準備
「見知らぬ兵士?」
エマの隣に立って歩くジャックが尋ねる。
「ええ。いきなり部屋に入ってきて荒らして行ったんです」
「それはいつのことだ」
「4日前くらいだったと思います。私はあの部屋に隠れていたので何ともなかったのですけど」
エマの部屋の惨状を見るに恐らくは彼女の部屋の何かを探しにきた者たち。エマの実家に起こったことを考えると、エマの身を連れ去るために部屋のあちこちを荒らしていったと推測はできる。だが、流石にその兵士もクローゼットの壁に中に隠れているなどとは思わなかったらしい。
「顔は見なかったか」
「残念ですが、顔までは。壁板の隙間から様子を伺っていたので、そこまで詳しくは見ていないのです。でも、人数は3人ほどだということと、胸に帝国の刻印がされていました」
「屋敷を襲った輩の仲間たちということか」
「関係まではわかりませんけど、おそらくはそうかと」
廊下の先を見据えながらエマとジャックの会話が続けられる。緊急事態のためか、それとも講義の為に子供らが出払っているのか。日がすっかり昇っているにも関わらず、廊下には二人以外の人影はない。二人の靴音だけがやけに響く。
「屋敷へ行くのは、ジャックさんだけなんですか?」
「いや、仲間も数人連れて行く。だが、大所帯で行くわけじゃない。私を含めて5、6人が限度だろう。それまでお前をエルフの村に匿っておく」
「……一緒に連れて行ってはくれないんですか?」
ジャックの言葉に立ち止まるエマ。その口調は静かだが、ジャックを責めているようだった。
ジャックはエマに顔を向けると、ため息を一つついてから言葉をだす。
「お前を連れて行くのは屋敷の敵を掃討してからでも遅くはない。わざわざ人質になるような人間を連れて行ったところで、こちらが分が悪くなるばかりで何の得にもならない。心配せずとも、無事に終わればお前を呼びに行く」
「……でも」
「でもはなしだ。それとも、お前の死に目を父親に見せたいのか」
「……いいえ」
「ならば、大人しくしていることだ」
ジャックの言葉はそれで終わり、彼はエマに背を向けて廊下を進んで行く。納得がいかずしかめ面を浮かべていたが、やがて彼女の足はジャックを追いかけて動いて行く。しばらく道なりに歩き、階段を降りる。そして今朝方訪れたばかりのロドリックの部屋の前にまで来る。二、三回扉をノックしてみると扉の奥から声が聞こえて来る。そして扉が開くと奥からはロドリックが顔を出した。
「行くのか」
「ああ、頼む」
短いやり取りを終えると、ロドリックは部屋から出て、扉の外側にある獅子にプレートを飲ませる。プレートが吐き出され次第、ロドリックは扉を開けて先に伸びる廊下へと二人を入れて進んで行く。
「講義はどうした。今日はそのために大学にいたはずだろ」
「そのはずだったのだが、どうやら事情が変わったらしい。学長に呼ばれてな、今日をもって私は教授の職を外されることになった」
暗い廊下を進みながらロドリックの声が彼の背中越しに聞こえて来る。残念がっている様子はなく、その声は淡々と事実を口にしている。
「えっ?どうしてですか」
ロドリックよりも動揺していたのは、ジャックの後ろを歩いているエマだった。
「生徒だけでなく一応の措置として異種族の教職員もまた帰郷させることにした。とのことだ。この混乱が終わるまで教員名簿からも名前が消える。勿論講義も全て休講だ。仕方のない話だが、学長も苦渋の決断だったのだろう。彼の方を責めるいわれはない」
「でも、それでは終わったとしても……」
「混乱が収まった暁には、生徒共々大学へ戻る手はずを整えてくれる。心配せずともまた戻れるさ」
エマの心配をよそにロドリックの口調はあっけらかんとしたものだった。
エマとロドリックを転移先である家の中に残し、ジャックは早速人員確保へと乗り出す。その際には一応エドワードに事情を通しておくことを忘れない。冒険者や狩人だけでなく、エドワードの部下も必要とあらば駆り出すことになりえたからだ。
ジャックの口から聞かされた内容は、軍人でなくとも帝国の民ならば驚いてしかるべきものだったのだが、エドワードの反応は素っ気ないものだった。素っ気無い、とは少し語弊があるかもしれない。確かに驚いているようではあったし、目は小刻みに揺れ動いて戸惑いも浮かべていた。だが、それ以上の困惑を浮かべることはなく、どこか納得した所があったかのように「そうか」と一言添えたきりだった。
心当たりがあったのかとジャックがとえば、随分前にミノスという神父の体に入ったドミティウスが現れたのだという。その時、ガブリエル公に親しいもの。親類や子供を目の前で殺してくれると宣告した。まさにその宣告通りにドミティウスはガブリエルの屋敷へと兵を押し寄せて見せたということだろうと、エドワードはあたりをつけたらしい。だが、ドミティウスの思惑はそう簡単には成し遂げられなかったようだ。
兵の確保することへの了承をエドワードからとりつけ、村内にいる狩人三名と冒険者一名。それにユミルとカーリアを屋敷へと向かう人員とした。狩人と冒険者は潜伏や潜入を得意とするものを選び抜いた。魔法を使えぬとも物音を立てずに忍び込む、あるいは追跡ができるような連中で、分散した場合には己の判断で突破や逃走をできる面々だ。その点で言えばユミルやカーリアは言わずもがなだ。
だが、この人員に異を唱えた者が一人。カーリアと常に行動をともにしていた、コビンだ。
カーリア一人を連れて行くのではなく、自分も連れていけと言ってはばからない。魔法であるならば物音を立てずに倒すことも、また怪我を癒すこともできる。
しかし、潜入、特に夜に屋敷へと入るには魔法を唱える際に出現する魔力光はこちらの場所を敵に暴かれてしまう危険がある。それに、数日が経ったとは言え裏の中にはまだけが人がいる。治癒の魔法が使える者たちはなるべくなら、けが人たちの手当に回ってもらった方がいい。
ジャックの口から、さらには選ばれた面々からも同じようになだめられる。まだ納得が言っていなかったようだが、それでも駄々をこねるような真似はしない。コビンもしぶしぶ引き下がってくれた。
潜入は夜。エマのプレートを使って屋敷へと向かい、明朝には帰還を果たす。その際エマとロドリックには行動を共にしてもらい、転移にしようする廊下の中で待機してもらう。もし失敗して午前九時までに期間を果たせなければ、廊下を出て村の中へと戻ってもらう。無謀甚だしい計画だが、やらなければ危険な道だけが残る。選択肢を増やすためにも成功させることが重要になる。
時刻は昼をとうに過ぎ。太陽は真上から次第に森の木々の方へと傾いて行く。猶予は残り数時間。少ない猶予の中で準備は進む。ジャックの剣は兵士の予備を借り、鎧も籠手と具足のみにする。胴には黒壇の鎧ではなく、エルフの村にあった軽く丈夫な皮鎧を身につける。その他投げナイフを4本とナイフを一振りを革ベルトにくくりつけて準備を終える。
あとは、その時がくるのを待つだけ。しかし、時の流れは早く、思ったよりもその時は簡単にきてしまうのだ。




