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形代

 血肉が断面を彩り、そこからしたたる体液がジャックの足下へしたたっていく。

 呆然したのは一瞬。痛みよりも困惑がジャックの頭に浮かんでいた。

 片膝を地面につき、腕を失った二の腕を押さえる。なおも流れ出る血液は止まることなく、地面にこぼれ落ちていく。


 「なるほど、エルフの体というのも中々いいものだな」


 その声はエリスの口から聞こえてきた。しかし、その声はエリスの声ではなかった。彼女の喉からは到底出ないような、低い声。それは、女の声というよりも、男の声だった。

 その口調はジャックには聞き覚えがあった。ずっと前に聞いたのではなく、つい先ほど、そう、先ほど斬り殺したドミティウスの声に似ていた。


 「…エリスに、何をした」


 「そう怖い顔をするな。私が入るために少し仕掛けをさせてもらっただけだ」


 そう言うと、ドミティウスはエリスの体で後ろを振り向き、服をはだける。

 そこに刻まれていたものは、太陽と、獅子。そして二つの頭を持つ鷲。それらが円陣の中に描かれている。

 何かの術式。それがなんであるかをジャックが知るはずがなかった。


 「生者に別の生者の魂を移植させる術式だ。移された魂が入れ物側の魂から体を乗っ取り、支配する。これがなかなか便利なものでな、例え致命傷をおったとしても本来の体の持ち主は死ぬが、私はそのまま体を操り続ける」


 これ見よがしにドミティウスはジャックに魔法陣を見せびらかす。


 「ただ例外もいてな。教会のミノスと言う神父には貴様もあったことがあるはずだ。あやつは私を体にいれたまま自我を保っていた。私がそうさせていたのもあるが、狂信的というのは時として思いもしないことを起こすものだ」


 はだけた衣服を整え、ドミティウスはジャックの方に向き直る。


 「本当ならいつでも体を離れられるよう、この場に本体を残していたんだが、今まさに使い物にならなくなった。背丈は小さくなってしまったが、我慢すれば済む話だ。…心配するな、下衆なことに使ったりなどしていない。私の体となる大切な体だったからな。傷物にするには忍びない。たった一部だけ、少し傷をつけてしまったが、それは必要不可欠だったからだ。許してくれ」


 憮然とした態度で謝罪の言葉を述べたところで、効果はない。無論、謝罪するつもりは欠片もないのだろう。ドミティウスにとってはたまたまエルフという入れ物に収まってだけだ。


 「だが、やはり魔術に長ける種族はすばらしい。魔力が体の奥底から満ちあふれている。これがエルフ共の唯一の利点だろう」


 新たな体の具合を確かめるように、肩を回し、首を左右に傾ける。そして、手のひらをおもむろに上へ向ける。すると、手のひらの上に青白い炎が立ち上り、エリスの顔を怪しげに照らし出した。


 単なる炎ではなく、魔力によって作り出したもの。魔法に疎いジャックにでもそのくらいはわかる。

 ドミティウスは手の上に作り上げた炎を握り消すと、再びジャックの方へ視線を向ける。 


 「名もなき兵士よ。いや、先ほどのエルフの女によれば、今のお前はジャックという名があるのか。この際どうだろうか。再び私の元で働いてみないか」


 足をおり、ジャックと同じ目線になってドミティウスは語りかける。その顔には笑みがこぼれている。


 「お前が未だこの世にいて、今私がここにいるのも何かの運命だろう。駒は操る者がいなければ役に立たぬ。お前の体たらくも私がいなくなったからだろう。ならば、今一度私自らの手で立派な兵士に育て直してみせようではないか」


 そういうとドミチィウスはジャックに手をのばす。見た目はエリスそのものだ。だが、エリスの浮かべる笑みはエリスのものではなく、彼女の手もまた、今は彼女のものではない。それがわかっていながら、だからこそ、その手を乱暴に払いのけることができない。


 「…」


 「どうした。何を迷っている。平穏と安寧ほどお前に不釣り合いなものはない。お前がいるべきはそんなぬるい所ではない。幾多の血肉が舞い、数多の死体が山を作る戦場だ。お前自身それはわかっているだろう」


 差し出した手を引っ込めて、ドミティウスは立ち上がる。


 「私がそこへお前を連れ戻してやろう。お前がいるべき場所に。我が帝国に」


 「…貴様、一人で、軍を相手にすると、言うのか」


 「一人ではない。今や私の味方はごまんといる」


 「どういう、ことだ」


 ジャックのやっとの問いかけに、ドミティウスは頬をゆがめて答える。


 「教会は私のいい隠れ蓑だった。供養という名目であらゆる種族の死体をそろえられ、また密かに人をさらうことにも便利だった。神父というものはそこらの男よりも信用が高いらしい」


 口を滑らかに、得意げに話を続けていく。


 「この谷には幾多の魔物が住み着いていた。魔物を飼いならすのはそれほど大変なことではなかった。死霊術によって傀儡とした死体たちをしむけて、戦意を削ぐまで叩く。後は甘い甘い恩赦を与えればいいだけだ。するとどうだろう。こちらに牙を向けてきた魔物どもが、一転して媚び諂うようになった。人間も、魔物もかわらぬものだ」


 右へ左へと歩きながら。またその顔に歪んだ笑みを浮かべながら、上機嫌に言葉を続ける。


 「奴らの繁殖力は底知れん。何せ、相手が異種族であろうと関係がないのだ。そいつが雌か雄かだけだ。それだけで奴らは狂ったように繁殖を繰り返す」


 「…人でなしが」


 「私の命とあらば、女子供問わず殺してみせた奴の言う台詞ではないな。貴様も私も人でなし、同じ穴の狢だ。まさか、自分だけは全うな人間であるなどと考えている訳ではあるまい」


 ドミティウスは心外そうに眉根を潜めながらも、すぐにその顔に笑みを張りつかせる。その顔がエリスのものでなければ、すぐに殴りつけてやったものを。ジャックは苦虫をかみつぶすように、歯をかみしめ、ドミティウスを睨みつける。

 だが、ドミティウスは呆れまじりに鼻をならすだけで、気にも留めない。


 「異種族の交配で一番適していたのは人間の雌との交配だ。一年を通して繁殖ができ、それなりの数を生むことができる。生めなくなれば、その肉は餌として魔物に食わせればいい。中には腹から生んだ赤子が、母親の肉を食らっていたこともあったが」


 「帝国の民だぞ。お前の国に奉仕する人間を、貴様は」


 「今、あの帝都で暮らしている者たちは、私を国から追い出した奴らの子孫どもだ。そやつらにかける恩情などもはや存在しない。私の前に頭を垂れる者。私にしい従うものだけが、私の恩情を受けることができるのだ」


 口角をあげながら喋っているが、その口調は鋭くジャックを問いつめているかのようだ。


 「だから、貴様にはその機会を恵んでやろう。形はどうであれ、このエルフの娘と共にいることができるのだ。悪い話ではなかろう」


 さあ、手をとれ。と言わんばかりに、ドミティウスの手が再び彼に差し出される。


 「また私の手駒として働いてもらおう。それこそがお前の生きる道であり、それだけが、お前に与えられた使命なのだから」


 ジャックは必ず手をとる。それはドミティウスの中では決定事項であり、揺らぐことのない真実だ。だが、彼の思うほどジャックという人間は従順ではなかった。


 「…断る!」


 その言葉を皮切りにジャックは体勢を低くしたまま、ドミティウスの懐へ、エリスの懐へ向けて突進する。肩をドミティウスの腹に当て、勢いを殺すことなく押し倒す。中身が男であれ、その見た目はエルフの少女だ。体勢を崩すことは容易だった。


 地面に押し倒した後、すぐさま剣を奪い取り、ドミティウスののど元に振り下ろす。だが、剣の切っ先はドミティウスの皮一枚のところでとまり、それ以上進まない。ただただ震えるばかりで一向にその先に進んで行かない。

 ドミティウスの姿が本来の姿であれば、難なく突き刺していただろう。しかし、彼奴は今エリスの皮をかぶり、彼女そのものとなっている。


 エリスの目が怯えにうるんでいる。それがたとえドミティウスの演技であると分かっていても、ジャックを簡単に動揺させ、殺意を鈍らせる。そして、それは敵にとっては十全の好機となる。


 「馬鹿めが。姿形に惑わされおって」


 ドミティウスは手のひらに魔力を集めると、そこに風の球体を出現させ、ジャックの腹に押し当てる。

 それはユミルがドミティウスにやられた魔法と同じものだ。そしてジャックもまた彼女と同じように空中へと吹き飛ばされる。


 上へ、上へとジャックの体が打ち上げられ、ついには天井に強かに背中を打ち付ける。衝撃は肉を伝い、骨へ、そして内蔵へと伝って行く。あばらの何本かが折れる感触がしたかと思うと、行き場を失った血液が食道を駆け上り、ジャックの口から外へと吹き出した。


 天井にいつまでも張り付いているわけもなく、ジャックの体は重力に従って落下をしはじめる。受け身をとる暇もなく、ジャックは顔から地面へと叩き付けられる。


 「私の物ではなくなった傀儡にようなどない。いっそここで死ぬがいい」


 ジャックの落とした剣を拾い上げ、ドミティウスは高々と剣を掲げる。ジャックは目だけを動かし、鋭い目つきでドミティウスを見上げる。

 薄ら笑いを浮かべながら、ドミティウスは掲げた剣を勢いよく振り下ろす。狙うのはジャックの側頭部。薪木を斧で叩き割るように、ジャックの頭蓋を切断しようとする。


 しかし、剣はジャックのこめかみに押し当てられただけ。寸でのところで勢いが殺され、彼の頭蓋を切り裂くには至らなかった。


 何が起きたのか。今起きている事実に一番驚いているのはジャックではなく、剣を握っているドミティウス本人だった。エリスの顔を歪ませて、剣を握る手に力を込める。だが、剣はこめかみから先へは一向に前へ進まない。皮一枚をきるにとどまり、細い血の線が彼の額に一筋流れて行くだけだった。


 「…耳長の小娘風情が。まだ、抵抗する力を残していたか」


 苦々しげにドミティウスはつぶやく。


 「まあ、いい。こやつの気概に免じて今回ばかりは見逃してやろう」


 剣を地面に放り投げ、ドミティウスは魔術による門を出現させる。


 「ま…て…」


 「何、心配せずともすぐに会えるだろう。ではな、名も無き兵士よ。戦場(いくさば)で相見えよう。その時は、貴様の首を喜んで切り取ってやろう」


 ドミティウスはエリスの体とともに門の中へと入って行き、姿を消した。

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