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 ロイを連れたドミティウスは、城の中を迷いなく進んで行く。

 百年という期間を留守にしていたとはいえ、城の内部はドミティウスの皇帝の椅子に座っていた頃からなんら変わっていない。勝手知ったる廊下を進み、進んで行く。


 ロイはそんな主君の後を大人しく追随していく。

 しかし、何故だろう。ロイの頭に浮かんだ違和感がなかなか拭えない。

 それはロイの知るドミティウスの姿のかけ離れたその見た目。エルフの少女という似つかわしくもない姿が原因であることに間違いがない。


 以前のドミティウスの姿。つぎはぎだらけの人型の姿に比べれば、随分と美しく変貌している。

 しかし、例えドミティウスであると分かっていても、見た目だけではエルフの言いなりになっている人間という構構図だ。頭では違うことは分かっているのだが、亜人種からこき使われているという目から入ってくる情報は、ロイにとってあまりに受け入れがたいものだ。


 「どうした。私に何かついているか」


 「い、いえ。何でもありません」


 じっと見つめられていることに気づいたドミティウスが、ふと振り返りロイに声をかける。言葉を詰まらせながら、動揺を悟られまいと平然を装ってロイは答えた。


 「…そうか」


 気にはなるが、首を突っ込むほどの疑問ではない。ロイに向けていた視線を再び前へ戻し、ドミティウスはすぐ近くにある大扉を両手で押し込む。

 押し開かれた扉の先には、赤い絨毯が引かれた階段が上へと続いている。ドミティウスはゆるやかな階段を上って行く。


 その先にあるのは、謁見の間。広々とした室内には明かりを灯すための燭台がいくつも並び、両側にある窓からは光が差し込んでいる。絨毯の上る先には皇帝の座す玉座がある。


 巨大な黒曜石をまるまる一つ削って仕上げられた玉座。何の装飾もなく黒一色の素朴な玉座であるが、それでも広い謁見の間にあって、その存在感は消えることなく際立っている。


 そこに座るということはつまり、この帝国の全てを司っている人間であるということ。そして、玉座に座してドミティウス達を見つめる青年こそが、今の皇帝をつとめている人間ということだ。


 肩に垂れた茶色の長い髪。紺碧の双眸。少し陽に焼けた白い肌。威厳を纏うためか、顎と鼻筋にはヒゲが伸びている。しかし、皺の少ないその顔に似合っているとは、あまり声を大にしていうことはできない。


 「これはちょうど良い所へ来てくれた。コンラット書記官、一体外の騒ぎは何なのだ」


 近衛兵に囲まれながら、皇帝がロイへ言葉をかける。ロイはちらりとドミティウスに目を向けるが、ドミティウスは余興でも見ているかのようにほくそ笑むだけで言葉は返さない。

 好きにしろ。ドミティウスが目で訴えると、ロイはこくりとうなずき、皇帝へ口を開いた。


 「何者かによる襲撃を受けています。被害は甚大。現在帝国軍の兵士達が抵抗を続けているようですが、そう長くは持たないでしょう」


 「敵はどこから現れたのだ」


 「空から突然現れました、とのことです」


 「空から?」


 「ええ。私も実際には見てはいないので、詳しいことは分かりませんが…」


 「そうか。いかような魔術を使ってのことだろう。報告感謝する。…ところで、そこにいるエルフのお嬢さんは、誰だ」


 「え、ええっと。こちらは…」


 「よい。もうよい。アダム、ここからは私が話そう」


 至極楽しそうに皇帝とロイの会話を聞いていたドミティウスが、ついに口を開いた。 


 「さて、自己紹介のまえに今一度確認したいのだが。貴君が現皇帝陛下であるのか?」


 「小娘、口を慎め」


 近衛兵の一人が眉間にシワ寄せながらドミティウスを戒める。しかし、皇帝が手でそれを制する。


 「子供の言うことに目くじらをたてるな。大人気ない」


 「ですが、閣下」


 「いいと言っているだろう。しつこいぞ」


 「…失礼いたしました」


 憮然としたままであったが、近衛兵は詫びの言葉とともに皇帝へ敬礼を送る。


 「さて、兵が失礼をしたな。いかにも、私が皇帝だ。危ない目にあわせてしまってすまなかったな。だが、ここにいればもう安全だ」


 「安全、安全か。異種族の安全を帝国が保証するようになるとは。随分帝国も変わったものだな」


 「国という物は一個の生命体なのだよ。存続するためには、常に変動をしなければならない。確かに昔は君らの種族とも戦争をした。きっと私よりも君の父君や母君の方が詳しいだろう。私たち帝国は君たちに勝ち、使役した。それは変わらない」


 一度言葉をきり、皇帝は話を続ける。


 「だが、異種族を使役し、圧政を続ければ、いつかは反乱を招き、国を滅ぼすことにつながってしまう。そうではなく、力であれ、技術であれ、我らに協力出来ることであれば、いくらでも手を貸す。そして我々も君らに助力をしてもらう。そういう関係の元で国と国とが結びついていれば、国は廃れることがなく長く保たれる。それこそが理想の国である…と、私は考えているが、ことはうまくいかないものだ。…少し難しい話をしてしまったかな」


 「…いいや、よくわかった。貴様のおかげで帝国が腑抜けどもの吹き溜まりになりはてたことが、十分に理解できた」


 ドミティウスは手を顔の前に掲げると、手の中心に魔力を収束させる。危険を察知した近衛兵が剣を抜いてドミティウスへと切り掛かる。だが、兵達の剣がドミティウスの肌を傷つける前に、ドミティウスの放った雷が彼らの体を貫いた。


 同時に放たれた五つの雷は、鎧を突き破り、肉と内蔵を容赦なく焼く。近衛兵たちの体は痙攣し、肉の焦付けるにおいが部屋の中に立ちこめる。

 雷が消え、ドミティウスの手がおろされると、兵達は口から血と煙を吹き出しながら、崩れ落ちた。


 「どけ小僧。貴様に皇帝はふさわしくない」


 「な、なんだ貴様は」


 「私が誰であるかなど、貴様のような弱者に教える義理はない。さっさとそこからおりろ」


 「貴様に指図される筋合いは、ない!」


 精一杯の虚勢とともに、皇帝はきっぱりと言い切る。たとえそれが、ドミティウスの怒りを買うことになろうとも。

 ドミティウスは皇帝の顔に手をのばし、両手で包み込むように手を当てる。毅然と振る舞おうとしている皇帝の体は、恐怖で小刻みに震えている。その振動が手を通してドミティウスに伝わってくる。


 皇帝の目に映る彼は、きれいな顔立ちをしたエルフの少女だ。少女は皇帝ににこりと微笑みかける。まるで天使のほほえみでもみているように、皇帝の心に一抹の安心をもたらしてくれる。しかし、ドミティウスは天使ではなく、その微笑みも彼に安心とは全く別の、恐怖を与えるものであったことを、すぐに知ることになる。


 皇帝の目端から見える光。それはやがて色味をおび、やがて熱を持ち始める。

 それは、ドミティウスの手から放たれる魔法だ。そして、それが完成された時、皇帝の顔が蒼炎に包まれた。


 絶叫。耳をうがつような皇帝の叫びが、ロイとドミティウスのすぐそばから聞こえてくる。皇帝は必死にドミティウスの腕を払おうとするが、少女とは思えない力で顔をつかみ、中々解くことが出来ない。もがき苦しんでいる間にも、皇帝の肌が、鼻が、目が炎によってあぶられていく。


 目玉からは蒸気が上がり、口や鼻から入った炎が体の内部を焼く。呼吸をすれば炎が容赦なく体内を蹂躙し、内蔵も業火にさらされる。

 皇帝が爪をたててドミティウスの腕を引っ掻く。爪が肉に食い込み、ゆっくりと下へ傷を広げて行く。

 最後の抵抗。だが、それだけだった。


 皇帝の手はだらりと下がり、顔は炭化してしまう。元の顔など定かではない。眼球は沸騰して破裂し、肉は焼けこげ骨にこびりつく。だが、ドミティウスの放つ炎は収まらず、さらに火力を増していく。


 炎が立ちのぼり、ドミティウスはゆっくりと手の間隔を狭めて行く。皇帝だった顔はめきめきときしみを上げながら、次第にくだけ始める。


 ほお骨が欠けていく。いよいよ髑髏(しゃれこうべ)がくだける瞬間、ドミティウスは勢い良く手を合わせ、皇帝の顔を握りつぶす。

 炭化した骨と少しばかりの血液がドミティウスの指の間から漏れ、空間をたゆたいながら床に落ちて行く。


 頭をなくした皇帝の体は、きらびやかな衣装とともに床に倒れる。ドミティウスは皇帝の亡がらを足蹴にして横にそらし、空席になった玉座に腰をおろす。


 鬱憤をはらし、ドミティウスは満足そうに息を漏らす。念願の帰還を果たした。しかし、これで終わりではない。彼にはまだやるべきことが山ほどのこっている。


 「さて、アダム。これから忙しくなるぞ」


 「承知しています。私を含め他の議員も貴方の帰還を心待ちにしていました」


 「それはいい。実に喜ばしい。百猶予年、私がここを去ってからも考えを同じにする同士がいるというのは、実に嬉しいものだ」


 「ですが、そうではない者達もいることも確かです。…アーサーのように」


 「いいさ。いくらかの抵抗がなければ面白くもない。不届きものに一体誰がこの国の主であるかを教えてやるのも、また私の役目なのだ。そら、噂をすれば不届き者どもがきた」


 一連の騒ぎが外に漏れ出たのか、謁見の間に次々と近衛兵達がなだれ込んでくる。彼らはドミティウスとロイを囲い込むように玉座の周りに集結する。


 近衛兵の仲間の死体、そして主である皇帝の死体。それらを目にした近衛兵達のとる行動は、決まっていた。

 憤怒と殺意をこめた視線を二人に向け、近衛兵達は黙したまま剣を握る。


 「さあ、来い。貴君らの敵はここだ。この屑どもを殺したのは憎き仇敵はここにいる。だが、用心することだ。私に剣を向けるということは、帝国そのものに剣を向けるいうことだ。それを理解してなお私に歯向かうというのであれば、私も全力をもって貴君らの相手しよう」


 ドミティウスの言葉は近衛兵達の耳に入るが、誰一人として聞き入れるものはいなかった。しかし、彼に歯向かうという意味では彼らはドミティウスの言葉に、実に忠実だった。

 もはや順番などない。近衛兵達は一斉にドミティウスへと切り掛かる。


 「その意気やよし。では、私も全霊をもってお相手しよう」


 ロイを背後に隠し、ドミティウスは近衛兵と立ち向かうべく、玉座から腰を上げる。 

 次の瞬間、謁見の間に轟音と衝撃が響きわたった。

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