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侵攻

 ジャックたちの前から姿を消したドミティウスは、門を通って帝都上空へと転移した。

 足場のない空の上では、ただ落ちるのみ。ドミティウスは足下に風の魔法で足場を作り、空中に立つ。


 ドミティウスが去った後、変化を遂げていた帝都。遥か高みから見下ろしてみると、その変化が見て取れる。建物は随分と高くなった。町並みは随分ときれいになった。そこかしこにいる帝都の民たちは、皆こぎれいな格好で道道を行き交っている。通りに座り込む乞食も見当たらず、餓えに喘いでいるような者も、いない。


 ドミティウスの知る時代から、発展を遂げた帝都。そして、そこでたくましく生きる帝国の民達。

 アリのように道道を闊歩(かっぽ)している彼らを見ていると、ドミティウスの心にどこか誇らしい気持ちが浮かんでくる。


 だが、しかし、ここにのうのうと住み着いている彼らは、皇帝であったドミティウスを裏切った者たちの子孫だ。彼に石を投げつけ、あざ笑った者たちが産み増やした者たちだ。そう考えると、沸々と怒りが彼の心にわき上がってくる。


 「貴様らは私に容赦をしなかった。ならば、私も、それに習わなければなるまい」


 ドミティウスは独白するようにつぶやく。そして、彼の指は上空をなぞり、闇がそこに口を開いた。



 帝都の住民からすれば、それは空に黒い点が一つ浮かんだように見えた。

 夕闇の空に浮かんだ黒い点は、次第に空を飲み込み、ついには帝都の上空をすっぽりと覆い隠してしまった。


 ただの雨雲ではないことは、空を見上げる民衆の誰もが分かっていた。

 そして、現れるはずのないものが黒の中から顔を出した。


 それは、数多の顔だった。人間、エルフ、ドワーフ、リザードマン、などなど。この世に生ける数多の種族たちから、ゴブリン、オルトロス、オークなどの魔物たちも顔をのぞかせている。


 魔物達の顔には獲物を狙う獣のように、歯をきしませ今にも飛びかからんとうずうずしている。

 一方魔物以外の種族達の顔には無が浮かび、何の感情も汲み取ることもできない。


 「お母さん、あれ、何?」


 無邪気な子供が空の顔達を指差しながら、母親に尋ねる。けれど、母親は子供の問いかけに応えることはなかった。母親自身、顔達がなんであるかなわからなかったから。ただ不気味という感想だけが、母親の脳内にこびりつく。


 しかし、答えは向こうからやってきた。

 ドミティウスが手を下に向かって振り下ろす。それを合図に闇の中に浮かぶ魔の群れが、雨露が軒下から落ちるごとく、一斉に帝都へと降り注いだ。 


 オルトロスが男に腹を食い破り、オークが、ゴブリンが女子供を脳天から叩き潰す。

 地上におりたった魔物達は、手近にいる人間達を貪り、思うがままに鏖殺していく。

 あっけにとられ、逃げることもできなかった者から、魔物達の餌食となって路上に転がり、血反吐と臓物の海に沈んでいく。


 悲鳴と絶叫が帝都中から聞こえてくる。その声達は鳴り止むことなく、あちこちからひっきりなしに聞こえてくる。

 悲鳴は恐怖を助長し、絶叫は非飛地を狂乱にかりたてる。魔物たちから逃れようと、帝都の民達はおもいおもいに逃げ走る。その中で女が転ぼうと、泣きわめく子供があろうと、自分の命を永らえるためならば、蹴り飛ばし、突き飛ばしだ。


 だが、たとえ魔物達から逃げたとしても、頭上から降り注いでくる死人達からは逃げるのは至難のわざだった。

 背後へとかけようと一歩足を踏み出した男は、頭上から真っすぐに降り注ぐ人間に押しつぶされ、無惨に石畳に埋まった。

 しかし、男の命を奪った人間は何事もなかったかのように、むくりと立ち上がる。


 人間の首はあらぬ方向へと曲がり、咲けた肉からは骨が見えている。だが、人間の表情はあいもかわらず無のままだ。人間の背中には死霊術の円陣が刻まれている。


 歩く死体。死なずの兵士。

 帝国各地から集めに集めた数万体の死体達は、今ドミティウスの手によって、屍兵となって行軍を開始する。

 不死身の屍兵達と凶暴な魔物達。平和が保たれていた帝都を混乱におとしめるのに、これほど適したものはない。


 平和という甘い蜜につかり続けた帝都の民衆に、なすすべなどない。ただ生き延びるために、他人を押しのけて逃げ走る。魔物達はその後を喜び勇んで追い回し、追い詰め、そして命を摘み取る。

 家の中に逃げ込む輩がいれば、追い詰めるだけ追い詰めた後、中に火を投げ入れ、生きながら焼き殺す。

 悲鳴は魔物達にとって美酒になる。悲鳴を上げればあげるほど、魔物達の表情は恍惚にゆがみ、さらなる虐殺に走らせる。


 もはや帝都に逃げ場などどこにもない。

 一体どこへ逃げればいいのだろう。

 一体どこへ隠れればいいのだろう。


 誰もがその疑問を浮かべるが、思考を傾けることなく、ただ目の前に広がる道の先に救いがあることを信じて走り続ける。


 阿鼻叫喚の中、帝国軍は総力を挙げて魔物へと立ち向かう。

 軍人達は兵舎から武器を持って続々と魔の群れへ攻撃をしかけていく。

 槍で魔物を串刺しにし、剣が肉を断つ。オークのような大きな魔物に対しては、数人で徒党を組んで立ち向かい、隙をついて足や腕を切りつけ動きを封じ、そして胸を刺し貫く。


 城壁の上からは見張り番の兵士がボウガンで狙いを定めて、通りを跋扈(ばっこ)している魔物どもめがけて矢をいかける。

 ゴブリンの額を、オークの胸を、オルトロスの腹を。兵士の放った矢が次々に貫いて行く。だが、敵は減るどころか、空から続々と降り注いでくる。まったく、きりがない。

 いたちごっこにもならない物量の差。

 敵勢力を押し返そうと懸命に攻撃をくりかえす兵士達。しかし、刻々と数の暴力に押され、しだいに残存する兵が一人、また一人と地に伏していく。


 城壁の上とて、安全という訳ではない。何せ、敵が空から雨のごとく降ってくるのだ。高さの優劣など存在しない。城壁の上にも敵の魔の手が問答無用で迫ってくる。


 そうこうしていると、屋根を突き破って、一体の屍が兵士のいる見張り場に降り立った。


 それは、エルフの女だった。一糸まとわぬ姿で、そこに立っていた。膨らんだ乳房に整った顔立ち。肩にはらりとかかった白く長い髪。場所が場所でなければ、その美しさに見とれてしまっていただろう。実際、彼女を目の前にした兵士がそうであったのだから。


 だが、兵士の目の前に立っているエルフの女は、とうの昔に息絶えている死人だ。

 ドミティウスの死霊術によって操られている肉人形でしかない。


 兵士は気を持ち直し、ボウガンで矢をいかける。玉のような白い肌に突き刺さる矢。エルフの女は衝撃にのけぞりはするが、倒れはしない。ましてや血の一滴すら流れ出てはいない。


 化け物。見張り場の兵士が口にした。

 すると、突然エルフの屍兵の顔が小刻みに震えだした。それは痛みに堪え兼ねての者ではない兵士達がボウガンで矢を射掛けている合間にも、首の震えは速度を増して行く。


 そして、それは突然止まった。

 うつむいたままのエルフの女の顔ががぶりと上がる。

 前を見据えた屍兵の顔。その目には兵も、武器も、何もかもが映っていない。どこを見ているのかも分からない。


 エルフの口が大きく開かれると、そこから赤々とした木が生えた。

 その木が何を意味するのか、兵士達が知らない訳がなかった。何せ、つい数ヶ月前にその威力を見せつけられたばかりなのだから。


 「逃げ…」


 兵士の言葉が言い終わらないうちに、轟音と衝撃が兵士達を包み込んだ。

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