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息女

 階段を登り三階へとジャックは向かう。サーシャに言われた通り廊下を進んでいく。右側には扉が並び左側には窓が並んでいる。窓の外には曇天模様の空が大学を見下ろしている。


 黙々と歩きそして廊下の突き当たりに来た。右側には扉が一つある。サーシャのいう通りならばここがエマの部屋らしい。扉の前に立って耳を当ててみる。物音一つしない。エマが息を殺しているのか、それとも無人の空き家なのか。

 入ってみないことには確かめようがない。ジャックはドアノブを握り押しひらく。やはり中には人気はなかった。しかし、人がいた痕跡はあちこちに転がっていた。


 カーテンで閉じられていた部屋は薄暗く見晴らしは悪い。乱雑に何かが散らかっている部屋を進みカーテンを開き外の光を部屋に入れる。するとようやく部屋の全貌を見ることができた。


 部屋の床には衣服や書物、タンスは倒れ引き出しは外に飛び出し中身が散らかっている。この部屋の住民か、そうではない第三者によって乱暴に荒らされた形跡が残されていた。その散らかりようは何か焦って荷物を整理したというよりも、何かを探していたという荒らされかただ。金品を強奪しにきた泥棒の仕業、というわけでもないだろう。学生の所持する金品など高が知れているし、それよりかはとうの本人を拉致して身代金をたかる方が実りはいい。ということはエマの身に何かがあったと考える方がいいだろう。


 散らかる衣服の上にはいくつもの汚れた足跡がついている。靴跡をみると、農耕民や街にすむ市民の使う靴とは違い、鎧の具足の足跡に近い。雪道の行軍や土につく兵の足跡によく似ている。褐色のドレスを手に取り、ジャックはまじまじと足跡をみる。やあり鎧のものに似ている。ということは、兵がこの部屋を荒らしたということだろうか。


 調査の真似事をしてみたものの、わかったのはそこまでだった。そもそもこの部屋を訪れたのはエマを尋ねるためであって、こんなことをしに来たわけではない。しかし、エマに何かあったのであればどうにかしなければならない。


 手に握った衣服を横に倒されたベッドに投げ、ジャックは早々に部屋を後にしようと扉へと向かっていく。

 その時だった。部屋のどこから物音が聞こえて来た。

 ジャックの足が止まり、体が部屋の方へ再び向けられる。そこには依然として物が散らかった空間があるだけで人の影はない。だが、確かに何かの音は聞こえてた。それは何かを床に落としたような、ゴツンという鈍い音。


 ジャックは聞こえたと思う方向へと歩いていくと、そこにはクローゼットが、中は部屋のように荒らされてはおらず、綺麗な空の状態だ。とは言っても中身は床に散乱したコートやドレスなど、丈の長い衣服であって中身がなくなれば綺麗なままであることにも頷ける。


 クローゼットは壁に埋め込まれており、奥行きのあるものだ。木板にはニスであろうか液体によってコーティングされ、艶のある黒色の壁がクローゼットの中、四方を囲んでいる。隠れるところがないため人がいればすぐに見つけることができるだろうが、残念なことにエマの姿はない。しかし、物音が聞こえたのは間違いがない。四隅から床に至るまで目で確認を取りながら、手で触って何か違和感がないか探っていく。


 そして服を引っ掛ける突起に手をかけた時だった。軽く握っただけなのだが突起は下に下がり、ガコンという音を立てる。咄嗟のことで何がないやらわからないままのジャックだが、状況は彼を置いてきぼりにしながら刻々と流れていく。


 木板の並んでいた壁がゆっくりと横に裂けていく。力のままに避けるというよりも、何かの仕掛けによって左右に別れていく。そして見えてきたのは火のともった燭台一つ置かれた机とすぐそばの椅子に腰掛ける女性の姿だった。


 「……エマか」


 ジャックの呼びかけにエマはキョトンした面持ちで彼の顔を見つめているだけだった。



 「そう。サーシャがここの場所を」


 机の上に手を置いて、エマはつぶやく。ジャックは彼女の向かいに腰掛けてそのつぶやきを耳にする。


 「あいつを責めるな。元はと言えば私が無理に聞き出したのだから」


 「別に責めているわけではありません。彼女もきっとあなただから話したんだと思いますよ」


 頬を和らげながらエマは言う。サーシャに対する呆れもあっただろうが、それはエマの中では極端に少なく一人きりでいることへの寂しさが紛れたことへの安堵の方が大きいようだ。


 「しかし、この学校に隠し部屋を用意しているとはな。元から仕掛けが施されていたのか」


 「いえ、私の父が仕掛けを作ったのです。もしもの時の備えとして。勿論校長先生の許可を得た上で改修を行ってくれて、私は別にそんなものはいらないと断ったのですけど。今思えばこの部屋があったおかげで命拾いしました」


 ジャックの視線はエマから隠し部屋の内装に移される。4帖ほどの部屋にはベッドと机それとジャックとエマが座っている机以外のものはない、いたって質素なものだ。隠れるためと思えばこれ以上の部屋はないが、装飾も何もない木板に囲まれた部屋にエマがいるとなんとも違和感が拭えない。それはエマが普段過ごしている空間を曲がりなりにも知ってしまっていると言うことが起因しているのだろう。

 だが、だからと言ってわざわざ気にすることでもない。部屋の内装を一通り見終えるとジャックは再びエマに視線を戻す。


 「……現皇帝の話はお前も耳にしているだろ」


 「ええ。聞き及んでいます」


 机に置いた手を重ね、ジャックに視線を合わせぬままエマは答える。


 「そこでお前に頼みたいことがある」


 「頼みたいこと、ですか」


 「ああ、そうだ。そうでなければお前を探したりなどしない」


 「随分と寂しいことをいうんですね」


 冗談めかしにエマは言う。しかし、その言葉には普段の強さはなく、心無い言葉に聞こえる。この狭い部屋に閉じこもっていたことでの疲れが募っているのか。それとも家族のみを案じて心労が耐えないのか。

 だとしてもそれを解決するのはジャックの役目ではない。せいぜあとでサーシャあたりに慰めてもらえばいい。


 「お前の家。あの家から帝国の城の中へ移動することはできるか」


 「……えっ?」


 「できるかどうかを聞いているのだ。それ以外の言葉はいらん」


 不思議なことを聞くものだと、エマはきょとんとジャックを見つめていた。だが、彼は表情一つ変えることなくエマを見つめ、いや睨んでいた。


 「それは。可能だとは、思います」


 「確かか」


 「ええ。父の持つプレートを使えば、幾人かの要人の部屋に移動することはできると思います。私も小さいころに一度だけ城の中まで連れて行ってもらったことがありました。だけど……」


 「だけど、なんだ」


 「今の父はわざわざ外へ出ずとも困るようなことはありません。ですからプレートを使うことも滅多にありません。ですから、今あのプレートがどこにあるのか、父に聞くほかありませんし、もし捨てていたとしたらその道も絶たれてしまいます。それに、ご存知だとは思いますが、私の家は今帝国の兵士に占領されています。屋敷にうまく入れたとしても直ぐに捕縛されてしまうでしょう」


 「ガブリエル老は、今はどこに」


 「屋敷に囚われているはずです。私のことなら心配するな、と父は言っていましたから」


 不安げにエマは言葉を紡ぐ。ガブリエルは娘を気遣って出した言葉に違いないが、ある種覚悟を持って伝えたのだろう。それは己の命を捧げる覚悟か、もしくはうまく立ち回るための覚悟かはわからない。しかし、無事であることなどあるはずはない。


 いくらこの狭い隠し部屋で考えたところで屋敷に向かってみなければかの御仁の安否は分からない。何よりプレートは所持する人物しか使えぬもの。今後に使える資金源をみすみす消すような真似をドミティウスがするとも思えないため、生きているだろうと踏むしかない。しかしそれはジャックの推測でしかなく、妄想の類でしかない。事実は大抵この通りにはいかない。


 「数は分かるか。大体でもいい。どうだ」


 「……すいません、そこまでは。私も逃げることで精一杯でしたから。……すいません」


 いつになく弱々しく、覇気のない言葉がエマの口からこぼれていく。机の上で重なっていた彼女の手のひらは震え、次第に拳を作り出す。思い出すだけでも震えと共に恐怖が呼び起こされているのか。


 「そうか。わかった」


 ジャックは震えるエマの手を握りながら、すくと立ち上がる。 


 「ならばせめて扉を開けてくれ。開けさえすればお前はここで隠れておけばいい」


 「いえ。私も一緒に行きます。連れて行ってください」


 「お前の安全は保証できんぞ。それにガブリエル老の安否もどうなっているか分からん。


 「……それでも、ただ黙ってここに閉じこもっているなんて、私は嫌です。たとえ父が亡くなっていたとしても、看取る者がいなくてどうしますか。それは全て私の役目なのです。これ以上父の背中に隠れているだけでは、いえ、隠れているのはお終いです」


 震える手を抑えながら椅子から腰をあげるエマ。しかし二人が隠し部屋の外へと出ようとしたとき、部屋の外から音が聞こえてきた。扉をしずかに開ける音だ。


 「少し待っていろ」


 エマの口を塞ぎながら、ジャックは言う。エマはしずかに頷くと、ジャックに言われるがままその場に立ち尽くす。

 足音を忍ばせてジャックは壁伝いに隠し部屋から出て、部屋の入り口を横目でみる。はっきりと見えたわけではないが確かにそこには人がいた。警戒を払っているのか頭をキョロキョロと動かして部屋の様子を見回している。


 ジャックは頭を引っ込めて謎の不審者が近寄ってくるのをまちぶせる。足音はどんどんと部屋の中央へと近寄っていく。そしていよいよジャックの手が届く間合いまで部屋に入ってきたとき、ジャックの体はすぐに動き出した。


 初動において不審者の首に腕を回して締め上げながら、余った手で不審者の腕をとって背中で固定する。そして体重を前方にかけながら不審者の足を払い、前に押し倒す。

 床に散らばる衣服の上に二つの体が倒れていく。ジャックはなおも手と首を極めながら、不審者の体に体重をかけて動きを封じる。そのまま絞め落としてもよかったのだが、ジャックに待ったをかけた人間が一人いた。


 「待って。その子を離してあげて」


 エマだ。彼女は急いでジャックの元に駆け寄ると、彼の肩を叩いてそう言ってくる。


 「何のつもりだ」


 「いいから、離してあげてください。彼女苦しそうですよ」 


 「彼女?」


 エマに促されるような形になって、ジャックはようやく今自分が締め上げている不審者の顔を見る。その顔にはジャックも見覚えがあった。

 苦しそうに首に回された腕を何度も叩く彼女はつい先ほどあったばかりのサーシャだった。ジャックは力を込めていた腕を緩めサーシャから離れて立ち上がる。

 激しく咳き込み、首をさすりながらサーシャは何とか立ち上がる。


 「い、いきなり、何を、するんですか」


 ゼェゼェと荒く息を吐くせいでサーシャの言葉が途切れ途切れになってしまう。


 「足を忍ばせて近寄ってくれば、誰しも不審者を疑うのは当然だろ。しかもわざわざエマの部屋に入ってくるような輩だ。怪しまないほうがおかしい」


 「だからって、顔も見ずにいきなり首を締めないでくださいよ。死ぬかと思った」


 「殺すつもりだったら、とっくに殺している。気絶させて後々尋問でもしようかと思っていたんだが、それもせずに済んでしまった。ところで、お前は一体何のようでこの部屋に来た」 


 「何って、それは……」


 「杖を抜いてやけに警戒を払っていたようだったが、誰かを殺そうとでも思っていたのか」


 ジャックの言う通り、サーシャは杖を握っている。サーシャは手に持った杖をそっと背中の後ろに隠し持つ。


 「……いや、すまん。少しおふざけがすぎた。お前がエマの身を案じて覚悟を持ってここに来たことは分かっている」


 「どういうことですか。それは」


 ジャックの言葉に反応を示したのは、彼の背後で控えていたエマだ。

 事情を説明しようとジャックはエマの方へ体を向けようとするが、それよりも先にサーシャの口が動く。


 「そういう約束をしたのよ。貴女に危害を加えようとしていたのなら、ジャックさんを殺してしまうように」


 「なんて、なんてことを約束するのよ」


 驚きのあまり目を見開いて、その実語気を強めてエマは言う。


 「私だって乗り気じゃなかったし、そんなつもりもさらさらなかったわよ。私がこの人を殺そうなんてしたら、返り討ちにあうのなんて目に見えているもの。だから、足をしのばせてそっと中を見るだけにしようとしたのよ。でも……」


 「私がそれを阻止してしまった」


 サーシャの言葉を遮るようにジャックが言葉を紡ぐ。無論それに怒りを覚えるほどサーシャも子供ではない。起こってしまった事実をありのまま伝えるジャックの言葉に続く形でサーシャの口は再び開かれる。


 「ええ、残念ながら。でも、私が手を汚すことにならなくてよかったです。まあ、その心配もそこまでしたわけではなかったですけど」


 肩をすくめてサーシャは言う。彼女の態度にジャックは少しだけ頬を緩める。しかし、それを笑い事と捉えることのできない人間がこの場に一人いた。


 「冗談で済んだからよかったものを。なんでそんな危険なことをしようなんて」


 「私だって貴女がこんな状況にいるのに、黙って見ているだけなのは嫌だったのよ。でも、情に流されて貴女の面倒を見ようものなら、それこそ居場所をばらすようなものだし、むやみやたらに近づくのは危険だってことぐらいは分かってたわよ」


 「なら、どうして。自ら危険なことに関わるなんて貴女らしくもない」


 「……そうね。私にしてみれば、少し軽率すぎたわね。御免なさい」


 サーシャは杖を懐にしまい込むと、エマに向けて頭を下げる。


 「謝って欲しいわけじゃないのよ、サーシャ。ただ、あなたに何かあればと思うと、私は嫌なのよ。もう危険な真似はしないで頂戴」


 「それは貴女に言われたくないわね、エマ。私よりも貴女の方が危険でしょうに」


 「私はいいのよ。自分のことだから。それに一度危険な目にはあっているし、ちょっとは耐性がついたわ。でも、貴女は別。貴女にもしものことがあったら、私、貴女を傷つけたやつを絶対許さないから。どこまでも追いかけて、絶対償わせてやるんだから」


 冗談半分に笑いながら、サーシャの身を案じるエマ。

 エマは彼女の方に手を伸ばすと、サーシャの肩に手をおき、微笑みかける。


 「だから、どうか無事でいて。貴女が、私の大切な友達が傷ついているところなんて見たくないもの」


 母親が子供に話しかけるような慈しみが、エマの言葉の端々から伝わってくる。サーシャは何か言おうと口を開き掛けるが、そこから言葉が出ることはなかった。


 「では、行きましょうか」


 エマはそういうとサーシャから離れ、ジャックをおいて部屋を出て行ってしまう。

 ジャックはサーシャをちらりと見たが、彼女は何かを考えているようでエマの背中をおったまま視線を動かさない。エマの身を案じて頭が一杯なのかどうかは分からないが、さして言葉をかけるようもない。

 ジャックもまたエマに続いてサーシャに背を向けて部屋を後にしようとする。


 「あ、あの」 


 ジャックの背中にかかる声。遠慮がちに開かれたサーシャの口は頭の中に浮かんだ言葉を吐き出そうと動いていく。


 「……エマを、エマをよろしくお願いします。どうか、エマを守ってください」


 サーシャはジャックの背中に向けて頭を下げる。たとえ見ていなかったとしても構わなかった。友人を救いたい。ただその一心のみがサーシャを突き動かす。


 ジャックはサーシャに向き直ることはなかった。ただ彼女に背を向けたまま、横目でちらりと彼女を見つめていた。なんの言葉もかけず、なんの返答も返さない。ただ一度、コクリと頷いてみせるとサーシャをおいて部屋を後にした。

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