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亡霊

 帝都各地にある帝国軍兵士の詰所、その一つが裁判所の近くにある。

 扉を潜り中に入ると、兵士達がフロアを慌ただしく右へ左へ走り去っていく。時には二人の横を通って、詰所を飛び出していく。


 しかし、どんなに忙しくともアーサーの姿に気がついたものから順に立ち止まり、かかとを揃えて敬礼を送る。

 規律を重んじる軍隊だけあってこういうところは徹底している。


 「俺のことはいいから、早く仕事にかかってくれ」


 苦笑いを浮かべながらアーサーがいうと、威勢のいい返事が一斉に聞こえる。

 そして一瞬の静寂が途絶え、フロアに再び喧騒が響きだす。どこもかしこもが昨日の爆発による対応を余儀なくされている。


 帝都の外とは違い、中は比較的平和で満たされ、民衆は皆等しく平穏を享受できる。

 しかし、それに浸りすぎると、人々の心に油断とそれを是とし、それがさも当然であるかのように捉えてしまう。

 そうなれば己の近くに脅威が及ぶまで、すべての事象は対岸の火事。無関心を決め込む。

 

 しかし、一度己の近くで事件や不都合が起きれば、やっかみと非難を容赦無く向け、対応を迫る。

 この場合その全てが彼ら軍人に向けられる。


 玄関を入って、正面には横に長い受付があり、建物の左右に伸びている。

 対応たっている女性兵やベテランの兵士の前には、帝国民の姿がある。唾を撒き散らしながら、これでもかと言葉を紡いでいる。


 警備が足りていなかったんじゃないのか。

 早く家を直してよ。

 お前達の怠慢が今回の事故に繋がったんだ。


 手前勝手ながら、端的に見れば必ずしも的を外してはいない。

 だから、突っぱねることも、やかましいと言って追い返すこともできない。


 ただ頭を垂れて、せめて他の兵士たちに飛び火しないよう、仕事の邪魔にならないよう窓口に立つ兵士はそれらの言葉に耳を傾ける。


 それらを横目にしながらも、二人は廊下を進み階段を登る。

 登ってすぐのところ。正面に扉があり、そこを開けて中に入る。


 ノックもせずに入ったために中にいた男は下げていた頭を急にあげて、入ってきた者達の顔をみる。そして、それが誰なのかわかった途端、椅子から腰を上げて二人に敬礼をする。


 「お待ちしておりました。コンラット大佐殿」


 「あの方は、どこにいる」


 「こちらの部屋に。ですが、使いの者です。本人は別の場所で待っているとのことで」


 「そうか」


 「では、こちらへ」


 男は二人の前を通り、隣部屋の扉を開く。

 中には来客用の黒い革張りのソファーが二つ、対面をなすように置かれている。

 

 彩のためか、観葉植物が部屋の四隅に飾られている。

 だが、日頃の仕事で手入れに手が回っていないせいで、すっかり枯れ果てて息をひそめるようにしぼんでいる。


 ソファに腰掛けていたのは、燕尾服を着た老人だった。扉の開閉音に気づき、老人は顔を二人に向ける。


 「では、私はこれで失礼します」


 男は二人が部屋に入ったところでそう言い残し、一人部屋を後にする。


 「おぉ。アーサー様。エドワード様」


 老人は、コフィだった。彼は立ち上がると、アーサーとエドワードに向けて頭を下げる。


 「ガブリエル老は、ご自宅か」


 「ええ。寝室で寝ておられます。ですが、貴方様が来られたらすぐにでも起こしてくれ、とことづかっておりますので、問題はありません」


 「なら、早く行こう。用は早く済んだ方がお互いのためってものだ」


 「では…」


 そういうとコフィはあの黒のプレートを胸元から出して、扉の方へ進む。

 先ほどアーサーとエドワードが通って来た扉だ。


 そこについているあの獅子にいつものようにプレートを差し込み、取り出す。

 コフィは扉を押し開き、中に入ってからも扉のそばを離れずに、二人を待ちながら扉を抑えている。


 アーサーが先頭を切り、あの廊下を進んでいく。その後をエドワード、コフィが続く。

 何度もここを通っているわけではないが、単純な構造の道を間違えるわけがない。行き先は右か左の扉しかないのだから。


 アーサーは迷わず左側にある扉の前に立つ。

 ドアノブをひねり、中へと入る。


 6帖ほどの部屋にはベッド、着替えを入れる木製の箪笥。小さな書棚。姿見などの家具が置いてある。

 そこはコフィの部屋だった。


 その彼はアーサーとジャックが空間から出たのを見ると、扉を閉じ、再び開ける。先ほどまであった廊下は消え、そこには屋敷の廊下が左右に広がっている。

 

 廊下を進み、ガブリエルのいる部屋へ急ぐ。

 ノックをし、コフィが扉を開ける。

 ガブリエルはベッドの縁に腰掛けながら、彼らの方へ顔を向ける。


 「ごきげんよう、ガブリエル殿。我々がなぜここに来たのか。理由は言わずとも分かっているでしょう」


 「…さて、何のことだろう」


 「とぼけないでいただきたい」


 「とぼけてなどいない。本当に何のことかわからんのだ」


 ガブリエルは杖を支えにゆっくりと立ち上がる。


 「目の前で起きたことを理解することはできるのだが、私の心はその事実を認めてはいない。いや、認めたがらないのだ。どうか夢であって欲しいと、そればかりが私の心から溢れ出てくる」


 どガブリエルの空虚な目は天井を見つめ、そして、二人の顔へ向ける。


 「なあ、アーサーよ。あれは…、あれは一体何なのだろうな」


 「ですから、それを確かめるためにも。我々に協力してください」


 ボケた老人の戯言などに付き合ってはいられない。

 嫌気と面倒くささをできるだけ隠し、冷静さを保ちながらガブリエルに用件を伝える。


 ガブリエルは虚を突かれたように、目を丸くして口を開けている。


 「あ…そう、そうだな。そのために君らは来たのだから。そうしなければ…」


 動揺が隠しきれず、杖を持つ手がかすかに震えている。

 それを抑えようともう一方の手を上から被せるが、震えは強まるばかりで一向に収まらない。


 「私の抱いているこの想像を、どうかくだらない妄想だと言って笑ってくれ。でなければ、私は、私は…」


 喉がヒクつき、言葉が震える。普段の彼からは想像できない狼狽に戸惑いながら、二人はガブリエルの話に耳を傾ける。

 たとえそれが、彼らの予想を裏切る結果になろうとしても。




 ガブリエルの話を聞き終えた二人は、コフィに見送られながら屋敷を後にしてアーサーの仕事部屋へと戻って来た。


 口数は、少ない。何か互いに言うべきなのだろうが、その言葉とは一体何なのか。自分の頭の中を引っ掻き回して探してみるが、たぐり寄せた言葉は案外少ないものだった。


 「どう思いますか」


 その中から選び取った言葉を、アーサーに向けてエドワードが口に出す。


 「どうって。ガブリエル老の話か」


 「それ以外にないじゃないですか。自分には、どうも信じられなくて」


 「その言い方じゃ、俺の方は信じているんじゃないかっていう意味に聞こえるな」


 「いえ、そういうわけで言ったわけでは…」


 「分かっている。ちょっとした冗談だ」


 アーサーは椅子に腰掛けると、机を挟んでエドワードと相対する。


 「何しろ、調べてみるまで何もわからない。だが、帝国に、しかも俺の目の前で喧嘩を売って来た輩共だ。こちらとしても、丁重に買ってやらなければなるまい」


 「そうですが…」


 「まあ、いい。今は帝都の復旧に専念させる。俺の口からも他の団長に伝えておくが、お前も部下たちにはそのことを伝えておけ」


 「わかりました」


 エドワードは敬礼を彼に送り、部屋を後にする。


 

 一人残ったアーサーは、背もたれに体を預け、腹の上に腕を組む。


 「…過去の遺物が墓から這い出て来た、か」


 彼の口がポツリと呟く。


 今でも耳の奥に残っている、ガブリエルの言葉。それを耳から脳へと伝えて生み落とされた言葉が、それだった。

 全く笑い話にもならない。

 良くてオカルト雑誌の連載小説だ。到底信じられる話ではなく、思い出したけでも馬鹿馬鹿しくなってくる。


 だが、それを宣ったガブリエルは冗談の口ぶりではなく、大真面目に語っていた。

 それが面白みよりも、むしろ不気味さに拍車をかけていた。

 真面目に対応するのもバカらしいが、かと言って放っておくのも気になる。


 対応は急を要するが、気になることをほったらかしにしてしまうのも、心苦しい。

 頭で試行錯誤を繰り返し、優先課題を順づけていく。すると、扉からノックの音が聞こえて来た。

 アーサーが入るよう促すと、顔を見せたのは先ほど退出したばかりのエドワードだった。


 「何か用か」


 「ええ。実は気になっていたことがありまして」


 「なんだ」


 「大佐は以前、自分のところに教会へ死体の供養を任せるようにとのメモを渡して来ましたが、それには何か意味があったのでしょうか」


 「意味?」


 「これまではなんの疑問もありませんでしたが、教会側が事件に関わっていたこともあって聞くのにはちょうどいいと思いまして。何か考えがあってのことだろうとは思うんですが、よろしければ教えてもらえませんか」


 「それは…」


 続けて言葉を紡ごうとした彼の表情が、一瞬固まった。それは不味いことというよりも、何かふと気がついた時にみせる、表情の強張りだった。


 「…何、そんな難しい理由じゃない。折角新しい教会ができたんだから、ちょっと手伝ってもらおうってだけの話だ。そのことは別に怪しい動きとかはなかったから、安心して任せていたんだが、まあ、今となってはそれも撤回するしかないがな」 


 「そう、ですか」


 彼の表情の機微に気づかないエドワードではなかったが、この場はその疑念を脳内から払い、頷くに止める。


 「そうだ。ついでに、頼まれてはくれないか」


 「なんでしょう」


 「歴史、と言ってはなんだが、ちょっと昔のことを調べて来てほしい」


 「ということは、ガブリエル公の話を信じるんですか」


 「この際信じるだの、信じないだのは頭から除く。疑わしいことは先に摘み取った方が次の手が打てるというものだ。その結果、あの人の言うことがデタラメだったら、その時は大いに笑ってやればいい」


 「では、調べるものは」


 「暴君、ドミティウス・ノースだ」

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