無情
「た、頼む。後生だ。助けてくれ」
一体この短い間で、何度同じ言葉を聞いただろうか。たった數十分の間に吐かれる命乞いを別々の口から聞いては、その口を閉ざすために胸に剣を突き立て、首をはねる。あまりにうるさいようならば手足を切り落としてから舌を切り落とした。
しかし、その文言を聞くのもこれで最後だと思えば、ジャックの心に浮かんだ苛立ちもようやくなくなるだろう。足元にはこれまで雑に殺してきた男たちの亡骸が転がり、床という床には血だまりが出来上がり、肉片が転がっている。一歩足を動かせば、血が水滴を浮かべて跳ね上がり、波紋を浮かべながら血だまりへと舞い戻っていく。顔も含めジャックの衣服や鎧には返り血がこびりつき、汚れていない箇所などどこにもない。
男は懇願のために手を伸ばし、双眸を涙を溜める。大の男が、先ほどまでいい気なって腰を降っていた強気な豚が、今ではみる影もない。弱々しくなんと哀れなことだろうか。見ていると憐愍の情が浮かんでくる。
しかし、どうだろうか。それがただ見知らぬ人間だとすれば殺害そのものを諦めることもできるのだろうが、この男たちの所業を目の当たりにして、ガブリエルの家を襲っていた連中だと知っているとその情もすっと消え去り、ただの冷え切った殺意だけが残るではないか。そうなれば、男の懇願の有無を問わず、ジャックの取る行動も自ずと決まってしまう。
伸ばされた手を掴み、ジャックはおもむろに男の手を引いて立たせる。男はピクリと体を跳ねさせて怯えながらも、ジャックの手に導かれるように床から腰をあげる。血とはまた別の液体が男の股間から漏れ出しているが、それに関しての感想を浮かべることはない。
男は恐る恐るジャックの顔を見る。依然としてジャックの顔には無が貼り付いている。民芸品の中に混じっている表情のない仮面のようだ。なんの感情も測れず、思考も読めない。自分の命を助けてくれるのか、そうでないのか。知れたものではない。だから男は心配と恐怖に悩み、ジャックの一挙手一投足をつぶさに観察する。
男の生死への答えは、すぐに提示される。ジャックは手に握った剣の切っ先をおもむろに男へと向けると、ゆっくりと男の鳩尾めがけて差し出していく。
もはや議論の余地もなく、ただ自分の身に死ばかりが目の前に迫っていると男は悟る。そうなれば死から逃れるため、閉ざされつつある生へすがるために必死に四肢を動かさなければならない。
切っ先から逃れるために男が体を向けるのは、それまで男が背中を向けていた方向。背後の暖炉がわの方角だ。そこに一気に向かってしまおうと力の限り足を踏み出す。けれど、その足は一歩を踏み出してからというもの、そこから先へ行くことは叶わない。
ジャックの掴む男の腕は離れることはなく、もちろん離すつもりもない。必死にジャックの腕を引き剥がそうと、彼の腕を叩き、つねり、引っ掻き。抵抗をする。
だが、それを出来たのもごく短い間でしかなかった。ジャックが差し出した剣は男の肌を突き破り、ついに男の体内へと侵入をしてみせる。痛みはすぐに男の体を走り、苦悶は男の顔を歪める。
「た…助け……」
無駄だと分かっていても、男の口からは懇願の言葉が続く。
突き入れられたジャックの剣は、ついに男の背中に切っ先を覗かせる。
男の口からは血が溢れ、震える唇の上を踊っていく。
男を見るジャックの目は冷え切り、ためらいもなくさらに男の体に剣を突き刺す。もはや男には抵抗する力も残っていない。目は濁り、どこともしれぬ遠くを見ているだけでジャックの姿を捉えてはいなかった。
手を離せば男の腕は下にだらりと垂れる。口はいまだにピクピクと動いてはいるが、言葉を紡ぐことはない。ただただ体内に溜まっていた血を吐き出すくらいしか役目はなかった
男の体に差し込んだ剣の柄をジャックは両手で握る。男は自然と両膝を床についてしまうが、それは些細なこと。力を入れて上に持ち上げる。
剣は肉を裂き、骨を断ちながら持ち上げられ、男の首の横からついに男の肉体から解き放たれる。
痛みに苦しむ声も悶える声も男の口からは吐き出されることはない。ただ押し黙ったまま体を前に倒れさせ、男は顔を床に押し付ける。それ以上男は動くことはなく、ただ溢れでる血だけがその場を彩っている。
ジャックは剣についた血をシーツでぬぐいとると、シーツをその男の上に投げ捨てる。ふわりと宙で広がったシーツはゆっくりと男の体にまとわりつき、白の中に赤を飲み込んでいく。
興味なくその様子を見つめていたかと思えば、ジャックは踵を返して扉の方へと足を向ける。そして扉を少し開き外の様子を見る。外は依然として人気のない廊下が左右に広がり、窓の外はまだ闇に包まれている。燭台の明かりが廊下を照らし、柔らかな火の明かりが左右に伸びる廊下を照らしている。
女たちは無事に三階へと登ったらしい。女たちの背中は見えず、影もない。胸をなでおろすまでにはいかないが、大人しく自分の指示に従ってくれたのは良かった。
部屋を出てジャックは再び廊下を進む。鎧についた血が歩くたびに鎧の上を跳ねて下へと溢れる。廊下には点々と血の跡が続き、ジャックの背中を追っていく。
それからは手当たり次第に部屋の扉を開き、敵を殺す。いなければそれどいいが、もしいた場合は逃がさず騒がさず静かに息の根をとめる。先ほどのように若干の苛立ちのためにいたぶるような真似はしない。ジャックの姿をみたときにはすでに息絶えているくらい出なければならない。
彼の通った後には死体が残り、動くものは一人としていない。そうして何部屋も回っているうちに、窓を見て見ると一階の窓から煙が上がっているのが見えた。これくらいの仕事でいちいちてこずることもないと踏んでいたのだが、どうやら事情が変わったらしい。
血に濡れた剣を肩で担ぎ、ジャックは早足で一階へ向かう。残る仕事はもう少しかかってしまいそうだ。




