3、パン売り競争、勃発(その4)
その後、あたしは厨房の職人さんに聞いて回り、現在売られているパンやケーキの原材料を調べた。
それらをメモしていく。
だが予想したより、これは難しかった。
例えば焼きそばパン。これは卵は使っていないと思われるが、麺に使われている可能性があるし、マヨネーズで卵が使われている。
特に「お洒落系」で売っているこの店では、卵や牛乳を使っていない商品は、極めて稀だ。
しかしこのパン屋は「日々何点かは、新作のパンとケーキを売り出す」というポリシーを持っていた。
あたしの話を聞いた調理長が
「そういう需要もあるかもな」と言う事で、
翌日から卵抜き・牛乳抜きのパン生地を実験的に作ってみると言ってくれたのだ。
店長は「これで売れてくれれば、原料費が減って大助かりなんだがな」と笑っていた。
翌日から、あたしはパン選びで迷っていそうな人に積極的に声を掛けた。
あたしのターゲットは、まずは小さい子を連れたお母さん。
けっこうな数でアレルギーに悩んでいる母親は多かった。
卵、牛乳、魚介類、小麦、大豆・・・中には変わった所でメロンなどのフルーツ系がダメな子供もいた。
また高齢者の中にも、一部の食材にアレルギーを持っている人がいた。
次にダイエットに気を使っている女性。
細かく「これは何カロリー?」と聞いてくる。これらも事前に調べておいたので、大体が答えられた。
最後は外国人。
渋谷は外国人が多い。
「牛がダメ」「豚がダメ」は聞いた事があるが、「魚がダメ」は初めて聞いた!(どうやら一部の魚らしいが)
手間はかかるが、顧客から聞かれた事を厨房に確認に行き、それらをメモにまとめる。
するとあたしの売上も徐々に上がって行った。
中には「あたしから指名買い」してくれるお客さんも出て来るようになった。
特にアレルギーを持つ親子は、まずあたしに「今日のお薦めはどれ?」と聞いてくれる。
いつの間にか、あたしの後ろにくっついている子までいた。
こうなってくると、バイトもやりがいがあって、けっこう楽しい。
こうして二週間が過ぎた。
そして渋水との勝負の決着をつける日が来た。
閉店後、その日にシフトが入っていた女子社員とアルバイトは、ほぼ全員が揃っていた。
シフトが入っていない人でも、わざわざ閉店後にやって来た人もいるくらいだ。
渋水が自分の給与明細を見る。
このお店は、売上額によって働いた分の時給以外に報奨金が出るのだ。
「わたしの売上、162万4430円!」
渋水は自信を持って、そう言い放った。
周囲からは「おお」とか「マジで」という驚嘆の声が聞こえる。
「さ、あんたの番よ」
渋水はそう言った。
あたしも給与明細をポケットから出し、売上額を読み上げた。
「あたしの売上、104万360円」
今度は周囲から「あ~」とか「やっぱり」とため息交じりの声が漏れる。
渋水は勝ち誇った顔で、あたしに近寄って来る。
「さぁ約束だからね。アンタには今日でここを辞めてもらう。明日から二度と来ないで!」
あたしは淡々とした目で、渋水を見た。
覚悟はしていた。売上額で負けているのは、明細を見るまでもなく判っていたから。
あたしなりに工夫をしてやってみて、負けたのだから、仕方がない。
ただせっかくあたしにお客さんも付いてくれて、仕事に面白みを感じていた点だけが、心残りだった。
だがそこで声を上げてくれた人がいた。
「ちょっと待って。その判定には異議がある!」
あたし達に仕事を教えてくれた、女子大生の先輩・飯倉さんだ。
「確かに売上額では渋水さんの方が上だった。だけど天辺さんは『アレルギーの人に考慮した新しい商品』の開発に貢献してくれた。結果的に店としては、新しいお客様を開拓できた事になる。あたし達も天辺さんの商品のお陰で売上が上がったしね。トータルで考えたら、天辺さんの売上貢献度は大きいんじゃないかしら」
周囲からも
「うん、そうだよね」
「天辺さんのお陰で新しいお客が増えたものね」
「入って僅か二週間でここまで出来るなんて、凄い事だよ」
とあたしを擁護する声が出ていた。
「なっ!」
渋水が声を詰まらせて絶句した。
怒りのあまり、顔色が赤を通り越して青ざめて見える。
「天辺さん、あなたが辞める事はないわ。それを決めるのは渋水さんじゃなく、店長なんだから」
飯倉さんが、そう言ってくれる。
渋水はしばらく彼女を睨みつけていた。
やがて視線をあたしの方に向ける。
「相変わらず、実力が無くても上の人に取り入るのは上手いのね。いつの間にかこんな味方を作っちゃって」
そして渋水は腕組みするとこう言った。
「いいわ。残りたければ残れば。代わりにわたしが辞める。あんたと一緒にはこれ以上一緒に居られないの。特に勝負の約束も守れないような人間とはね」
それを聞いて、あたしは静かに首を左右に振った。
「いいよ。約束だから、あたしが辞めるよ。あなたは残って」
そう言うとあたしは、飯倉さんを始め、他の女性社員・バイトの人に頭を下げた。
「短い間でしたけど、今までありがとうございました。初めてのバイト経験でしたが、皆さんのお陰で楽しかったです。貴重な体験ができました」
それだけ言うと、あたしはロッカー室に向かった。
「待って、美園!あたしも辞める!」
七海が後を追いかけて来た。
着替え終わった制服を返却するために、二階の事務室に行く。店長の所だ。
「そうか、やっぱり辞めるのか・・・天辺さんは良くやってくれたんだがなぁ」
店長は制服を受け取りながら、残念そうに言ってくれた。
「わがまま言って申し訳ありません。貴重な経験をありがとうございました」
あたしは丁寧に頭を下げた。
店長から見たら
「我儘な女子高生二人がケンカをして、片方が辞めると言っている」としか見えないだろう。
店長は引き出しから封筒を取り出して、あたしに差し出した。
「少ないけど、これ」
あたしは怪訝な顔で封筒を受け取る。
「ボーナスだよ。天辺さんは厨房のみんなにも信頼されていたし。これで辞められるのは、ウチとしても惜しいんだ。またほとぼりが冷めたら戻って来てよ」
こういう風に、自分が考えてやった事を他人に評価して貰えるのは、本当にありがたい。
あたしも渋水が居なくなったら、もう一度このお店で働いてもいいかな、と思った。
「ありがとうございます」
あたしはもう一度、頭を下げた。
店を出たあたしに、七海が聞いた。
「ねー、これでバイト辞めちゃったけど、どうする?夏休みはまだ長いよ」
あたしはさっき貰った封筒の中身を、既に確認していた。
バイト代と合わせると、当初の目的額は達成していた。
「いやぁ、あたしはしばらくバイトはいいわ。精神的にも疲れたしね。やっぱり暑い夏はクーラーの効いた家でゴロゴロするに限るよ」
「え~、ちょっと、そりゃないよぉ。もっと探そうよ、バイト!あたし、お金欲しいよ」
七海がそう言うのを、あたしはヘラヘラ笑いながら聞いていた。
後日・・・あたしは母親と一緒に渋谷のデパ地下で食材を買いに来ている時だ。
「あ、パン屋のおねーちゃんだ!」
明るい男の子の声が聞こえた。
声のする方を見ると、「ラ・フォレット」によく買いに来ていた男の子と、その母親だった。
その男の子もアレルギー持ちだ。
「あらぁ、最近お店にいないみたいだけど、どうしたんですか?」
母親があたしにそう聞いて来た。
「あ、ちょっと事情があって・・・バイトを辞めちゃったんです」
「そうなんですか。あなたが居てくれたお陰で、原材料がわかってとっても良かったのに・・・」
男の子は気付いたら、あたしのスカートを引っ張っている。
あたしは苦笑いしながら答えた。
「でもあのお店では、今は色々とアレルギーに配慮したパンも作っていますし、他の店員さんも原料を答えてくれるはずです」
「そうだけど・・・でもあなたが来てから、そうなったから。やっぱりあなたに居て欲しかったわ」
そう言うと母親は男の子の手を引っ張って「行くわよ」と声を掛けた。
男の子はあたしに「またね」と手を振ってくれた。母親も会釈してくれる。
あたしは別に子供が好きって訳じゃない。(嫌いじゃないよ)
あのパン屋での事も、渋水との勝負があったから、必要に迫られて考えてやった事だ。
善意でやっていた訳じゃない。むしろ打算的だ。
それでも、こうして誰かに感謝され、認めて貰えたのは嬉しかった。
今では、あのパン屋で働いた事は、とっても良かったと思っている。
この続きは、6月8日(土)朝7時頃、投稿予定です。




