6-1
その日の天気はどんよりとした曇り空。今にも稲光が空を割いて降ってきそうな黒雲が帝都の空を覆っている。
曇天に見下ろされながら、ジャックとユミルの足は煉瓦立ての建物へと向いていた。そこは以前エリスを連れて三人で大学へ赴くために通った建物だ。この日も同じように鉄柵を抜けて、建物の扉を開ける。
ただ、あの時エリスの前で見せていた穏便さは消えている。怒りと不安。二つの感情がない交ぜになった険しい表情を二人は浮かべている。
「大学への道を開け」
受付にいる男の胸ぐらを掴みながら、ジャックがすごむ。突然のことに目を丸くして驚くばかりの男だが、その間にもジャックから放たれる殺気は男の背筋を凍らせる。
小刻みに何度も男は頷くと、手元の機械をいじり合図を送る。それを見ると彼は男から手を離し、廊下を進んで行く。ユミルはちらりと男の方をみると、申し訳なさそうに会釈をしてジャックの後を追った。
階段を降り、扉を開く。そこには見覚えのある男が座っていた。
「おお。これはローウェン様、それにユミル様まで。今日はどうされましたか」
ゴフは相変わらず血相の悪い顔を二人に向けている。
ジャックはゴフに歩み寄り、机を挟んで正面に立った。
「何故エリスがさらわれた」
感情を感じさせない、冷えた声。視線だけが彼の中に渦巻く怒りを訴えるように鋭く光っている。
「ああ。そうでしたな。ユミル様はエリスさんのお母様。ということは…、ローウェン様はエリスさんのお父様でいらっしゃいましたか」
「何故、エリスがさらわれるような事態になった」
彼の言葉に耳を貸さず、ジャックは己の疑問をゴフに投げつける。
「それは私に言われても分かりません。申し訳ないことですが。その時、現場にいた先生が今教員室にいると思いますので、お呼びいたしましょうか?」
「頼む」
「では、少々ここでお待ちください」
コフィはそう言うと、重い腰を上げて、扉の中へ消えていった。
「…大丈夫よ。きっと、エリスは無事だわ」
「確証のない期待などいらない。最良を思うのは勝手だが、最悪もまたあることを忘れるな。きっとなどという憶測は何の助けにもならんぞ」
「…ごめん」
重たい空気を変えようとユミルなりに気をまわしたのだが、返って空気を悪くするだけだった。
それっきり言葉の失せた部屋の中で、二人はコフィが戻ってくるのを待つ。
時計の振り子が刻々と時を刻む。その音は部屋の中に聞こえてくるが、ジャックの耳には一切入ってこない。
そして、扉が開かれる。最初に入って来たのはコフィ。そのあとに続いて二人の男女が入ってくる。女の方には見覚えはなかったが、男の顔には見覚えがある。この前ユミルと話していたエルフ、ロドリックだ。
女は青白い顔をうつむかせたままで、二人に顔を向けない。ロドリックはそんな彼女の肩を叩きながら、彼女に代わって口を開いた。
「この度は本当に申し訳ない。我々の不始末でこんな事態になってしまって」
「貴様らの詫びを聞くために来たのではない。エリスの居場所はどこだ」
「それが分かればもう貴方達に伝えている」
「…そいつは誰だ。何故ここにいる」
ジャックは顎を使って女を指す。彼の言葉の端々からでる棘が刺さったのか、ジャックの言葉の後彼女の体がピクリと跳ねる。
「…その時授業を受け持っていた先生だ」
その言葉を言うまでに少しの時間があった。もしかすれば、彼女を手にかけてしまうのではないかと言う懸念があったためだ。だが、その懸念は決して間違いではなかったことが、現実となって現れる。
ジャックはおもむろに女の元に歩み寄ると、襟首を掴み、そのまま壁へと叩きつける。
うっと苦しげな声を漏らす女だったが、目の前にあるジャックの顔を見て、血の気が引いた。
「す、すいませ…」
「謝ってほしいわけではない。貴様から謝罪されたところで何にもならない。ただ、あの子にもし何かあれば、貴様の首を切り落とさなければならなくなる。それくらいのことをしでかしたのだ。嫌とは言わせんぞ」
言葉の端々に険が立つ。それと同時に女を掴む手に力が込められる。ギチギチと首を絞められ、女はジタバタと手足を悶えさせる。例え女が目を潤ませても、彼の腕から力が抜けることはない。
「やめなさいよ。その人をいじめたところで何にもならないことぐらい、貴方にもわかるでしょ」
横合いから彼の腕を掴み、ユミルが止めに入る。
だが、ジャックは彼女をちらりと見たきり、腕を女から離そうとしない。それでもユミルはジャックの顔から目をそらすことなく見つめ続ける。
それが功をそうしたのか、ジャックはゆっくりと腕の力を抜き、女を解放する。
ゲホッゲホッ、と苦しげに咳をしながら、女はそれまでジャックの手があった己の首筋をさする。傷ひとつないのだが、圧迫感となんとも言えぬ気持ちの悪さはさすったところで拭い去れない。
だが、そんなことを目の前の男に喋ればどうなるか。どんな阿呆でもわかることを理解できない彼女ではない。息を整え、震える膝を支えながら女は立ち上がる。
「何があったか話せ。それ以外のことを喋る必要はない」
敵を見据えるように冷えた視線を女に浴びせながら、ジャックは言った。
「…あの日は、子供達10人と一緒に大学近くの森で薬草採集を行なっていました。ここの近くの森は薬草が豊富で、フィールドワークにはちょうど良かったのです。勿論護衛と迷子になった時に備えて、自立人形<ゴーレム>を各班に一体ずつ配置していました」
「ゴーレム?」
「土魔法で作られた人形だ。術者の護衛や荷運びの道具に使われる。外で授業を行う場合には安全を考慮して、ゴーレムを同行させることが義務づけられている」
注釈を女の傍らに立つロドリックがしてくれる。
一旦はロドリックの顔に目をむけていたジャックだが、彼の講釈が終われば、ジャックの目は再び女へと注がれる。
「続けろ」
ジャックの口から放たれる一言に女は耐え切れなくなったのか。それとも、自分の不甲斐なさに堪え切れなくなったのか。女の目には次第に涙がたまっていく。
どちらの意味にしても、その涙はジャックの情を誘うことはなく、神経を逆なでる以外の効果はない。
「終了を告げる鐘の音がなると、子供達が森の中から帰ってきました。私は事前に決めておいた集合場所で子供達を待って、点呼をとり、確認が出来た子から教室に戻すようにしていました。でも…」
「エリスだけが戻ってこなかった」
ジャックの言葉に、女はこくりとうなずいた。
「心配になって他の先生を呼んで森の中を探したのです。ですが、エリスちゃんの姿はなく、粉々に壊されたゴーレムだけが森の中に残されているだけでした。…本当に申し訳ありません」
涙声で頭をさげる女。だが、ジャックの頭からはすでに彼女の存在は消えつつある。かける言葉があるとすれば、
「この女を連れて行け」
その一言だけだった。
ゴフに連れられて女は部屋を後にする。ロドリックは女の背中を追っていたが、すぐにその目を二人に移し口を開く。
「彼女に代わってお詫びをいう。今回は申し訳なかった。今、子飼いの犬たちにエリス君の匂いを嗅がせて捜索させている。結果が分かり次第、君たちには伝えよう。だから、どうか怒りを抑えてくれ」
ユミルに対してと言うよりも、目の前で未だ扉の方に目を向けているジャックに対しての懇願だ。
本来、この場にロドリックがいる意味はない。もしも女が謝罪も満足に出来なかった、あるいはジャック達がその謝罪を受け取ろうとしなかった場合に、ロドリックが女とともにもう一度謝罪を述べる。この場合を想定して、ロドリックは女に同行した。
生徒を失ったことで傷ついているのは何も両親だけではない。責任、失望、恐怖。様々な感情が女の心に浮かぶが、とりわけ責任の言葉が重くのしかかる。もしもの事態は必ずある。だが、防げなかった責任はあまりに大きい。教員室の椅子に座る女の落ち込みようは、まるでこの世の終わりを見ているかのようだった。
あまりの落ち込みように良心から、女とともに謝罪をしようとロドリックは同行したのだが、自分がついてきて正解だったと今は考えていたあ。もし、彼女一人がこの場に乗り込めば、ジャックに殺されていた可能性だってある。
いや、ロドリックがいなくともそうなっていただろう。ユミルがこの場にいる。それが彼が最後の手段を行使するぎりぎりで歯止めをかけているのだ。ロドリックの言葉には耳を貸さないが、ユミルの言葉には耳を貸す。
この場にユミルがいてくれて助かった。内心ユミルに感謝しながらも、ロドリックはジャックの返事を待つ。しかし、ジャックはロドリックの言葉が己に向けられているのを知っているが、それでも彼の方へ目を向けない。
「必ず見つけろ」
ちらりとロドリックを睨みながら一言を添える。そして彼に背を向けてその場を立ち去ろうと歩き始める。
その時だ。駆け足の音が近づいてきたかと思えば、扉が勢いよく開かれた。
「ろ、ロドリック様。見つけました」
ローブを着た若い男が、息を乱しながら言う。
「見つけた?何を」
「エリス君の居場所です。犬が嗅ぎ当てました」
それを耳にした時ジャックの体がロドリックたちの方へ向く。
「どこだ」
彼は若い男に詰め寄ると、そう問いかけた。
誰ですか、この方は。目配せでロドリックに男はたずねる。
「エリス君の親御さんだ」
それを聞いて得心がいったのか、目をジャックの方に向ける。
「え、ええ。大学から離れたところにある、洞窟の中です。犬たちがそこの前で止まったので多分間違い無いかと」
「犯人の姿は見たのか?」
「いえ。でも、弓矢での攻撃を受けたので、まだ中に潜んでいるかと思われます。今、仲間が見張っているので、当分はあの場を動かないかと」
「案内しろ」
ロドリックと男が言葉をかわしているさなかに、ジャックの言葉が割って入る。
「…いいのですか」
確認のために、男はロドリックに視線を送る。
「構わない。私もすぐに後を追いかけよう」
「分かりました。では、お二人は私に着いて来て下さい」
男に連れられて、奥深い森の中を進んでいく。エルフの村があった巨木の森ほどではないが、大木が周囲に幾本もそびえ、地面に影を落としている。
あぜ道を進み、獣道を進み、最後にはもはやとも呼べない草の中を進んでいく。
そうして歩くこと数十分。丈の長い草をかき分けると、草たちに埋もれるように、岩場にひっそりと口を開けた洞窟が現れた。
そこからほど近くにある木陰には男と同じローブを見にまとった男女が二人身を隠している。見張りと言うのは彼等のことで間違いはなさそうだ。
「あそこか」
「ええ。でも、まずは合流しないと」
心配そうに青年は意見を述べる。しかし、青年の言葉はジャックの耳を素通りしていくだけだった。
「援護は任せた。私は先に行く」
「わかった」
ユミルにそう言うと、ジャックは身を屈ませながら、洞窟の方へと向かう。
彼を制止しようと男が手を伸ばしかけるが、それをユミルの手が下ろさせる。
「貴方、魔法は使えるの?」
「え、ええ。まあ」
「あの子たちも?」
ユミルは木陰にいる二人を指差して言う。
「ええ。問題なく使えます」
「さすが魔法大学の学生さんね。…この洞窟、入り口がもう一つあったりしないかしら」
「すみません。そこまでは…。普段はこんな森の奥にまでこないので。ここに洞窟があったのも今日初めて知ったんですから」
「…そう。それはちょっと厄介ね」
親指の爪を噛み、眉根をひそめる。が、すぐに指を口元から離す。
「逃げられたら逃げられたで、仕方ないと割り切るしかないわね。とにかく、私はジャックを追うから、あなたたちもついて来られたら、そうして頂戴。もしダメそうならロドリックが来るまでここで待機すること。わかった?」
「は、はい」
「いい返事ね。じゃ、よろしく」
男の肩を叩くと、ユミルはジャックの後を追って洞窟へと駆けて行く。あっけにとられたままの男は、彼女を制止することを忘れてその背中を見送っていた。




