7-1
「…エリス!」
ジャックはエリスの名を呼びながら、飛び起きた。
「…」
肩で息を吐きながら、痛む腹に手を当てながら、ジャックはあたりに目を泳がせる。
ドミティウスのいた洞窟ではないことは一目でわかった。
土が剥き出しになった壁や床は木板に代わり、上を見れば白い布の屋根がある。
少しの間自分がどこにいるのか判然としなかったが、ジャックの方へ近寄ってきた者の顔を見た時にようやく己の所在がわかった。
「気がつきましたか」
コビンだ。彼は逆さにもった兜と兜の縁にタオルを一枚かけて、小脇に抱えてジャックの隣に腰を下ろす。
「…馬車の中か」
「ええ。感謝してくださいよ。カーリアと二人で担ぎ上げてきたんですから」
嫌味を一つこぼしながら、コビンはタオルを兜の中につっこむ。見ると兜の中には水が溜まっている。タオルが水の中に沈むと小さな波紋がたち、兜の壁へと打ち付けられる。
タオルを水の中から引き上げ、両手でタオルをしぼりあげる。捻られたことでタオルに吸い込まれた水分が居場所を求めて滴り落ちていく。あらかたの水気を切ると、タオルを小さく折りたたみ、コビンは体をジャックの方へ向ける。
「汗を拭きますから、背中をこっちに向けてください」
コビンの言葉に従って、ジャックはコビンの顔に背中を向ける。
「ユミルは、どうした」
「一昨日に気がつかれて、今は外に狩りに出てもらっています」
喋りながら、コビンは手に持った濡れタオルをジャックの背中に当てる。
冷えたタオルが触れたことで、ジャックの体がピクリと反応するが、それは最初だけ。あとはコビンのなすがままに任せる。
「狩り?なぜ狩りなんてしている。ここは帝都ではないのか」
だが、ジャックの言葉によってコビンの手が止まる。
ジャックが首を動かして背後に目をやると、コビンが何かを躊躇しているのか、目線を下に向け、ジャックの顔を見ない。
「どうした」
「…帝都が、陥落したのです」
「何?」
細い声でコビンが答える。ジャックは何かの聞き間違いのような気がして、コビンに聞き返す。
「ですから、帝都が陥落したんです」
「…私が眠っている間、何があった」
ジャックは体をコビンの方へ向け、正面からコビンの言葉を待つ。語るかどうか迷っていたコビンだったが、意を決し、これまでの経緯を話し始める。
魔物によって帝都が陥落していたこと。帝都を囲う壁に見せしめにされた市民の死体が飾られていたこと。
死体のうちの一体にエドワードの奥方がいたこと。
エドワードの判断で一路魔法大学へ向かうことにしたこと。そして、今大学のある山の麓に野営を敷いていること。
順繰りに、しかし細かいことをかい摘んでの説明だったが、ジャックは納得した。
それに加えて、帝都を陥落せしめた者は誰であるのか。それにもおおよその検討がついた。
「エドワードはどこにいる」
「外でみんなと一緒に焚火を囲んでいると思います。そうでなければ、ユミルさんと同様に狩りに出ているかと」
「そうか」
短く返事を返したジャックは、片手をついて立ち上がり、コビンの横を通り過ぎる。
「どこにいくんですか?」
「少し外に出るだけだ。心配ならついてくるか?」
「…いえ。他のけが人をほおっておくわけにはいかないので、自分は残ります。でも、無理はしないでくださいよ」
馬車の中にはジャック以外にも腹に包帯を巻かれた兵士、冒険者が横になっている。
意識を戻してはいるが、安静が必要な状態にある。
本来ならばジャックもその中にいるべきなのだろうが、彼はコビンに背を向けて、馬車の荷台から降りた。
足が地面につく。普段ならなんてことはない衝撃も負傷した身であれば、衝撃はそのまま痛みに変わり、ジャックを襲う。
脇に手を回し、肋骨を抑えるように手を当てる。
痛みが引いた所で手を離し、足を進める。
先遣隊の馬車や馬が止まっているのは、森の中にあるひらけた草原の中だ。背の高い木々の隙間からは、茜色に色づいた空が覗ける。ゆっくりと渡っていく紫色の雲を烏たちが追い抜いて、いずこかにある我が家へと急いで帰っていく。
視線を空から外し前を見る。寝泊まりに利用する天幕を用意する兵士、森から小枝を運び出し、焚火へとくべていく冒険者。焚火の火を使い、食事の用意をする兵士と狩人。皆が皆ジャックの方なぞに目を向けることなく、仕事をこなしている。
ジャックはその中に、エドワードの姿を見つけた。
コビンの話どうり、焚火を囲んで副長となにやら会話をしている。
エドワードはジャックの存在に気がついていないようだったが、構うことなく、ジャックは焚火の方へ足を向けた。
土を踏みしだく音。木槌で地面に釘を打ち付ける鈍い音。小枝が燃えて、火花が跳ねる音。
隊員たちの声とともに様々な音がジャックの耳へと入ってくる。ジャックが歩みを進めるたびに音たちは後方へと流れ。いつしかジャックの耳から消えている。
「…目覚めたのか」
ふと視線を後方へと向けたエドワードは、ジャックにそう言葉をかけた。それに対しての返答はジャックにはない。
ジャックはエドワードの脇に腰を下ろし、エドワードに視線を向けることなく、焚火に顔を向ける。
「コビンから話を聞いた」
「何の話だ」
「私が気を失っている間のことだ」
冗談半分にエドワードは答えたが、ジャックは構わずに話を本筋にもっていく。
「シャーリーの事は、残念だった」
「お前が、人の死に悔やみの言葉をいうとはな」
「私とていっぱしの人間だ。親しくしていた人間への悔やみくらい言える」
「…それも、そうだな。すまない」
弱々しい笑みを浮かべながら、エドワードもまた焚火へ目を向ける。
「守るべき時にそばにいてやれず、そしてこの様だ。何のために剣を握っていたのか、わかりやしない。肩書きだけは年々立派になったが、所詮はそれだけだったということだ」
小さな小枝を、エドワードは焚き火に投げる。
小枝はあっという間に火に包まれ、火の粉を散らす。
炎が照らすエドワードの顔は悲しげで、ゆらゆらと揺れる陽炎が、エドワードの表情に影を落としている。
「気落ちするなというのは無理な話だろう。誰しも大切なものを失えば、心に傷をおう。だが、それを理由に剣を降ろすようなことをするな。もし、シャーリーの後を追おうというのなら、せめて仇をとってから首をくくれ」
「その言い草だと、慰めているのか、貶しているのか分かったものじゃないな」
「私なりに慰めだ。これ以上は言わんぞ」
「分かっているさ。そうむくれなくてもいいだろ」
「むくれてなどいない」
苛立ちまぎれにジャックは吐き捨てる。ジャックの様子を見て、エドワードの頬が、ふっと緩む。
「…ありがとう」
ポツリと呟いたエドワードの言葉に、ジャックは言葉を返さなかった。
「確かに、ここで気落ちしている場合じゃないな。アリッサを守らなければ、シャーリーに面目がたたない。あの世に行ってまでどやされちゃ、敵わないからな」
ははは、とから笑いを浮かべ、エドワードはジャックの肩をたたく。その手は、普段のエドワードよりも弱々しかった。
「さて、お前のことだ。わざわざ慰めるだけに這い出て来たわけじゃないだろう。何か、言いたいことがあるんだろ」
「…エリスのことだ」
横目でちらりとエドワードの顔を伺ったジャックは、おずおずと言葉を発した。
「ああ。お前も残念だったな」
「お前が気にするまでのことじゃない。エリスは、おそらくだが、帝都にいる」
「…それは興味深い話だな。続けろ」
「あそこにはエリスの他にもう一人、ドミティウスがいた。奴は、私を気絶させた後、エリスとともにあの場から消えた」
「消えた?」
「何かの魔法だと思うが、詳しくはわからない。空間を引き裂いてその中に入っていった。消えぎわに、帝都にやり残したことがある、と。奴は言っていた」
「やり残したこと。それが、帝都の襲撃だと言いたいのか」
「確証はない。だが、奴は魔物を飼いならし、死霊術によって死体を死なずの兵に変えたと言っていた。帝都を襲った魔物たちの首魁はやつであると考えるのが妥当だろう」
ジャックからの話を一通り聴き終えたエドワードは、腕組みをして息を一つ吐き出す。
「そうか。だが、魔法のタネがわからぬ以上、どうしようもない」
それに、とエドワードは言葉を続ける。
「エリスに限った話ではないが、生存者を人質にとっている可能性もある。というより、ほぼとっているだろう。もし、我々が攻めに転じた時に盾にでもされれば、無事に救出することは困難になる。五体満足で連れ出すことが最高だが、そう簡単に行くわけはない」
「そのことだが…」
エドワードの言葉の後に、ジャックが言葉を付け足そうとする。
だが、果たしてそれを言葉にしていいものだろうか。戸惑いがジャックの口から言葉を飲み込ませる。エリスの体の中にドミティウスが乗り移り、彼女の体を使っていると。
きっと話さなくてはならないものなのだろう。しかし、話した結果、殺意がエリスに向いてしまうことだけは避けなくてはならない。エドワードはきっとそんなことはしないと思うが、隊に含まれている兵士、狩人、冒険者の全員がそうであるということはない。仮にエドワードが注意したところでエリスもろとも殺してしまうことだってある。
「どうした?」
「…いや、何でもない」
エドワードの問いかけに、ジャックは言いかけた言葉を飲み込む。
エドワードに打ち明けるのは、大学でエリスの体からドミティウスを解放する方法を探してからでも遅くはない。
「そうか。…もう直ぐ飯になるが。食うよな」
「ああ」
エドワードの問いに、ジャックが答える。
その答えを望んでいたのか。エドワードの表情がふっと緩んだ。
疲れを忘れるため。悲劇を濁すため。焚火を囲んだ晩餐は夜がふけるまで続けられた。
そして、翌日。日の出とともに装備を整え、大学のある山をのぼりはじめる。
馬車の荷台は麓にそのまま置き、荷物を馬の鞍にくくりつけて馬を連れて細い山道を登って行く。整備された後はなく、獣道と読んでも過言ではない道。草を踏みしだき、枝葉を剣で切りながら、進んで行く。
登り続けてから二時間半。やがて木がなくなり、背の低い草木と岩場が目立ってくる。馬が転んでしまわないように段差に木をつけながら、岩を登り、尾根にたつ。下を見る木々が織りなす緑が広がり、先を見れば、風が草原の中を渡って行くのが見えた。
達成感もつかの間。一行は尾根を進み、大学へと足はやに向かう。
しばらく進み続けると、目の前にレンガの積まれた壁と背の高い鉄柵門が見えてくる。
門の両脇には警備兵が立ち、任された任務に励んでいる。
彼らはエドワード達を見ると、背筋を伸ばし、敬礼を送る。
「ご苦労」
労いの言葉を述べながら、エドワードは先頭を切って鉄柵門へと進む。
「ご用件は何でしょう。ブラウン団長殿」
しかし、エドワードの横から一人の警備兵が腕を掴む。
「学校長に話がある。通してくれ」
「それは、無理です」
「火急の事態だ。会わねばならん」
「ただいま先客がいるんです」
「誰だ」
「ロイ・コンラット書記官殿です」




