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耳長

 エルフ達は非力な種族だ。筋肉量は他種族におとり、鍛えたとしても肉付きは悪い。近接戦は剣も短刀やナイフなどの短い獲物に限られる。重装備の兵士と正面切って闘えば、あっという間に殺されてしまう。しかし、闘い方は近接だけではない。わざわざ自分たちが不得手とする方法で闘うことはない。


 非力さとは裏腹に、エルフ達の地形把握能力と隠密、さらには研鑽された遠距離からの攻撃。これらが技術と能力が組合わさった時、エルフの新の恐ろしさが発揮される。


 ゴブリンと、それに数人の鎧をつけた野党たち。その数およそ100人。恐らくもなにも、ドミティウス率いる帝国がよこした兵たちだ。胸にはご丁寧に帝国の紋章が刻まれている。彼らは用心深く辺りに警戒を払いながら、草をかき分けてぞろぞろと前へ進んでいく。


 対するエルフは20人の村の男たち。率いるのは、あの村長だ。村長は村人達に手で合図を送る。村人は合図に従って森へと散り、木に登り、草むらに身を隠し、敵の視界から気配と体を消し去る。


 村人達が隠れているとも知らず、ゴブリンと帝国兵達はずんずんと村へと近寄ってくる。

 すると、一匹のゴブリンの足が何かに引っかかる。下をみると編み込まれた一本の蔦が地面と水平に横へと伸びていた。ゴブリンの足はその蔦に見事に蹴っていた。その途端、頭上からはめきめきと何かが折れる音が聞こえてきた。


 ゴブリンは顎を上にあげて、頭上を見上げる。そこにあったのは、巨漢の胴はあろうかという、いくつもの大きな丸太だった。丸太は重力に従って落下し、ゴブリンを頭から押しつぶす。ゴブリンは丸太を支えることができず、頭がひしゃげ、丸太の下敷きになって動かなくなった。


 突然のことに慌てふためく敵陣。そこへエルフからの手厚い歓迎が待ち受けている。雨のごとく飛来する矢の数々が、寸分違わず敵の胴を、頭を、喉を射抜いていく。

 エルフには敵が見え、また敵にはエルフが見えない。絶好の立地を維持したまま、攻撃の手を緩めることなく矢をい続ける。


 混乱と恐怖が敵陣の中に波紋を浮かべて伝わっていく。帝国兵達とゴブリン達は浮き足立って辿ってきた道を一目散に引き返していく。


 しかし、森の中にはエルフたちが仕掛けた罠がそこら中にある。運悪くそれを踏めば、頭上から丸太の雨がふり、足から掬い上げられ、木の上につりあげられる。またある時は踏み抜いた地面がそこに抜け、剣山のように鋭く研がれた枝に肉を貫かれる。即死すれば痛みは一瞬だが、運良く生きてしまえば抜け出す事のできぬ生き地獄が待っている。絶叫が森の中に響き渡り、恐怖を助長する。

 

 エルフたちは一寸の油断なく、射程に入った敵に弓を射続ける。逃げるもの、降伏しようと剣をおろしたもの問わず、己の種族でない外敵に容赦をするなどあってはならない。下手に隙を与えて戦意を戻させるのを恐れていた為だ。油断と決めつけは自分の首を絞める。目の前の有象無象が動かなくなるまで、何本も何本も矢を敵の体に突き立てていく。


 物陰から物陰へ。敵が離れていけばエルフ達も移動していく。その様子を村から少し離れた場所で先遣隊の面々が見つめていた。そもそも、先遣隊の兵士もまた帝国の兵士。目の前でエルフに殺されていく仲間達を見て何も思わないでいる者たちではなかった。剣を引き抜き彼らを守っているはずの(守っている、という意識はないにしろ)エルフ達に襲いかかろうとする。それを制するのはエドワードだ。


 止めてくれるな。エドワードに刺さる兵士達の視線は皆同じ言葉を伝えている。しかし、エドワードは首を振るだけで応じない。なおも食って掛かろうとする兵士には、エドワードの拳がこめかみに突き刺さる。


 冷酷と言われようと、意気地なしと呼ばれようとかまわない。今ここで兵達を止めなければ戦力は分断され、戦力を削いてしまうことになりかねない。あってはならない結果を自ら招くような行為は避けなくてはならない。


 帝国に背くという事は寝食を共にした兵達との対立を意味する。それが兵やエドワードが分からないではなかった。しかし、森のあちこちから響いてくる悲鳴と絶叫にただ歯を噛み締めて聞いている他にないのは、この上ない苦痛だった。


 「見るのが嫌ってんなら、家の中にでも入って祈っていろ。ただただ邪魔だ」


 それを知ってかしらずか、村長は前を向きながらエドワード達に聞こえるように言葉を投げる。


 「意気地のねぇ木偶の坊だらけなのか、帝国の兵士ってのは。敵を敵と思えずに、見当違いの感情を向けるんじゃねえ。馬鹿が」


 「なんだと、貴様……!」


 「よさないか」


 なんとか沈静化しつつあった兵士達の怒りに特上の油を流し込んでいく。食って掛かろうとする兵士をエドワードは肩を抑え、退ける。

 

 「……部下がすまなかったな」


 「全くだ。手下の躾ぐらいちゃんとしておけ」


 村長は鼻を鳴らすと、肩越しにエドワードに視線を送る。さしたる興味もなかったのか、すぐに視線を元に戻し前を見据える。

 ジャックとユミルはその様子を兵達に混じって見守っていた。見守る、というよりも鼻から興味もなかった為、たまたま目に入ってしまったにすぎない。村長と同じくさしたる興味もなかった。


 なるほど、あの頃のままか。ジャックは闘っているエルフ達を見ながら思っていた。至る所に罠を仕掛け、あらゆる死角から攻撃を仕掛けてくる。こちらからはエルフ達を捉える事ができず、エルフ達からはこちらが見えている。弓矢、魔法を使って遠距離から攻撃を仕掛け、散り散りに敵が分散したところで伏兵に殺される。


 敵には土地勘もなく視界も制限される森。森を庭のように把握し尽くしているエルフ達にとっては、戦況を思うがままに操る事ができる。帝国の雑兵として動いていた頃にはジャックも随分手を焼かされた。それに業を煮やしたドミティウスはエルフの村もろとも森を焼き、無理矢理荒野へと引っぱりだしたのだ。


 しかし、それは過去の話。現在エルフと戦闘をしている魔物と人間達は炎を放つ用意はなさそうだ。ドミティウスが指揮をしている訳ではないにしろ、何の準備もなしにのこのこと攻め入ってくる訳が無い。


 戦況はエルフ側が有利に進められている。罠と死角からの攻撃によって、常に死体の山を築き上げていく。順調も順調。このまま押し切れば勝利は見える。

 何か、何か妙だ。おとなしすぎる。ジャックの脳裏に走る違和感は、形となって現れる。

  

 森に響き渡る、何かの音。重く、そして鈍いその音は何かの足音のように聞こえる。

 何事かとエルフが疑問符を頭上に浮かべていると、その正体が森の奥からやってきた。

 森の中を進む、異様な影。それが足を一歩踏み出すたびに、大地が揺れ、地響きが辺りに響き渡る。

 雲にまで届こうかという巨体。体全体が灰を被ったように灰色で、赤く爛々と光る眼がまっすぐにエルフたちの村の方を見つめている。額の両側には角が生えている。


 「なんで…、こんなところにトロールがいるんだ」


 エルフの誰かがそう呟いた。その声はかすかに震えている。

 トロールという魔物は本来は高山の頂上付近に生息している。山の付近にいる人々からはしばしば神聖視され、山の守り神として崇められている。


 そんなトロールが、今、場違いな森の中を歩いている。トロールは比較的温厚な性格でこちらが何かを仕掛けなければ、攻撃することはない。しかし、エルフの目の前から向かってくるトロールは、ありありと殺意をまとっている。


 トロールの頸には、一人の人間が乗っている。黒い外套をまとい、顔はフードをかぶって隠している。その手には丈の長い杖を握っており、いかにも魔術師である様相だった。

 魔術師の男はおもむろに杖を前に掲げる。すると、それに合わせてトロールの足が一歩、また一歩と前へ踏み出される。どうやら男は


 「何をしている。射て!射ちまくれ!」


 村長はエルフに号令を下し、エルフたちは次々に矢をつがえて放っていく。

 木々の合間を抜き、トロールへと飛来していく、次々にその肌に矢が殺到していくが、トロールの歩みは止まることはない。


 頸に登っているローブをまとった人間が、魔法を唱え、トロールに風の鎧をまとわせている。そのため、飛来した矢がトロールに刺さることなく勢いを失い、地面に落下していく。 

 トロールはハエのように飛んでくる矢に苛立ったのか、突然足を止めておもむろに両手をそばに生えていた大木へと伸ばす。


 大木はメキメキと嫌な悲鳴をあげながら、ゆっくりと上に引き抜かれる。地面が隆起し、太い木の根が顔を出す。あたりに土を撒き散らしたまま、トロールは槍を投げるように、手に持った木を空高く放り投げた。

 巨木は天高くいななき、そして弧を描いて落下し始める。落下地点には、エルフたちの暮らす村があった。


 「避けろ!」


 エルフの誰かが叫んだ。持ち場をそれぞれに離れ、一目散に逃げる。すると、先ほどまでいた地点に巨木が落下した。けたたましい音を立てながら、巨木が家を押しつぶし、地面に突き刺さる。

 土煙にまざって悲鳴が村の中から聞こえてくる。


 「お前らは弓を射ち続けろ」


 そういうと、村長は剣を握って、トロールへと突貫する。風鎧を剥がさなければ攻撃が意味をなさない。ならば、近寄り、ひっぺがす他にない。剣に魔力をまとわせ、いざ立ち向かわんとトロールに駆け迫る。

 そんな村長の横あいから、二つの影が村長を追い抜いていった。一人は犬族の女。もう一人は片腕の兵士だ。


 「助けてくれと言った覚えはないぞ」


 二人に向けて村長は口をひん曲げて言った。


 「助けなければ、我々の命が危うくなる」


 ジャックが村長を見ることなく言う。


 「死ぬくらいなら立ち向かって、前を向いて死んだほうがずっといい。傍観したまま、訳も分からず死ぬなんて真っ平御免」


 トロールに視線を向けたまま、カーリアが言う。三人の後方からはそして、三人の後を追うようにエドワードの率いる隊の面々が進攻をしはじめる。先ほどの混乱が嘘のように、一体となって森の中を進み魔物達へ攻撃を仕掛けていく。しかし、未だ同胞への情が働いているのか、帝国の兵士には極力とどめを刺さないように機をつけているようだった。


 「甘いな彼奴らは。さくりと殺してやれば楽だろうに」


 エドワード達を見て村長がぼやいている間にも、トロールの巨大な腕が3人に向けて振るわれる。もはや、木は何の障害にもならない。トロールの掌は木をなぎ倒しながら、勢いを止めることなく3人の元に迫る。


 ジャックと村長はそれを避けるが、カーリアはなぜかその場を動こうとしなかった。恐怖で足が動かない、というわけではない。彼女から戦意がみなぎり、意気軒昂で目は死んではいない。

 何か考えがあるのかとジャックが思慮するが、構わずに目の前の敵へと駆ける。


 トロールの手は、巨木ともにカーリアを巻き込み、天高くすくい上げる。カーリアは背中をトロールの手のひらへと向け逆らうことなく、トロールの力に従って空に舞う。天高く舞い上がったカーリアは、空中で体勢をひねり、腹を地面へと向ける。


 目下にはトロールの頭とローブを着た魔術師の姿がある。

 カーリアは刀を引き抜き、魔術師へ落下とともにきりかかる。

 勢いを増したカーリアの刀は、真っ直ぐに魔術師の頭上へと、風鎧を切り裂きながら振り下ろされる。


 魔術師は悠然とカーリアを待ち構え、杖に魔力を宿す。

 杖の先に手をあてがい、支えるように頭上に構える。そして、かち合う。

 強い衝撃が魔術師の体を打ち、魔術師は思わず膝を折ってしまう。


 このまま押し込んでやろうと、カーリアは刀を握る手に体重を乗せる。だが、その力は乗るどころか、彼女の体は重力に従って下へと落ちていく。力は刀から離れ、やがて魔術師の視界から消え失せ真っ逆さまに地面に落ちていく。


 冷や汗をかきながらも魔術師は勝ち誇ったかのように、ニヤリとほほ緩ませる。

 しかし、その顔は一瞬にして緊張が張り詰めた。

 トロールの体が、ぐらりと揺れたのだ。それはただ歩いただけの時とは、全く違う揺れだ。

 何事だと魔術師が下を見る。そこには、血に染まったトロールの足があった。


 血濡れの足はスネのあたりから吹き出した血液によるものだ。片足だけならまだしも、両足から血が噴き出している。

 何が起きた。状況を把握するために魔術師の脳と両目が瞬時に動く。

 蟻のようにしたで動いている二つの影。その影はトロールの足の腱にまとわりつき、剣を振るっていたのだ。


 村長は木を足場にして飛び上がり、横薙ぎに剣を振るう。魔力を乗せた剣は硬質なトロールの肉をいともたやすく切り裂き、吹き出した血が顔中にかかる。


 手で血をぬぐいとりながら、村長は地面に降り立った後。かかとから爪先まで丁寧に、細かく切り裂いていく。トロールの足はひび割れを起こしたようにいく筋の切れ目がはいり、その全てから血が流れていく。そして、無事なもう片方の足へと向かう。


 村長とは入れ違いにジャックが傷ついた足の甲に登り、脛に剣を突き刺す。そして、左右に肉をえぐりながら傷を広げ、より深く剣を突き刺し、いよいよ柄まで埋まってしまう。剣に魔力を宿らせて切れ味をあげると、ジャックは勢いよく横に薙ぎ、肉を切り裂く。


 巨大というだけあって内包されている血の量はそこらの獣とは桁が違う。溢れんばかりのどす黒い血液が吹き出し、ジャックの体を黒く塗りつぶす。


 鼻につく血の匂いを物ともせず、ジャックはすぐさま足から降りる。

 しかし、それだけでトロールのすべての動きを止められるのであれば、苦労はない。

 無残になった足などどうということもないかのように、巨大な腕を乱暴に振るう。狙いなど一切なく、そこらの木々をなぎ倒しながら、巨大な手のひらでジャックと村長を押しつぶそうとする。


 ただ思いきり叩くというだけの行為。しかし、その大きな手から逃れるには骨が折れる。

 指の間に立ち、ジャックは何とかして避けると、そのままトロールの手に登り、腕を伝って駆け上がる。

 トロールもジャックに呼応して、ジャックが伝う腕とは反対の腕を振り上げる。


 轟々と風切り音を立たせながら、振り上げ腕をジャックの頭上から振り下ろす。

 ジャックは腕にひるむことなく、腕の上を走り続ける。立ち止まるよりも進み続けることがより生き延びることができると考えたからだ。


 だが、たとえ進み続けたとしても、トロールの手のひらからは逃れられることは叶わなかった。無情にもトロールの手のひらはジャックの頭上に振り下ろされる。

 潰した。潰された。魔術師とカーリアの考えることは違っていたが、ジャックの有様を表しているという一点だけは同じだった。


 しかし、ジャックの命は消えてはいなかった。

 確かにジャックはトロールの手の下敷きになっている。肋も骨も足の骨もいくつか折れている。虫の息であることに違いはない。

 しかし、ジャックはまだ生きていた。


 トロールはゆっくりと手を腕から離す。

 ジャックは残りの力でトロールの手のひらに剣を突き刺し、自分の体を宙づりにする。

 ぷらぷらと揺れ動く爪先からは、血が滴り落ち、血の雨が地面を濡らす。

 自分の体重を支えるのは、一本の腕。そこに全体重がのることで、ぷるぷると痙攣し今にも力が抜けてしまいそうになる。そこをなんとか力を振り絞り、すべての力を握力に注ぎ込む。


 トロールは己の手のひらにくっついている人間を見て、ニヤリとほほを歪ませた。

 そして、ジャックを宙ぶらりんしたまま、手を自分の顔の前へ動かす。 

 あっ。と村長が息を飲んだ瞬間、ジャックの体が剣ごと下に落ち、トロールの口の中へと入ってしまう。

 トロールは一飲みでジャックを飲みくだし、満足そうにゲップを吐き出した。


 「ジャック…」


 トロールの足元でカーリアが呟く。木々の枝がクッションとなり、なんとか地面に降り立った彼女は、はるか頭上を見上げ、ジャックの身を案じる。


 カーリアが風鎧を切り裂いたことによって、エルフたちの矢が通るようになったが、トロールの硬質な皮膚は風鎧がなくとも、矢を跳ね返してしまう。やはり、魔力を乗せた一撃でなければ攻撃は通りそうもない。


 それがわかっていながら、攻撃に転じることが叶わない。上から無造作に振り下ろされる丸太のような太い腕。トロールの単純にして強力な攻撃が、反撃の道を断ち切っていく。


 避けるので精一杯で、攻撃もろくにできない。ジャックの身も心配だが、何より己を案じなければならないほど、逼迫した状況に陥ってきた。 

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