村長
部屋の前に待たせていた隊員たちの間を通り、ロドリックは扉の前に立つ。そして、ローブのポケットからプレートを取り出すと、扉についている金獅子に飲み込ませる。引き抜くと、扉を押し開く。
扉の先には廊下が伸びている。両脇には背の高い観葉植物が並べられている。
ロドリックは迷うことなく廊下を進んでいく。その後をジャックとユミル、隊員たちを引き連れたエドワードが進んでいく。
廊下の突き当たりに来ると、廊下は左右に分かれ。それぞれの突き当たりには扉がある。
ロドリックは右の廊下へ進み、扉を開けた。
すると、まばゆいほどの光が、扉の向こう側から差し込んできた。
手を庇代わりに掲げ、ジャックは扉を抜ける。
光になれ始めると、ようやくあたりの景色が見えてきた。
そこは緑あふれる森の中だった。木の葉が風に揺れ、さらさらと音をたててこすりあう。木々の間からは木漏れ日がもれ、葉が揺れるたびに陰たちが踊っている。
地面には青々とした草が生え、足を一歩踏み出すと足の形に草がおれ、そして、元通りに戻っていく。雑草のように伸び放題になっているのではなく、芝生のようにきれいに整えられていた。
「ようこそ。我が村へ。何もないところだが、ゆっくりしてくれ」
ロドリックは振り返りながら言った。
確かにそこにはいくつかの住居らしいもの並んでいる。そして、ロドリックと先遣隊の方を物珍しそうに視線を送っているエルフの村人の姿もある。
村にある住居はどれも土壁でできたものばかり。土造、とでも言えばいいだろうか。茶色の土の中にまだらに黒い物体が顔を出し、どことなく毒々しい色に見える。近寄ってそれをみると、黒く色づいた石だ。細かく、そして小さな石粒が陽光に当てられてきらきらと光り輝いていた。
土造の家屋は全部で10棟。四隅が角張った物や対照的に丸みのある物。蜷局状の貝殻のような物などなど、一軒一軒の家の形状は様々、多彩な形をした家々が軒を連ねている。
「ひとまず、村長に会いに行こう。気難しい方でな、あまり機嫌をそこねるような真似はしないでくれ」
そういうとロドリックの足は再び歩みを進める。
現代のエルフも昔と比べて開放的になった、というが、それはエルフ全てに当てはまるわけではない。興味と、恐れ、警戒。それに人間族に対する憎しみ。エルフから隊員たちに送られる視線の中には、その手の感情が見え隠れしている。
そうした視線の数にさらされながら、一行は村の中を進んでいく。
といっても、帝都に比べてしまえば、ロドリックの村は小さなものだ。数分で尊重の家へとたどり着いた。
汚れた赤い布が屋根から垂れ下がり、暖簾のように入り口の上部を隠している。ロドリックはその布を手であげながら、建物の中へと入る。
「村長。いるか」
ロドリックはなんの気なく、村長を呼ぶ。しかし、ロドリックとは違い、ジャックを含めた先遣隊の面々は住居の中に入った途端、思わず鼻をつまんだ。
濃厚なヤニの香り。住居の中にこもる紫煙は目に見えるほどに白く、部屋中をたゆたっている。
「ロドリックか。帰っていたのか」
薄暗い部屋の奥から、声が聞こえる。
「少しは換気をしたらどうだ。部屋にキセルの煙がたまっているぞ」
ロドリックはおもむろに壁際へと歩み寄ると、閉ざされていた窓を押し開いていく。
煙たちは吸い込まれるように窓へと流れていく。幾分空気が綺麗になったところで、ようやく家主の姿が見えてきた。
家の中には暖炉や食器棚。まとめて置いてある薪木などがあるが、それ以外のものはない。ずいぶんとこぎれいに片付けてあるだけか、それとも単に物がないだけだろう。
家主は部屋の奥、ロッキングチェアに腰掛けている一人の老人。白いざんばら髪に、蓄えた白い髭。皺の刻まれた顔は年輪のように老人の歴史をものがっている。
口にはキセルを咥え、口元からそれを離すと紫煙を上へと吐き出していく。紫煙は天井にぶつかると、輪を描きながら横へと広がり、消えていく。
「それで、そこにいる連中は何だ」
「帝都の兵士、冒険者、それに狩人たちだ」
「ほう。こんな辺鄙なところに一体どんなようだ。暇を潰せるようなものはないぞ」
そう言いながら、村長は再びキセルを吸い、紫煙を吐き出す。
「しばらくの間、この方達をここに逗留させてもらいたい」
ロドリックの言葉の後、村長からの返答はなかった。ただ、長くキセルを吸いこむと、紫煙をロドリックの顔めがけて吹きかけた。
「…なぜ、そんなことせにゃならない」
村長はキセルの先端をロッキングチェアの手すりに叩きつけ、詰め込まれていたタバコの葉を床に落とす。床で燻っている葉を足で踏み消すと、再び視線をロドリックへと向ける。
「人助けと思って聞き入れてはくれないか」
「かつて、帝国のくそ兵士共から受けた所業を忘れることなんざできやしねぇ。それがテメェらのジジババの頃だろうが、俺に言わせればつい昨日のことだ。そんなクソ野郎どものガキの面倒なんて誰がみるか。もし、そんな殊勝な奴がいたら、俺は賞賛したいね」
藍色の瞳を鋭くして、村長はロドリックを見つめる。
「俺の村に住む奴以外がどこで死のうが、俺の知ったことじゃない。殺されるのが嫌なら、そこらで首を括りゃあいい。幸い、ここらは木には困らない。好きな墓標を選んで首を括りな。テメェらの肉はカラスどもがついばんで片付けなくてもすむ」
「帝都が大変なことになっているんだ」
「知っているとも」
「…何だって」
「知っていると言ったのさ。つい最近、それらしい奴がうちの村に来た」
村長はそういうと、ロッキングチェアから立ち上がり、背後にあるとびらの前に立つ。
キセルを口にくわえたまま、扉を開く。そして、おもむろに何かを掴むと、それをロドリックの前に放り投げた。
何かとそれを見た時、ロドリックは息を飲んだ。
それは、何体ものゴブリンの首を縄でまとめたものだった。
「ど、どうしたんだ。これは」
「うちの村に押し寄せてきた連中だ。体にはご丁寧に帝国の紋章のはいった鎧を着てやがった。ちょうど、アンタのものと一緒の奴だ」
村長はエドワードの方を指差す。
エドワードの鎧の胸には、帝国の紋章、円陣に二つの三角形が上下に組み合わされたものが刻まれている。
「帝国がどうして魔物なんぞに鎧を着せているのか、玩具のつもりか知らねぇが、可笑しくてしょうがねぇや。ただ、そん中にいた人間をおどしたら、懐かしい名前を耳にした」
「ドミティウス・ノース、か」
口を挟んだのは、ジャックだった。
「そう。そのドミティウスだ。我らの宿敵であり、憎くき帝国の首魁。奴に殺された同胞の数は計り知れない。すでにおっ死んじまっていたものと思っていたんだが、案外人間もすぐにはくたばらんものだ」
笑いながら、村長は再びロッキングチェアに腰掛ける。
「その人間はどうなった」
ロドリックが言う。
「どうしたと思う?」
村長が尋ね返す。面白そうに、また揶揄うように、頬ををゆがめながら。
「まさか、殺したのか」
「なぜ生かしておく必要がある。生かして俺たちに何の得がある。理由もなく、価値もない。そんな、救うだけ無駄な、ただいるだけのゴミなんざ、俺たちの村には必要ない。そうは思わないか?」
そう言いながら、村長はちらりとエドワードたちの方へ目を向ける。
「死体は家の裏の森の中だ。持って帰りたいのなら好きにしな。止めやしねぇよ。ただまあ、野良の獣どもに食い破られているかもしれねぇから、持っていくときには気をつけることだ。臓物が垂れ下がってるかもしれねぇからな」
チェアのすぐ脇には、小さな丸机が一つ置かれている。その上には酒瓶が一つ置いてある。銘柄の書かれたラベルはなく、茶色い瓶の中には液体が入っている。
村長はキセルを机の上に置くと、酒瓶を手に持ちぐいと呷る。
「…てめえらの国の問題に俺たちを巻き込んじゃねぇ。第一、テメェのケツをテメェでふけなくてどうする。悪いが、他をあたりな。村を出るまでは、うちの村人には手を出させねぇからよ」
「貴様らの同胞の娘が捕まっているとしても、それが言えるか」
話を切り上げにかかる村長に向けて、ジャックが言葉をかける。
「…面白いことを言うな、てめぇ。名前は」
「ジャック」
「ジャックか。つまんねぇ名前だな。だが、せっかくだ。話だけ聞こうじゃねぇか」
ひくひくと喉を鳴らして笑いながら、村長は上半身を前に少しかがめ、ジャックの顔を仰ぐように尋ねる。
「この村の娘ではない、3年前に魔物の群れに襲われ、壊滅した村の娘だ」
「それは、残念なことだ。では、そいつらの冥福を祈って、酒を飲もう」
鼻をならしながら、村長は酒瓶に手を伸ばし、口元に傾ける。
「その子を何としてでも助け出したい」
「殊勝なことだな。だが、なぜ人間であるお前がエルフの小娘なんぞに執着する。貴様らからしてみれば、そこらの雑兵と同じく、価値のないものだろう」
「そんなことは…」
「ああ、そうだ」
エドワードが否定しようと口を開きかけた時、それを遮って、ジャックが言った。
ジャックのまさかの言葉に、唖然とするエドワード。村長は、少し驚いたようで目を見開いている。しかし、すぐにジャックは、口を開いたままのエドワードを放っておき、言葉を続ける。
「赤の他人、他の種族。私の知らないところいるそう言う奴らが、どこで野たれ死のうと、自ら死を選ぼうと私の知ったことではない。考えるだけ時間の無駄だ」
「ならばなぜ、エルフの娘は救おうとする。放っておけばいいではないか」
「あの子は…。あの子は違う」
それまで冷静さを保っていたジャックだが、戸惑いを隠すように、村長から視線をきる。
「あの子はあまりに私に近すぎた。それに、私もあの子に近よりすぎた。もはやあの子の死は私にとって人ごとではなくなってしまった」
「だから、救うってのか」
「この身を犠牲にしても」
「…そうかい。まあ、頑張れや。ロドリック、見送りは任せたぞ」
険しい顔を浮かべたかと思うと、ふっと表情を弛緩させジャックから目線をそらす。手をひらひらと振りながら、ジャックや先遣隊の面々に背中を向ける。
「あの荒野を覚えているか」
ジャックは、その背中に言葉をかける。
「エルフと、我々帝国の兵たちが戦ったあの場所だ。いく人のエルフが兵士に斬り殺され、幾人の兵士がエルフの魔法によって命を散らした。あの死体の掃き溜めを、お前は覚えているか」
村長は立ち止まり、ジャックの言葉に聞き入っていた。
エドワードや他の隊員たちはジャックの話に困惑ばかりが浮かんでいた。こいつはいったい何を言っているんだと、彼らの顔にはその言葉が浮かんでいた。
唯一、ユミルだけが心配そうにジャックを見つめていた。
「私もあの場にいた。魔法の嵐から死体を盾にして生き延びながら、多くのエルフを亡き者にした。首をきり、胸に剣をつきたて、胴を薙いだ。荒野の土は赤く染まり、死体が山を築いた」
「…それが、どうした」
首を少し動かし、村長は肩越しにジャックに言葉を送る。ひどく無機質で、感情を浮かばせない声だった。
「一人のエルフの男が、私の腕を掴んで離さなかった。そいつは私が腹を切り裂いて殺したはずのエルフだった。奴は死ぬ間際に私の手を取って、にやりと笑っていた。ざまぁみろと言いたげにな。そして、私はそのエルフに気を取られている間に殺された」
「何を馬鹿なこと言っているのだか。テメェは今ここにいて、俺に楯突いてるじゃねぇか」
「私にだってなぜ自分がここにいるのかもわからん。ただ、私がしてきたエルフへの所業は消えるものではない。村を焼き、森を焼き、幼いエルフの子供にも手をかけた。帝国の命じるままに、エルフたちを八つ裂きにし続けた」
「…胸糞悪い話を聞かせやがって。どうやらテメェは殺されたいらしいな」
村長はそう言うと暖炉に立てかけてあった杖を取り、ジャックに向き直る。そして握りを掴むと、引き抜いた。
それは杖に仕込まれた細い剣だ。
鞘になっていた杖の先端を投げ捨て、村長はおもむろにジャックへと歩み寄る。その顔には笑みがうかんでいるが、目は一切笑っていない。
「村長、やめてくれ。今ここで殺し合いをしている場合ではない。このままでは、帝国軍が再び我らエルフを襲いにくるかもしれない」
「かもじゃない。くるんだよ。ドミティウスの野郎が俺たちを放って置くはずがない。今度こそ根絶やしにするつもりで襲撃してくるに決まってる」
仲裁に入ってくるロドリックを手で退けると、ジャックの前に立つ。
「だが、それとこれとは話は別だ。テメェを殺す理由は十分にある」
「お願いだから、やめて」
そう言って村長とジャックの間に立ったのは、ユミルだ。
「同胞よ。邪魔立てをするな。君に用はねぇ。俺が用のあるのは、そこにいるウスら馬鹿だ」
「彼の言動は私からも謝るわ。だから、どうか剣を納めて。お願い、村長さん」
村長の顔を見ながら、ユミルは懇願の言葉を言う。しかし、その懇願は村長の耳から耳へ通過するだけ。一切思考を邪魔することもなかった。
ラチがあかないと、ユミルを退けようと村長は彼女の方に手を伸ばす。そして、力を加える。
その時だ。外からけたたましい鐘の音が聞こえて来た。
乱暴に叩かれることによって鳴り響く甲高い音が、村中に響き渡る。その鐘が何を意味しているのか、村長やロドリックがわからないわけがなかった。
ロドリックは焦ったように窓枠へと近寄り、外をみる。村長は残念そうに肩を落とし、大げさにため息をついた。
「何の音だ」
ジャックが尋ねる。
「襲撃だ。どっかのバカがうちの村を襲いに来やがった」
そういうと、村長はジャックから離れ、ロドリックと同じように窓から外を眺め始める。
「お前の相手は後だ。バカどもを懲らしめてやらなければ」
「手伝うか」
「テメェの手を借りるほど、俺たちは落ちぶれちゃいない。まあ、見てな」
ジャックの提案をはねのけ、村長は剣を持ったまま隊員たちを割って外へ出ていく。
その後ろ姿をジャックは追っていたが、何か導かれるように、その後を追って家を後にした。。




