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快楽

 カーリアの視線はそれからガブリエルの方へと向き、倒れている彼に肩を貸してやる。


 「……なぜ、君らがここに」


 掠れた声でガブリエルは尋ねる。


 「あなたのご息女に協力してもらいました。貴方を助け出してもらうよう言付かりも」


 「そうか、エマが……。なるほど、なぁ……」


 頬をわずかに歪めガブリエルは笑みを浮かべる。しかし、すぐに表情は曇り、咳き込んでしまう。咳の拍子に吐き出された唾液には血が混じっていた。


 「……は、ははは。どうやら私は、そう長くは持たないようだ」


 己の有様を見て、ガブリエルは力なく笑う。


 「さぁ、行きましょう。お嬢様が待っています」


 一刻を争うと思ったのだろう、カーリアはガブリエルを背負うとジャックに目配せをして部屋を出る。ジャックとユミルは最後に部屋の中を確認するとカーリアに続いて部屋を後にした。


 部屋を出た後、道を引き返して三階へと登っていく。巡回に当たっていた兵士はガブリエルが囚われていた部屋に着くまでに幾人か倒している。そのため三階に至るまでに間は人一人出会うことなく、死人ばかりが転がっていた。


 エマの部屋へとたどり着けば、あとは他の連中が戻ってくるのを待つばかり。この調子であれば問題もなく朝まで時間を潰せばすみそうだ。

 しかし、ガブリエルの容体は一向によくはならない。それどころか刻一刻と時間が経つごとに顔色が悪くなっていくばかりだ。


 ガブリエルをエマのベッドの上に寝転がせて体を休ませる。その間にジャックは他の連中の元と向かい、この場にはユミルとカーリアが残される。二人は手分けをしてユミルは外の警戒を、カーリアは簡単な回復魔法を使用してガブリエルの治療に専念する。


 打ち身による腫れや内出血がガブリエルのほっそりとした体のいたるところに作られている。痛々しいそれらの傷をカーリアの手に現れた魔力光が優しく包み込む。癒しの緑光はガブリエルの傷を癒していく。しかし、外の傷は癒せども彼の体の内部までは癒すことは叶わない。老体は若い体よりも弱く、脆弱だ。ひょんな事で骨は簡単に折れ、病はたやすく老体を蝕み苦しみは長く治りも悪い。


 骨も折れていることは間違いない。しかし、魔法は外傷を直せるが、体の内部にできた傷を癒すことはできない。それは医者の仕事だ。魔法ができるからといってもコビンほどの実力もないカーリアにできる話ではない。

 ベッドの上で苦しげにうめき声をあげるガブリエル。その手を握るカーリアはベッドのそばに跪き、どうかまだ逝ってくれるなと心よりの祈りを捧げる。


 早く夜が明けることを望むが、窓の外に広がる闇はそう簡単に日の目を見させてはくれない。闇はただカーリアの願いを飲み込み、そして不安と恐怖を彼女にもたらしているだけだった。




 ジャックは暗い廊下を足音を消すことなく、ガツガツと早足に進んで行く。目的の半分は達成した。そして、残り半分をこれから達成する。

 二階部分降りてそこらを足音立てて歩いていると、音につられて瞼をこする兵士が一人、部屋の中から出てきた。大げさに足音立てていたから、気になって起きてしまったらしい。しかし、そんな兵士に待っていたのは、ジャックからの洗礼だ。


 ドアより数歩外へと出た兵士の首を引っ掴むと、己の方へと引き寄せて腹に剣を突き刺す。交代待ちの兵士だっただろう。鎧の一切を脱ぎ捨て、くたびれた上着に短いズボンを履いているだけで、防御のできるものを一切纏っていなかった。剣は簡単に男の体の肉を貫き、ジャックが力を加えれば、腹部を貫いた剣は容易に男の肉を切り裂ける。


 剣を男の胸に向かって持ち上げながら切り裂く。男は何が起きたのかもわからないまま、口から血反吐を溢れさせた。そしてジャックの顔を見つめながら、無残に床に倒れていく。


 死体となった男をまたいで、ジャックは部屋の中に入る。

 そこは使用人たちが寝泊まりする部屋の様だ。ベッドがいくつも並び、部屋の奥には暖炉があり、灯された炎によってその周囲が照らし出されている。暖炉の近くにはいくつもの酒瓶が転がっている。それは何も机だけに限った話では無い。ベッドの足元にまで酒瓶は転がっている。異様に酒臭いのはそのせいなのだろう。


 燭台に灯された火が、部屋の内部を照らし出している。女は組み敷かれ、男はその上に覆いかぶさっている。何をしているのか。これについて言及するのは控えよう。いくらジャックといえども、この部屋の空気はいささか体に、そして心に後味の悪い思いしか、与えてはくれない。


 男の背後にそっと近寄り、おもむろに剣を腹に突き刺す。

 男の口からは空気が、貫かれた腹からは血が滴り落ちていく。男の下には使用人らしき女がいたのだが、あまりのことに、ただ呆然と血と唾液とを被ったまま、硬直している。


 「誰だ、きさ……」


 襲撃にいち早く反応した男。その首を容赦なく撫で切る。男にまたがってる別の女が、か細い悲鳴をあげる。

 その悲鳴は警鐘となって部屋に響き、男達のの視線がジャックに集められる。そして大慌てで立てかけておいた武器を手に取るが、もはや遅い。


 手近にいた男めがけて、上段から斬りかかる。男は必死で剣を受け止めたが、それはすでに見越してあった。右足を軸にして回し蹴りを男の胴へ見舞う。ジャックの足がめり込み、くぐもった苦しげな吐息を男は漏らす。タタラを踏みながらベッドに倒れゆく男をジャックは追う。


 「や、やめ……」

 

 手を伸ばして懇願の言葉をつぶやく。しかし、それがジャックに届くことはない。伸ばされた手をジャックは切り落とし、男の鳩尾に剣の切っ先を埋める。痛みに染まる男の顔色がさっと白くなり、何か言葉を含んだ血がだらりと男の口から溢れていく。


 「ひ。ひぃぃぃぃ……!」


 仲間が殺されていく様に耐えかねたのか、一人の男が一目散に扉の方へとかけていく。そこへジャックはナイフを投じる。短い風切り音。ナイフの刃は男の首に突き立った。

 走りざまに生き絶えた男は、床を滑る様に倒れた。ピクリと跳ねたかと思えば、血だまりの中にただ寝そべる肉に変わった。


 静まり返る部屋。ジャックの剣が男の肉から抜き取られる音がやけに聞こえる。震える吐息が部屋を満たし、薪木の燃立つ音に敏感に反応してしまう。


 「……ここの使用人か」


男たちを見据えながら、女の一人に声をかける。


 「え、ええ……。そうです」


 震える体をシーツで隠しながら、女の一人は答える。長い黒髪が汗ばんだ浅黒い肌に張り付いている。齢は30手前と言ったところだろうか。すっと通った鼻筋や二重の瞼、異国の民だろうか。帝国領では見かけない美人だ。だが、恐怖によって顔は凍てつき、せっかくの小ぎれいな顔には大きな青あざと傷がつけられている。男たちに殴られたのだろう。


 「ガブリエルがエマの部屋にいる。そこに行け。仲間が二人がそこで待っている。余裕があればガブリエルの治療を頼む」


 「旦那様が……。あの方はご無事なのですか?」


 「怪我をしている様だから治療を頼むのだ。心労のところ悪いが、頼めるのならそうしてくれ。それができない様であれば、部屋でおとなしくしていればいい。この豚小屋の様な場所にいたいのであれば、それでもいい」


 「……分かりました。助けていただき、ありがとうございます。それでは」


 女はぺこりとジャックに頭を垂れると、他の女たちに目配せをしてゆっくりと部屋を後にする。他の女たちは互いの肩をさすりながら体をいたわる。すすり泣くいくつもの声がジャックの横を足早に通り抜けていく。そして最後の一人が部屋を出ようとした時、ジャックが一言声をかける。 


 「扉は閉めていけ。声が漏れるといけない」


 金髪の髪を少し揺らして、女はちらりとジャックの方を見る。

 小さくコクリとうなずいてみせた女は部屋を出た後に、扉を占める。だが、その隙間から垣間見えたジャックの表情を彼女は忘れることはない。


 笑っていた。見ず知らずの命の恩人が、敵を見据えながら頬を緩めている。楽しげなことが待っているかの様に、殺人そのものを楽しんでいるかの様に。あの男は笑っていた。


 扉を閉めた直後にわずかに響いてきたのは、あの男たちの悲鳴だ。女たちを散々いたぶり、嬲り、犯しつづけていた男たちが、まるで生娘の様に金切り声をあげている。笑い声も上がらず、それで胸がすく様な気持ちにもならない。ただただジャックへの恐怖だけが女の心に浮かんでいた。


 「何をしているの。ほら、行くわよ」


 同僚の声にはたと我に帰った女は、ドアノブから手を離しそそくさとその場を後にする。

 早く忘れよう。忘れてしまおう。恩義を感じることはすれど、恐怖を感じるのは彼の方に失礼だと。女は思うことにした。しかし、どうだろうか。女がいくら自分の体を抱きしめたとしても、ジャックのあの凍てついた微笑を見てからというもの、震えが収まらなかった。

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