3、パン売り競争、勃発(その3)
「お客様~、こちらの『ずんだ餡&ホイップ』も美味しいですよぉ~」
渋水の甘ったる~い声が店内に響く。
「いやぁ、さすがにパン5つも食べられないよ」
言われたサラリーマンは満更でもない表情で、微妙に拒否る。
「大丈夫ですよぉ。後でも小腹が空いた時に食べられますからぁ。時間が経っても美味しいんですよ!」
最後に『ハートマーク』が付きそうな、甘ったるい喋り方だ。
渋水の本性を知っているあたしとしては、正直「オエッ!」って感じだ。
「リホちゃんに言われたんじゃ、買わない訳には行かないか」
そう言ってサラリーマンは、鼻の下をデレデレ伸ばしながら
『ずんだ餡&ホイップパン、220円』をトレイに入れた。
「ありがとうございま~す!」
渋水の勝利宣言のような声が轟く。
って、おまえはキャバ嬢か?
(正直言って渋水には、パン屋の店員よりキャバ嬢の方が向いていると思う)
イートインのお客さんが、渋水に声を掛けた。
「リホちゃん。コッチにもコーヒー追加で!」
五十代くらいの男性が、渋水にオーダーを頼む。
「ハァ~イ。いま行きま~す」
追加オーダー、アイスコーヒー380円だ。
「リホちゃんは本当に可愛いねぇ。彼氏とかいるの?」
五十代オッサンが聞いている。
「え~、まだいませんよぉ。高校生ですからぁ」
「じゃあ、今度オジサンとデートしない?リホちゃんなら、何でも奢っちゃうよ!」
ま、マジか?マジなのか?オッサン。
きっとあんたの娘より歳下だぞ。
「じゃあこの店の商品全部買ってくれたら考えますぅ」
渋水は”肩紐で挟まれたブラウスの胸部分”を突き出すようにして、笑って躱す。
いや、おまえはマジでキャバ嬢になれよ。その方が絶対に成功するぞ。
とは言うものの、渋水の売上は確かに凄かった。
朝九時半の開店から入っているが(その前の掃除はやらなかった)、
来る客、来る客にビシバシ売り上げて行く。
お客がトレイに持って来たパンに、必ず1~2個は追加で薦めている。
そしてここのイートインは小洒落た喫茶店になっているのだが、そのお客にもほぼ追加で何かを買わせている。
もっとも渋水が商品を薦めるのは、男性客に限られているが。
奴の神通力は、男性専用なのだ。
それにしても、女子高生に弱い男って、こんなにたくさんいるんだなぁ。
改めて実感した。
「いやぁ、気合入ってるね、彼女」
女子大生の先輩・飯倉さんがそう言った。彼女も圧倒されている。
今は午後二時だが、渋水の売上は既に十万円近い。
ここは「店員がお客様に接客してパンやケーキを売るシステム」なのだ。
よって接客した販売員の売上が一目でわかる。
対してあたしの売上は、まだ二万円も行かないだろう。
店長が「バイト代の十倍は売って欲しい」と言っていたが、それもクリアするのは難しそうだ。
七海がため息をついた。
「どうすんのよ、このままじゃ負けは確定じゃん。美園、本当に辞める気なの?」
あたしは言葉を探した。
確かにこのままじゃ、あたしが渋水に勝つ可能性はゼロだ。
彼女は既に固定客を掴んでいる上に、男を転がす術を身に着けている。
おそらくそれは天性のものだろう。
飯倉さんが宥めるように言った。
「ま、まぁ、彼女に負けたからって、天辺さんがここを辞める必要はないわよ。渋水さんに誰かを辞めさせる権利なんて無いんだから」
だがそう言う彼女の声も、少しどもっている。
あたし自身も、勝負に負けたら潔くここを辞めるつもりだ。
それに勝者となった渋水は、どんな手を使ってでも、あたしを辞めるように仕向けるだろう。
午後三時過ぎ。お昼のピークも過ぎて、店内は一段落した。
店内に幼稚園帰りらしい男の子を連れた母親が入って来た。
「ママぁ、おなか空いた。このパン、食べたい」
男の子はそう言ってカスタードプリンのパンを指さした。
すると母親は少し困ったような感じで
「りっくん、卵のあるパン食べると、またカイカイが出ちゃうでしょ。これは我慢しようね」
と子供を諭す。
「じゃあ何ならいいの?」
男の子がそう聞いて、母親は陳列棚に目を走らせた。
だがこのパン屋はお洒落系の店なので、あまり原材料や食材などについて書いていない。
母親はたまたま近くにいたあたしに聞いて来た。
「すみません、卵も小麦も使っていないパンはありますか?」
あたしは言葉に詰まった。
パンって普通は小麦から作るだろう。
それに今のパンは、大抵は牛乳と卵は使っている。
卵も小麦もダメなら、パン屋に入るのは母親の選択ミスではないか?
だがそう思いつつも、ウチの母親も食べ物に気を使っていた事を思い出す。
姉にアトピーがあるせいだ。あたしも小さい頃は、卵を食べると肘の裏や首が痒くなる時があった。
その時、ふっと「和風さくらあんぱん」だけは、米粉と小豆だけで作っているような気がした。
「ちょっと確認して来ます」
あたしは奥の厨房に向かった。
厨房の人に聞くと、やはり和風さくらあんぱんは、米粉と小豆だけだそうだ。
あたしは早速、先ほどの親子にこの事を告げた。
「良かった。じゃあその『和風さくらあんぱん』を下さい」
それ以外にも母親は、本来このお店に来た目的らしい「フルーツゼリー」八個を買ってくれた。
「ありがとうございました」
あたしは何となく満足感を感じた。
別に特別いい事をした訳じゃない。
ただ単にバイトとして、客の要求に答えただけだ。
でもあの母親と男の子は、満足そうな表情をしてくれた。
そうだ、あたしに渋水理穂みたいなマネは出来ない。
だがここには多くの子連れ客もやってくる。
あたしは、こっちで勝負すべきじゃないか?
この続きは、6月7日(金)の朝7時頃、投稿予定です。




