祝宴
その日の夜は、エリスの合格を祝う食事会を開かれた。
主役のエリス、ユミルにジャック。エドワードとシャーリー、そしてアリッサの家族。さらに、どう言うわけか騎士団の面々とコビン、カーリアの姿もある。
本来ならエドワードの家族とで小さく開く予定だったのだが、エドワードがいらぬ気を利かせたのか、それとも口が滑ったのか、あれよあれよと参加者が募り、どうにも小さくしっぽりと行うのは無理だ。
そこで、ディグの計らいで宿を貸し切って執り行われることになった。
おめでとうと同じ文句を言いながら彼女の肩をたたく騎士団の兵士たち。
思えば三年前のあの頃から随分と疎遠になっていたが、誰しもがエリスの顔を忘れてはいなかった。
彼らのまるで我が子のことのように喜び、親類の叔父のように頭をなで、肩を叩いて褒め讃える。
過剰にも思える態度に迷惑そうに顔を歪めるエリスだが、まんざらでもないのか、それを払いのけることはせずなすがまま彼らなりのねぎらいを受け入れていた。
エリスにとって友人とも言えるのはアリッサだけだ。その彼女はエリスの合格を褒めるのだが、兵士たちとは打って変わって過剰になることはなかった。
エリスが合格するのは彼女にとってはごく当たり前のことだったのだろうが、それでも、喜ばしいことに変わりはない。
これからともに励む仲間として、そして一つ上の先輩として少し背伸びした目線から、彼女の成功をアリッサは祝う。
そして、娘に続いてエドワードとシャーリーも同じように彼女に声をかける。
けれど、エリスの頬に接吻とお祝いの言葉を述べるにとどめた。あまり長々と主役を二人で独り占めしているのも悪いだろうと考えてのことだった。
カーリア、コビンも二人に習って短めに言葉を送り、握手を交わす。
中央に寄せ集めたテーブルの上には、ディグ手製の料理が並んでいる。
それぞれに手を伸ばし、酒を飲み、歌を歌う。単なる祝賀会のはずがいつしか盛大な飲み会に姿を変えるのは、そう長い時間はかからなかった。
よっぽど酒に飢えているのか、ジョッキグラスのぶつかる音がいつまでも響き合っている。
ユミルはそんな彼らを見ながら、嬉しそうに、楽しそうに笑っている。
肩を組まれて巻き込まれることになっても、彼らの手を振りほどくことはなく、ともに歌い、ともに笑う。
まだ酒を飲む歳でないにもかかわらず、兵士の一人が彼女に酒を勧めていた。酔いに任せたその場の勢いなのだが、この時ばかりは上司であるエドワードが仲裁に入る。
隊長とはいえ水を差された兵士たちからは非難の声が彼にかかる。
意外だったのはその中にエリスの声も混ざっていた。
これにはエドワーソも驚いたようだったが、日頃からこの手の反応には慣れているのか、声を受け入れつつもあしらい、エリスの前から酒を遠ざける。
じゃあ、何歳から飲めるのか。エリスがエドワードに問いかける。
少なくとも、18を過ぎてからだ。エドワードが言った。
私は、36だ。エリスが言った。
その言葉にエドワードの口からはぐうの音も出なかった。
彼女の仕向けた罠にまんまとハマり、エドワードは兵士たちのいい笑い者になってしまう。
とにかくまだ酒を飲める歳じゃない。
彼は捨て台詞を吐くようにそう呟き、酒を持って輪の中心から離れた。
酒瓶を持ったまま、エドワードが向かったのは、ジャック一人が座るテーブルだ。
「ここ、いいか」
彼はわざわざジャックに断りを入れる。ジャックはちらりとエドワードの見ただけで、何も言うことはなかった。
無言の了承だろうと思い、エドワードはジャックの対面にある椅子を引き、腰を下ろす。
ジャックはエドワードが目前に座ろうと、視線を動かすことなく、酒の入ったグラスを傾ける。
黄金色に輝く水の中に小さな気泡が出口を求めて上へと上り、ジャックの口の中へ下って行く。
「よかったな。エリスが無事合格できて」
酒をグラスに注ぐことなく、ラッパ飲みでグビグビと酒を呷る。
「…そうだな」
ポツリと漏らす。彼らしくもない、温かみのあるつぶやきだった。
「だが、あまり喜んでもいられまい。エリスはこれからまた忙しくなるのだ。勉学に専念するも友人と親しくするも、そのどちらもを台無しにするのもあいつにかかっている。こんなところでぬか喜びをして、退学なんぞになりでもしたら目も当てられん」
そう言ってジャックはまたグビリと酒を飲む。
「…ふふふ」
ジャックの反応にどうしてか含み笑いを漏らすエドワード。
「なんだ」
そんな彼の態度に、不機嫌に眉根をひそめながらジャックは尋ねる。
こっちは妙なことを口走った覚えはまるでない。
なのに、目の前のこの男は自分を見てほくそ笑んだ。
こんなことで機嫌が悪くなるほど、彼の精神は幼くはないが、それでもいい気はしない。
「いや、すまん。別にお前を笑っていたわけではないんだ。ただ、お前も変わったなと思ってな」
「変わった?私は何一つ変わっていないぞ」
ジャックは手を大っぴらに広げてみせる。どこが変わったのか説明してみろと言わんばかりだ。
「なに、まるであの子の父親のように話すから、少し驚いただけだ。そうか。お前もついにあの子を娘として認めるようになったか」
「そんなことはない」
手を下ろし、彼は肩をすくめる。
今日は酔いがまわるのが早いのか、いつもよりも反応が大げさになっている。それを見てエドワードがまた微笑んだ。
「変わったといえば、あの子もそうだな」
エドワードの視線が向こうへ移る。それにつられてジャックの視線もそちらへ移る。
そこには兵達とユミル、アリッサ、それにシャーリーに囲まれているエリスがいた。
彼らの笑い声に混じってエリスもまた、同じように笑っている。今日の夕食会を十分に楽しんでいるようだった。
「最初のころに比べたら、あの子も随分明るくなったよ。前はどこか無理をして笑っているみたいだったが、今はそんなことはない。心の底から笑っているようだ」
「前からあんな風に笑っているようだったが」
「…お前はあいつを見ているようで見てないんだな」
肩をすくめながら、なぜか説教くさくエドワードは語る。
どうしてお前にそんなことを言われなければならないのか。
大きなお世話だと思いながら、出かかる言葉を酒で胃の中へ落としていく。
「男二人で何を話していたんです?」
シャーリーが彼ら二人のいるテーブルへと歩み寄ってくる。その手にはいくつかの料理の乗った皿がある。
「いや。こいつにエリスのことをもっと可愛がってやれと言ってやっただけだ」
「あら、仕事仕事でろくに娘と話せていないのは、どこの誰かしらね」
「…これは痛い所を突かれた」
エドワードは肩をすくめ、ジャックに目を向ける。お前もそうだろう、と同意を求めるように。
それに対してジャックは無視を決め込み、シャーリーの持ってきた皿に手を伸ばす。
摘まみ取ったのは、細く切ったジャガイモを素揚げして、塩をふりかけたもの。
付け合わせのソースをつけて食べるのだが本来なのだが、そのままでも十分美味い。
時間が立っているのか、持ち上げてみると先端が萎びて少し垂れている。だが、ジャックは気にしない。
それに時間のたったそれは塩がよく染み込み、塩っ辛いが酒のアテにはちょうどいい。
二つつまむと、それを口に運び、噛みしめる。湿気たポテトの柔らかな歯ごたえと塩気を味わいながら、それをビールで胃に流し込む。
喉を鳴らし、グラスを離すと口元に白い泡が残る。それを手で拭い、再びつまみに手を伸ばす。
皿の上には他にも生ハム、ソーセージ、スライスチーズ。茹でたナッツが乗っている。
「まあ、あの子もアリッサと一緒の学校に行くことになるんだ。困ったことがあれば、うちに頼ってくれ」
エドワードはそういうと、ジャックの肩を叩き、立ち上がる。
「もう行くのか」
「ああ。これでも団長だからな。色々と仕事が山積しているんだ。また時間が合えば、飯でも食いに行こう」
いつもの別れの文句を彼に告げると、エドワードは宿を後にした。
仲間の何人かは団長の見送りに外へと繰り出すが、ほとんどの奴らは酒だ酒だの、エリスの祝賀を理由に酒を飲み交わす。
「ごめんなさい。あの人ここのところはずっと忙しいみたいで」
「仕方があるまい。仮にも兵を率いている隊長だ。色々と仕事を抱えているんだろう」
そう言いながら、彼は酒を飲み肴をつまむ。酒を飲み終わると、彼は席を立つ。
「…私は、先に休ませてもらう。あとは好きに楽しんでくれ」
「あら、せっかくのエリスちゃんのお祝いなのに。いいんですか?」
「私がどうこういうよりも、アリッサやユミルやお前が讃えてやったほうが喜ぶだろう。それに、今夜は少し飲みすぎた。気が遠くなる前にベッドに潜り込みたい」
「自分勝手ですね。まるであの人みたい」
肩をすくめ、呆れたようにシャーリーは言った。
こんな砕けた物言いをする女だったか。最初に会った時以来あまり交流はしていなかったように思うジャックだが、そんなことはきっと彼女に撮っては些細なことだろう。
グラスに入ったシャンパンを一息に呷る。きっと酔いも入っているからこんな口調なのだろうと、手前勝手に納得する。
だが、あった当初のような態度よりも、こちらの方が付き合いやすいと思った。




