1-8
暗い、本当に暗くて何も見えない。見渡す限りの黒があたしを取り囲んでいる。
その中にあたしは一人きりで、村の皆の姿はどこにもない。
皆、どこにいるのだろう。もしかして、隠れているのだろうか。あたしを驚かそうとでもしているのだろうか。
皆を探し出してやろうと、あたしは暗闇の中を手当たり次第探しまわった。だが、いくら歩き回っても誰も見つからず、家の影すら見えてこない。
だんだん怖くなっていった。とにかく見知った何かを見つけなければと、歩く事をやめて駆け回った。
それでも何も見当たらない。何も、見つからない。
……母さん、父さん。誰か返事をして。
あたしの願いは闇の中へ消えていく。返事はない。帰ってくるのは反響するあたしの声だけ。
風の音でさえ聞こえない。息が切れる。あたしは膝に手をついて息を整える。
……ねえ。誰かいないの。
言葉が、また闇の中へ消えていく。
誰でもいい。犬や猫でもいい。とにかくあたし以外の声を聞かせてほしかった。
「エリス。エリス、どこにいるの。早く帰ってらっしゃい」
聞き覚えのある声だった。
母さんの声だ。
振り返ると、母さんは何事もなかったかのようにそこに立っていた。
さっきまで何もなかったはずなのに、一体いつからそこにいたのだろう。
気にはなっていたけれど、そんな些細なことなんてどうでもよかった。一目散に母さんのもとに駆け寄り抱きついた。
「どうしたの。何か怖い事でもあった?」
母さんはあたしを抱きとめてくれて、頭をやさしくなでてくれる。それだけで、さっきまであたしの心に湧いていた恐怖は、どこかへ消えてしまった。
「もう、変な子ね。もうすぐ夕飯だから、家に帰りましょう。お父さんも待っているからね」
母さんはあたしの手を握り、どこかへ歩いていく。だが、どこへ行くというのだろう。
ここには闇しかないはずだ。あたしの家も、友達の家も、何もなかったはずだ
けれど、母さんにつれられて向かった先には、ちゃんとあたしの家があったし、辺りを見れば友達の家も、村長さんの家もあった。
気がつけばそこにはちゃんとあたしの暮らす村があった。
何だ、ただの気のせいだったのか。私は安心して一人息をついた。
それを見ていた母さんは首をかしげて、にこりと笑っていた。なんだか恥ずかしくなったあたしは、母さんを追い抜いて家の中へ先に入った。
「おかえり、エリス」
椅子に腰掛けた父さんがあたしを迎えてくれる。
……ただいま、父さん。ごめんね、遅くなっちゃって。
「まったくだ。父さんはお腹が減って死にそうだったんだぞ」
父さんの目の前に並ぶ料理の数々。どれもが香しい香りを漂わせていて、食欲をこれでもかと 掻き立ててくる。
……どうしたの、これ。今日って何かの記念日だっけ?
「いいえ。今日父さんが大きな獲物をしとめてきてね。折角だから贅沢に全部使って料理したの」
……え?村の皆には分けなかったの。
「いいんだよ。僕がこれを捕えたんだ。どうしようが僕の勝手さ」
父さんは得意げにそう言って笑ってみせた。なんだかいつもの父さんじゃないみたいだ。
「さあ、ご飯にしましょう。エリスも座って」
母さんはあたしの背中を押して、椅子に座るように促してくる。素直に従って、椅子に腰掛ける。
そのお陰で目の前に広がる料理の数々がよく見えた。
見えたお陰で、あたしは気づいてしまう。それが何で出来ていたのか。
それは、あたしの父さんと母さんだった。
父さんと母さんが丸焼きにされて、机の上に寝かせられていた。
訳が分からなかった。そんなはずはない。父さんと母さんは今、目の前にいるのだから。
目をこすってもう一度よく見る。でも、その肉の固まりは間違いなく父さんと母さんだった。
さっきまで本物だと思っていた父さんと母さんは、肉になった父さんにナイフを突き立てて、丁寧に切り分けていく。
ちょうどそれは父さんの腹の肉だった。皿の上で、一口で食べやすくなるように切り、何の迷いもなく口に運んでいく。
父さんは長い間咀嚼して食べる癖がある。目の前に座る父さんも口の中で何度も噛み続け、ゆっくりの飲み込んでいく。
母さんも同じように、父さんの肉を口の中へ運んでいく。
おいしそうに肉を食べ続ける二人は、やがてナイフもフォークも使わずに、肉に食らいつくようになっていた。
それは獣の食事を見ているようだった。父さんは父さんの肉にかぶりつき、母さんは母さんの肉にかぶりつく。
頭がおかしくなりそうだった。
「どぉじだの。なんでだべないの」
母さんがあたしの方を向いた。でも、その顔は母さんではなかった。
血によって赤く染まったその顔は、魔物の顔に変貌していた。
……いや。こないで
あたしはさっと立ち上がって後ずさる。
だけど、母さんの姿をした魔物はにたにたと笑みを浮かべながら、口には母さんの腕を咥えながら、ゆっくりと追いかけてくる。
……こないでよ。
「何を言っているの。折角私が作ったのよ。食べてくれないと、お母さん悲しいわ」
「そうだぞ。母さんが作ってくれた料理を、残してはかわいそうじゃないか」
……うるさい! お前達は父さんと母さんじゃない。
目の前の二人の魔物はニタニタと笑いながら詰め寄ってくる。
あたしはどうにか玄関の扉の前にたどり着いて、家を出ようと扉を押した。
だけど、扉は開かなかった。
「あら、お出迎えをしてくれるの。優しいのね、エリスは」
母さんだった魔物の言葉の後、扉は何事もなく開かれる。
力任せに押していたあたしは、バランスを取る事が出来ず、そのまま前のめりに倒れてしまった。
痛みをこらえながら前を見ると、いくつもの足が地面からのびていることに気がついた。
しかし、その足は人の肌色をしていない。黒い足。影が人を真似たような黒い足がいくつものびていた。
「いらっしゃい。ゆっくりしていって」
怖い、出来る事なら見たくはない。けれど、あたしの思いとは裏腹に、目はゆっくりと上へ上へと視線を移していく。
黒い足達の上にあったもの。そこには、後ろにいる魔物達と同じ顔がいくつも並んでいた。その口には何かを咥えている。
それは、村人の顔だった。
友達の顔。小さい子供の顔。老人の顔。
いくつもの顔という顔が苦悶の表情を浮かべて、白く濁った目であたしを覗き込んでいた。




