校長
魔法大学学校長。名前の通り、大学の長を表す肩書きであり、ただ椅子に踏ん反り返って飯にありつくだけが仕事ではない。
帝国の要人との会合から大学の諸経費の精算署に判を押し決定する。また、晩餐会という帝国の悪しき習慣にも顔を出すことを忘れない。大学への経費を切り上げられたくなければ、猫をかぶって媚びへつらうのが一番だ。
その意味で言えば、レイモンドはうってつけの人材だった。
人の顔を立てつつ、またこちらの要求も自然な会話のうちに飲み込ませる。どんな相手でも機嫌を損なわせることはない。望む通りの言葉を選び、相手の望む愚者を演じる。
昔は痩身だったが、付き合いが増えるにつれて肉がこえ、現在では杖がなくては歩けないほどになってしまった。別段見た目に構うような性癖ではないが、さすがにそろそろ運動でもしようかと考えている。
レイモンドの部屋は大学校舎の最上階。階段を登り長い廊下の突き当たりにある。
人誑しの異名を持つ彼であっても、今日の来客の相手には少々骨が折れる。なにせこれまで顔を見たことしかなく、大学にこれまで顔を見せたこともなかったのだから。
「では、そういうことで、一つ宜しく頼むよ」
ロイはソファから腰をあげると、護衛の屍兵を連れて部屋を後にしようとする。
「ええ。善処させていただきます」
「善処ではだめだ。必ずやってくれ」
レイモンドの返答にロイは彼の顔を指差しながら、苦言を呈した。
細かい男だ。言葉一つでも気に入らなければ釘をさしてくる。内心では毒づきながらも、顔にはロイに見せるべき微笑を浮かべて、レイモンドは頷いた。
「では、お見送りをいたしましょう」
「いや結構。私のために労力を使うのはよしてくれ。それより、今日からでも事にあたってもらいたい。急がば回れなどと言う悠長なことを言っているようでならんぞ」
「そうですか。では、またご用がありましたら、いつでも」
「ああ。近いうちにでも寄らせてもらうよ」
ロイはそう言うとレイモンドに背を向けて、扉の前に立つ。
胸ポケットから見慣れたプレートを取り出し、金獅子の口に飲み込ませようとする。
後少し押し込めば完全に飲み込まれてしまうところで、ドアを何者かがノックをした。
「学校長。よろしいでしょうか」
「今は来客中だ。後にしてくれ」
「構わんさ。入れてやれ」
ロイは一旦プレートをさげて、扉から一歩退く。そして、扉が開かれ、外から新客が顔を出した。
「おお。これは、これはブラウン団長殿。今日はどのようなご用件でしょうか」
外から現れたのはエドワードだった。彼は兵士を二人ほど連れて校長室に入ってくる。
その時、エドワードの目はロイの姿を捉える。
「久しいな。エドワード君」
「会談中失礼しました、コンラット書記官殿。よろしかったのですか?」
「ああ。今しがた終わったところだからな。…ではな、学園長。私はこれで失礼するよ」
ロイは再び扉の前に立ち、金獅子に扉を開ける。
「おっと、そうだ。いい機会だ。この際君にも伝えておこう」
足を一歩扉の中へと踏み入れると、ロイは振り返りエドワードの顔を見つめる。
「このたび、皇帝陛下が崩御なされた」
「いつです」
「一週間ばかり前だ。そして、新たな皇帝陛下が着任され、その下で体制が変わった」
「皇帝陛下が変わった?一体どなたに。ご子息はまだ10にも満たなかったはずですが…」
その言葉を言いながら、エドワードの脳裏に嫌な予感が生まれる。そして予感とともに一人の名前が浮かんでくる。できることならば聞きたくはない、その名前が。
「ドミティウス・ノース陛下だ」
だが、ロイの口はエドワードが望まない名前を言葉にした。
「…今、何と?」
「ドミティウス・ノース閣下だ。二度も言わせるな」
不快感を顔に表しながら、ロイはエドワードに言う。
「待ってください。ドミティウスだって?何を言っているんですか。奴は帝国の敵であるはず」
「口を慎め、エドワード。あの方は帝国の敵ではなく、帝国そのものなのだぞ」
「…その発言からすれば、貴方はそちら側についたということですか」
「あちらもそちらもない。私は帝国に奉仕し、帝国とともにあるだけだ」
「大佐は、…貴方の従兄弟が黙っているはずはない」
「確かに、あいつの頑固さはなかなかだ。だがな、あいつも私と同じく帝国に忠を示している。いずれ奴も、分かる時がくる。…必ず、な」
それまで憮然とした表情を崩さなかったロイの表情が、アーサーに触れた途端悲しげに歪む。
「…エドワード。君も、これからの身の振り方を考えたほうがいい。帝国にこれまで通り忠をつくすか。レジスタンスの真似事をして絞首台にかけられるか。私としては、できることなら帝国に尽くしてくれることを願うよ」
それでは。そう言い残して、ロイはエドワードに背をむけて、今度こそ扉の中へと消えていく。護衛の屍兵によって扉が閉められる。
呆然と扉を見つめエドワード。驚き、失望、そして怒り。なぜ、どうしてという疑問はエドワードの脳裏に残り続けるが、一旦は脳裏に閉じ込めたままにする。発散するために室内にある机を蹴飛ばしてもよかったが、あいにくここは帝都の仕事部屋でもなければ、エドワードの家でもない。
深く息を吸い、そして吐く。高揚しかけた気分を落ち着かせ、校長に顔を向ける。
「書記官殿の要件とはなんだ」
「大学にいる異種族達を退学させ、外へ出せと。それが出来なくば、異種族達の子供らを一人づつ殺し、大学の予算もつけない。と言っておられた」
「それで、貴殿はそれを飲んだのか」
「まさか。そんな大それた真似を私ができるものか。ここは学びの場。公的に開かれている場所だ。人間であろうと、亜人種であろうと、学びの門戸はひらかれている。そこに政の力が働くなどあってはいけないことだ」
机の上に肘を置き、レイモンドは両手の平で顔を覆う。手のひらの中で息を吐くと手を顔からおろし、エドワードに視線を向ける。
「だが、この学校を存続させるためには、彼らの意思を実行しなければならないことは確かだ。人様から大切な子供を預かっている以上、命の危険を晒させるわけにはいかん」
「では、どうする」
「それはこれから考える。…これで、しばらくは眠れそうにないな」
口元を緩めながら、冗談半分にレイモンドは言う。いや、冗談の一つでも言わなければ、今後直面する反感には備えられそうにない。
「それよりも、君も私に用があるのではなかったか。まさか、書記官殿と一緒の用ではないだろう」
「しばらくの間、ここに逗留させてもらいたい」
「それは、また。ずいぶん突飛な話だ。君たち一介の軍人は帝都が我が家ではないのか」
「汚された我が家を取り戻すためにも、今はこの場にとどまる必要がある」
「…まさか、レジスタンスの真似事をするつもりなのか」
レイモンドの発言に、エドワードは答えなかった。
「ここを戦場にするつもりか?」
「そんなことはさせない。約束する」
「軍人の約束をどうやって信用すればいいのかね。大義という意味のない空想の元に約束事を平気で破ってきた君たちが。全く、お笑い種だよ。いったいどの口がほざいているのだか」
こめかみを揉みながら、心底呆れたと言わんばかりにレイモンドは言葉を放つ。
「ここは君らのいるべきところではないし、私が君らの注文に応える義理もない。血で書物を汚すわけにはいかない。もちろん生徒達を危険に巻き込むことも」
「今ある帝国にのさばっているのは、帝都の民に手をかけた者共だ。私たちがここにいたとしても、奴らの手下がここに来る可能性はある」
「そうならないために、私がいるのではないか」
机の上で腕を組み、レイモンドはエドワードを見上げる。
「帝都がどんな有様であるか。私とて知らないわけではない。魔物どもが大挙して押し寄せ、帝都はさながら地獄絵図と化したことも。大勢の市民の亡骸が、帝都の壁に飾られていることも。君らが来る数日前に耳にしている。もっと詳しい話はさきほど書記官殿からいやというほど聞かされている」
「では、なぜ立ち上がろうとは思わんのだ。貴殿の家族も殺されたのかもしれんのだぞ」
「あいにく私は独り身でな。運良く犠牲となった近親者はおらん。それにな、私が立ち上がろうとすれば、この学校の生徒をも巻き込んでしまう。それだけは、避けなくてはならない」
机の上で手を組み、レイモンドはエドワードを見上げる。
「君の言っていることもわかる。多くの民の命を失えば、奮起したくなるのもわかる。私とてこの学校の校長を勤めていなければ、老体に鞭打って戦に臨んでいただろう。だがな、私の意思はもはや私個人の意思ではないのだ。…言っていることは分かるな」
視線を鋭くさせ、言い聞かせるようにレイモンドはエドワードに言う。
「…」
「疲れているだろう。今日はゆっくり休むといい。二、三日は滞在を許すが、それ以降は出て行ってもらう。そうそう、アリッサくんには会ったか。君の事を随分と心配していたぞ。会って来るといい」
肩を上下させ体をほぐすと、レイモンドはエドワードから視線を切り、そうそうに会話を切り上げる。
そして、部屋を辞去しようと腰をあげる。エドワードの横を通りぎわ、ちらりと彼の横顔をみる。
悔しさをにじませるかのように唇を噛み締め、
「…すまないな」
そう言いながら、レイモンドの手はエドワードの肩をたたく。
そして。レイモンドはエドワードにふりかえることなく、部屋を後にした。
「…団長、どうしますか」
兵士の一人がおずおずと訪ねてくる。
エドワードは拳をきつく握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。
兵士からはエドワードの顔を見ることはできない。エドワードが何を思っている彼は天井を仰ぎ、一つ息を吐く。
「断られてしまっては仕方ない。校長殿のお言葉に甘えて二、三日はここで体を休めよう。それからのことは、これから考える」
落ち込んだ様子もなく淡々とそう言うと、エドワードは兵達より先に部屋を出る。
だが、エドワードの目は、彼の口とは裏腹に失意に濁っていた。




