23話
森を進む俺の歩調は重かった。身体能力にものを言わせて高速で進んではクーデルカに不審がられるという理由もあるが、精神的重圧が主を占める。
これは危険すぎる賭けだ。我が身の安全を第一に考えるなら魔剣を誰かの手に渡すなど、絶対にしてはならない行為。
逆に言えば、俺はその危険を冒してまでする価値がこの賭けにはあると思っている。
クーデルカは仲間だ。アンデッドとなり価値観が変化してしまった俺は、殺人に対する抵抗感も薄れてしまった。それでも、吸血鬼の同族に対する和合心はある。いや、種族が変わったからこそ得た感覚なのかもしれない。
それくらい彼女を信用している。でなければ、どうしてこんな危険を冒してまで真意を知りたいと思うだろうか。だからこそ辛くもあった。信用と同じくらい疑ってもいるのだ。二つの感情は不思議と潰しあわずに共存していた。
魔剣は彼女の本心を引きずり出す。俺への忠誠は見せかけだけの偽りであって、力を手入れれば俺から離れていくだろう。
クーデルカなら大丈夫。きっと、魔剣の力を得ても俺のそばにいてくれる。事が終われば魔剣を返してくれるはずだ。
どちらが真実なのか、自分で決めることはできなかった。試さずにはいられなかった。そう言う意味では、やはり俺はクーデルカを信じ切れていない。疑念の方が強いのだろう。
クーデルカと過ごした時間は短い。たった数日の交流で彼女の全てを知ることはできない。それはクーデルカの側からしても同じことだ。この作戦は、もっと彼女との信頼関係を築いてから行うべきだったのではないかと後悔する。
後悔と罪悪感、頼むから俺を見捨てないでくれという懇願の念が入り混じり、俺の足取りを重くさせる。森の奥から知った声がかすかに聞こえてくる。
「――――――あ――――す――」
全てが終わったら、謝ろう。この試練を乗り越えれば、本当の意味で俺たちは仲間になれる。
「――あは――――ざまな――」
良い子なんだ。俺が魔物を仕留めると、手放しの称賛を送ってくれた。我がことのように喜んでくれた。この世界で、初めて俺のことを認めてくれた人なんだ。「魔剣の所持者」としての俺ではなく、ただ「吸血屍人である俺」のことを。だから、
「――よくも吸血屍人の分際で、私のことをこき使ってくれましたね? でも、屈辱的な時間はもう終わりです。これからは私が楽しむ番! ふふふ……身の程知らずの下級アンデッドはそうやって地に這いつくばるのがお似合いですよ?」
俺は木陰の隙間から答えを見た。
魔剣を手にしたクーデルカが、丸腰でうずくまる俺を見下していた。泥で汚れた外套を盾に、亀のごとくうずくまるその姿は、昼間のクーデルカを連想させる。太陽という決して敵わない存在に対する防衛行動。どちらが強者でどちらが弱者か言うまでもなかった。
クーデルカは裏切ったのだ。怒りが込み上げてきた。俺は受領箱を出現させる。
コピー俺がクーデルカに渡した魔剣は、“オリジナル俺の傲慢剣”だ。つまり、俺が受領箱を使って転送すれば彼女からすぐにでも魔剣を回収できるのである。俺はリストをタップする。しようとした。
『相手の武器を盗んではならない』
「うッ!」
頭の中に警告が走った。とっさに指を引っ込める。今のは何だ。
「……なるほど、『決闘化』が働いたか」
魔剣の所持者であるクーデルカを守るルールが発動している。こんな形で邪魔されるとは思わなかったが……想定内だ。俺の腰には傲慢剣が装備されている。これはコピーで作り出した方の傲慢剣だ。たとえ魔剣を奪えずとも、実力でねじ伏せればいい。
俺は剣の鯉口に手を添える。
木の陰に身を隠しながら、攻撃の機会をうかがった。クーデルカからしてみればこちらの存在には気づいているだろうが、獣か何かが身をひそめているようにしか思っていないだろう。まさかもう一人の俺が隠れているとは思うまい。
思ったよりも葛藤はなかった。クーデルカの本心を知った俺は、すぐに事実を受け入れていた。剣を奪う前提であったため最初は殺すつもりはなかったのだが、こうなれば手加減できない。俺は明確な害意をもって彼女を見据える。怒りが行動を後押ししているのかもしれない。とにかく、剣を抜くことに躊躇はない。もう奴は、仲間ではない。
敵を斬る。その一念のみ。いかにクーデルカの反能力が魔剣で強化されていようと、いかに傲慢剣が認識を越えるほどの剣速を有していようと、条件はこちらも同じだ。先手を取った方が勝つ。俺は決殺の不意打ちを抜き放つ――――
「『我が名はエン! 騎士の高潔なる魂とこの剣にかけて! 貴殿に決闘を申し込む!』」
俺は木の陰から飛び出し、クーデルカの前に姿をさらした上で高らかに宣言した。
沈黙が周囲を包み込む。俺は傲慢剣を持ち上げ、天を衝くような姿勢のまま身動きが取れなくなる。
何が起きている。俺は必死に頭を巡らせた。そして気づく。クーデルカは今、傲慢剣パロマイティの所持者だ。その彼女に対して攻撃を仕掛ける者は、魔剣の能力である『決闘化』の影響を受けることになる。だから不意打ちを仕掛けようとした俺はその行動をキャンセルして、宣戦布告を行ったのだ。
あああああああああああああああああああ!! 俺のばかあああああああああああああああああああああ!!
何で気づかなかった。俺は棒立ち状態で動けない。クーデルカがこの隙を見逃すはずがなかった。すぐに構えを取る。まずい、斬られる!
「『我が名はクーデルカ! 騎士の高潔なる魂とこの剣にかけて! 貴殿に決闘を申し込む!』」
そうだった、俺も傲慢剣を持っていた! 互いに『決闘化』のルールを押しつけ合った結果、対等の条件もとに決闘が成立してしまう。
身体の硬直が解けた。天を衝くポーズから解放された俺は素早く剣を構え直す。クーデルカも同じく剣を構えた。
「……」
「……」
睨み合う。クーデルカの表情に余裕はない。俺が二人いるという意味不明の状況を前に落ちついていられるはずがない。
対して、俺も自分の顔が盛大に引きつっている自覚があった。こんなはずじゃなかった。怒りの感情はすっかりなりをひそめ、焦りばかりが湧き起こる。剣を持つ手は汗でぬるぬるだった。
しかし、まだ俺の優位が覆ったわけではない。そう、俺には秘策がある。この場には俺の味方が残されている。
コピー俺だ。クーデルカに剣を渡した直後に問答無用でコピー俺が殺されてしまう可能性も大いにあったが、幸いなことにまだ健在である。コピー俺生存の場合のプランも、事前に織り込み済みである。
コピー俺は外套を振り払って起き上がった。その手には傲慢剣パロマイティが握られている。余裕があれば、バレないように外套の後ろに隠し持つよう指示していたのだ。コピー俺にはあらかじめ、傲慢剣を二本持たせていた。
クーデルカが驚きの表情でコピー俺を一瞥する。残念だったな。これで戦況は二対一。いや、ベルタも含めれば二対二か。これで俺チームの勝利は不動のものとなる。さあ、俺が牽制している間にやってしまえ、コピー俺!
「えっ、あれっ!?」
どうしたコピー俺。何を手間取っている。さっさと助太刀を……ん? 助太刀?
そう言えば、『決闘化』のルールの中に、第三者の介入を封じる制約があったような……
ああああああああああああああああああああ!! 俺のばかばかばかあああああああああああああああああああ!!
泣きそうになる。もうこうなれば、ガチンコ対決するより他にない。
「……」
「……」
互いが隙を探るように見つめ合う。夜は静かになった。虫の声も木々のざわめきも聞こえない。否、そういった雑音に意識が向けられなくなるほど敵の一挙一動に集中していた。
この魔剣には『抜く』という挙動がいらない。手のわずかな力み、そのスイッチに反応して斬撃を終える。銃の引き金を引くよりも容易く攻撃を放つことができる。
俺たちは無言で対峙した。時さえ止まったように感じる月光の下で、静かな殺意が互いの心に満ちていく。その水が器からこぼれるという瞬間、どちらが先と判別のつかない剣閃が走った。




