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罪人

 ミノスの裁判が開かれたのは予定された午後3時を過ぎた午後3時15分。傍聴席には攫われていた女達の両親が着席し、犯罪者を今か今かと待ちわびている。


 ガブリエル、アーサー、そしてエドワードは法廷内にある座席に腰掛けてミノスが来るのを待つ。

 傍聴席側の扉が開く。皆がそちらへ顔を向ける。そして、息を飲む声が漏れる。


 手を縄で縛られたまま、二人の兵士に連れられてくる男。顔には痛々しい傷があり、手当てされているが今もそこから血が流れている。


 誰もがそれがミノスと名乗る神父であるとは思えなかった。

 兵士は傍聴席と法廷とを隔てる柵を開けて、ミノスを壇上へ立たせる。縄を解き、兵士は彼の背後に立つ。


 「これより裁判を執り行う」


 裁判長の低く通る声が議場に響く。ミノスの外傷によって僅かに色めき立った傍聴席が、その一言でしんと静まり返る。


 「ミノス神父。我らが皇帝陛下ラファエル・ノースの名において、真実を語ることを誓うか」


 「ええ。誓います」


 痛々しい傷跡が目立つ彼の顔に、笑みが溢れる。


 「ですが、その前に一つ進言させていただいてもよろしいでしょうか」


 「…構わん。話せ」


 横に居合わせる他の審議官の顔を伺い、議長は返答をする。


 「では、失礼して。まず、私などの為にこの場にお集まりいただいた皆々様に、心から御礼を申し上げます」


 ミノスは振り向くと、傍聴席に向けて恭しく頭をさげる。途端に聞こえてきたのは、観衆からの罵詈雑言。

 犯罪者にそんなことを言われる筋合いはない。


 さっさと首を吊るせ。

 くたばれ外道。


 まるでハナからミノスが有罪であるかのように、口汚く彼を罵る。


 つい先ほどまで信者を抱えた聖職者であった彼は、もはや神の後光を感じさせぬ愚者に成り下がった。

 ただ、当の本人は彼らの言葉などまるで気にしていない様子で、笑みを 浮かべたまま頭をあげる。


 「さて、私からの進言というのは、皆様も聞きたかったであろう。帝都民の誘拐に関することでございます。正直に申しあげますと、私がその主犯格であります」


 その言葉は誰しもが待ちわびた言葉であったが、喧しい観衆を黙らせるのには充分な効果を発揮した。


 「それは真か」


 「皇帝陛下に誓いましょう。私が配下の者に命じ、帝都から女達を攫いました。そこにおられるのは、優秀な帝国軍の方でしょう。なら、私たちがいかような手順でどのような経路を使ったのか。すでにお分かりになっていることと思いますから、ここでは省略いたしましょう」


 ミノスの手が席に座しているアーサー。エドワード両名を指し示す。

 一瞬アーサーの目が鋭くなるが、口を閉ざし黙したまま彼の言葉を待つ。


 「私達はさる目的のために、彼女達を攫っていました。厳重に秘密を隠しながら、忘れられないように、少しの痕跡を残しながらね。中々難しい仕事ではありましたが、案外楽しかったですよ」


 「その目的とは、なんだ」


 「それを教えてしまっては面白くないじゃありませんか」


 議長の問いをミノスは鼻で笑い、嘲笑とともに突っぱねる。


 「完遂していない計画をおいそれと衆目に晒すなど愚の骨頂。積み重ねてきたことを全て水泡に帰すことになってしまいます。それだけは、それだけは絶対に認められません。私も、あの方もね」


 「あの方?」


 「私の上司ですよ。もっとも、もうすぐただの他人になってしまうんですがね」


 肩をすくめて、彼は語り続ける。


 「私がここに馳せ参じたのは、その方を皆様にご紹介したく思いましてね。上司は皆さんに一度合間見えたいと申しておりまして、その機会を私めがお作りいたした次第でございます。全く、こんな配下を持ってなんと羨ましい主君なのでしょうね」


 証言台はいつしか彼の舞台とかし、ミノスは両手を大げさに広げ、笑みを浮かべるその顔はいつしか恍惚に浸る主役のそれに変わっていく。


 辺りを見回すように彼は体をくるりとひねる。くるくると世界が周り、人の顔が流れている。侮蔑、恐怖、怒り。彼を見つめる観衆たちの顔にはそれらさまざまな感情が浮かんでいる。


 しかし、誰一人として彼から目を離すものはいなかった。


 狂人、気狂い、イカれ。

 様々な感情と思考が束となってミノスへと注がれる。


 だが、それらは奇怪という言葉に置き換えられている。

 今まさに裁かれようとしている罪人。しかし、それすらも彼の奇怪さに


 観衆、軍人、さらには裁判官まで。彼の一挙手一投足から目を離せない。

 観客たちの反応に満足がいったのか。ミノスは証言台の正面にピタリと止まる。


 興奮から出た汗を拭い、深く息をつく。そして、彼の口は再び声を放ち始める。


 「ここにいる皆様はなんと幸運なことでしょうか。私の上司は私の神。その神のお声を貴方方は聞くことができるのですから」


 ミノスは片方の手を掲げると、それを自分の首元に当てる。


 「では、私はこれで失礼します。私が言うのもなんですが、皆様のご多幸をお祈りしております」


 「…そいつを止めろ!」


 アーサーの怒号が議場に響き渡る。ミノスの背後に控えていた兵士はすぐに動き出すが、一歩遅かった。


 何かが突出する音。くぐもったその音はミノスの体から聞こえてくる。

 彼が手を当てている方とは反対側の首から、赤い何かが飛び出していた。


 得体の知れないそれは先端から赤を滴り、ミノスの肩濡らしていく。

 黒の服に滲んでいく液体はやがて大きなシミとなって肩口を侵食していく。


 ミノスの顔には笑顔が浮かんでいる。

 そして、口元から一筋の赤がツゥっ彼の顎を伝って下へと落ちていく。


 瞬間。喉奥に溜まっていた血液が堰を切ってぶちまけられた。

 証言台の上は赤々とした湖が出来上がり、そこへミノスの顔が埋められる。


 静寂。

 そして混乱へ。


 議場に居合わせた観衆たちは色めき立ち、悲鳴と困惑が会場を包み込んでいく。

 議長が懸命に言葉をかけ場内を鎮めようとするが、彼の声はもみ消され、狂乱が場を支配していく。


 エドワードやアーサーも初めは狼狽こそすれ、さすがは軍人というもの。

 ガブリエルをその場に残して、すぐさま事態の収拾に乗り出そうと立ち上がり観衆の方へかける。


 その矢先。あれほど悲鳴の轟いていた、混乱がひしめいていた議場が、突然静けさに包まれる。

 それは議長の言葉が通じたのでも、アーサー達が鎮めたわけでもない。


 その場に居合わせたものの視線が一点に注がれる。証言台に崩れ落ちていたミノスの体が、まるで生きているかのようにその場に立っていた。


 今も止めどなく流れている血など気にもせずに、まるで人ごとのように、体を動かした。


 「…久しいな。この場所も」


 屍が言葉を放った。けれども、それはミノスの声ではなく、別の誰かの声だった。

 何が起きている。状況を整理しようとしても、アーサーの頭が状況についていかない。

 目の前で起こっていることはわかっていても、脳が認めるものかと拒んでいる。


 死体が勝手に動き出すなど、オカルト小説ではないのだから、あるはずがない。そればかりに思考を支配されている。


 ミノスはゆっくりと首を動かし、周りを見回していく。誰もが言葉を飲んで彼を見守る。

 一人二人とその顔を確かめていると、彼の視線が一人の顔に止まる。


 彼は証言台を降りて、その者の方へ歩み寄る。

 ミノスは彼の前に立つ。よりにもよって、ガブリエル老の前だ。


 「お前、名はなんと言う」


 「…ガブリエル・ヴィリアーズ」


 ガブリエルはそう答えると、ミノスの顔が急に緩み、目を見開いた。


 「おお。ローマンのところの坊か。あの生意気なガキめが、こんなにでかくなりおった」


 そう言うと彼はガブリエルの顔を両手で包み込み、観察し始める。


 「でかい、と言うよりも老いさらばえておるな。時代の流れとは早いものだ。幾つになった」


 「その方から離れろ」


 エドワードが剣を抜いてミノスの首元に当てる。

 彼はゆっくりと振り向く。そして、剣に目をやると、まるで棒切れでも掴みかのように、剣の刃を握った。


 皮膚が切れ、血が刃を伝ってエドワードの手へと流れていく。

 だが、それもごく少量で刃に赤の線をつけるだけだった。

 

 「その忠臣ぶりは称賛するに値するが、折角の再会を邪魔せんでくれないか」


 「ふざけるな。化物め」


 「化物…。言い得て妙よ。今の私は皆の目には化物に見え、また私は化物たり得ているのだろう」


 彼はエドワードの剣の切っ先を首から自分の鳩尾へと移動させる。

 何をするかと注視していると、エドワードは息を飲んだ。


 ミノスは剣を鳩尾にあてがい、そのまま前へと足を踏み出した。

 切っ先は彼の体をとらえ、鳩尾へと埋まっていく。


 しかし、彼は表情一つ変えず体に剣を差し込み、ついには体を貫通させる。


 「この男の体は、とうに死んでいる。痛みも、苦しみも。この男にとってはなんの意味もなさぬ。腐るしかない肉に、感情などと言うものはもはやない」


 ミノス、いや、もはやミノスではないのだろう。

 この男はミノスの肉皮を被った、他の何か。


 ミノスという男は証言台の上に魂を置き去り、彼の体は何者かに借りられている。

 彼は剣を横に動かしていく。


 肋骨を自ら折り、機能していない血管を、肺を、心臓を、ミノスではない誰かが、手前勝手に切り裂いていく。


 「私が君らの言う化物になったのも、私がその化物に成り果てたのも、全ては私のものを取り返すためだ」


 「…貴様のもの?」


 「かつて反逆者達によって奪われた物だ。私が手塩にかけて育ててきたそれを、奴らは私を蹴落とし根こそぎ奪っていった。到底認可できるものではない。…それに加担した一人が、貴様の父親だ」


 ミノスは背後にいるガブリエルへ目を向ける。


 脇から取り出した剣を横に放り投げる。その動きは単調で、なんらおかしなところはない。だが、その力は凄まじく、剣を握っていたエドワードごと放り投げられる。


 子供ではなく大の大人。しかも鎧を着込んでいるのだから相当な重さのはずだ。

 だが、それにもかかわらずそこらのゴミを投げ散らすように、何気ない動作でエドワードは放り投げられた。


 壁面にしたたかに後頭部を打ち付けるエドワード。短いうめき声をあげた後、動かなくなった。

 ミノスは大した興味を彼に向けることはない。


 それよりも彼の視線は椅子に座ったままのガブリエルへと向けられる。

 彫像のように固まってしまっている彼を、ミノスは手を伸ばし、彼のほっそりとした首を掴む。


 「ぬっ…!?」


 そのまま、ゆっくりと喉を締め上げながら、彼の体を持ち上げていく。


 「知っておるか。お前のガブリエルという名は、私が付けたのだぞ」


 「そ、そんな、訳が…」


 「応接間にお前の父が赤子を連れて来てな、その時に名付けてやった。ローマンから聞いていないのか」


 否定の言葉を浴びせようとするガブリエルだが、それを遮り、ミノスの口は言葉を紡ぐ。

 だが、彼の口から放たれた言葉は、ガブリエルには到底信じられるものではなかった。


 「どうして、それを」


 驚愕に目は見開き、息を詰まらせながら、彼に問う。しかしミノスは問いに答えることはなかった。

 彼は頬を緩め、にこやかな表情を作ると、問いとは関係のない言葉を語っていく。


 「どれほどの褒美を与え、それほどの恩情を与えても、奴は私に反逆し、謀反を起こした。それは見事になりおおせ、私は国を追われる身となった」


 ガブリエルの脳内で彼の言葉が繋がり、一つの答えを導き出す。

 だが、その仮の答えは信じ難いものだった。


 もしそれが本当だとすれば、目の前のこの男の中身は、とうに死んでいるはずの男だ。


 「だがな、ガブリエル。私はそれほど君に怒りを抱いてはおらんのだ。むしろ、君を恨むのはお門違いだと思っている。君をこの場で殺したところで、ただの気晴らしにしかならんし、君は私が名前を与えた可愛い幼子だ。できることならば手にかけたくはない」


 その声色はまるで愛おしむ我が子に向けられているようだ。けれど、ミノスの手はギリギリとガブリエルの首を絞め続ける。


 「だが、君の中に流れる血。ヴィリアーズの血を私はひどく憎んでいる。だから、お前の子孫をお前の目の前で殺そうと思う。お前でヴィリアーズを終わらせ、その墓をお前の子孫の血で彩ろうと思う。私からのせめてもの手向けだ。ありがたく受け取ってほしい」


 ミノスはもう一方の手でガブリエルの頬を撫でる。 

 ガブリエルの背筋に悪寒がはしる。


 その手は冷めきっていて、とても生身の人間の手ではなかった。

 生者らしく振舞っているが、彼はすでに亡者となっている。


 得体の知れない何かが、亡者の体を木偶人形を糸で操るが如く、動かしているだけに過ぎない。

 それまで呆然と二人のやりとりを眺めていた聴衆の前を、一人の影が横切る。


 瞬時に二人の間に立った影は、ガブリエルとミノスとをつなぐ両腕を、剣の一太刀で寸断する。

 残り少ない血液が、宙を舞い。亡者の腕が床へと落ちる。


 彼の腕から解放されたガブリエルは、むせながらその影に視線をやる。そこには剣を握ったアーサーが立っていた。

 彼はガブリエルに目を移すことはなく、剣を翻してミノスの首を切り落とす。


 観衆からの悲鳴。しかしそれは長くは続かない。


 「腕のいい兵士だな。名は何という」


 床に転がった生首が言葉を話し始めた。

 何でもないかのように、平然と言葉を続ける生首はどこかおかしくもあった。


 「…アーサー・コンラット」


 その光景を目の当たりにしたアーサーは言葉を飲むが、すぐに吐き出す。


 「コンラット。聞かぬなだ。まあいい。お前の腕に免じて今日はここで引き返すとしよう」


 「お前は誰だ」


 「その答えはガブリエルが知っていよう。ここにいる誰よりも、私を知っているだろうからな」


 アーサーはちらりとガブリエルの方を見る。


 閉められていた首をなぞり、顔を青くして床に膝をついている。そこに転がる生首へと注がれ、信じられないものを見るような目で見つめている。


 表情は固く、年齢以上に彼を老けさせている。

 それは単にそこにある現実が信じられないのか、生首の奥に存在している秘密が信じられないのか。


 ミノスの言葉が本当ならば、そのどちらとも取れる表情に見えてくる。


 「ではなコンラット。いつかまた相見えることになるだろうが、その時までしばしの別れだ。それから、私からお前たちに贈り物がある。大いに楽しんでくれ」


 ミノスはそう言い残すと、静かに瞼を下ろす。まるで眠ったかのような安らいだ表情だが、腕を失った彼の胴体は、立ちおおせたままだ。


 緊張から解かれ、一瞬の安らぎが議場に満ち始める。




 しかし、次に彼らを待ち受けていたのは、その場を揺るがす衝撃と耳を穿つ轟音だった。

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