り尽くし、140年近く生きてきてなお……吾輩の知見だけでは見通せぬ事がこれ程あるとはのぉ……」
「先生……」
半世紀以上も準備を続けてきた計画が土壇場で失敗……私が計画に加わったのはほんの数年前の事だが、それでもとてつもない徒労感に苛まれているのだ。計画を立案し、実行してきた先生の感じる絶望たるや計り知れないものがあった。
しかし……
「…………しかし、この失敗から新しい知見も得たぞぇ! まだまだ研究せねばならん事が山程ある事も分かったし……また一から新しい計画を練らねばならんの!」
金鹿先生はあくまで前向きであった!
そうだ……この人に気落ちなどはないのだった!
ただ、理想の元に計画を立案し、必要な研究と準備をもくもくと進める!新たな障害が出ればその障害に対して対抗策を打ち出すだけ!その過程で失敗が何回あろうと彼には知った事ではないのだ!
私は彼のその研究者としての姿勢に惹かれ、助手となったのだ。だから彼が諦めない限り、私も諦める道理はない。
「百合沢君、君にもまた手伝ってもらうぞぇ!」
「……は、はい! お供しますわ!」
私は先生に肩を貸すと、もしもの時の為に準備していた逃亡用の小舟がある地点まで案内する。川べりに停められた船の上には櫂を手にした小太りの初老男が一人私たいの到着を待っていた。
「先生……逃げる手はずは整っておりますぞ」
小舟の船頭は板岱屋の代表、宝富板之岱……実は彼にはこのような時に備え逃亡の用意をさせていたのだ。
他の出資者の老人共はみな金鹿先生が始末したようだけど、彼の場合は資本の提供以外にもかなり計画の深部にまで携わっていたし他の無能共と違って利用価値もあった。その利用価値とはつまりミヴロに土地勘があって秘密裏に逃走経路を準備出来る事であり、今ドンピシャでその保険が活きる形となった訳だけど……しかし、失敗した時の事も想定して完璧な逃走計画まで立てているだなんて、金鹿先生の抜け目なさには改めて惚れ惚れしてしまうわ。
「うむ……ところで百合沢君。能飽の方舟に残してきた研究資料は持ち出せたかね?」
「はい。ただ、急いでおりましたので極めて重要な一部しか持ち出せませんでしたが……」
金鹿先生の膨大な数の研究資料……そこに記載された内容は金銭に換算すれば国の1つや2つは有に買えるほどの価値がある。
【統制者】の手先かシヴァニタマをかすめ取ろうとしていたあの女狐……吉備牧薪あたりが乞食のように収奪を目論むのはまず間違いのない事だろう。持ち出せたのは手で持てる範囲だけで大半の資料はやむなく残してくる事になってしまったが……ふん。でもまあいいわ。この世界の根幹に迫るような真に重大な情報が書かれた資料は持ち出すことが出来たし、せいぜい歯抜けの資料を読んで切歯扼腕するといいわ低脳ども。
ただ、私が懸念している事──恐らく先生も気にしているであろう最も重要な事後処理──は他にあった。
「上々じゃ……それと、こちらの方が重要なのじゃが……シヴァニタマはどうなったかの?」
「は……それが……」
そう──懸念事項とはシヴァニタマを回収できなかった事だ。
「落下地点を太刀守どもより先に調べたのですが、何故かどこにも見当たらず……」
私は能飽の方舟が不時着した直後にはすかさず船を降りて、我々の計画の最大の肝であったシヴァニタマの回収に向かった。しかし、シヴァニタマの落下地点付近には既にその姿はなかった。その後、太刀守の一味が船から降りてくる気配を感じ、くまなく調べる間もなく、また金鹿先生を捜索することの方が急務であった事からその場を離れてしまったのだ。
「ふむ。おかしいの……計算上はまだ定期転移の時期ではないはずじゃが……」
そう。先生の言う通り、シヴァニタマの移転時期は少なくともあと2年は来ない計算だった。故に殺生石による拘束を解かれた事で移転が始まったとは考えにくい。定期移転以外ではマガタマがひとりでに動く事はありえないのだけど……
「お二方。そろそろ船を出しますよ……」
と、宝富が私と先生に乗船を促した時──
ヒュウーー!!
という風切り音とともに白み始めた明け方の空の彼方より"何か"が高速で飛来した!!
「げぇァ!?」
飛来物はとてつもない速度で一直線に通過し……その弾道上にあった宝富の頭部を一瞬にして消し飛ばした。
頭部を失った宝富は糸を切られた操り人形のように倒れ、小舟から落下し河の底に沈んだ。
こ……この技はまさか……!?
「おやおや、こんな時間から川下りかい?」
そして背後から呪力の気配……
振り返ると長身で色黒の男が網目状の鉄籠を持ってそこに立っていた。男の右肩には銀色の腕章……
「猿飛……丈弾!」
男は御庭番十六忍衆の1人、猿飛丈弾!
そして、先程の狙撃を行ったのもこの男とは別の御庭番十六忍衆……
「先の投擲は石川無頼ヱ門じゃな……」
「その通り」
石川無頼ヱ門……
超遠隔からの暗殺に特化した御庭番十六忍衆一の狙撃手!
【統制者】どもめ……まさか2人も御庭番十六忍衆を派遣していたなんて……しかし、今までは太刀守一味や明辻泉綱ばかりが前線で戦い彼らは姿を見せなかった……出張ってきているのに何故戦闘に参加しなかったのか…………ハッ!
「ま、まさか……!」
「気づいたかい? 君達が落としたコイツを拾ったのはこの俺さ」
猿飛が手にしていた鳥籠のようなものを持ち上げて見せる……と、その中に見えるのは……
「シヴァニタマッ!!」
ぐっ……シヴァニタマが落下地点になかったのはコイツらが先に回収していたからか!
「【統制者】は最初から俺たちも派遣してたんだよ……ただ、お前アレだろ? 俺たち転妖の術で妖化出来るようになったヤツを暴走させる術を隠し持ってたんだろ?」
……!!
こいつ……金鹿先生の対・御庭番十六忍衆の切り札に用意していた術を知っていたのね!
「んで、御庭番十六忍衆がお前を追ってミヴロに集結してきたら、その時を見計らって術を発動……一網打尽にして、あわよくば自分の手駒として使うつもりだったって訳だ? エ? そうだろ?」
「……くっ」
「おかげでアンタが術を使えなくなる程余裕がなくなるまで下手に近づけなかった訳だが……へへへッ、太刀守が上手くやってくれたみたいだな」
今回の戦いに際して緻密な計画をしていたのは私達だけじゃなかったという事か……恐らく村雨岩陀歩郎に飛行用のからくりを与えたのもコイツら……
御庭番十六忍衆の戦力を直接ぶつけられないと見るや、彼らを後詰に配して本来は敵対しているはずの太刀守一味を私たちにぶつけるよう仕向ける抜け目なさ。恐らくはこの戦いの作戦を立案したのは能面法師だろうが、その狡知は私達よりも一枚上手だ。
……悔しいけど完敗ね。
私達は負けるべくして負けたのだ。
こうなっては何とか逃げる方法を考えるしかないが……
「むっ!」
しかし、そう考えた時、退路を塞ぐように猿飛の後ろに更に2人が姿を表す。
1人は研究室から逃亡した小娘・武佐木小路乃……そして、もう1人は幻砂楼の遊民の一員で、確か羅蝿籠山とかいう男……く、こいつが裏切って猿飛に情報を流していたのか……?
「お前らに逃げ場はない。観念するんだな」
「……吾輩を殺すのか?」
「ああ、そうだ。アンタはあまりに危険過ぎるからな」
そう言うと猿飛は右手から赤茶色の呪力の球体──恐らくは私の【黒穴】と同じ土行の属性の技──を出現させ、金鹿先生へと向ける。
「あ、そうそう、能面法師から言伝てがあったんだ。死ぬ前にそれだけは伝えとこうか……ええと……」
猿飛はそう言うと懐から紙切れを取り出し、そこに書かれた能面法師の言葉を読み上げた。
「……君は結論を急ぎ過ぎた。この世界は絶望に満ちているが、君が思うほど希望が枯れ果てた訳ではない。だが君のやった事は無駄じゃない。君の研究と意志は我らによって引き継がれ、我らの作る新たな人類史の礎になるだろう…………だってさ!」
金鹿先生はその言葉を聞くと下を向きながらも、何か納得したかのように笑い、どう足掻いても逃れられないこの状況を噛み締めるようにゆっくりと頷いて顔を上げた。
「そうか……能面法師……流石は吾輩が唯一認めた男……完敗じゃ。美美っときたぞぇ……」
「覚悟はできたようだな。せめてもの情けだ。苦しまぬよう殺してやる」
猿飛が改めて陰陽術を発動させようと金鹿先生に向け掌を向ける……
ダ、ダメ!!
「やめろ!!」
「おおっと!」
猿飛に飛びかかるが、「触媒」を失いまともに戦闘ができない今の私には御庭番十六忍衆の使い手に対抗する術はなかった。
猿飛は身を翻して回避すると、その流れのままに私のみぞおちに膝蹴りを入れる。
「うぐ!」
「まあ、そう死に急ぐなって……金鹿と違って君には生きててもらう予定なんだ。俺たちの為に役立って欲しくてね」
……ぐ……私が……【統制者】の役に立つ……?
一体、どういう事……?
「百合沢君をどうする気じゃ?」
「なに、悪いようにはしないさ。この女には利用価値がある。何より俺は博愛主義者だからな……アンタと違って」
「そうか……それならいい」
そう言うと金鹿先生は目を閉じ、観念したように辞世の句を詠んだ。
「人魂で 行く気散じや 新世界」
猿飛は辞世の句を聞き届けると呪力の球体を金鹿先生へと放った。




