確執 1
帝都の惨状を目の当たりにしながら、アーサーは一人、城の内部にある牢の前にいた。
牢の中には彼が最もよく知る人物、ロイ・コンラットが収容されている。
「貴様の仕業か。ロイ」
その声に感情はなかった。あるとすればひどく凍てついた殺意だけ。
例え従兄弟であろうと、国賊となった者にそれ以外の感情を向けることなどない。
それが分かっていてなお、ロイの顔には笑みがこぼれている。
「いいや。私ではない。ドミティウス公、いや、閣下のお考えだ」
帝都におこっている事態を、悲劇ではなく喜劇とでも言いそうに、楽しげに笑ってみせる。
「閣下はついにこの国を取り戻しにこられたのだ。家臣達に不当に取り上げられたこの帝国を。なあ、アーサー。今ならまだ間に合う。私をここから出してくれさえすれば、私が閣下に頼みこんでお前を仲間にしてやろう。閣下もお前のような人間を手にすることにやぶさかではないはずだ。そうすれば私共々閣下の作る新たな帝国の幹部として、この国に仕えることができるのだ。それは、お前にとっても悪い話ではないはずだ」
牢の柵に捕まりながら、アーサーを目の前にしてロイは語る。しかし、ロイの言葉がアーサーの心に響くことはない。
「帝都の民を犠牲にして、何をほざくか。ドミティウスが連れてきたのは繁栄などではない。帝国の滅亡だ。それが分かっていながらついてくなんざ、バカのすることだ」
「全く、どこまでも変わらぬやつだ。だから、出世できんのだよ」
「お前はいつの間にか変わってしまったな。昔のお前が見たら、きっと口酸っぱく叱りつけるだろうよ」
「…確かに。そうかもしれんな。だが、時には自分を曲げなければ、実現せぬこともあるのだよ。自分の存在と引き換えにしなければ、手に入れることができないものがあるのだ」
ロイはそう言うと、皮肉っぽく笑ってみせる。
アーサーとロイとの間に出来たわだかまり。それは既に解決できない位に大きな峡谷となって二人を引き裂く。
何の言葉も返すことなく、何の感慨も浮かぶことなく。アーサーはロイのいる牢の前から立ち去った。
「状況はどうなっている」
牢獄を後にしたアーサーが向かったのは、城内にある会議場だ。中心に穴のあいたドーナツ型の円卓を囲んで、鎧を着込んだ兵士の言葉がとぶ。本来、この場は議場であるのだが、このときは議員たちに変わって軍人達が舌戦を繰り広げている。
その場にいる軍人達は兵舎にいる兵の中から選りすぐられた精鋭達だ。城内部にある軍の区画での職務をしているが、有事の際はこの議場を使って対策に追われる。
アーサーの言葉にいち早く反応を示した兵士が、敬礼とともに歩み寄って行く。
「良くなるどころか、悪くなる一方です。今、残りの兵士を城の前に集めて戦わせていますが、長くは持ちそうにありません。城内に攻め入られるのも、時間の問題です」
「住民達の避難はどうなっている」
「生き残った者達が自力でなんとか城へと避難していますが、それもわずか数百人ほどです。この後も後続がくるかとは思いますが、それも何人になることか」
「…あまり期待はできないか。敵が空から降って湧いたんだ。ろくに避難もできなかっただろうよ。敵はおそらく何かの魔法によってどこからか移動してきたのだろうが…」
「相当な腕を持つ魔術師が敵にはいるということなのでしょうか」
「分からないが、そうでないと断言するのは控えておこう。大学の方は無事か」
「ええ。襲撃を受けた直後に大学側に確認しましたが、あちらには何の被害もありません」
「そうか。なら、大学の魔術師達にも応援を要請しろ」
「教師だけですか」
「無論、学生達もだ。使えそうな者は根こそぎこっちに送れと、あの校長様に言ってこい」
「分かりました」
兵士はアーサーに向けて敬礼を送ると、足早に会議室を後にした。
果たして何人の魔術師が応援に駆けつけてくれるかは分からない。だが、それがあってもなくても、戦況は苦しくなる一方であることには違いがない。
違いがあるとすれば遠距離から攻撃し戦闘を長引かせるか。もしくはすぐに攻め入られてここで死ぬかの違いだけだ。
奇襲も奇襲。完璧な奇襲だ。一体誰が空から敵が襲いかかるなどと予想するだろうか。おかげで帝都は一瞬で混乱に陥り、軍は防備を整える間もなく、敵の進行を許してしまった。残る手だてはこの城に皆で立てこもり、篭城をする他にない。
しかし、それでも勝利という二文字が浮かんでこない。ただ死を先延ばしにするだけで、そこから逃れられない。
どうにかして、少なくとも住民達を帝都の外へ逃がさなければならない。
勝利よりも人命。それこそがこの窮地に求められる最良の選択だ。その犠牲になるのならば、アーサーは本望だった。
円卓に集った兵士達は皆が皆、アーサーが何を言わずとも動いている。だが、その中に見覚えのない顔があることに気づいた。
円卓を囲うように並んでいる20ほどの座席。この場にいる兵士達は椅子にすわってなどいない。だから、たった一人がそこに座っていると、いやが応にも目立ってしまう。
それはエルフの少女だった。机の上に両肘をおいて手を組み、その上に顎をおいている。少女は楽しげに円卓の中を見回し、そして、アーサーと目が合った。
「…久しいな。アーサー君」
その声にアーサーは聞き覚えがあった。それも、すごく最近に聞いたばかりの声だった。
少女、声に反応して、その場に居合わせた兵士達の目が、一斉に少女に向けられる。
どこから入ってきた。いつの間にそこにいた。その場にいたはずなのに、その場にいた誰もが少女を知らない。まるでふっと湧き出たかのように、少女は突然そこに座っていたのだ。
「貴様…」
「私に会いたかったか?私も君に会いたかったよ」
妖艶に笑みを浮かべる少女。しかし、その美貌とは裏腹に彼女の声は低く、少女の声であるとは到底思えなかった。
「何者だ」
兵士二人が剣を抜いて少女に向ける。
少女はやれやれと言い足そうに首を数度横に振ると、二人の兵士に向けて両の手のひらを向ける。
何かは分からないが、きっとろくでもないことが起きる。そう予感したアーサーは叫ぼうとした。
避けろと。
逃げろと。
だが、彼の声が喉をついて出る前に、二人の体が炎に包まれた。
燃え盛る体。二人は絶叫を上げて床をのたうち回る。肉の焼けるにおい。髪の毛の焼けるにおい。何とも言えぬ悪臭が煙とともに部屋の中に立ちこめる。
少女は手の平をおろすと、椅子から立ち上がった。
「私に剣を向けるなど、帝国兵の風上にもおけぬ者どもだ」
ぴくりとも動かなくなった兵士を見て、少女は言う。そして、まだ炎が上っている兵士の体を跨ぎ、アーサーへと歩みよる。
「…ドミティウス」
「おお、よく気がついてくれた。この見た目だ。気づいてくれぬと思っていたが、やはり優秀な者には見破られてしまうらしい」
「大佐、お逃げください!」
果敢にも上司を守ろうと、剣を握り兵士達は少女、ドミティウスへと切り掛かる。
ドミティウスは動じることもなく、煩わしげに手を払う。
それだけの動きなのだが、その手の軌道から雷撃がほとばしる。直撃した兵士は一瞬で肉が焦げ、眼球からはぷすぷすと蒸気を立ち上らせる。
もう一度折り返しに手を振るうと、今度は一陣の突風が部屋の中に吹き付けた。風はまるで刃物のような鋭さで、兵士の胴体を薙ぎ、真っ二つに切り裂いた。
二人の兵士がドミティウスの体めがけて剣を振るう。
ドミティウスは後ろに飛びのいてそれを避けると、すぐに苗に飛び、二人の兵士の喉を鷲掴む。
苦しげに息を漏らす兵士たち。しかし、その声はすぐに収まる。
兵士の喉を掴むドミティウスの手からは、白い冷気が漂い始める。そして、手の平から鋭い氷柱を顕現させ、兵士の喉を貫く。うなじから氷柱の先端が現れ、赤い血液が、白く凍てついた氷柱を上を伝い、床に落ちる。
肉袋になった兵士をその場に捨てると、両手を再び前に広げる。
すると、空間に氷の粒が現れる。その数は一つや二つではない。部屋を覆い尽すばかりの数多の粒だ。
それを目の当たりにした兵士たちは思わず居竦んでいたが、ドミティウスがにこりと微笑むと、粒たちは一斉に兵たちへと殺到した。
弓矢のごとく兵士たちの肉を貫き、骨を砕く。粒たちが全て消え失せた頃には、兵士たちの体はなく、ただの細切れになった肉の破片がそこらに散らばっているだけだった。
濃厚な血の匂いに、アーサーは思わずえずいてしまう。
「どうした。ここの主が帰ってきたのだぞ。歓迎の一つでもして、私を喜ばそうとは思わんのか?」
血だまりの中を、ドミティウスは腕を左右に広げ、首をかしげるながらアーサーに歩み寄る。
ドミティウスの顔には依然として笑みがこびりついている。先ほどの殺戮がなんでもないかのように、ひどく楽しそうに笑っている。
狂った化け物が。アーサーは心のうちでそう毒づきながら、ドミティウスを睨み続ける。
「…」
「口が利けんのか?いや、そうではあるまい。敵である私と言葉を交わすことを断固として嫌っているのだろう。それもそうだ。まったく、忠君を持って今の皇帝は幸せ者だ。…そうだ、私ではなくもっと身近な者であれば、話す気にもなるかもしれんな」
アーサーにとって身近な者。片手で数えられる程度だが、ドミティウスとアーサー、互いに知っている存在ともなれば、それは一人に限られる。
「ロイ・アダムス・コンラット。私のかわいいアダムはどこにいる」




