第110話 大義と名誉と!(後編)
前回のあらすじ:ガンダブロウの知られざる過去……彼が何故太刀守と呼ばれるようになったのかが、今明かされる。
※今回もまるまる過去編
「ハァ、ハァ……」
雪に覆われたチェチェブ山脈。
頻繁に吹き荒れる猛吹雪の合間を縫い、膝まで積もった雪をかき分けながら突き進む。
「た、隊長代理……後方部隊から連絡がありました」
先頭を進む俺の前に息を切らした部下が報告に現れる。
「……なんだ?」
「兵糧を運んでいた牛馬の一部が脱落したとの事」
「ちっ……またか」
チェチェブ山中に行軍を開始し、2週間ほどが経過。
想定していた行程の半分も行軍が進まず、また補給部隊が相次いで遭難するという予期せぬ事態にも見舞われ隊の士気は低下の一途を辿っていた。
ここまで、なんとか物資を切り詰めて進んで来たが……
「残りの兵糧はあと5日分。このままでは、どれだけ切り詰めても敵砦に進撃する時には食糧が底を尽きます」
「…………そうか」
くそっ!雪中行軍がここまで難しいものとは……完全に冬山の厳しさを甘く見ていた!食糧がなくなれば、いかにサムライ師団が精強といえどもまともに戦う事はできない!
はっ…………この状況、まさに軍議で明辻先輩の危惧した通りか!
こうなっては撤退するしかないが、そうしたくとも師団長からの指示がなければそれもままならん。特に今我々先鋒隊は敵軍とかち合う確率を少しでも上げるため、本隊からかなり先行した位置にいる。ここは急ぎ、次鋒部隊として後続に来ている師団長の部隊と合流し、撤退について協議する必要があるが……しかし、敵と一戦する事もなく撤退するというのはあまりにも……
「ほ……報告ーッ!」
戦果を一つも挙げぬまま撤退する選択を逡巡しているうちに今度は、別の隊士が報告に現れた。
「今度はどうした?」
「こ……後方の次鋒部隊が敵軍による奇襲を受けました!」
「な、何ぃ!?」
伏兵!?
まさか、この山中に潜んでいたというのか!?
「部隊は全滅! 師団長・伊冬十刀斎殿も戦死の模様!」
なっ……師団長が死んだ!?
しかも部隊も全滅だと!?
そ、それでは俺たちの隊は完全に敵中に孤立した事になる……まさか、これは……
「まんまとハメられたか!」
敵は俺たちが無謀な進軍をしている事を最初から知っていたのだ!
その上であえて我らを放置し、行動が限界点に達するのを待って確実に仕留められる時を狙って攻撃を仕掛けてきた……もともとチェチェブ山脈はリャマナス軍の領域。彼らはこのような事態を想定して前々から山中に見張り用の拠点を作り、周到に迎撃準備をしていたのだな……ちっ!それなら、攻撃はまだ続く!
「他の隊との連絡は?」
「完全に分断されており連絡は取れません……予定通りなら三里ほど後方を本隊が行軍中のはずですが」
三里(約12km)か……遠いな。
「このまま孤立しているのは危険だ!ただちに本隊と合流をはかる!」
俺はそう激を飛ばし、来た道を急いで引き返すよう部隊に指示した。
しかし、敵中に孤立したという焦りから部隊の統率は乱れて足並みは揃わず、さらに折り悪く雪が降り始めた事から視界も悪化。たった1時間ほどの行軍で隊はバラバラになり、俺の周りにはわずか数名の隊士が残るのみとなった。もはや自分たちがどの辺りにいるかさえあやふやだ。
…………は、ははは!
何という醜態か!
敵を倒して戦果を上げるどころか剣を交えることすら叶わず、部隊は四散。挙げ句、雪山で遭難して凍え死に寸前とは……
大義のための戦い?功績を上げて太刀守?
ハッ!こんなちっぽけで惨めな男がそんな絵空事を宣っていた訳か!まったくとんだお笑い草だ!
「ちくしょう!」
そう自嘲しつつも吹雪の中をあてもなく彷徨い歩いていると、少しずつ雪が晴れていく。絶望の中にようやく僅かな光が刺したと思ったのもつかの間、自分たちが最悪の場所に迷い込んでいた事に気がつく。
「はは……ついに天は俺たちを見放したか」
俺たちのいる場所は森の中の深い窪地で、四方をかこむ崖の上には矢をつがえたリャマナス兵たちが布陣していた。
「ふっ、のこのこ現れおって…………エドンの犬どもに喰らわせてやれー!」
敵の隊長と思しき男の号令とともにリャマナス兵たち一斉に矢を引き絞ると、今度は雪の代わりに鏑矢の暴雨が吹き荒れた!
「くっ!!!!」
リャマナス軍は前回の敗戦を取り返すがごとく、烈火のような勢いで矢を放つ!尋常ではない面攻撃の波状と密度……よりによってここで物量攻撃とは……!
六行による攻撃なら『逆時雨』で跳ね返せるが、単なる矢ではそれも叶わない。なんとか剣を振り矢を撃ち落としていくが……
「……ぐうう!」
「うわあっ!」
サムライ師団はエドン屈指の精鋭部隊。
しかし、飢えと慣れない雪中行軍で困憊の極地とあれば本来の力を発揮できようはずもなかった。
周囲の隊士たちは抵抗する力もなく、次々と討ち取られ深い雪の中に倒れ、没していく……そして、立っている者が俺だけになると、さらに矢による攻撃は集中。剣による防御を抜け、ついに俺の肩と足に矢が命中する……くそ!万事休すか!
「死ねーッ!!」
俺が死を覚悟したその時──
「ガンダブロウッ!!」
俺の名を呼ぶ声がした。
死の淵の幻聴……いや、違う!
「ぬおっ!?」
崖の上の兵が鞭のように伸びる剣によって、次々と討ち取られていく。
こ、この技は……!?
「ガンダブロウ!無事か?」
「あ、明辻先輩!?何故ここに……?」
崖の上に現れたのは明辻先輩であった!
しかし、彼女は駐屯地への残留を命じられて行軍には参加しなかったはず……
「説明はあとだ!」
そ、そうだ!
今は兎にも角にもこの死地から抜け出せねば!
「おおっ!!」
俺は明辻先輩の作ってくれた隙をつき、窪地を脱出。
包囲を突破し、先輩と合流。そのまま追手を振り払い当場の窮地を脱した。
「ハァ、ハァ……先輩、助かりました……しかし、何故先輩が……」
「お前たちが出発して5日後に、リャマナス軍が山中で罠を張っているという情報が駐屯地に入ってな。私はそれを伝えるために追ってきたんだ……結局襲撃を止めるには間に合わなかったが、お前だけでも救えて良かったよ」
な、なるほど……
5日遅れでも先輩が追いつけたのは俺たちの進軍が遅れていた事がこの際は幸いした訳か。しかし……
「ですが、どうして俺の居場所が分かったのですか?」
「ふっ……こんな事もあろうかとな」
先輩は自分の剣を取り出しほんの少しだけ欠けた峰の部分を見せる。
すると俺の隊服の羽織から小さな金属片が飛び出し、先輩の剣に引き寄せられて接着した……これは明辻先輩の得意とする追跡術!
「いつの間に……!」
「ガンダブロウ。いついかなる時も工夫だよ」
そう…………
…………そうか……本当に凄いな、この人は。
師団長に隊長の任を解かれても自分の正義を曲げず、俺を救う準備までしてくれていたとは……
くくく!
そこいくと俺はどうだ?
太刀守の権威につられて大局を読めず、先輩の真っ当な忠告を聞く耳もなかった…………ちくしょう。俺なんかより明辻先輩の方がよほど称号を得るに相応しいじゃないか。先輩の思慮深さに比べれば、自身の短慮が本当に恥ずかしい……
「いたぞぉ!こっちだ!」
……リャマナス兵の声!
「ちっ!急ぐぞ!」
もう追いついてくるとは流石に地の利があるな……しかし……
「…………どうした、ガンダブロウ?」
平地で敵の包囲網も破った今。
いかに敵の数が多くとも正面からの戦いなら俺にも分がある!
「まだです……まだ俺は何の戦果も得ていない……このまま生き恥を晒しておめおめとは帰れませんッ!」
俺は剣を握り、追手の部隊に対して向き直る。
「な……馬鹿な真似はよせ!」
此度の行軍……そもそも俺を太刀守にするために通常の陣形を変えてまで皆に後押ししてもらったのだ。
太刀守になる事はもう絶望的……だが、せめて死んだ師団長や仲間たちの仇を……少しでも晴らさないまま敵に背を向けるなど俺にはできん!
「こんなところで敵を何人か斬ったしてそれが何になる!それより生き延びる事に集中しろ!そうする事が死んだ仲間にも……む!?」
「止めないでください!俺は…」
「あ、危ない!」
先輩の声に振り返る……が、時既に遅し。
先回りしていであろう敵の伏兵が放った陰陽術──水行の氷柱がすぐ眼前に迫っていた。
そして、一瞬はやくそれに気付いた先輩は俺と陰陽術の攻撃の間に割って入り……
「ぐ……はッ!」
「せ……」
この瞬間、またしても俺は自分が最悪の選択をしてしまった事を知った。
「先輩ーッ!!」




