10、届け!愛のお弁当!(前編)
夜8時。あたしは瀟洒な白金のマンションの一室にいた。
あたしの隣でテレビを見ていた長身の人は、大きく伸びをすると、あたしに声を掛けた。
「それじゃ、そろそろヤルとするか?」
あたしもその人の方を見てうなずき
「そうですね、もういい時間ですし」
と答える。
その答えを聞いて長身の人は、モデルのように澱みなく立ち上がった。
あたしを見てニッコリ微笑む。
あたしも少し遅れて立ち上がった。
しかしあたしの身長は、その人の目線にも届かない。
顎のあたりに届くか届かないかだ。
な~んて言うと、ちょっと誤解を受けそうだが、別に怪しい場所にいる訳じゃない。
あたしが今いるのは、セブン・シスターズの一人・咲藤ミランの家なのだ。
咲藤ミランは港区白金にある3LDKのマンションに一人で住んでいる。
と言っても、両親は同じマンションの別フロアにいるのだが。
ちなみに彼女には三歳年下の妹がいて、その妹も同じマンションで別の部屋に一人暮らしをしているらしい。
なんて羨ましいんだ。
あたしが咲藤ミランの部屋にいる理由。
それは女子陸上部の合宿に乱入した時、
帰りに「料理を教えて欲しい」と彼女に言われたためだ。
あの時の約束を果たすため、今日は彼女の家に泊めてもらう事となった。
なぜ今日なのか?
それもちゃんと理由がある。
明日が『あの赤御門凛音様の誕生日であらせられる』からだ。
愛する男の誕生日、女子なら是が非でも、相手の心に残る手料理を作りたい。
そこであたしにお呼びがかかる事になった。
もちろん、あたしが断る訳がない。
あたしは快くOKした。
そしてここまで咲藤ミランは4連続で、
赤御門様と一緒にお弁当を食べる事に成功している。
だが赤御門様は、特定の女子をえこひいきしないように、
ある程度は順番に弁当を食べる女子を変えているらしい。
そろそろ別の女子の弁当を選ぶ頃だ。
だが明日は赤御門様の誕生日とあっては、他女子に譲る訳には行かない。
ここ一番の力作弁当を作って、咲藤ミランの本当の気持ちを、赤御門様にアピールする時だ。
ちなみに今まで四連勝出来たのも、ちゃんと理由がある。
赤御門様と同じバスケ部の、兵太とおしゃべり先輩(女子陸上部副部長・斉藤カノンと同じクラス。あたしの好みじゃないので、名前は憶えていない)に、赤御門先輩が何を食べたいか、事前に聞き出して貰っていたのだ。
ところが今回の注文は難しかった。
赤御門先輩が出した要望は
「たまには弁当だけじゃなく、温かいモノが食べたい」
と言う事だったのだ。
『弁当に温かいもの!』
この難問に、当然あたし達は頭を悩まされた。
弁当なんだから、レンジで温めない限り、冷たいに決まっている。
斉藤カノンは
「学食のレンジで温めればいいんじゃない?」
と言っていたが、あたしは反対だった。
レンジの温め方って、不自然だ。
しかも一緒に入っているサラダだろうが、酢の物だろうが、漬物だろうが、同じように温めてしまう。
そしてご飯は異様に熱くなる。
料理には、それぞれ適度な温度というものがある。
『真に美味しい弁当』を目指す者としては、電子レンジは邪道なのだ。
兵太は
「米軍や自衛隊の食料に、水を入れれば温められる非常食があるって言うけど」
と言ったが、そんなものがどこで手に入るのか?
(それ以前にお弁当として軍用非常食が出てきたら、赤御門先輩がたまげると思う)
だが『弁当に温かいもの!』、
このスフィンクスの問いかけにも匹敵するような難問に対し、ついにあたしは一つの答えを出した。
それは『鯛めし』だ。
鯛めし自体は冷たい。
おかずも冷たくならざるを得ないだろう。
だが保温ポットに『鯛の出し汁』を入れて、
最後を『鯛茶漬け』にして食べられるようにしたら、どうだろう?
食事のシメが温かい鯛茶漬けなら、『弁当に温かいもの!』をクリアしているんじゃないか?
これからあたしをオイディプスと呼んでくれ。
この案には咲藤ミランも賛成してくれた。
この日のお弁当は、以下に決定した。
メインは鯛めし。
鯛は切り身じゃなく、一匹丸ごとを使う。
まずは頭付きの鯛をウロコだけ落とし、切れ目を入れて軽く塩を振る。
そのまま丸ごとオーブンでじっくり焼く。
焼きあがった鯛から身だけを丁寧に取り、頭と骨と皮と全てを使って鍋で煮て、鯛のダシを取る。
鯛のダシをきれいな布巾で裏ごしし、濁りや余分なゴミを取ったら、
醤油・酒・砂糖で味を付け、この出し汁でご飯を炊く。
鯛の自然な旨味を活かすために、味は薄目にする。
炊きあがったら、鯛の身と刻んだ三つ葉と白ゴマを混ぜれば完成だ。
残った鯛の出し汁(最初の取り分けておき、味が付いていないもの)は、塩と刻んだ万能ネジを入れる。
お茶漬けにする時、ワサビを好きな量だけ入れて、出し汁を掛けるためだ。
こちらはお茶漬け用なので、味付けを少しだけ強めにする。
おかずの方は、筑前煮と出汁巻き卵焼き、ダイコンとニンジンとドライマンゴーの酢の物だ。
これだけだと男子高校生にはタンパク質が足りないので、スペアリブの燻製を付ける。
スペアリブは事前に一昼夜、醤油とオレンジジュースを半々にし、鷹の爪を入れた漬け汁に漬けておく。
取り出したらグリルで最初は強火、後から弱火でじっくりと焼く。
焼き終わったらスペアリブを丁寧に骨から外す。
お弁当では骨があるものは食べにくい。
再度、水分を飛ばすようにフライパンで軽く火を入れ、冷えたら筋肉の繊維を断ち切るようにスライスする。
これで小さなハムのように食べられるスペアリブの手抜き燻製が出来上がる。
後からお茶漬けに入れるために、小さく切った海苔と擦ったワサビを添えれば、お弁当は完成!
すでに時刻は午前4時だ。
途中で交代で仮眠は取ったが、ほぼ徹夜となっている。
「すまなかったな、天辺。こんな時間まで付き合わせてしまって」
咲藤ミランが申し訳なさそうな顔をしたが、あたしは首を左右に振った。
「そんなこと無いです。一緒にこうやって料理を作って、楽しかったですよ。そんな顔しないで下さい」
これは本心だ。
この前の学園祭もそうだったが、人と一緒におしゃべりしながら料理を作るって、けっこう楽しい。
ハマッてしまいそうだ。
今後、一人で弁当を作る気になるか、心配なくらいだ。
「そう言ってくれると助かるよ。それにこの弁当だって、天辺の協力が無ければ、とてもじゃないが作れなかった。あたしが男だったら、絶対に美園を嫁にするな」
彼女はそう言いながら、弁当とは違うものを可愛い小箱に入れ始めた。
「そんな事、気にしないで下さい。ところでそれは何を入れているんですか?」
「これは・・・あたしが作ったクッキーなんだ。と言っても、作ったのはこれで二回目なんだ。だから味はそれなり、って所かな」
彼女は少し照れながら笑った。
「誕生日ですもんね。クッキーのプレゼントって喜ぶと思います。一回目は?」
「中三のバレンタイン。凛音に渡したんだ。言葉では言えなくてな」
咲藤は小箱のラッピングを終えると、それをじっと見つめる。
「メッセージも何も入れていなかったし、入試の直前だったから、何の返事も無かったけど・・・」
その横顔を見て、あたしは心底思った。
彼女の、咲藤ミランの三年越しの想いを、何とか赤御門様に届けたい、と。
その後、仮眠を取ったあたし達は、朝は咲藤ミランの乗る運転手付きアルファードで学校に行った。
「じゃあ十二時に、図書室前で!」
あたしがそう言うと、咲藤ミランも笑って右手を挙げた。
この続きは、明日7月5日(金)に投稿予定です。




