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式典

 帝都のあちこちについた傷跡は未だに深く、急ピッチで復旧作業が続けられている。だが、帝都がどうであろうと大学が無事な限り行事は滞りなく進められる。


 エリスの着替えの入ったカバンをジャックは持って階段を降りる。客のいない一回のフロアを通る。外に出るとユミルが待っていた。


 「エリスは?」


 「今、部屋で着替えている。持ってくれ」


 「いやよ。力余ってるんだから、持っていればいいじゃない」


 ジャックは両手に持ったバッグの内一つをユミルに差し出す。だが、彼女はそれを持とうともしないで押し返す。

 彼女の態度に少しの苛立ちを覚えた彼は、仕方なく手を下ろした。


 何も持っていないのだから一つぐらい持ってくれてもいいのではないだろうか。バッグ一つも持てないほどひ弱な体ではないだろうに。心の中のつぶやきは、ユミルには届かない。


 確かに鎧を脱いでいる分、いつもより体は軽い。

 この日のために彼は新しく服を一着購入した。特に吟味することもなく、服屋の飾り人形に着せられてたものをそのまま購入しただけだが。


 袖をまくったグレーのワイシャツ、赤茶の下地に白のストライプの入ったネクタイ、ブラウンのベストに黒のスラックス。本当ならばここにジャケットが加わるのだが、邪魔だと部屋に置いてきている。


 ユミルは黒のパンツに白のシャツといったシンプルな服装だ。だがエルフ特有の整った顔立ちが、飾りっ気のない服装であっても華やいで見える。


 外で待つこと数分。足音を立ててエリスが宿から飛び出して来た。


 「お待たせ」


 学生服に袖を通した彼女は、いつもより浮かれているように見えた。それもそうだろう。何せ今日は彼女が晴れて大学へ入学する日だ。

 浮かれに浮かれるところを澄まし顔でごまかそうとするが、抑えきれない興奮は彼女の表情の端々から漏れ出ている。


 時間にはまだ余裕があるというのに気ばかりがせって、早く早くとジャックとユミルをせかしている。元はと言えばお前を待っていたのだろうと心中でぼやくジャックだが、眉根を顰めてエリスを見つめるだけで心のうちを言葉にはしなかった。


 大方の荷物をジャックにもたせて、以前と同じようにあのレンガの倉庫へと足を向ける。

 建物の前にはあの時の男が立っている。男は3人に気がつくと、またあの笑みを浮かべて頭をさげる。


 「お待ちして降りました。さあ、こちらへ」


 鉄柵の扉を開けて、玄関を開けて中へと通す。

 そして受付の老人に声をかけてから、廊下を進み階段を降る。


 エルフの二人はこの間通ったばかりで物珍しさは失せれていたが、ジャックはそうはいかない。そこら中が白一色に染まっているこの空間に、居心地の悪さを感じているのだろう。終始あたりを見回してソワソワとしていた。


 彼の先を歩く二人は背中越しに彼の様子をちらりと見ると、顔を見合わせて、声が漏れないように気をつけながら、笑っていた。


 階下へと降り立つと、扉をあけて中へと入る。

 そこにはパーシーとゴフの姿はなかった。それどころか、以前に二人が案内された部屋とも違っていた。


 部屋は広々としていて、両側には窓が並んでいる。天井に目を移すと、そこには大きな円形の窓ガラスがはめ込まれていてそこから陽光が降り注ぎ部屋を明るく照らしている。 


「エリス様とそのご家族の方でしょうか」


 正面にいた女が3人に声をかける。どうやらここの受付の女らしい。横に長いテーブルの向かい側に腰を下ろしていて、片手には羽ペンを、もう片方の手で紙を抑えている。


 「ええ」


 「お待ちして降りました。でしたら、ご家族の方はこちらにご記名をお願いします。エリス様は会場にご案内いたしますので、そちらの者の後に従ってください」


 女が手で指すほうを見ると、一人の男が立っていた。表情一つ変えない仏頂面を提げて、男は彼らに向けて頭をさげる。


 「行ってこい」


 「うん」


 手を振りながら、彼女は二人の元を離れ男とともに広い空間を出て行った。


 「では、お父様もこちらにご記名を」


 彼女の背中を見つめていると、女から声をかけられる。彼がエリスを見送っている間に、ユミルはとっとと名前を書いてしまっていた。


 羽ペンにインクをつけて、慣れた手つきで名前を書き入れていく。それを終えると女はサインを確かめ、満足そうに頷いた。


 「ありがとうございます。こちらにどうぞ」


 そういうと、女は立ち上がりエリスが案内された扉とは別の扉へ二人を連れていく。

 扉を開くと、そこはより広い空間が広がっていた。


 ドーム型の丸い屋根には闘技場のように観覧席が円形に並び、下を見下ろすとフローリングの敷き詰められたフロアが広がっている。そこには椅子が整然と並べられていて、子供達が座っている。

 エリスの姿を探しながら、女に案内された席に腰を下ろす。


 「入学者たちが揃い次第始めますので、もうしばらくお待ちください。お荷物はこちらで預かります。ご用があればこちらに声をお掛けください」


 前かがみになって女は二人に言葉をかける。いい終えると態勢を戻し、ジャックの荷物を持って立ち去っていった。

 周りを見ると二人以外にも大人たちの姿がちらほらと見受けられる。だが、そのほとんどは入り口に近い席に座っていて、それ以外は空席が目立っている。


 広さもあってか、ガランとした印象を受けた。そもそも合格者も少ないのだから、このぐらいが妥当なのだろう。

 だが、しばらくすると入口からぞろぞろと人が入って来た。それは家族なのかそうでないのかはわからない。まとっている空気が庶民のそれではなく、どことなく気品を感じさせる人ばかりだった。


 恐らくは観覧にきた貴族か裕福な商人かのどちらかだろう。身なりはきちんとしているし、身につけている指輪やイヤリングには大きな宝石が輝いている。


 彼らが案内されるのは、ジャック達が連れられた席とは反対側の離れた席。そこ一帯の席を彼らは埋め尽くす。


 「随分な人たちね。貴族様達かしら」


 「あんなにぞろぞろと人を連れ歩くくらいの人間だ。貴族か商人か。金に糸目をつけない連中には違いあるまい。それにここ学に励む場だ。どんな奴がこようと不思議ではないだろう」


 「それもそっか」


 大した興味があっての問いかけではなかった。ユミルは彼らに視線を送っていたが、ジャックからの言葉を聞くと、すぐに目をそらして階下のフロアを見下ろす。


 円形のフロアに沿って並べられる座席には、合格を果たした生徒と在校生が前後の間隔を空けて座っている。そして中央には高さのある台座が置かれ、下の入口からそこまでの道のりには黒のカーペットが敷かれている。


 入学生は台座のすぐ近くの席に座っている。その中を注視すると、エリスの姿を見つけることができた。

 台座から少し離れた外側の席にはアリッサが何食わぬ顔で座っている。

 よほど待っているのが退屈なのか、アリッサは席から立ち上がると、おもむろにエリスの方へと歩み寄っていく。


 何を話しているのかはジャックのいる位置からではわからない。けれど、彼女の顔に浮かんでいる笑顔から、談笑を楽しんでいることはわかった。


 「間も無く、学校長が見えます。会場にお越しの生徒、並びに保護者の方々は静粛にお願いいたします」


 彼が二人の様子を見ていると、女の声がどこかともなく聞こえ、講堂の中に響き渡る。

 アリッサはそれを聞くとエリスに手を降って元の席へと戻っていく。エリスはその背中を目で追っていく。何処と無く寂しげな表情を浮かべていたが、すぐに前を向き背筋をしゃんと伸ばす。


 一階の入り口が男二人の手によってあけられる。

 教員と思しきローブを着込んだ男女を連れ立って、学校長レイモンドが姿を現した。彼はカーペットに沿って真直ぐに歩いて行き、壇上までの階段を登る。


 壇の上は大人一人が立てるだけのスペースしかなく、テーブルも椅子も置かれてはいない。ただそこに立って目立つように話せるだけの台でしかない。


 彼が登り終えたのを見ると、職員達はカーペットのそばに立って待機していた。


 「初めまして。ここの校長をしております、レイモンド・ブラム・ヴィットリオです。まずは、合格おめでとう。そして我が魔法大学へようこそ。私も教職員一同も皆さんに会えてとても嬉しいです。さて、話は変わりますがここがどのようなところなのか、みなさんにはきちんと理解してもらいたく、少しの時間をいただて私の方からお話しさせていただいます。まず…」


 レイモンドの口から滔々と言葉が流れていく。

 大学の創設者の話に始まり、創設に至るまでの目的。理想。なんのためにある施設であるか。

 最初は真面目に聞いていた参加者達も長々と続く演説にだんだんと辟易し始める。


 校長の言葉尻が次第に熱を帯び始めるのに対して、観客の熱は冷めていく。少しの時間とはなんだったのだ、そう言ってやりたいのをぐっとらえてただ終わるのをまつ。


 「便所に行ってくる」


 だが、ジャックは我慢ができなかった。横に座るユミルにそう言うと、席を立つ。


 「…もう」


 ため息をつきながらも、彼を引き止めることはしなかった。この場から離れたいと思うのは無理もない。興味のない長話ならば尚更だ。


 だが、二人してこの場から離れてしまっては、なんとなくエリスがかわいそうだ。そう思って自分だけでもとユミルは学校長の長話に立ち向かうことにした。


 

 扉を開けて外に出てジャックは、腰に手を当てて背筋を伸ばす。骨が鳴り、凝り固まった筋肉が少しほぐれていく。

 便所と言ったものの、特に尿意を催しているわけではない。単にあの場を離れてしまいたくてついた方便だ。簡単に見破られるだろうし、実際ユミルには見破られていることだろう。


 だが、そのおかげもあって束の間の休息を得ることができたことに違いない。

 行くあてもなくそこらへんをぶらついた後にでも、戻ることにしよう。守るかもわからない取り決めを自分で作り、ジャックは歩き始める。


 フロアには人の姿はなく、がらんと静まり返っている。彼が向かったのはエリスが男とともに消えて行った扉だ。

 そこを開くと、目の前には階段がある。それを下るとまっすぐに廊下が伸びている。壁には光をたたえた照明がかけられ、暗い廊下を照らしてくれている。


 その光の正体はジャックには分からない。光の集合体、もしくは光るオーブとでも呼べばいいのだろうか。蝋を刺す針のない台の上に浮かんでいる発光体は、どこへ飛ぶでもなくそこに留まり続けている。


 彼は試しにその球体に手を触れてみる。

 感触やそれに似た刺激は何一つなく、心地のいい温かさが彼の手を包み込んでくるだけ。それは光の中を通して見ても、掴み取ろうとしても同じことだった。


 光から手を離し、己の手を見る。傷や汚れの一つない、見慣れた手があるだけだ。握っては開きをして見るがなんの支障もない。


 不思議なものだ。そうは思うもののそれ以外の言葉と感想が見つからないため、彼は止めていた足を動かす。

 廊下の右側には両開きの扉が二つ、間隔を空けて開かれている。が、今は両方とも固く閉ざされている。今は式典の真っ最中。それも仕方のないことだろう。


 と、奥の扉がゆっくりと開かれた。

 そこから出ていたのは二人の女学生だ。一人は眼鏡をかけたヒスイ色の髪をした少女。もう一人は、見覚えのある少女だった。


 「あら?」


 その少女がジャックの姿を捉える。珍しいものを見た。そう言いたそうな口はポカンと空いているが、すぐに頬の肉が上がり、微笑に変わる。

 そして彼の方へ少女を連れ立って歩み寄ってくる。


 「お久しぶりです、ジャックさん」


 エマはそう言うと会釈をする。


 「こんなところでお会いするなんて、思いませんでした」


 「エリスを見に来ただけだ」


 「そうでしたか」


 「…エマ。この人は?」


 彼女の後ろからおずおずと言葉をかける少女。エマは思い出したかのようにそちらに顔を向ける。


 「ああ、紹介してなかったわね。こちら冒険者のジャック・ローウェンさん」


 「冒険者…。エマの新しい彼氏?」


 「違う、違う。この間護衛を依頼した時に知り合っただけよ。ねえ、ジャックさん」


 そう言ってエマは彼の顔を見る。


 「ジャックさん、こちら私の友達のサーシャ・ヘイズ」


 「…どうも」


 サーシャはジャックを見て会釈をする。それに対して、ジャックは相変わらず何も返さない。


 「それに貴女だって全く知り合ってないってわけではないのよ」


 「いや、初めましてだけど」


 「ほら、前にも言ったでしょう。貴女の試作品を使ってくれている男の人がいるって。その人が、この方なの」


 「…本当に?」


 「本当よ。私が嘘をついたことがある?」


 訝しげにエマの顔をサーシャは見ている。だが、その目はすぐにジャックに向けられ、エマの横から彼の前に立つ。


 「…本当にアレを使ってくれているんですか?」


 「アレ?」


 「あの腕輪ですよ。ほら、私があの時差し上げた」


 それでなんのことかようやく思い当たる。


 「使っているが、それがどうかしたか」


 その言葉がサーシャの中にある何かの引き金を引くことになった。

 彼女はずいと顔をジャックの前に近づける。


 「どうですか!?」


 「どう、とは」


 「使い心地のことです!うまく機能していますか?魔力の供給に波があったりしていませんか?嵌め心地は?どこか不具合は起きていませんか?」


 鼻息を荒くして詰め寄ってくるサーシャ。突然の豹変に戸惑いつつも彼の目はエマに向かう。 


 「驚かせてしまってごめんなさい。この子、自分の発明品のことになると、こうなってしまうんです」


 「だって、初めての試験者よ!?こんな機会滅多に、いや、この機会を置いて他にないわ。それで、どうなんです!?教えてください!」


 「…問題はない。うまく機能しているし、私の思った通りに魔力を操れる」


 「そうですか…。それを聞けて安心しました」


 ホット胸をなでおろす彼女。


 「ごめんなさい。この子発明のこととなると他のことが飛んじゃうから」


 「おかしな女だな」


 「でも、頭はいいんですよ。私よりもはるかに。その頭がもう少し礼節の方に向いてくれたりすれば、申し分ないんですけどね」


 「礼節なんて、年寄りのご機嫌取りじゃない。そんなものにいちいち思考の労力を使いたくなんてないし、野良犬の餌にでもしてやった方がまだいいわ」


 「あら。聞こえていたの?」


 エマは意外そうに言った。

 わざと聞こえるように言っていたくせに。そう言いたげにサーシャは目を細めて憎たらしげにエマを見る。


 「…それより、ジャックさん、でしたっけ。もう少し詳しい話を聞きたいので、ここではなんですし、私の研究室に来てはもらえませんか」


 「式典には出なくていいのか」


 「大丈夫ですよ。校長先生の話は長いことで有名ですから。それに、私たちが出て来たのも、多分ジャックさんと同じ理由ですから」


 何の悪びれも見せず、彼に向けてエマが言う。まるで生徒を代表して会長を務めている人間の物言いではない。


 「ささ、いつまでもこんなところにいないで早く行きましょう」


 エマはジャックの背中を押す。


 「では、こちらです」


 サーシャが二人の先を歩いていく。エマに押されたくらいではビクともしないのだが、行くあてもなければ彼女の誘いを断る理由もない。彼は彼女たちに導かれるまま、その場を後にすることにした。

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