第9話 旅立ちの朝!
前回のあらすじ:ガンダブロウは帝に禁じられていた剣術を解禁し、御庭番十六忍衆の阿羅船牛鬼を撃破した!
牛鬼との戦いから一夜明けて──
早朝、俺は普段の仕事場に立っていた。
ここは見渡す限りの原野。一部エリアは野草を伐採した更地となっているものの、辺りはまだまだ刈り尽くせないほどの雑草が生い茂っている。
──もう、かれこれ5年か。
俺は5年もの間、この広大な原野で雑草を刈り続けていたのだ。帝に命じられて屈辱の中やらされていた仕事だが、今は多少なりとも愛着と責任感を感じていた。
「そこにいたんですか太刀守殿!」
澄んだ空気の中をこれまた澄んだ声が響く。
「おう、サシコ」
「もう出立の準備は済んでいるんですよね?」
「ああ」
俺は短くそう答えた。
5年の歳月を過ごしたこのオウマを俺は去る事に決めた。向かう先は遥か千里(約4000km)も南の首都ウラヴァ──目的はマシタ・アカネを兄キリサキ・カイトの居る場所へ連れて行く事。
「……本当に行ってしまわれるんですね」
「ああ、行く」
正直に言えば旅に出る理由はうまく答えられない。
誇りを取り戻すきっかけを与えてくれたアカネ殿への感謝、剣と誇りを奪い辺境の地での労役を命じた帝への意趣返し、大国へ抗い困難に向かう克己心、郷里への憧憬……
それら全てが理由であるような気もすれば、そうでないような気もする。あるいは長い苦役から解放されてただ各地を遊行したいだけなのかもしれない。
いずれにしても俺の動機を言葉にするのは難しい。
なんとなく──そう、「なんとなく」。
俺は「なんとなく」職場を放棄し「なんとなく」帝に反逆しているのだ。かつて太刀守とまで呼ばれた男が、なんといい加減な事であろうか。天下の村雨岩陀歩郎も落ちるところまで落ちたか。
だが、今はその「なんとなく」が俺にはとても心地よい。
このオウマに来た時点で既に落ちるところまで落ちているのだ。ならば落ちた谷底で、更に穴を掘って奈落の底を目指すのもまた一興だ。
「本当に……あたしを連れていってはくれないんですね?」
「ああ、ダメだ」
サシコは恨めしそうな顔で俺の方を見る。可哀想だが、ダメなものはダメである。
「やっと……やっと剣術も教えてもらえると思ったのに……」
「この旅は危険が大き過ぎるのだ。道中、牛鬼のような刺客は何度も襲って来るはずだ……手配が回れば親族にも影響が及ぶ。その様な事にはお前を巻き込みたくはない」
「……ウソだ」
「え?」
「本当はアカネさんと二人でやらしい事する気なんでしょ!」
「なっ!? ご、誤解だ!」
「太刀守殿がそんなドスケベ変態ザムライだったなんて知りませんでした! あたしみたいな都合のイイ女は切り捨てて、別の女を取っ替え引っ替えですか! 純朴な田舎娘をソノ気にさせて飽きたらポイだなんて…………罪な男ですよ、太刀守殿は!」
「な、ち、違っ……て何の話!?」
これでは俺はまるで痴情のもつれを取り繕うダメ男ではないか……こういう、断りづらい方向に話を持っていくのがサシコの得意技なのだ。だが、今回ばかりは何と言われても首を縦に振る訳にはいかない。
「ああっ、もう! とにかく! お前は故郷に帰るんだ! ご両親も心配しておろう!」
「…………うぅ」
「泣くなサシコ。この旅が終われば、また会う機会もあろう。剣術の指南はその時に改めてしようじゃないか」
「………………ホントに? ホントに次に会う時には必ず剣を教えてくれるんですか?」
「ああ、約束だ」
無論、生きて帰れればの話であるが……あえてその枕詞は使わなかった。
守れるアテのない約束を女と交わすのはそれこそダメ男なのかもしれなかったが、この口約束でサシコの泣き顔は随分と晴れやかになっていた。
「あ、いたいた! おーい!」
アカネ殿だ。登山着のような厚着にこれまた登山にでもいくかのような大きなリュック姿で、詰め所の方からこちらに向かって来るのが見えた。
「二人とも朝早いなぁ、起きたら詰め所にいないんで探し…………て、アラ? お邪魔でしたか?」
「いや別にそういうアレでは……」
「ふーん、怪しいなあ」
うっ、アカネ殿にまであらぬ誤解を……
旅の行程以外での変な悩みはごめん被りたいのだが……
「今日は何時に出発しますか? 朝ごはんは食べてきます? あっ、この辺で有名な場所とかあります? せっかくだから写真を撮っておこうと思って」
まったく……こちらは気を引き締めていた所だというのに、当の本人は旅行気分というのだから呑気なものである。
「すぐにでも出た方がいいだろうな」
そう、あまり名残惜しんでもいられない。牛鬼からの連絡が途絶えた事が分かればすぐに次の刺客がやってくるはずだ。
俺は踵をかえしつつも、途中まで伐採した原野をしげしげと眺めた。うむ、あまり意味がある作業とは思えなかったが、いざ辞めるとなると、何と言うか……
「ここって、ガンダブロウさんが整備した土地なんですよね」
ふいにアカネ殿が、口にした整備という言葉の響きに俺は驚いた。整備…………そうか、整備か。
今まで無駄だと思っていた仕事をまさかそんな風に表現されるなんて思いもよらなかった。その言葉で、5年間の自分が少しだけ報われたよう気がした。
「この仕事は君の兄上に命じられてやっていたんだ。ここの雑草を全て刈り尽くせとね……」
「兄貴がガンダブロウさんに?」
「ああ、エドンが戦に負けた折にな。太刀守の称号を草毟守に改名させられた上、俺は左遷されてこのような労役を……」
はっ、しまった。今のは少し嫌味だったな。兄への恨みつらみを妹であるアカネ殿に言ったところで、どうしようもないというのに……
「ふーん、何となく分かるなぁ。兄貴がガンダブロウさんに辛く当たった理由」
「……?」
「じゃあ、特にここの仕事に未練は無いって事ですよね」
「…………それが実のところ、自分でもよく分からないのだ。屈辱と共に強制された草刈りのはずなのに…………やはり一度始めた仕事を途中で投げ出すのは少し気掛りなんだ。バカげた話だろ?」
俺は何を言ってるんだか。せっかくここを去る決意を固めたというのに、旅立ちの爽快さに自分で水を差すような事を言って……アカネ殿にも面倒な男だと思われたに違いない。
「ふーん、真面目なんですね……そういうところも似てるんだなあ」
似てる? 似てるって……俺が? 一体誰に?
彼女の言葉に困惑していると、アカネ殿はさらに俺を困惑させる事を口にした。
「なら、最後までやってから行きましょうよ! その草刈り!」




