2話 「ご主人様は…」
変態です
気がつくと、俺は硬い床の上に座り込んでいた。何が起きたのか理解が追い付かず、ゆっくりと周囲を見渡す。そこは明かりがほとんどない薄暗い部屋だった。
「やあお目覚めかい、小さなプリンセス」
聞き覚えのない声がかけられる。目を凝らしてそちらを見ると、一人の男が椅子に腰かけて俺を見降ろしていた。豪華な装飾が施されたマントを身に付けた若い男だ。金髪碧眼、顔立ちは外人のそれである。古めかしい西洋貴族のコスプレみたいな衣装を着ていた。
この暗い部屋の中で、意外と鮮明に容姿を確認できたことに驚く。明かりがないのに、見ようと思えばなんとなく視界が確保できた。
目の前の男の顔は笑顔だった。全く気は休まりそうにない。ぞっとするほど不気味な笑みを浮かべている。
「これは、いったい……?」
如何を問う俺の声は、自分のものとは思えないくらい甲高かった。まるで小さな女の子のようだ。裏声でもこんな声は出ない。
そして自分の姿を確認して絶句した。少女のよう、どころの話ではない。俺の体は少女そのものになっていた。
「なんじゃこりゃああ!?」
一糸まとわず、生まれたままの姿をさらしている。わずかに膨らんだ胸、あるべきものがなくなった股間の違和感、肌の柔らかさからして男とは違う。顔は確認できないが、髪は肩にかかるくらいの長さになっている。海原のような群青色だった。
「おや? 意外な反応をするね。まだ人間だった頃の記憶でも残っているのか。生まれたばかりだというのに、もう自我があるようだ」
男が不気味にクツクツと笑う。というか、今の発言はものすごく不穏だ。気がついたら体が少女に変化しているという驚愕的事実に直面しているというのに、これ以上こちらを混乱させるようなことは言わないでほしい。
とにかく記憶を整理しよう。俺はここに至るまでの経緯を思い出す。
「……え……あれ……?」
だが、おかしなことに具体的なことが何も思い出せない。経緯どころか、自分の名前を思い浮かべるのも危ういレベルだった。必死に記憶の糸を手繰り寄せた結果、意識を失う直前の行動をうっすらと思い出す。
確か、田舎の祖父と電話をしていた気がする。そこからの記憶が途切れている。急に体が重くなり、ベッドに横たわり、そのまま……意識を失うように眠りについた。
「俺は……あの後どうなったんだ?」
「君は死んだんだよ。そして、よみがえったのだ。この僕の力でね」
全く状況がつかめないが、目の前の男が何らかの形で関係していることは間違いない。こいつは一体誰なんだ。
「落ちついたかい? では改めて自己紹介しようか。僕はこの居城の主、ヴァイデン。真祖の末席に名を連ねる吸血鬼さ」
吸血鬼。ファンタジーな単語が飛び出してくる。これがただの痛いコスプレ野郎の妄言だったなら一笑に伏していたところだろうが、どうにも状況がそんな楽観を許してくれない。とりあえず、この男の危険性がわからない以上、あまり刺激するような発言は控えるべきか。
「ど、どうもはじめまして。俺は円と言います、たぶん」
「驚いたなぁ。自分の名前まで覚えているのかい? 記憶保護の術式は一切組み込んでいないはずなんだけど」
「あの、色々とわからないことだらけなんですが、何がどうなっているんでしょうか……」
「簡単に説明すると、君は僕の眷属になった」
簡単な説明では全くわからなかったので詳細な説明を求める。それをまとめると以下の通り。
ヴァイデンは新しい人間の奴隷が欲しかった。だから部下に丁度いい人間を拉致ってくるように命じる。そしてつい先ほど、美しい少女がここに運び込まれた。だが、その少女は激しい抵抗を試みたために傷つき、既に死んでいた。しょうがないんで、その死体を使ってアンデッドを作る。
それが今の俺、ということらしい。うん、思いっきり犯罪者だね。
ひとまず、ヴァイデンの異常性はさておき、だいぶ俺の持つ記憶とは食い違う経緯であった。だが、俺はなんとなく察しがつき始めていた。これはもしやネット小説でよくある「異世界転移系」の展開ではなかろうか。現実世界で死んだ俺の魂が、異世界に渡ってそこで生を受けたとかそういうやつ。
この場合は輪廻転生として異世界で新たな命を得たわけではなく、異世界の住人の体に俺の魂が憑依してしまったのではないだろうか。いわゆる憑依系。状況を見るに、意図的に俺の魂が呼び出されたわけではないようだ。たまたまこの少女の死体に入り込み、アンデッドとしてよみがえった……
自分で言ってて何を馬鹿なと思いはするが、仮にその予想が外れていたとしても、人知を越えた不思議な出来事に見舞われていることに変わりはない。とりあえず、今は異世界転移ということで納得しておこう。
「え、ということは、今の俺って吸血鬼なんですか?」
「そうだね。まあ下級だけど」
現金なもので、異世界転移系だと思うと好奇心がむくむくと膨らんでいく。やはり異世界と言えばチート能力で無双するのが醍醐味というものだ。俺にも何らかの特別な力が備わっているのではないかと期待してしまう。
「ステータスとか見れないんですか!?」
「わかるよ。ちょっと調べてみようか」
ヴァイデンが椅子から立ち上がり、こちらへ近づいてくる。見た目は優男で体格は普通なのだが、背丈があるので萎縮してしまう。それでなくてもこいつは鬼畜犯罪者だ。今の俺の体はかなり幼くなっているせいで余計に怖い。
しかし逃げるわけにもいかないのでじっとしていると、ヴァイデンは俺の額に指を三本当てた。ぼんやりとその指先に力の流れがあるように感じる。魔力だろうか。俺のステータスを読みとっているのだろう。
数秒の後、彼は俺の額から指を放し、おもむろにその手で指パッチンをした。何もない空中に突如、青白い光の文字が浮かび上がる。今さらのことだが、俺は異世界の言葉がわかるらしい。普通に会話ができているし、光の文字も読み取ることができた。
――――
名前:エン
種族:吸血屍人(LV.1)
適性:受取人(LV.1)
生命力:6/6
魔力 :4/4
筋力 :2
精神力:2
反応力:1
スキル:【再生強化】【闇の者】【受領箱】
状態:隷属
――――
「おおっ! すっ……」
すごい、か? いや、しょぼい。明らかに弱いぞこれ!? なんだこのステータスの低さは。