不義
アーサーは一人の男の元を訪ねようとしていた。場所は帝都の城にある貴族院の一室。赤い絨毯の敷かれた廊下を進み、扉の前に立つ。ノックを2回ほどすると、間も無く中から声が帰って来た。
「入れ」
その声の後、アーサーは扉を開けて中に入る。
「今日はどうしたんだ。こちらが呼ぶこともなく、お前がくるなんて珍しい」
「何、ちょっと聞きたいことがあって来たんだ。そう心配するな、すぐに終わる」
椅子に座り、肘を机の上に置きながら。ロイがアーサーに言葉をかける。それに彼はいつものような態度で答える。
「何だ、聞きたいことって」
「実は。うちの部下が妙なことを口走っててな」
「ほお。どんなことだ」
ロイはおもむろに立ち上がると、書棚から本を取り出し、開いて読み始める。聞く態度としてどうなのかとは思うが、アーサーは構わずに言葉を続ける。
「ちょっと前にエドワードのところに俺がメモ紙を渡しに行ったらしい。だが、俺はそんなものを渡した覚えはなし、その内容がまた妙でな。セント・ジョーンズ・ワート教会。件のあの教会に優先して死体の供養を任せろ、といった内容だったらしい」
言いながら、アーサーは椅子に腰を下ろす。
「俺は軍人以外の死体なんざどうなっても構わんし、それにわざわざ頼むことのものでもないと思っている。だが、エドワードの前に現れた俺は、俺の嫌う面倒臭いことをしていた。俺そっくりの人間がいたとすれば、そいつがなりすまして、エドワードに渡したってことも考えられるが…」
言葉を区切り、ちらりとロイの顔を覗く。彼は依然として本に目を落としたままだ。
「まあ、これは確たる証拠もない憶測だ。だが、その憶測に従って考えてみると、そういうことをしでかす奴は、俺の知る限り片手で足りる。一人は、ギルドの糞爺。理由は分からないがいたずらのつもりでやったと考えられる。もう一人はエドワードだ。あいつが嘘を言って俺を困らせようとしている。なくはないが、限りなくゼロに近い。そして、もう一人は…」
彼の手はおもむろに伸ばされ、彼の指の先には、ロイがいた。
「私か」
「ない話ではないだろう。理由か?これから喋ろうと思うが、まあ、戯言だと思って聞いてくれて構わない」
ふざけ調子に言いながら、けれど真面目さを残してアーサーは言葉をつないでいく。
「一瞬とはいえ、俺らしくもない行動を起こせば、エドワードのやつは怪しむはずだ。だが、それがなかった。と言うことは俺のことを日頃よく見ていて、なおかつ俺にバレても怪しまれないようなやつだ」
言葉を語る合間にも、アーサーの目はロイを見て離さない。だが、ロイは動じることなく、本に目を落としたままだ。
しかし、本のページを繰ることはしない。それが動揺なのか、それともアーサーの話に聞き入っているだけなのかは、今の所判断することはできない。
「それだけでも人は限られてくる」
「それだけで私を疑うのか」
「まさか。これはあくまで話の枕だ。本番はここからだ」
「まるで、尋問でもしているようだな」
「気づかなかったのか。俺はそのつもりで話をしていたんだが」
ここでようやくロイが本を閉じて彼の方へ顔を向ける。
そこにはいつもと変わらない、不機嫌そうな顔の従兄弟が立っている。だが、彼のまとっている雰囲気が、いつもとは少し異質だ。普段の彼からは感じられない、僅な殺気。それが彼の肌をチリチリと刺してくる。
これは、もしかすればもしかするのか。
心の中で呟いたアーサーは、それを心の底に沈めて、言葉を紡いでいく。
「あいつが資料をとっとくようなまめなやつで助かった。そのメモ紙を預かってきたんだ」
そう言うと、胸ポケットから一枚の紙を取り出して、テーブルの上に置く。
「それと、これはそれとはまた別なんだが、お前からもらったメモ書きだ」
勿体振るようにいいながら、もう一枚をメモ紙の横におく。
「俺の字に似せているようだが…」
エドワードに与えられたメモ紙と、アーサーに当てられたメモ紙。それぞれを指でなぞりながら、さらに言葉を重ねていく。
「おかしなことに、よく見ると同じ字がある。形がじゃない、筆跡が一緒なんだ」
ArthurとSt. John’s wort Churchという二つの名前。
この二つに共通する文字。筆記体で書かれたそれを指差してアーサーはロイの顔を見る。
「随分こじつけがひどいじゃないか。専門家であるまいし、一目見ただけでわかるものでもあるまい」
だが、彼の鉄仮面を剥がすまでにはいかない。多少の動揺でも誘えればと思ったんだが、そうやら彼の魂胆は叶わなかったようだ。
「まあ、そうだな」
机に広げた二枚の紙を懐に戻して、おどけた調子で宣う。
「もう用は済んだか?それなら、もう出て行ってくれ。私はこれでも忙しいんだ」
「わかった、わかった。じゃあ、これで最後にしよう」
なだめるようにアーサーが言う。眉間にしわを寄せて不機嫌さを隠そうともしない。
「エドワードが会ったと言う俺の偽物。そいつを見かけたってやつがいたんだ」
彼の言葉に、ロイの眉毛がピクリと動いた。それを見逃すアーサーではなかったが、すぐには触れずに話を進めていく。
「そいつはエドワードの部屋を出ると、一人で花街の方へ繰り出して行ったらしい。だが、不思議なことに俺はその日にお姉ちゃんのところへ行った覚えはない」
「馬鹿馬鹿しい。お前が記憶していないだけだろう」
「その俺はとある空き家の中に足を踏み入れた。そして出てきたのは、お前だった。そして、その後から出てきたのは、黒いローブを身につけた神父だったそうだ。…もっと聞きたいか?」
ロイの言葉を聞き入れず、アーサーはさらに言葉を続けていく。
「確かに花街は密会にはいい場所だ。むしろ、あそこほど秘密の話ができる場所は、帝都の中でもそうないだろう。誰もが相手のことに干渉せず、見て見ぬ振りが暗黙のルールだからな。だが、あそこはいわば俺の庭だ。女郎達は俺の目となり、道端に座る奴隷は俺の耳になる」
ロイの顔からは余裕が消え、忌々しい目つきを彼に向けている。少しづつ化けの皮が剥がれ始めている。
「3年の月日が経っていようと関係がない、面白そうな話があれば、金になるとあいつらはわかっているからな。金に汚いが、その分それに見合うだけのものを持っている。内容か?教えて欲しいなら話してやるが、どうする」
「…」
ここでの沈黙が何を意味するのか。分からない男ではあるまい。それは尋問官に対して有利な位置を捨てることだ。沈黙は了解となり、また肯定と捉えられる。
「場所を指定したのは、おそらくだがお前ではなく神父の方だろう。何せ、お前はあの手の場所は近寄ることも嫌っているからな。そうでなかったら、俺の知らないお前の一面ってことにしておこう。それに、俺に化けていたのも多分、神父だ。お前は頭はいいが魔法の才はないからな。だが、それはそんなに重要な話じゃない。それより興味があるのは、執り行われた密会の内容だ」
前かがみになってロイの顔を覗くように、アーサーが彼の顔を見る。
「教会とお前、というよりも議会議員の一部といったほうがいいだろうな。そいつらと教会とが密かにある計画を企てていた。それは、ひと昔前にいた皇帝ドミティウス・ノースの復権。ウン十年も前に追放された爺さんを皇帝の椅子に座らせて何になるかはわからんが、それは俺の知ったことではない。大事なことは、お前が帝国を裏切ったことだ。…ロイ・アダムス・コンラット書記官。貴君を国家反逆罪の罪で逮捕する。異論はあるまい」
立ち上がりながら、アーサーが言う。ロイの前で見せるおどけた表情は消え失せて、冷ややかな視線で罪人となった友人を見つめていた。
「何故だ。どうしてだなどと言う不毛な疑問は捨てよう。貴君に残されたのは、共謀者の議員の名を吐くだけだ。それができなければ、貴君を拷問にかけることになる。…だが、俺自身それは望まない。形はどうであれ、お前は俺の従兄弟だ。どうせならば、苦しませたくはない。だから、余計な抵抗をせずにいてくれ」
彼の言葉が、ロイの心に響いたのかはわからない。彼はおもむろに椅子から立ち上がると、机の脇を通り、アーサーの前に立つ。
「…アーサー。お前は今の皇帝陛下に、今の帝国に満足が行くか?」
それは、訴えでもなく、陳情でもない。それは単なる質問だった。
「満足のいく帝国など、これまでにない。どこかしらには必ず穴がある。その穴を埋め、完璧に近づけながら陛下を支えて行くのが我らの役目だ。お前の口癖ではなかったか」
「そうだ。その通りだ。だが、支えた結果どうなった。我らが築き上げてきた帝都の中に異種族の連中が住み着くようになり、陛下はそれを防ぐのではなく、良しとされた。新時代の幕開けだと、止めるのではなく、どんどんと呼び込みはじめた。…ふざけるなっ!」
怒りに任せて振り上げた拳を、机に叩きつける。その怒りは目の前にいるアーサーに対してではなく、もっと別のところにある。
「ここは奴らの土地ではない。我らの父祖が戦で勝ち取った我々の領地だ。それを理解していてなお、陛下は彼奴等をここへ招いたのだ。だが、私とて子供ではない。駄々をこねてどうにかできる歳はとうに過ぎている。だがな、アーサー。心に浮かんだ不平や不満はそう簡単には拭い取れない。私と同じ考えを持つ同士が集まれば、なおさらだ」
「だから、教会に手を貸したと」
「はじめは私も信じてはいなかったさ。ドミティウス公が生きているなどと。だが、この目で見てしまったのだ。彼は健在だ。またあの時の、強国であった頃の帝国が帰ってくる。あのお方は、そういってくれた」
「馬鹿馬鹿しい。幻惑に決まっている」
「会っていないのだから、どうとでも言える。だが、この目でみてしまった。そしてあのお方の言葉を聞いてしまった。それで信じるなと言うほうが馬鹿だ。…なあ、アーサーよ。考えても見ろ。私たちの爺様の時代にあった、強い帝国が帰ってくるのだぞ」
アーサーの方を強く掴み、得意の熱弁を彼に披露する。その目は理想に燃え、ギラギラと輝いていた。
「あの頃の帝国が戻ってくれば、異種族どもが我が物顔で帝都の通りを歩くこともなくなる。それに、軍もより強くなり、領土を拡大することも夢ではない。平和だなんだと理由をつけて軍需費を切り詰めている今の議会はなくなり、真に強い帝国へと進化する。お前にとっても理想の…」
だが、その熱弁は聴者である男の手によって妨げられる。
アーサーはおもむろに手を挙げると、それをロイの口元へと持っていく。そして、彼の口を包みこむ。
「もういい、黙れ」
徐々に握る力を強め、ロイの頬に指を食い込ませる。
「理想は理想。それを形にし、帝国を繁栄させることがお前の仕事だったはずだ。それを守るのが俺の仕事だったはずだ。何をグダグダと言うかと思えば、理想に取り憑かれて気が狂ったようだな。冷たい牢にぶちこんでやるから、頭を冷やせ」
力任せにロイの顔を横に投げる。つんのめりながらも、ロイは何とか態勢を立て直す。
「私の言っていることが正しいのは、お前も分かるだろう」
「それが分かるのは、お前の首が断頭台に転がった時だ」
例えそいつが従兄弟だろうと。例えこいつが帝国の議員であろうと。罪人になり下がれば、平等に裁かなければならない。
変に情にほだされてはならない。こいつは豚だ。こいつは屑だ。そう位置付けし、容赦無く断罪しなければならない。
だから、彼の目は冷ややかさを保ちながら、ロイの手首を手錠でつなぐ。
「…俺に残った最後の情としてもう一度言おう。どうか、無駄な抵抗をしないでくれ。できればお前を苦しませたくはない。…すんなりと情報を提供してくれることを願うよ、アダム」
彼の言葉に対して、ロイから帰ってきたのは沈黙だった。




