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魂魄

 所変わって、ジャックはユミルを連れて校舎のとある部屋を訪れていた。

 そこは偶然に知り合ったエマの友人の部屋。扉の前に立ち、ノックをする。


 返事はない。

 扉に耳を当てる。中からはかすかに物音が聞こえてくる。そうやら中に人はいるようだ。


 「おい、いるのか」


 ジャックは声で中の住人に呼びかける。だが、それでも扉は一向に開かない。


 「いない、みたいね」


 「確かめねばわからん」


 「あ、ちょっと」


 だんだんと苛立ちを募らせてきたジャックは、ユミルの制止をよそにドアノブに手をかける。


 ドアノブを回し、勢いよく扉を開く。

 中には確かにサーシャがいた。彼女は扉には見向きもせずに、机に向かって書き物をしている。集中して物音が聞こえていないらしい。

 ジャックはお袈裟にドアを数度叩く。その音でようやくサーシャの顔がジャックに向いた。


 「あれ、どうしたんです。突然。…その腕、どうしたんですか」


 メガネを押し上げながら、ジャックへサーシャが顔を向ける。そして、彼女が一瞬息を飲んだ。

 サーシャの視線の先には、包帯のまかれ、あるべき腕をなくしたジャックの肩があった。


 「いくつか聞きたいことがある」


 サーシャの言葉を意に介さず、また彼女の視線から傷跡を隠すように肩をそらしながら、ジャックはサーシャに問いかける。


 「なんでしょう」


 「人の体内に入った別の魂を取りのぞく方法はあるか」


 「…はい?」


 「人の体内に入った魂を取れるのかと聞いている。どうなんだ」


 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。なんですか。急に人の部屋を訪ねてきて、魔術の話なんて」


 「心当たりがあるようだな」


 「…ええ。まあ。知らないってわけじゃないですよ。まあ、とにかく一旦落ち着きましょ。ほら、そこに腰掛けて。後ろにいる女の人も。適当にくつろいでいてください」


 そういうとサーシャはジャックとユミルに椅子を差し出す。2人が腰を下ろしたところで、サーシャは改めて口を開いた。


 「ジャックさん達の抱えている問題がなんなのか、私にはわかりませんけど、ジャックさんの言っている魔術なら心当たりがあります」


 そう言って、サーシャは椅子の下に積んである本の山から、一冊の本を取り出す。かぶっていた誇りを息で飛ばしすと本を開き、目当てのページをジャックに見せる。


 「魂移し、って言う魔術です。細かく言えば魔術ではなくて呪術に該当するものなんですけど。まあ、そんな細かい話は置いておきましょう。言ったところでジャックさんやそちらにいるエルフの女性が理解できるものではないと思いますし」


 軽く二人をけなしながら、サーシャは言葉を続ける。


 「魂移しというのはその名の通り、別の人間の魂を他人の体に乗り移らせる術です。もともとは東洋で扱われていた呪術でして、ネズミだったり、猫だったり。あるいは人間だったり。動物人間問わず、移したい容器と自分、あるいは移す魂の入った生き物を用意します。そして、移動させる方と、魂を受け取る方両方に円陣を描いて発動させます。そうすることで魂が別の肉体へと転移させられます。まあ、簡単に言えばただそれだけの術ですね」


 サーシャは本を閉じて、再び本の山の頂に置く。


 「円陣を刻まれたもの同士は魂の移動が可能で、もう片方が無事であればなんでも行き来ができます。まあ、それを防ぐためにもう片方の体は壊されてしまうことがほとんどだったらしいですよ。東洋の歴史書にそう書かれていましたから」


 「それを解く方法はあるのか」


 「そりゃ、術ですから。かけることができれば、それを解く方法だってありますよ」


 「どんな方法だ」


 「ええっと、ちょっと待ってくださいね。確かこの辺りに…。おお、あったあった」


 サーシャは立ち上がると、今度は本棚の中から1冊の書物を取り出した。ページをくり、お目当のページを見つける。


 「方法は、大きく分けて二つです」


 言いながらサーシャは人差し指と中指を立てて、ジャックに見せる。


 「一つは、入れ物ごと消滅させるという方法です。これが一番簡単で手っ取り早い方法みたいですね。面倒な手順を踏まず、入れ物ごと殺してしまえばいいようです」


 「却下だ。もう一つのほうを教えてくれ」


 「あら、どうしてです?」


 サーシャは首を傾げてジャックに尋ねる。


 「詮索するな。とにかく、なしだ」


 しかし、ジャックからはその答えを示されることはなく、ただ眼光を鋭くさせるだけだった。


 「…もう一つが移した魂を別の入れ物へと入れ直すという方法です」


 少しいすくんだものの、気を取り直してサーシャは話を続ける。


 「入れ直す?」


 ユミルが問う。


 「ええ。意味はそっくりそのまま。魂を入れ直すんです」


 「どうやるのだ」


 今度はジャックが尋ねる。

 サーシャは本を棚に戻し、ジャックに向き直る。


 「同じことをするんですよ。入れ物を別に用意して、術をかける。体と魂は密接に結ばれていますが、外部から移植された魂はのりでくっつけた紙みたいなもので。術をかければ体から剥がれて、すっぽりと入れ物に収まります。ただ…」


 「ただ、なんだ」


 「魂移しをされてから時間がたつほど、魂はより大きい方に飲み込まれ、融合してしまいます。そうなってからではとても引き剥がすのは無理です」 


 「…期限はどのくらいだ」


 「そうですね。詳しくは調べて見ないことにはわかりませんが、完全に一体化してしまうまでに、おおよそ3週間ほどかかります。その間でしたら、まだチャンスはあるかと」


 タルヴァザから帝都まで4日をようし、帝都から大学へくるまでに5日はかかっている。一週間と少しが経過しているだけだが、残されている時間はない。こうしている合間にも、時は立ち、残酷なほどに流れていく。


 「動いている間に吸い出すことはできないのか」


 「難しいですよ。それは。暴れられでもしたら、術どころの騒ぎではありませんから」


 「だが、できることはできるのだろう」


 「…まあ、出来ないわけじゃないですけど」


 そう言うと、少女は再び立ち上がり、今度は大きな衣装ダンスの前に立つ。

 引き出しを開けて中をゴソゴソと手でかき回している。邪魔だと言わんばかりに引き出されたものは、ネジや釘など小さな部品から、木材や鉄の棒などなど。およそ衣装ダンスから出て来るはずのないものが次々に彼女のベッドの上に放り投げられる。


 ようやくお目当のものを探り当てたのか、サーシャの動きが側と止まる。

 そして、ゆっくりと手を引き出しの中から引き抜いていく。


 少女の手に握られたものは、一本の木の筒だ。細長い筒の先端をひねり、カポと音を立てて蓋をとる。

 そして筒を少し傾けると、中からは小さな水晶が顔を出した。

 細い六角形の水晶は光に当てられ、透明な体のうちに虹色を映し出す。


 「魔石か」


 「ええ。でも、これは単なる魔石ではありません」


 サーシャは手に持った石をジャックに投げる。

 くるくると空中で回転をするそれを、ジャックは鷲掴んで受け取る。

 窓から差し込む光にそれを当てて見ると、石の表面に見慣れぬ文字がびっしりと刻み込まれていることがわかる。


 「エルフ語の魔術呪文(ルーン)です」


 付け加えるようにサーシャは言うと、再び元の場所に腰を下ろす。


 「これがなんだというんだ。魔石なら間に合っているぞ」


 「何もジャックさんの補充のために、わざわざタンスをひっくり返したわけじゃありませんよ」


 はあ、と少女は一つため息をこぼす。そして一拍の間を置いて口を開く。


 「その石にはご覧の通り、ちょっとした細工を施してありまして…」


 「このルーンか」


 「ええ。それです。それによって魔石の吸収力を増加させて、通常より多くの魔力を吸収することができます。しかも、一瞬で」


 「それがなんだと言うんだ」


 「まあまあ、そう語気を荒げないでくださいよ。魂移しによってうつされた魂は、普通の魂ではありません。いいですか」


 サーシャは本と本との間に挟まっている紙を乱暴に引き抜き、机の上人広げ、万年筆でそこに図を書きなぐっていく。


 「魂移しは生体の魂を別の生体へと移す術です。移された魂は体に宿ります」


 「それは先ほども聞いた」


  苛立ちまぎれにジャックは言う。


 「最後まで話は聞くものですよ。重要なのは、ここからなんですから」


 万年筆の筆先をジャックの鼻先に向け、少女は再び話を始める。


 「魂移しは魂を移す。ここまではいいですね。では、質問をします。この場合魂を抜き取られた体は一体どうなるでしょうか」


 「死ぬに決まってる」


 「そう。その通り。魂を抜かれた体はそのまま死んでしまいます。魂が離れたわけですから当然です。では、死体となった魂はどうなるでしょうか」


 「それは、移されたんだから入れ物の一部になるんでしょう?」


 話を聞いていたユミルがジャックの背後から言葉を放つ。


 「そう。いずれはそうなります。ですが、初めから一部になるわけではない。ここが重要なところなんです」


 紙に書き殴られた人の絵とその体内にある魂魄の絵。分かりやすくするためにサーシャが書いたものだが、開発する頭脳は絵心まで完璧にこなすということはない。


「本来ある魂に横合いからは、別の魂が入り込む。自分の家に赤の他人が入ってくるようなものです。当然拒絶反応が起きて、魂はその魂をおいだそうとします。これでは、どうしたって入ることはできない。では、どうするか。周囲にとどまり続けるんですよ。魔力の一部になってね」


 サーシャは人間の絵の周りをクネクネとした線で囲う。補足するように線に矢印をのばし、先端とは反対の方に外敵:魂と書き添える。


 「魂が、魔力に?」


 言っていることがよく理解できていないのか。ジャックの頭に疑問符がちらつく。


 「ええ。移された魂が入れ物の魂と馴染むまでの間、魔力となって体内に住み着くんです。そして入れ物の体を操りながら、徐々に入れ物の魂を浸食していきます」


 サーシャは線と人間の絵の間にある空間に、人間の方へ向かっていく矢印をいくつも書き加えていく。


 「先ほど入れ物ごと破壊してしまうのが手っ取り早いとは言いましたけど、それは完全にうつされた魂と入れ物の魂が一体化した時に限ります。まだ一体化する前の段階で入れ物を殺しえたとしても、それは入れ物が死ぬだけで、移された魂には影響がありません。死んだことによってその体を乗っ取り、死霊術によって蘇った屍人(アンデット)のようになるだけ。そうなると、二回殺さないといけなくなります」


 ドミティウスと同じようなことをサーシャは言った。

 あの狂人の言っていることは間違っていない。それを、サーシャの言葉はドミティウスの言葉を証明してみせた。

 それは、ジャックたちにとってはの嬉しい知らせではなかったが。


 「それで、話はここからなんですけど。この外敵の魂が魔力に溶けている状態であれば、入れ物の魔力ごと吸い出すことができるかもしれません」


 「どうやるんだ」


 「この石を魂移しされた入れ物の体に埋め込むんですよ。体内に入りさえすれば、石の効果で魔力をこの中に吸収します。そうすれば、入れ物の魂を傷つけることなく、魔力だけを吸い出すことができます」


 「そんなことが可能なのか?」


 「魂移しされた体に試したことはありませんが、魔力の吸収なら保証しますよ。なにせ自分で体験しましたから」


 「これを、体の中にいれたのか」


 「ルーンを刻んだものは入れていませんよ。普通の魔石を口に含んだんです。いきなり意識が飛ぶようなことはなかったんですけど、気分が悪くなるわ力は抜けるわ。ろくな目にはあいませんでした」


 ははは、とサーシャは快活そうに笑う。


 「なぜ、そんなことを…」


 「興味があったからに決まっているじゃないですか。興味がなければ、こんなバカなことはやりませんよ。逆に言えば探求心や興味があって、かつ研究するに十分な理由があればどんなバカな行動も、すべて実験という言葉におきかえられてしまいます」


 笑みを浮かべながらも、ユミルの疑問に対する答えをサーシャは述べていく。頭のいいやつの思考回路は、常人では理解できない構造になっているらしい。


 「で、その実験から魔石の魔力吸収力を底上げできたら、面白いのではないかと思いまして。作ったのが、その意思というわけです」


 「これは、あとどのくらいある」


 「現状はその一つだけです。石の表面にルーンを刻み込んでいくのはなかなか骨がおれましてね。集中力やなんか、か使うので結構疲れてしまうんですよ。まあ、頑張ればあと2、3個は作れますけど」


 「渡してくれるか。何なら金を払ってもいい」


 「そうですね…。本来ならお金を受け取ってしかるべきなんでしょうけど。ジャックさんには私の実験に付き合ってもらってるし、今回はこれをお渡ししますよ」 


 「…感謝する」


 ジャックは手に握ったルーン入りの魔石を腰のポーチに入れる。

 しかし、その共同の最中に一瞬だけジャックの動きが止まる。その瞬間にジャックの思考がとある仮説を紡ぎ出すが、ジャックはそれを言葉にすることなく、ユミルへと顔を向ける。


 「先に戻っていてくれ。私はもう少し、こいつに用がある」


 「何よ。私がいてはできない話でもするの?」


 「茶化すな。頼むから」


 「…わかったわよ」


 釈然としないまま、ユミルはジャックを置いて部屋を出て行った。

 残ったジャックはしばらくユミルのさった扉を見つめていたが、気を取り直し、少女に向き直る。


 「まだ、何かあるんですか」


 ふう、と鼻で息をもらしながら、サーシャはジャックの言葉を待つ。


 「ああ、…」


 ジャックの口から語られる言葉は、彼の思考が紡ぎ出したとある仮説。それは、サーシャは聞き捨てならないものでありながら、同時に彼女の知的好奇心を大いに刺激するものだった。

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