徒労
洞窟の入り口から数歩進めば、薄闇が次第にジャックを取り囲み、漆黒の中に彼の体を隠していく。土の香りが鼻をつき、冷えた空気が肌を撫でる。何か明かりになるものでもなければ、歩き進むことも容易ではなかった、
ジャックは壁に手をつき、足で地面を確かめながら、一歩一歩慎重に進んで行く。
次第に傾斜がつき始める。どうやらこの洞窟は下へ下へと伸びているようだ。ジャックは注意深く進んでいこうとするが、その足は突然止まる。
目の前の地面に松明が一つ。ぽつんと転がっていた。そこにはまだ火がついていて、火の揺れに合わせて周囲の陽炎たちが踊っている。
ジャックはそれを拾い上げ、明かりがわりに先へと進む。
すると、またしても松明が地面に転がっている。それを無視して先に進むと、またしても松明があった。
罠か、それとも不注意による産物か。どちらにしても人の意思が介入しない限り、こんな目印のように置きはしない。恐らくは意図を持って松明を置いているのであろうが、その理由がよくも分からない。なぜ逃げる側にある犯人が、まるで見つけてくださいと言わんばかりに、松明なんぞを置いているのか。
考えたところで仕方がない。これから殺すものたちの思考を推察したところで、どうしようもない。
ジャックの足は松明を追うように、洞窟を進んで行く。
そうして進んでいると、広い空間に出た。
自然にできた空間の両脇には、人口でできた篝火が灯されている。そのおかげもあって空洞の中は一定の明るさが保たれている。
「これはこれは、随分懐かしい顔が来たものだ」
その声は空洞の中程から聞こえて来た。ジャックがそちらに目をやると、薄闇の中にぼんやりと動いている影を見つけた。
目を凝らしてよく見ると、そこには数人の男達がジャックの方を見つめていた。その中の一人が、群れの中から一歩前に出て、彼に顔を見せる。
その顔はどこかでみた覚えがあった。だが、よくは憶えていない。ひどく昔に会った気もするが、どうにも思い出せない。元からどこにでもいるような顔だから、あるいは特徴がなさすぎてその顔をその辺の石ころと同じぐらいにしか思っていないかのどちらかだ。
彼の視線が己の顔に注がれていることに男は気がつく。
「忘れてしまったのか。それはそうだよな。無理はないさ、俺みたいな弱者は、覚えられていなくて当然だ。では、思い出せるように少しヒントをやろう。そうだな、初めてあったのは3年前、エルフの村近くの草原だ。お前はその時、俺と戦った。ここにはいないが後二人ほど仲間がいたが、お前に殺された。…ここまで言えばわかるだろう」
そうだ、思い出した。3年前ジャックの前でエリスに襲いかかっていた小悪党の一人だ。記憶の中の男は今よりももう少し肉が超えていたように思うが、3年もの時が流れているのだ。多少やせ細っていても不思議ではない。
「おっと、妙なまねをしてくれるなよ。俺もあの時の二の舞はいやだからな」
男が手を顔の横に掲げると、背後にいる男の仲間数人が懐から杖を取り出し、ジャックに向ける。
「…魔術師か」
「その通り。言っただろう、あのときの二の舞はごめんだってな。3年前に仕事をとちらなければ、こんな面倒なまねはしなかったんだが。たった一人のエルフの子供も拐<さら>えないとあっちゃ、俺の評判もがた落ちだったさ。それもこれも皆テメェのおかげだ」
「誰かから依頼されていたのか。エリスを誘拐するのを」
「そうだとも。だが、貴様には教えんよ。依頼主の情報を守ることは鉄則だからな。さて、おしゃべりもこのくらいにしよう。いらぬ情報をつい口から滑らせてしまいそうだ」
男はそう言うと、背後にいる仲間に目配せをする。仲間は頷くと、今一度杖をジャックに向けて構える。
「大学のガキどもが松明につられてのこのこと来たところを捕まえて、身代金でもたかろうかと思っていたんだが。まあ、仕方がない。その気に食わない面を一生見ないで済むのなら、お釣りがくるくらいだ。だが、簡単に死ねると思うなよ。あの時の屈辱を今返してやる」
「…ユミル」
決して大きくはない彼の声が、空洞の中に響き、こだまする。ジャックがしゃがむと後方から矢が飛来する。それはジャックの頭上を通り、男達へと襲い掛かる。喉、肩、腹。肌が露出しているところへ、狙いすまされた一矢が突き刺さる。
だが、それでも死なない者はいる。仲間の体を盾にして身を守ったり、運よく一本も当たることなく避けてみせ、4人は確実に生き残った。
目の前にいるハゲ頭の男の顎を、剣の柄で打つ。ぐるりと白目をむいて倒れる男をその場に置き去りにして、彼は残る悪党に立ち向かう。
杖を構える悪党の首を、ジャックは容赦なく斬り落とす。剣の刀身の上を男の顔が滑り、通った後には真っ赤な血液が切れ目から吹き出し溢れる。もはや肉となったものに構うことなく、未だ生あるものへと剣を向ける。彼らをかまってやる時間はあまりに少なく、ジャックに用意されている時間もあまりない。
残存している男達は果敢にもジャックに向かっていく。タイマンでの勝負は部が悪いと見たのか、二人、3人で立ち向かう。けれど、死角から攻撃しようと背後に回り込めば、弓矢の餌食となり、正面から打って出ても歯が立たぬ。
回避に専念してもいずれは追いつかれ、剣の血錆と成り果てる。弱者ばかりを狙う小悪党が、幾つもの戦場を渡り歩いた猛者に勝てる道理はない。
残る二人は、壁際に追い込まれると己の獲物を地面に放り、ジャックに許しを乞うてくる。せめて、命だけは助けてくれと。だが、命乞いが万事まかり通ることは少ない。ましてや、これまで幾人の者を苦しめてきた悪党に向ける情など存在しない。
何の感情もない無を顔に浮かべ、されど心の激情そのままに。彼の剣は容赦なく男二人の首をはねた。
返り血が顔にかかり、壁に鮮血の彩りが加わる。命乞いのために伸ばされた四つの腕は、虚しく下に落ちる。地に転がる二つの頭が、ジャックの顔をのぞいている。だが、彼にとっては動かぬ肉は塵芥と何ら変わらず、何の感情を向けることなく、そこから離れた。
ジャックの足とユミルの足が止まったのは、同じ場所だった。
未だ腹が動き、息のある肉塊。未だ人として生のあるそれの腹に、ジャックの蹴りが容赦無く突き刺さる。
内臓が歪み、何かが胃の中から迫り上がる。それは出口を求めて食道を遡り、口に達すると、噴水のごとく溢れてきた。
痛みと吐き気よって意識を回復した男。ゲホゲホとむせ返る中、ジャックの剣が男の足に突き立った。
途端に男の席が悲鳴に変わる。血とゲロが混じり合い、異様な匂いが漂う
「エリスはどこだ」
まるで死刑を宣告する裁判官のように、何の感情も乗ることのない冷酷な声で言葉を突きつける。
「だ、誰が、おし、えるか」
痛みに声と頬を震えさせながら、男は答えた。ただ、それはジャックの望んでいた答えではなかった。
男の足から剣を抜くと、今度は男の手のひらに剣を突き立てる。そして、力任せに剣を回転させて風穴をえぐり広げる。
「どこだ」
男の叫びが響く中、彼の声が男の耳へと届く。何の感慨も浮かばせない。何の容赦もしない。たとえ泣こうが喚こうが、答えが男の口から吐き出されるまで続けられる。
「だ、れが…」
剣の回転をとめ、手の平の中心から中指と薬指の間を一息に切り裂く。先ほどに比べれば痛みは一瞬だ。だが、痛みは男の腕から体へとはしりぬける。痛みに耐えかねて傷ついた手をもう片方の手で抑えるが、ジャックはそちらの手にも剣を突き立てる。
「あの子は、どこだ」
彼の求める答えが男の口から出されるまで。執拗で、残忍に、男の体を痛めつけ続ける。男は助けを求めるように、ジャックから目をそらし、彼の傍に立つユミルを見つめる。
だが、彼女から帰ってきたのは言葉ではなく、侮蔑の視線。彼と比べてしまえば、あまりにわかりやすく感情を乗せて、転がっている男を睨んでいる、
もはや救いはない。そんな状況にいるにもかかわらず、男の顔には笑みが浮かんでいる。
「あの子は、どこだ」
「少なくとも…。ここには、もう、いない」
「何?」
「魔法には、詳しくないが。転移魔法、とか言うので、遠くに行っちまったよ」
「どこへ行った」
「それを言っては、面白く、ないだろう」
二ヘラと笑う男。ジャックは男の足を、ついたばかりの傷を踏みつける。
「御託はいい。さっさと場所を言え」
痛みに耐えかねて男が絶叫する。それに眉根をひそめることもせずに、ジャックは問いかける。
「へ、へへ。じゃあ、命を、助けて、くれるか」
苦し紛れのふざけた言葉を、男の足をさらに踏むことで黙らせる。
「場所を聞いているのだ。それ以外の言葉は必要ない」
「…まあ、いいや。どうせ、ここを出たところで、死ぬことには、変わりねえ。それに、テメェのその面を見られただけでも、よしとしようじゃないか」
何かを悟ったように、自らの生を捨て、言葉を作る。
「…タルヴァザに、行きな。そこに、奴らと一緒にいる」
奴ら。つまりはこの悪党にエリスをさらうように仕向けた輩ども、と言うことか。それがどんな連中かはわからないが、それを考えるのは、今でなくてもいい。それより、彼の思考で優先すべきは、目の前に転がる小悪党の始末だ。
男の足から足をどける。そしてジャックは男の腕から引き抜いた剣を、男の頭上に掲げる。
「…へへ。ざまぁ、ねえ」
その言葉を最後に男の喉が切り裂かれた。こぼれ出る真っ赤な血。それは川となって肌を伝い、地面へと降りていく。
男の口からは、最後の息とともに血が吹き出る。そして、次第に胸の上下がなくなり、双眸が黒く濁っていく。彼の魂が彼の体から抜けていく様を見届けると、ジャックはちを払い落とし、鞘に入れる。ユミルの横を通り抜ける。
「行くぞ」
振り返ることなく彼女に告げる。そして、足を進める。
足元に転がる悪党の死体。立ち去る前に、ユミルはその死体を一瞥する。
とうに事切れているのに、血液だけが流れ動いている。しかし、その顔に浮かんだ笑みは、未だに彼女に不快感を与えている。死を迎えてなお、他者に嫌悪を与えるのも大したものだと言いたいが、その言葉は脳内に塵となって消える。それを掴み取ることもせずに、ユミルはジャックの後を追ってその場を立ち去った。
外へと出た二人を、生徒とロドリックが迎える。結局教師たる彼は洞窟に来ることはなかった。だが、彼が来なくとも始末は着いたので、とやかく言うつもりは二人にはない。それよりも優先すべきものがある。
あの子はいたのか。ロドリックの問いかけには答えず、彼の押しのけ進んで行く。なおも声をかけようと、ロドリックは手を伸ばすが、その手をユミルに取られる。
「無駄よ。今声をかけても、聞く余裕があの人にはないから」
首を横に振りながら、ユミルが言う。そして、彼の肩を叩くとジャックと同じように森の中へと進んで行った。
「犯人はどうなった」
ロドリックがユミルの背中に問いかける。
「然るべき罰は与えた。中に入って見るのはいいけれど、生徒さんたちをつれて行くことはオススメしないわ」
彼女はそれだけを言うと、森に消えて行った。




