8-1
完治とは言えないものの、いつまでも寝ているわけにもいかない。時は過ぎ去っていくばかりで何の解決にもならず進展もない。
ジャックはエドワードたちと一旦別れ、ロドリックの出勤に合わせて大学へと向かう。帝都がどんな有様になろうと通常どうり授業を行う。というのは校長自らの判断らしく、教師であるロドリックは当然のことながら校長の判断に合わせて出勤をする。
その点はジャックの知ったことではなかったが、大学に用があるという一点だけはロドリックと同じだった。
大学へと着くやいなやロドリックと別れてサーシャの待つ部屋に向かう。一人で大丈夫か、とロドリックから心配されたが、心配には及ばないと返すだけでそれ以上の問答する気はさらさらなかった。
廊下を進むジャックの足に迷いはない。階段登り、再び長い廊下を進んで行けばサーシャのいる部屋にたどり着く。ノックを2、3行えば中から彼女の声が聞こえてくる。
「ようやくのお越しですか。お待ちしてましたよ」
ジャックが部屋の中に入るとサーシャが顔を上げてジャックを迎える。
「では、そこに座ってください。早速つけてみましょう」
サーシャは椅子に手で指しジャックに座るように促す。ジャックが椅子に座ったのを見届けると、机の上にあるそれをとってジャックの失われた腕に当ててみる。
表面は黒く光沢を持ったその物体は腕の形をしている。関節部分には丸い球体がはめ込まれ上腕部を動かすとスムーズな挙動ができるようになっている。材料は鉄かと思ったが、ジャックが持ってみると思ったよりも軽い。
「アカシアの木で基礎を作って表面にはニスを塗ってあります。強度は鉄には劣りますけど、それでも激しく動いて壊れるようなことはありません。まあ、本当なら鉄でこさえたかったんですけど、時間もありませんでしたし、そこは勘弁してください」
サーシャは義手をジャックから返してもらう。
「楽にしていてくださいね。すぐに終わりますから」
椅子の背もたれに体重をかけて、欠けてなくなっている腕をサーシャに差し出す。
「ああ、包帯は取ってくださいね。直接つなぎますから」
サーシャは義手をジャックの腕にはめ、上腕部にベルトを巻きつける。
「いきますよ。ちょっと、我慢してくださいね」
きっちりとベルトを巻きつけて固定をすると、サーシャの手は義手の手首へと伸ばされる。手首と腕の間には少しの隙間が設けられている。隙間から覗くのは、鉄でできた細いつつのようなものだ。
「何をするつもりだ」
「まぁまぁ、すぐに終わりますから気にしないでください。あと、歯は食いしばっててくださいね。みっともない悲鳴は聞きたくありませんから」
ジャックの疑問に取り合わずサーシャは義手に空いている隙間を埋めるため、義手の手を握り思い切り押し込んだ。
ずぶり、と肉を押し分けて鉄の棒がジャックの腕の中に押し入ってくる。途端にジャックの体に痛みが走る。歯を食いしばれとは言われたが、これは予想もしない痛みだ。古傷が再び開かれたことで腕の断面からどっぷりと血が溢れてくる。脂汗が額をつたい、息遣いが荒くなる。
「治癒」
サーシャは杖を手に取り、ジャックの腕に呪文をかける。光に包まれた腕の断面は、光に包まれ晴れた時には傷口はしっかりと塞がれていた。肉が義手を飲み込んでいる以外は、先ほどと一緒だ。
「これで処置は完了です。ほら、早いでしょ」
肩をすくめながらなんてことないようにサーシャは言う。しかし、ジャックのひたいに浮かんだ汗は容易には引いてくれず、痛む腕を抑えながらいまも溢れている。
「ほら、ちょっと動かしてみてくださいよ。動かなきゃ意味はないんですから」
サーシャはジャックの反応なぞに興味はない様子で、せかすようにそう言ってくる。視線を鋭くして眉間にしわを寄せてジャックは彼女を睨むが、飄々とするだけで一切効き目があるようには見えなかった。
痛みがなんとか和らいできたころ。ようやく義手の調子を確かめる。親指から順に人差し指中指と指を折り曲げて、そして小指から順に握りこぶしから掌へと手を開いていく。動かしたいと思う時に瞬時に動き、反応に対する遅れはない。拳を作っては開き作っては開きを繰り返して、ようやくジャックはサーシャの顔を見る。
「よし。第一段階は終了ですね。次は第二段階です。手首をひねってみてください」
サーシャに言われるがまま、ジャックは手首をひねって見る。すると掌から小さな突起がにょきりと生えてくる。そして、それと同時に刺すような痛みがジャックの体を走った。
「おお、仕掛けはちゃんと動いてますね。これは安心しました。これでダメだったら、もう一度あなたの腕を取らなければならないところでしたよ」
なんども頷きながら、サーシャは己が義手を見て自信ありげにうなずいてみせる。文句の一つでも言ってやろうかと視線だけを彼女に向けるジャックだが、サーシャの目元に浮かんだ深い隈を見て文句を吞み下す。
「……寝ていないのか」
「ええ。でも三徹や四徹くらい日常茶飯事なのでもう慣れたもんです。それに期限までに完成させないと、貴方が怒りそうだったし」
彼女は手を首に当てながら首筋をほぐすように右に左に交互に傾ける。よほど凝っていたのか骨がきしむ小気味のいい音が部屋に響く。
ジャックは義手の具合を確かめるように、ゆっくりと拳を作っては広げてみたり、肘に手を添えて緩んでいる箇所がないか注視してみたりと余念無く義手を触っていく。
「義手での防御はあまりやらないでくださいね、強度はあるからと言ってもそうなんども攻撃を受けることはできませんから。それに衝撃で仕掛けが壊れてしまうとも限りません。くれぐれも注意をしてください」
「わかった」
生返事気味にジャックは返事を返す。そして、懐から皮袋を一つ取り出し机の上に放り投げる。
「ところで、エマの居場所はわかるか」
「エマ、ですか。どんな要件で」
エマのことを訪ねた瞬間。サーシャの顔がこわばった。出会った当初から表情の変化に乏しいが、こと友人とは発明に関しては状況が違うらしい。本人はポーカーフェイスを気取っているようだったが、動揺が少しでも走れば顔にでる。訓練を積んでもいない素人にそれを隠すことはできない。
「あいつの家から帝都、そして可能ならば城の内部に潜入したい。だが、それもあいつが合わなければ何も始まらない。どこにいる」
「……別に彼女の命をどうこうというわけでもなく?」
「あいつの命を取ったところでなんの得にもならなん。むしろこちら側の立場を悪くさせる一方だ。そんなことは阿呆でもわかる。わざわざ自分の首を占める真似をしてどうするというのだ」
「それも、そうですけど……」
「何かあったのか。あいつに」
明らかに表情を曇らせたサーシャを見て、ジャックは尋ねる。その問いにどう答えていいのか、サーシャは顎を手でさすり思考を巡らせている。そして、一つの答えを導き出し、ジャックの双眸を見つめる。
「エマの実家に帝国の兵士が押し寄せたんです。20人くらいだったと彼女は言ってましたけど」
「会っていたのか、あやつに」
「……ええ」
バツが悪そうにジャックから視線を外すエマ。しかし、彼女の口はなおも言葉を口にする。
「率いていたのはドミティウスだと言ってました」
聞き慣れた言葉に眉根をひそめるジャック。驚きよりも疑問が彼の脳裏に浮かんでいく。
「あいつがわざわざ出てくるとは、どういうことだ」
「私が知るわけないじゃないですか。その人じゃあるまいし」
肩をすくめ、ジャックを諭すように彼女は言う。
「それでエマのお父さん。ヴィリアーズ公は彼女だけでも逃がそうとして、事実彼女はここに逃げてきました。その際に、使用人の何人かは兵士の凶刃に倒れたと聞きました」
「それで、どこにいる」
「……彼女を助けてくれますか?」
この時、サーシャの顔が初めて不安げな表情を見せる。両眉の橋がわずかに下がり、懇願するような眼差しをジャックに送ってくる。どれだけ無表情を作っても根っこはただの人間の少女。友人の身を案じられるだけの感情は持ち合わせているらしい。
「どこにいるかを聞いているのだ。答えろ」
「彼女を助けてくれると約束してくれたら、会わせますよ」
「心配せずとも助けるさ。あいつに協力を仰ぎたいと言っているのに、襲う理由はない。もしそれを違えるような真似をしたと思えば、その場で私を殺せばいい」
「そこまでするつもりは……」
「時間がない。早くしろ」
眼光鋭くジャックはサーシャを睨みつける。未だ煮え切らない彼女に対する苛立ちを隠そうともせず、それどころか見せつけるように貧乏ゆすりまでし始める。
「……ここから階段を上がって廊下の突き当たりに彼女の部屋があります。そこに行けば、彼女がいるはずです」
「わかった。感謝する」
ジャックは腰を上げ部屋を後にしようとする。しかし、何かを思い出したように懐に手を入れると小さな皮袋を一つ取り出し、机の上に放り投げる。
「義手の報酬だ。受け取ってくれ」
「いりませんよ。お金なんて」
「いいから。受け取れ。それだけのことをしてくれたのだ。代価を払わなければこちらの気がすまない」
サーシャの拒否に聞く耳を持たず、ジャックは立ち上がり彼女に背を向ける。
「協力感謝する。今日はもうゆっくりと休むといい。それと、その金で何か好きなものでも買え。気晴らしの一つにもなるだろう」
それだけを言い残し、扉に手をかけて出ようとする。
「吉報を待っていますよ。くれぐれも気をつけて」
扉が閉まる直前。隙間から覗くジャックの背中に向けてサーシャは言葉をかける。一瞬扉をしめる速さが落ち、ジャックの顔が少しだけサーシャの方へと傾いた。しかし、何も言葉を返すことなくすぐに扉は閉められてしまった。
要がなくなれば立ち去る。至極当たり前のことなのだが、やることがなくなったというだけでどうも居心地が悪いのはぬぐいきれない。達成感と開放感はなかなかのものなのだが、それが帰ってくることはないものだと思うと…。
「いや、考え過ぎよね」
頭の中に浮かんだ一つの結末を、霧を拭うように頭の中から追い出す。
机の上に置かれた皮袋。それに目をやったサーシャは何気なく手にとって紐を緩めて開いてみる。中には何枚のも金貨が詰まっていて、学生の身分では手に入ることはない額が入っていた、
「こんな大金。一体何に使えって言うんだか」
報酬など受け取ったことはないし、研究や発明の材料ならば学校の予算で落とすことができる。しかし、こと自分に関してのものは何一つ興味もなく、小物や雑貨、さらには衣服に関しても何ら興味も湧かなかった。必要最低限のものがあればそれでよし。
それ以外の部屋の隙間は全て研究と発明のための材料と、それらをしまう棚で埋め尽くしている。
ひとまずは無くしてしまわぬよう、皮袋を小さな引き出しの中へとしまっておく。折を見て返してしまおう。そう思いながら、引き出しをそっと閉じて再び机に向き直る。
どうも落ち着かない。落ち着いた日など一度たりともないのだが、それでも今日はいつもと違う落ち着きのなさだ。体に現れるものではなく、心の中がザワザワと波立っている。
自分は間違ったことをしてしまっただろうか。友人を危険な目に合わせるような真似を。いや、もともと危険な目にあっているのだから、危険な目というのは少し語弊がある。現状やっと持ちこたえているエマの立場を危ぶませることに繋がるか否か、と言うことだ。
……いくら考えても答えなどでてこない。机の上に出せるものであるのなら、答えなど容易に導き出せるのに、こと心に浮かんだ不安を解き答えを示すのは容易なことではない。あとはあのジャックを信じているほかない。万が一、絵馬に何かあったとき、その時は
「……」
机の引き出しを開き、普段使っている杖を取り出す。普段の授業等で使う代物だが、勿論魔法を発動させることができる。そして、的を外さず生物めがけて放てば勿論命を奪うことができる。
「……その時は、私がやるしか、ないのか」
やる気も起きない。しかし、そうでなければ守ってやることなどできない。だとしたら、やる気がなくともやるしかない。
雑に背もたれにかけてあった外套を羽織り、内ポケットに杖を忍ばせる。そしてサーシャは扉を少し開けて廊下の左右を覗く。廊下には人一人おらず、静まり返っている。この時間はもう一限目の授業が始まっている。生徒は愚か教師が歩いているわけがない。少し息をつくと、部屋を出て忍びつつも駆け足で廊下を進んで行った。大丈夫、少し様子を見に行くだけだ。自分の頭で心に念じかけて。




