確執 2
アーサーはエリスの皮をかぶったドミティウスを従えて、城内地下にある牢獄へと向かう。
ドミティウスが皇帝の座にいた頃から変わらずにある城の中で、本来なら案内など必要ないはずだ。だが、アーサーの背後にいるドミティウスは、先立って歩くことはせず、大人しくアーサーの後について歩いていた。
アーサーはちらりと背後をにらむと、そこには楽しげにあたりを見回しながら歩く少女がいた。だが、その中身はきっと少女に似ても似つかない化け物が巣食っている。
「……ああ、この娘か。ジャックという男を知っているか。この小娘はその男の元にいた」
アーサーが説明を求めた訳ではなかったが、ドミティウスは彼の視線に気づいて離し始めた。
「ジャック……。ジャック・ローウェン、冒険者のあいつか?」
「ほう、知っていたか。入れ物は小さいが、エルフというだけあって、保持している魔力は中々のものだ。人間のそれとはとうてい比べ物にならんよ。君もよければ、エルフの体に鞍替えしてみるといい。きっと病み付きになる」
下衆野郎が。口には出さぬが心の中でアーサーはそう吐き捨てる。しかし、もし口に出せば待っているのはむごたらしい死に様だけだ。
今はこの狂人の言うことに従うほかに道はない。機を待てば、必ず隙ができるはず。そのときまで辛抱強く待てばいい。
やがて、ロイの待つ牢の前にたどり着く。
「……誰だ、その耳長の娘は」
ロイは怪訝そうにアーサーの背後にいる少女を見つめている。先ほどまで連れていなかった少女を連れ歩いているのだ。怪訝に思うのも無理はない話だ。
「私だ、アダム」
少女の声を聞いて、それまで眉根を潜めていたロイの顔が、さっと青ざめる。
「か、閣下なのですか?」
「ああ、そうだ。こんな身なりで現れたから、驚いただろう」
「これは、とんだご無礼を。お許しください」
ロイは片膝をつき、ドミティウスに頭を垂れる。
「よい。私がこんな格好をしておるから、混乱させてしまったのだ。非があるのは私だ」
柵の間から腕をいれ、ドミティウスはロイの肩を叩く。
「さて、アダム。君に折り入って頼みたいことがあるのだが、その前にアーサー君。アダムをこの豚箱から出してやってくれ」
視線をアーサーに向けると、まるでアーサーも自分の手下であるかのような口調で命令を下す。
不服ではあるが、死なないためには彼に従う他にない。アーサーはドミティウスの横から前に出ると、牢の鍵穴に鍵を入れて扉を引き開く。
錆び付いた扉の蝶番がきしみ、悲鳴を上げる。耳障りな甲高い音が鼓膜を刺激してくれるが、そんなことよりもアーサーの気分を害したものは、まるで勝ち誇ったように頬をゆがめるロイの顔だった。
「閣下にお手数をおかけすることになるとは。誠に申し訳ありません」
「何、たいした手間ではないさ。君が気にすることではない、それよりもアダム、早速で悪いが、頼みを聞いてくれるか」
「閣下の命令とあらば」
「現皇帝の顔を見ておきたいのだが、居場所は分かるか?」
「存じております。すぐにでもお連れいたしましょう」
「私は優秀な部下を持つことができてとても幸せだ。……さて、アーサー。君はどうする」
それまでロイとの会話に興じていたドミティウスだったが、その目はロイからアーサーへと向けられる。
「私と共にくるか。それとも、この場にとどまるか。残念ながら、生きたままという訳にはいかなくなるが。何、心配はするな。その場合はせめて痛みを感じる暇もなく、殺してやろう」
「お待ちください。閣下。ここはどうか私めにまかせてはもらえませんでしょうか」
ドミティウスが脅迫をしていると、ロイが話に割って入る。
「奴は私の従兄弟です。今は反抗的ではありますが、私が説得を行い、改心させましょう。ここで殺してしまうのは、あまりに勿体ありません」
「それは血縁の者であるが故の情で物を言っているのか?」
「いいえ。閣下に仕える者としての率直な意見を述べさせていただいているまでです。ご気分を害してしまったのでしたら、このロイの首を献上いたします」
ドミティウスの目がロイの顔をのぞく。怖じ気づくことなく、ロイは屹然とドミティウスの目を見つめる。
「……よかろう。だが、一緒には連れてはいけない。何かと邪魔をされては困るからな。今は、牢屋の中で大人しくしていてもらおう」
ドミティウスはアーサーから鍵を奪うと、ロイにそれを渡す。
「入れ」
刑務官でもなったかのように、ロイはアーサーの背後にたち、前へ進むように促す。
だが、アーサーもそうやすやすと牢の中に入るつもりはない。
アーサーは牢に足を一歩踏み入れると瞬時に転身し、ロイを背後へと蹴飛ばす。ろくに防御もできず、かといって受け身をとることもできなかったロイは、たたらをふんで背後へと倒れ込んだ。
その隙にアーサーは剣を抜き、ドミティウスへと切り掛かる。ジャックの様に見た目によって勢いを鈍くすることはない。何の情けも容赦もなく、帝国の敵であるエルフの少女を切り裂くべく、振り下ろされる。
しかし、彼の剣がエリスの肌を傷つけることはなかった。彼女の体の周りに空気の層が現れ、アーサーの剣を防いだのだ。
魔法に疎いアーサーでも、その魔法には覚えがある。何せエドワードの部下の犬族が使っていたのだから。
風鎧。確かそんな名前だったと記憶している。
「血気盛んなのはいいことだが、剣を向ける相手が間違っているぞ」
やれやれといった様子で肩をすくめるドミティウス。アーサーの剣など気にもとめず、ドミティウスは手のひらをアーサーの腹へとのばす。
無音の衝撃がアーサーを襲う。ドミティウスの手に集められた魔力が空気の球体を作り、そしてアーサーの体をいとも容易く後方へと飛ばしてみせた。
強かに牢の壁に背中を叩き付ける。だが、それでは終わらない。すぐにアーサーへと飛来した氷の氷柱が、彼の両腕を貫通し、彼の体を壁に縫い付ける。
鋭い痛みがアーサーの腕を通り、脳へ感覚を伝えてくる。とっさに声を漏らしかけるが、下唇を噛み締めることでそれを耐える。
「今は、そこで大人しくしているがいい。すぐに戻る」
鼻をならし、ドミティウスはロイを連れて歩きさる。ロイはちらりとアーサーの顔を見るが、すぐに手元の鍵で牢の扉を閉めると、主人の後を追ってその場から姿を消した。
アーサーの鋭い目つきは、二人の姿を追って誰もいない牢の前を睨みつける。恥辱と屈辱、そして責任を果たせなかった自分に対する失望。それらの思いがアーサーの心のうちに渦巻き、敵に対する怒りとなって形作る。それでも、アーサーの思考までもが、怒りにとらわれることはなかった。
先手をうつにしては、時が早すぎた。その結果がこのざま。皇帝陛下を守ることも兵士達を指揮することもかなわない。
だが、生あるもの必ず滅びる。化け物、魔物とはいえど、世界の摂理からはあらがうことは出来ない。
しかし、牢の中に閉じ込められたアーサーには、今のままではどうすることも出来ないのもまた事実。
いくら頭をひねろうとも、机上の空論で終わってしまう。状況を打破するためには、少なくともここから出なければならない。そんな簡単に出られるはずはないが。
「……神にでも願うか」
その言葉を言った瞬間、アーサーはふっと笑みをこぼす。そんなことを口にする自分が笑えてくる。
残念なことに、今は両手が塞がっている。これでは、手を会わせて神に懇願することが出来ない。
だが、ろくに神を信じようとしない男のねがいなど、神が聞き入れるはずもない。ならば、己の手でこの状況を打破する他にない。
「……陛下、どうかご無事で」
アーサーが呟く。心からの願いであるが、生まれてこの方、己の願いが聞き入れられたことなど一度もなかった。




