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宿舎

 エリスを迎えにいった後、受付から荷物を受け取り、彼女にあてがわれる部屋へと向かう。

 エマたちと共に通ってきた手順で、入学生用の寮へと向かう。壁は板。土色の壁が廊下を進むと、部屋の前にたどり着く。


 104と番号札のかけられた扉を開けて、中に入る。

 箪笥、ベット、本棚、勉強机に椅子。部屋の中には生活に必要な最低限の家具が置かれている。新品というよりも、代々子供らに使われてきたのだろう。ベッドの手すりや箪笥の側面には小さな傷が付いている。


 「まあまあの部屋ね」


 ユミルが言った。部屋の中に入るとベッドに腰掛ける。


 ものはないが確かにいい部屋だ。今暮らしているディグの部屋よりも広く、またジャックという同居人もいないため、部屋を一人で悠々と使うことができる。何より、着替えをいちいち気にしなくてもいい。


 腰掛けながら部屋を見るユミルを尻目に、エリスは荷物をジャックから受け取り、箪笥にしまっていく。

 一段目の箪笥を埋め、支給されたローブを脱ぎ、服掛けに引っ掛ける。幾分か軽くなった方をほぐすと今度は山のようにある教科書を本棚の中に収めていく。


 20冊ほどの厚い本たちが、棚の中で背をこちらに向けている。どれもこれもがタイトルを見ただけで嫌気がしてくる。これらを7年という間に読み切っていくのだから、大学という場所のすごさを改めて感じる。


 それから、少しの時間、二人はエリスとの会話に興じた。

 勉強のこと。

 友人のこと。

 長い校長様の話。


 とりとめの話題をエリスはさも楽しそうに語っていく。これから始まる学校生活への期待がそうさせているのだろう。だが、ふと会話が途切れると、彼女は慌てたように言葉をつなぎ合わせる。


 これが終われば、しばらくの間ジャックとユミルと離れ離れになる。もう小さな子供ではないにしても、どことなく、寂しい。それが何とはなしに嫌で、彼女の口はせわしなく動き続ける。


 けれど、それも長くは持たなかった。とうとう話題に困り果て、ジャックの口から最後の一言が出てしまう。


 「そろそろ戻るぞ」


 そう言ってジャックはドアノブに手をかけて扉を開ける。


 「じゃあね、エリス。頑張って」


 ユミルはエリスの頭を撫でてベッドから立ち上がり、ジャックの横を通って先に部屋を出る。

 さて自分も出ようかと思ったところで、背後から服の袖を掴まれる。顔を向けると、エリスが俯いたまま彼の袖をつまんでいた。


 「…なんだ」


 ぶっきらぼうにジャックは尋ねる。だが、返答はない。彼女の耳がほんのりと朱に染まっていくだけだ。


 「用がないのなら、さっさと離せ」


 そうは言うのだが、エリスの手は離れない。

 肩を落とし、ジャックはため息を漏らす。


 「一人になるのが、嫌か」


 「そう言うわけじゃないけど。もう少しだけ、いてくれないかな」


 「そうズルズルと長引かせると余計離れられなくなるぞ」


 「わかってる。…わかってるよ」


 ガバッと顔を上げたかと思うと、エリスの顔は再び下を向く。

 ジャックは彼女を見ながら、体を向けて膝を折る。 


 「…これでお別れと言うわけじゃない。嫌になったら、いつでも帰ってこい」


 クシャクシャとエリスの頭を掻きながら、ジャックは語りかける。


 「だが、出来ることなら、今度帰ってくるときには成長したお前を見せてくれ。少しでもいい。ここで学んだことを糧としたお前を見せてくれ」


 彼の言葉に、顔を上げたエリスはこくりと頷く。覚悟は定まったようだ。

 ポンポンと頭を叩くと、ジャックは立ち上がり部屋を出る。

 扉を閉めながら、ふと部屋の中を覗く。

 エリスが不安そう表情を浮かべてはいたが、彼女は手を振って彼を見送っている。


 「…またな」


 そう言い残して、ジャックは部屋の扉を閉めた。



 


 二人が宿に着いたのは午後の二時過ぎ。客足の少ない店内には、食べ終わった皿を運ぶディグの姿があった。


 「もう終わったのか」


 顔だけを二人に向けてディグは声をかけてくる。

 ジャックはそれに手を挙げることで答えると、階段を登り、一人部屋へと戻っていく。

 そして、降りてきたときにはそれまで着ていた衣服を脱ぎ、黒のタンクトップに


 「仕事か」


 「ああ。後で飯を作ってくれ」


 それだけを言うとジャックは再び宿を出て行った。

 残されたユミルはそれまでと変わらずの格好でカウンターに向かい、椅子に腰掛ける。


 「ディグさん。何か作ってくれない。私お腹すいちゃって」


 「お前はいかなくていいのか」


 「ええ。私、力仕事は苦手だし、そんなのがいたところで作業の邪魔になるだけだもの。それより、ほら、何か作ってよ」


 「…ちょっと待っていろ」


 そう言うとディグは皿を持って奥の厨房へと入って行く。


 「…と言うことは、今日は暇か」


 「えっ?そうだけど」


 厨房に入ったとばかりに思っていたディグが、扉から顔を出してユミルに問いかける。突然のことに戸惑いながらも、返事をする。


 「なら、ちょっと手伝ってくれ」


 「何を?」


 「店を、だ」

 




 瓦礫となったレンガの除去、並びに遺体の運び出しと肉片拾い。それらの作業を帝都の男たちに混じってジャックもまたこなして行く。


 夕刻。今日はひとまずこれまで終わりにしよう。どこからともなくそんな言葉が飛んで来て、作業員たちの耳へと伝わって行く。


 皆それぞれに体をほぐしながら、家族の待つ家へと戻って行く。

 ジャックもそれに習って、宿への帰路に着いた。

 いつもよりも人通りの少ない通りを進んで宿へと戻る。


 と、宿の方から何やら賑やかな声が聞こえてくる。それは近づくにつれて大きくなり、男や女たちの笑い声であるとわかった。


 宿の敷居をまたぎ、ジャックは中に入る。

 土や誇りで薄汚れた服の男女がフロアの席について、夕食を楽しんでいた。昼間のあの静けさはどこへ行ったのか、席のほとんどは埋まっている。


 客の手はスプーンやフォークが握られ、料理を口へと運んでいる。しかし、その目は料理とは別の方に向けられている。


 ジャックも彼ら彼女らにつられて、そちらの方へ目を向ける。

 途端に肉体的な疲労とは別のものが、彼の体に重くのしかかる。


 そこには厨房とフロアを行き来するユミルがいた。彼女の手には料理を乗せたトレーがあり、それを落とさぬように慎重に客のテーブルへと運んで行く。

 戦場での機敏な動きはどこへ行ったのか。慎重に動くあまり、その動きはどこかたどたどしい。


 「い、いらっしゃいませ…」


 ふとジャックと目があう。彼女は気まずそうに、手を振る。


 「何をしている」


 「見てわからない。給仕よ、給仕。ディグさんが今日は忙しくなるから手伝えって」


 丈の長いスカートをつまんで、上下にゆさゆさと小刻みにふる。エリスが着ていたものより一回り大きな給仕服を身につけている。いつもの格好ではないからか、それともただただその格好がどこか不釣り合いに思えるからなのか、違和感が拭えない。


 「何、じぃっと見てくれちゃって。見惚れちゃったの?」


 「ふざけていないで、仕事に戻れ」


 「はいはい。ご注文がお決まりになりましたら、お声をかけてくださいな」


 恭しく、少し大げさにユミルは頭をさげる。そして、彼の前から離れ、再び料理を運んでいく。

 その姿を見つめていた彼だが、とりあえず着替えるために二階の部屋へと向かった。




 店の中がようやく落ち着いてきたのは、閉店時間を過ぎた午後十一時四十六分。最後の客を見送ると、ぐったりとユミルは椅子に腰を下ろした。


 「つ、疲れた」


 背もたれに腕かけ、ため息とともに天井を仰ぐ、

 ちょうどその時、厨房からディグが現れた。彼はカウンターから出てその足でユミルのいる席へと向かう。

 ごとりと酒のボトルと、グラスを三つテーブルに置く。


 「俺からの餞別だ」


 「餞別?」


 「今日の報酬とでも思ってくれ」


 「何、給料じゃないの」


 「お前を正式雇ったわけじゃないからな」


 それを言うとディグはボトルの栓を抜き、グラスに酒を注いでいく。深みのある赤がグラスの中に満たされていく。


 「まあ、それもそうだけど。でも、すごいわねエリスちゃんって。こんな仕事ずーとやっていたんだから」


 「俺ができるんだ。他のやつでもできるさ」


 「あなたと他を比べない方がいいわよ。幾つものことを同時にできる人なんて、そうそういないんだから」


 彼はふんと鼻を鳴らしただけで、返答はない。グラスを傾けて、ワインを喉に流していく。


 「いいの?まだ片付けとかあるんでしょ」


 「構わんさ。ここにもう一人手伝いがいるからな」


 「…給金は出るんでしょうね」


 「さあな、俺の気分次第だ。…お前も飲むか」


 「手伝えって言っておいて。飲ませる気なの」 


 「このくらいで酔うほど、お前も弱くはないだろう」


 「まあ、そうだけど。…そうだ、折角だしジャックも呼んであげようよう」


 「それは必要ない」


 その言葉の後。見計らったかのように階段から足音が降りてくる。


 「どうだ、お前も一杯やるか」


 ディグは未使用のグラスを掲げ、横に揺らす。


 ジャックは彼の手からグラスを取ると、ユミルの隣の椅子に腰を下ろす。そして、自分のグラス。そしてユミルのグラスにワインを注ぐ。


 「…乾杯」


 ディグの音頭に合わせて、3人はグラスを掲げて互いに打ち合わせる。

 ワインがグラスの壁面を駆け上り、弧を描いて赤の湖面へと落ちていく。水面には波が立ち、グラスが傾くと、それぞれの口へと流れていく。


 一息に飲み干して、テーブルの上にグラスを置く。ボトルの中身が空になるまで、3人の酒宴は続いた。

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