19話
「川だ」
ちょろちょろと流れる水音をたどる。森を分かつように岩場の道ができていた。水量は減っているが、まだ水の流れがある。この川を下って行けば最短距離で森を抜けられるようだ。しかし、人間の生活圏にぶつかる道筋でもある。
「人間の集落ですか。略奪しますか? いたいけな少年の(自主規制)などいただければ最高なんですが」
「待ちなさい、まずはエン様に捧げる美しい処女の血を確保することが先決です」
いや、要りません。確かに魔物の血を見たときにちょっとおいしそうかなー?と、思うときはあるが、特別飲みたいとは思わなかった。どうやら吸血鬼といえども一般アンデッドと紙一重の俺は、吸血衝動が薄いようだ。【吸血】スキルも持っていない。ほんとに吸血鬼を名乗っていいですかね?
幼女三人で処女の血だの少年の(自主規制)だのと物騒な会話を繰り広げる。改めて俺たち人間ではないんだなと気づかされた。
「さて、今後のことを話し合うのも大切だが、今はもっと重要なことがある」
「なんでしょうか……?」
「せっかく川に来たんだから水浴びするんだ!」
アンデッドの体は運動したからと言って汗はかかない(心理的要因で冷や汗などをかいたりはする)。だから歩き詰めでも汗臭くなったりはしない。だが、森の中を歩けば泥や土埃なんかは当然くっつくので汚れないわけではない。水浴びしたい気持ちは嘘ではない。
まあそれは建前で、実際は一人になる時間が欲しかった。旅の最中、俺たちはずっと行動を共にしていた。別にトイレなどに行く必要もなく、あえて別行動を取る理由がなかったため、ずるずるとつるんでしまった。ここらで気持ちの整理をつけておこう。
「もうすぐ夜が明ける。今日は川の手前で休もう。じゃあ、俺は一人で水浴びに行ってくるから」
「ですが、吸血鬼に流水は…」
「いいから決してついてこないように! いいね!?」
「あっはい」
既に朝日が差し込みかけている。クーデルカは動けないだろう。一方、ベルタは吸血鬼ではないので日光下でも活動できる。用心のためかなり離れたところまでダッシュした。割と本気で走ったので、とりあえず追ってはこれないはずだ。帰り道を見失わないようにしなければ。
「ふぅ……」
小さなほら穴を発見した。もっと光の入らない深い穴が良かったが、贅沢も言っていられない。ほら穴の中で、スキル【受領箱】を発動する。
この箱は、六本の魔剣を呼び出せる。俺が今装備している『傲慢剣パロマイティ』を合わせれば七本だ。その名前はそれぞれに傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰を冠する。確かこれは“七つの大罪”と呼ばれる人間の悪性を表す宗教用語だ。
その表記を見るに、この七本の剣の力は同格。つまり、『傲慢剣パロマイティ』と同じだけの強さを持つ剣があと六本も俺の手中にあることになる。これはとんでもないことだ。傲慢剣だけで十分チートなのに、それがあと六本も……よだれがでそう。
それらがどんな剣なのか確認することは急務である。だが、俺はそれをせずにいた。クーデルカたちがいたからだ。別に誰がいようと、さっさと確認してむしろ自慢してやればいいじゃないかと思う自分はいる。しかし、それをしなかったのは彼女たちを完全に信用できなかったからだ。
俺はクーデルカに一度殺されかけた。そしてそれを一度は許したが、時が経つにつれて疑念が積もる。本当に心を許し、魔剣の情報を全て話してしまって大丈夫な相手だろうか。一度疑い始めると、やることなすことうさんくさく見えてしまう。もしや、彼女は俺から魔剣を奪うことを企んではいやしないか。
彼女は忠誠を誓い、俺の眷属となった。しかし、それはただの口約束である。眷属とは高位の魔族が自分の権能の一部を他者に譲り渡すことで作り出す存在だ。俺にそんな能力はない。クーデルカは俺に対して隷属状態になってはいない。
ベルタなどそれ以前に単なるクーデルカの元部下という関係でしかない。なし崩し的に俺の配下に収まっているが、ある意味でクーデルカ以上に信用できない奴とも言える。
そんなに心配なら、いっそここで手を切って別れた方がいいのではとも思った。だが、それもできればしたくない。なんだかんだ言って、初めてこの世界で得た旅の仲間なのだ。一人で旅をするのは気楽だろうが、寂しくもあるだろう。
それなりの情は湧いていた。クーデルカは俺と同族でもある。あのとき眷属にしてやると言った言葉は、そう簡単に覆せるほど軽い言葉ではなかった。
疑心暗鬼、優柔不断だ。これはいけない。今の俺はもっと傲慢で“あるべき”だ。意識に生じた齟齬は噛み違った歯車のように軋みを上げる。今の俺は魔剣の支配に逆らっている。だから、色々考えたのだが、いいアイデアが浮かばない。他人の内心を暴くのは難しい。
その中で一つ、考えがあった。それは「傲慢剣をクーデルカに渡す」というもの。魔剣の力を手にしたとき、俺とクーデルカの力関係は逆転する。そのとき彼女はどういった反応を見せるのか。
さらにこの傲慢剣はクーデルカに力を与えるとともに、傲慢心を増幅する。その本心を吐露させるまたとない好機を作り出すことだろう。
無論、この作戦は多大なリスクを伴う。自殺行為と言い換えてもいい。なにせ、剣を手に入れてチート化したクーデルカの前に、俺は弱体化した無防備な姿をさらすことになる。はっきり言って馬鹿としか思えないくらい無謀な策だ。
ゆえに、ここで他の魔剣を確認しておきたかった。剣を渡した後のクーデルカに対抗するたけの戦力を確保するために。
今、そこまでしてクーデルカの真意を確かめるべきことなのかと思う気持ちはある。最初は案内役として利用してやればいい、くらいの気持ちで彼女と付き合おうと思っていた。彼女がどう思っていようと距離を保って干渉しすぎないようにすればいい。
終始その関係に徹するつもりなら、こんなに悩んでいないのだ。その感情は、裏を返せばそれだけ彼女に好意を持っているということでもある。割り切った関係を続けることが苦に思えるほど、俺は彼女を仲間として認め始めている。
矛盾しているようだが、だからこそ危険を冒してでもクーデルカの本当の気持ちを試したかった。