校長
エマとロドリックを連れて、ジャックの率いる面々は一路大学へと向かう。ロドリックによって開かれた先には大学へと続く廊下が伸びている。そこを抜ければ夕闇に染まる大学が待っている。左右の廊下を見るが相変わらず人気はない。薄暗い廊下をテラス魔力光の青白い明かりが、壁伝いに転々と奥まで続いている。
人の目がないならこそこそとする必要はない。すぐに生徒会室へと向かう。
しかし、人気がないということは人が歩けば嫌でも目立つということ。生徒会室のある階へ登ってすぐ、踊り場から廊下へと進もうかという所で向かう先から人が歩いてくる。
「ロドリック君、こんな時間にどこへ向かうのかね」
レイモンドだ。彼の足取りはゆったりとして顔には穏やかな笑みを浮かべている。
「それに、なんだね。その方たちは。随分物騒な格好をしているじゃないか」
「……学校長、これには訳がありまして」
ロドリックはジャックの前に出てレイモンドに相対する。
「ほう、どんなわけだね。聞かせてくれたまえ」
柔和な顔を崩さず、しかしレイモンドの語気は強まって行く。
「……おや?そこにいるのは、エマ君じゃないか。突然姿が見えなくなってしまったから、心配していたんだよ」
レイモンドの視線がエマへと注がれた時、それまでの語気がまるで嘘のように柔らかくなる。
「あ、いや……。ご心配をおかけしました」
突然の指名にどもりながらも、エマは丁寧に頭を下げる。咄嗟のことでも気品を忘れない貴族の矜持が遺憾なく発揮される。
「いや、いいのだ。君が無事と知れたことが一番だ」
手でエマをなだめながらレイモンドは言う。とは言うものの、エマの体にはレイモンドの手は届かず、宙をポンポンと叩くような仕草をしているだけだ。
「そうです。実はヴィリアーズ公の身に危険が及んでいるのです。ですから……」
「だから、助けに行くと言うんだろう?」
ロドリックの釈明を遮り、レイモンドが言葉を出した。
「……まさか、ご存知だったのですか?」
「……この大学は帝都内にはないとはいえ、一応は帝国の施設ではある。そういった噂や情報は風に流れて聞こえて来る。ヴィリアーズ公の身を帝国側が保護したことも、エマ君が兵士の温情を避けてどこかへ逃走したことも。耳に入っている」
「保護……、とおっしゃいましたか?」
レイモンドの言葉にエマが反応を示す。
「ああ、保護と聞き及んでいる。だから、エマ君を見つけ次第帝国側へ引き渡してくれるようにと言付かってもいる」
「あれが……、あれが保護だと言うのですか!?」
それまで聞いたことのないエマの荒げた声。感情のままに吐き出された彼女の言葉はその場にいたものを驚かせ、視線を一気に引き寄せる。
「家族同然の使用人達を殺しておいて、私を逃がしてくれた父を何度も甚振っておいて。何が、何が保護ですか!」
「お、落ち着きなさい……」
ロドリックがエマを諌ようと彼女の肩に手を置くが、エマはロドリックの手を振り払い、レイモンドへと詰め寄って行く。
「抵抗もしなかったのに、することもできなかったのに。何も、悪いことをしていないのに……。それなのに……、どうして……、どうして殺されなくてはならなかったのですか……!?」
怒りは次第に悲しみへと移り変わり、エマの声に湿り気が帯びる。彼女の頬には大粒の涙がこぼれ、喉はヒクつき言葉を突っかえさせる。
エマの背後から両肩に手を伸ばしたロドリックは、そのまま自分の方へと引き寄せ抱きとめる。ロドリックの胸の中へと導かれたエマはなおもレイモンドから視線を離す事は無かった。貴族の気品などかけらも残らず、ただただ家族を思うばかりに泣きじゃくる一人の少女となっていても、彼女は決してレイモンドから視線をそらす事はない。そして、レイモンドもまたエマの目を逃れようとせず、一心に受け止めそして言葉を話す。
「……そうだったのか。辛いことを思い出させてしまって、すまなかったな」
レイモンドの口から出たのは、正直な、心からの謝罪。彼の表情には憂いが浮かび、エマをみる彼の目には哀しみを浮かべている。予想しなかったのか、はたまた単なる演技か、レイモンドはエマへの同情を隠し切れてはいなかった。
「……それで、どうするのだ」
エマとレイモンド。互いに言葉がなくなり、エマのすすり泣く声だけが響く廊下。そこへジャックの声がよく通った。
「私たちを拘束するか。それとも、この場で息の根を止めるか」
「それをしようものなら、君らが黙っているとは思えんな。きっと抵抗するに決まっている」
「しないとでも思っていたのか」
ジャックは剣のつかを握り、鞘から刃を見せる。示威行為のつもりだったが、レイモンド次第ではその先へ行動を移すこともやぶさかではない。それは、ジャックほかその場に居合わせた面々も同じだった。
「……エマ君を捕縛して、引き渡すようにと言われている。そうしなければ大学への援助を凍結させるとも言われている。生徒も限られその上資金までもなくなるとなれば、教育機関としての役割を充分に果たせなくなり、いずれは廃業を余儀なくされてしまう」
「だから、生徒を敵に売る。そういう話か」
「……正直、私自身どうしたものかと迷っている。エマ君を前にした今となっても、迷いを打ち消すことはできないでいる。長く子供らと付き合ってきたせいだろう。捨てきるべき情を、肌身離さずここに縛り付けている」
レイモンドは人差し指で自分の胸を小突く。
「国のものである機関であるから、国の命には従わなくてはならない。それが機関の長である者の責任であり、生徒や教師たちの恨みを買うのも長たる者の使命だ。しかし、教育者としての自分はそうではない。機関の存続のために子供を差し出すなどあってはならない、そんなのは教育などではない、ただただ保身のために働くだけの愚行だ」
手を下ろし、レイモンドは腰の後ろで手を組む。そして左右を行ったり来たりと落ち着きなく足を動かし歩き始めた。
「ローウェン君、だったかね」
「ああ」
「私は、どうすればいいと思う。このままエマ君を君らから無理やり引き剥がして連れ去ってしまうか。それともこのままみすみす君らを行かせてもいいものか」
「好きにすればいい、私たちはそれに合わせよう」
「……前者をしようものなら、私の命はなさそうだ」
足を止めたレイモンドは、ジャックの顔を見ながら肩をすくめる。
「さて、ではどうしたものか」
「……一つ、いい方法がある」
ジャックは剣を鞘に収めると、おもむろにレイモンドに歩み寄っていく。
「ほう、それはどんな方法かね」
自分の眼前へと立ったジャックに、レイモンドは尋ねる。しかし、ジャックから吐き出された言葉は
「歯を食いしばっておけ」
という言葉だけであった。当然、レイモンドは訳も分からず首を傾げようとした矢先。ジャックの拳がレイモンドの顎を打ち据えた。衝撃と痛みが顎から顔へ、そして頭へと伝播する。ぐらりと揺らぐ視界。体が倒れていくことを感じながら、それでも止めることができない。
息がつまり、痛む顎に手を当てようとするがどうにもうでも上がらない。膝から崩れ落ち、ジャックの下腹部にレイモンドの額が当たる。
「大学内に侵入した暴漢に襲われ気絶させられた。そして、その間にエマを連れ去られた。筋書きはこれで問題ない」
視線だけをジャックの顔に向けるレイモンドへ言って聞かせていく。そして、白目を向いたところでジャックは体を引き、レイモンドの体から自分を離す。支えのなくなったレイモンドはそのまま前のめりに床に倒れ伏せる。ゴツンと額を打ち付けたようだったが、それでも起き上がるようなことはない。
「何をしている。行くぞ」
「あ……、ああ。そうだな、急がなければ」
しばし呆然とその様子を見つめていたロドリックだったが、ジャックの言葉を受けて慌てて先導を再び始める。ジャックや他の面々はその後について行く。心傷が未だ消えないエマの傍にはカーリアとユミルが付き添いながら歩いて行く。
生徒会室へとたどり着けば、早速に中へと入る。中には相変わらず役員たちの姿はなく、やけに大きな円卓がでんとそこにあるだけだ。
ロドリックに代わり、ここからはエマが先頭に立つ。
エマは室内の奥にある扉へと歩み寄ると、プレートを獅子に飲み込ませる。そして吐き出され次第扉のノブをつかんで押し開く。
扉の先には薄暗い廊下が伸びている。その先を進んで行き、ついにエマの部屋。ガブリエルの屋敷に通ずる扉の前にたった。
「私たちが中に入ったら、お前たちはすぐにここを離れて村に戻れ」
ジャックの言葉にエマとロドリックはともに頷く。ここからは、粗暴な輩たちの仕事になる。
ジャックを先頭に次々に館へと侵入して行く。その後ろ姿を見送りながら、エマは扉をしめる。
「……大丈夫、ですよね」
エマの弱々しい問いは、ロドリックに向けて飛んで行く。
「今は、あの方々を信じて待つ他にない。……行こう」
しかし、ロドリックはエマの問いには答えなかった。ロドリックは運命が見えるわけではないし、予言をすることもできない。無力な彼にできるのは、大切な生徒のみを守ること。そしてジャックとの約束を守ることだけだ。
ロドリックはエマの肩を抱いて、元きた道を引き返して行く。その最中、エマの目はじっとジャックたちの消えて言った扉に向けられていた。




