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腹底

 トロールの舌は生暖かく、酷い臭いのする粘液で満たされている。その液体は唾液ということはわかるが、その臭気に鼻が曲がりそうだった。口の中の筋肉が蠢き喉がひくつくと、嚥下され、ジャックの体が食道を通って胃液の中に晒される。


 ドボンと落ちた腹のなか。舌にも増してそこはさらにひどい臭いだった。これまでトロールが食べてきたものが腹の中をたゆたい、その臭気たるやまるで吐瀉物の中にでも浸されたようだ。

 胃液の中から顔を上げ、空気を吸い込めばたちまち嗚咽と共に嘔吐感がせり上がってくる。ジャックはこみ上げる胃液を抑えることができず、膝をつきけたたましい音と共に胃液にゲロを吐き出した。

 

 なんとか嘔吐感が収まったが、傷口に胃液がしみひどく痛む。

 剣をしっかりと掴みながら、ジャックはなんとか立ち上がり、辺りを見渡す。胃の肉が胃液によってテラテラとひかり、胃液の水面に時折喉から差し込む光が反射している。水面には何かの肉片がプカプカと浮いている。ゴブリンか何かだったのだろうか。小さな角が肉片についている。


 あまり長い時間ここにいれば、いずれ自分もああなる。ジャックは体を引きずりながら、胃液の中を進んでいく。

 トロールにもなれば、胃袋の大きさもなかなかなものなのか。一向に突き当たりにたどり着くことができない。そうこうしている合間にも、鎧は胃液に溶かされ、皮膚や炎症を起こし始める。こんなところで死んでたまるか。その一心で痛む体を引きずって、胃液に荒波を立てる。


 そして、ようやく胃の壁にたどり着く。

 ジャックは剣に魔力を宿そうとするが、間の悪いことに魔石に残った魔力がきれていた。剣を肉壁に突き立て、腰から魔石の入った袋を取り出す。袋を口に咥えながら、中から石を一つつまみ出す。いくつか外に溢れて胃液の中に溢れていくが、構うものか。袋ごと下に落とし、石を口に咥えて、器用に腕輪の穴に嵌め込む。


 肉壁に突き刺した剣を握り、再度魔力を流し込む。淡い藍色の光が刀に宿る。そして、突き刺した剣をさらに深く差し込み、横に引き裂いた。すると、切り口からあふれんばかりの血液が胃の中へと流れ込み、ジャックの体を押し流す。


 身体中が自分とトロールの血液によって濡れ、口や喉、鼻に血液が入る。咳き込めば、唾液や鼻水の代わりに血液が出てくる。それに加えて咳き込むたびに骨にそれが響き、痛みにジャックの顔が苦悶に歪む。

 胃の中で尻餅をつくが、すぐに手をついて起き上がり、穴をさらに広げる。


 剣で傷口を広げるたびに、胃の中が激しく揺れ動く。胃だけが動いているわけではないことは、ジャックもわかっている。何か得体のしれないものに自分の胃の中を切りつけられると思うと、トロールでなくても胃がムズムズとしてくる。

 胃の外から入ってくる血液は決壊した川のように、とめどなく流れてくる。ジャックは敗れた箇所を治すことなく、さらに切り広げていく。ようやく通そうな幅になると、傷口に肩を入れ這いずるようにして胃の外に顔を出す。

 下を見ると、黒い闇が口を開けている。落ちれば無事では済まないことは明白だ。

 前を見れば、巨大な肉壁がそびえている。あれを破ってしまえば、外へと出られそうだ。


 その時、ひときわ大きな揺れがトロールの胃を揺らした。揺れはジャックの足元を揺らし傾いてく。傾きは止まることがなくそして、ジャックの立っている場所が横になった。

 目の前に開いた穴から、ジャックは壁へと落ちていく。空中で壁に背を向けて顎を胸につけて受け身の態勢をとるが、傷んだ体ではどうもうまく衝撃を逃しきれない。


 苦しげな声を漏らして、ジャックは苦悶に顔をしかめる。歯をぎゅっと噛み締めて痛みをこらえるが、いくら痛みをこらえたところで治ることはない。激痛が体にまとわりつき、執拗にジャックを痛めつける。

 しばらくの間動けないでいたジャックだが、やっとの思いで手をついて立ち上がる。そして足元の肉壁に向けて、剣に魔力をまとわせ突き立てる。肉に突き立った剣を無理矢理力で押し込み、きりさいていく。


 しかし、薄れゆく意識はジャックの力を吸い取り立っていることさえままならなくさせる体重をかけるために前倒しになった上半身を、足でふんばって止めることができず、そのまま前のめりに倒れてしまう。

 痛みと気色の悪い悪臭に吐き気を催し、嘔吐によってさらに気分が悪くなる。気絶をしなくてすむが、それでも痛みと虚脱感に苦しめられる。


 なんとか片膝を立てて立ち上がると、肉に埋もれた剣をさらに足でふみつけて肉に押し込む。なんども何度も踏みつけているうちにとうとう剣の柄まで肉の中に埋まった。肉の間からちょこんと飛び出ている剣の柄を掴み、魔力を流す。下に引き、肉をわっていく。しかし、割れ目から外の光がさすことはなく、どす黒い肉の壁が続いているだけだった。


 さらに深く、さらに広くえぐる必要がある。肉を切れば切れるほど、トロールの体が揺れ動く。上から吹きつけるように降ってくるうめき声と叫びが、腹の中で響音している。元から低いトロールの声が、響くことにより悪魔のような重低音に変わる。


 肉を切る力は衰え、立っていることもままならなくなる。

 胃液によって鎧は焦げ、肌には火傷が広がって行く。

 痛みによって気絶することもままならず、力を込めることもままならない。

 と、そこへ。肉の割れ目からわずかな光が漏れ出ていることに気づいた。


 光はやがて巨大になり、そこから幾人の影が顔を出す。

 天から舞い降りた死神達。ジャックの目の前に現れた影法師達を見て、皮肉に頬を歪める。影はジャックに手を伸ばす。彼を死のそこから連れ出すために。彼の魂を連れていくために。


 だが、まだ貴様らの世話になるわけにはいかない。ジャックは影達を睨み殺意を向ける。けれど、濁った瞳では十分に意思を伝えることはできず、また恐ろしさも感じない。

 影達はジャックに手を伸ばし、彼の体を掴む。抵抗する余力は残っていない。

 最後の意識に感じたのは、腕達にひきづり出される感覚だった。

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